喰う寝る36さんの
KISSの温度「K」Edition 4th

 止まり木に腰掛けた彼女を、グラスを磨きながら横目で覗いていた。
 
『・・・オレにだって浮いた話の一つや二つ、有っても良いと思うんだけどな。』
 
 物欲しそうな視線で捉える、清楚で保守的な灰色のスーツ。
 ・・・光線の加減でうっすら浮かぶペンシル・ストライプが無ければ、リクルートスーツだな。
 その胸元に覗く青鉄色のブラウスと、ワンポイントの装飾を控えめに添える黒真珠のブローチ。
 
『・・・例えばあの女なんて、すこぶる付きの美人じゃないか。』
 
 薄暗い店内に於いてなお繊細な光沢を放つ、美しい髪。
 緩やかで秩序だった曲線を描くその黒い額縁に収まる、色白で小振りな整った顔。
 野暮ったいセルフレームの眼鏡すら、彼女の知性の結晶に見える。
 
『・・・300mmの望遠で、早朝の光線を使ってコントラストは控えめに・・・くそっ、またかよ。』 
 
 飢えたオトコを気取ってみても、長年の習慣がボロを出す。
 女っていうのは、ファインダー越しに付き合うモノだ・・・って習慣付いてしまったらしいや。
 だからオレは、レンズを通して恋をする・・・寂しいモンさ・・・。
 
 
 
 
「・・・あの・・・。」
 
 控えめな香水の香りは、彼女の落ち着いた雰囲気に相応しい選択だった。
 そんな彼女の臭覚にアピールするべく奨めたスプリング・バンク。
 ・・・優しくて、でも自己主張の強い芳香を放つシングルモルトを、口づけたグラスから唇を濡らす様に楽しんでいた、一見の客が。
 
「・・・素敵な写真、ですね。」
 
 躊躇いがちな口調に、微かな緊張の色を滲ませながら・・・そう、呟いた。
 
「ん?・・・ああ、これですか。」
 
 さりげなく彼女の視線を追った後、酒棚の全面に画鋲で貼りつけたスナップ写真から、彼女の関心を惹いた一枚を手に取る。
 自分の特異分野へ会話を誘導する為の小道具。
 もちろん、自信作だからこそ、そんな使命を与えたワケさ。
 
「僕の古い知り合いなんですがね・・・」
 
 手の平に収まった、赤毛の少女。・・・まぁ、二十歳前の頃の写真だから、少女って呼んでもいいかな?
 高校の卒業を記念して集まった時の、相変わらずシンジをイジめている惣流の姿だ。
 
「良い写真ですね、本当に。」
 
 綾波の酌を受けるシンジと、その鼻先に自分のグラスを突きつける惣流。
 手元のボトルに視線を落とす綾波の目は、幸せそうに細められ。
 惣流の邪悪な笑みを浮かべる口元も、瞳の輝きによって、その印象は楽しげな物となっていた。
 そして、ハの字を描く眉の下で、それでも嬉しそうなシンジの苦笑い。
 
「幸せそう、でしょう?」
 
 三者三様の表情の中でも、一際華やかな笑顔を放つ赤毛の姿を見つめながら。
 
 ・・・酒の肴が一品増えたんだぜ? ほら、もっと飲めよ?
 
 なんて考えていたオレは、彼女のさりげない一言に虚を突かれた。
 
「ええ、とっても。・・・好き、だったんですか?」
 
 不覚にも、写真を見おろすオレは、複雑な笑みを浮かべてしまったらしい。
 
「・・・え?」
 
「ですから、好き、だったんでしょう?」
 
 アルバイトの頃から数えて5年、シェーカーを振り続けてきた。
 やがて目覚めたプロ意識・・・つまり、洒落た会話をリードする事。
 なのに今、会話の主導権を奪われ、すっかり狼狽えたオレがいる。
 
「まいったな・・・。」
 
「あら、素敵な事ですよ?・・・とても優しくて、だけど、少し苦くて・・・。」
 
 オレから写真を受け取った彼女の笑み。
 
『優しくて、苦い? それって、その表情の事だろう・・・?』
 
 一瞬見とれたオレの心を鏡に映すように。
 
「バーテンさん、そんな顔をしてましたもの。」
 
 眼鏡を外して、そっと目元を拭った彼女は、オレに向かって微笑んだ。
 
 
 
 
 
 
「好きだったって・・・そう言っても良いのかも知れないな。」
 
 ショットグラスで揺れる琥珀を、ぼんやりと眺める彼女。
 まるで頷くように、グラスを唇にあてる。
 
「普段は凶暴な程に強気なんだけどな。シンジ・・・その写真の男だけど、そいつの背中を見つめる横顔が、ときどき凄く切なくてさ・・・。」
 
「はい・・・。」
 
「たぶん、惣流・・・いや、その赤い髪のコは、その表情を他人に見られたく無かったと思うんだけど。」
 
「・・・だからこそ、オレにとってはシャッターチャンスだったんだよね。」
 
「・・・ええ。」
 
 彼女って、聞き上手なんだな。
 いつの間にか、駆け出しのバーテンから相田ケンスケに戻って、思い出話をしているオレ。
 控えめな、でも的確に先を促す、彼女の相槌が心地よい。
 
「・・・オレだけのシャッターチャンスだったから・・・。」
 
 そこで言葉を切ったオレの手には、グレンフィディックのオン・ザ・ロック。
 トウジのボトルからくすねたこの一杯は、少年時代の味がするから・・・。
 
「・・・結局、シャッターは切れなかったんだけどね。」
 
 一口呷って吐き出した、胸の奥の感傷・・・そいつを、酒のせいに出来るってワケさ。
 
「・・・本当に、好きだったんですね・・・。」
 
 自分自身の言葉の奥に、琥珀色の過去を覗き込むような・・・彼女の遠い瞳。
 それはそれで魅力的だけど・・・そんな顔でオレを見るのは止めて欲しいな。
 背中に誰かが居るみたいで落ち着かないし・・・第一、照れ臭い。
 だから、オレは笑って言った。
 
「・・・ファインダーの中の彼女をね?」
 
 彼女の瞳が子供っぽく見開かれたトコロを見ると、今度は上手く作れたらしいや。
 ・・・惣流がよく見せていた、悪戯っ子の笑み。
 
「もうっ・・・おふざけですか?」
 
 やっぱり、彼女は聞き上手だ。
 彼女の明るく拗ねた声で、楽しげな雰囲気が戻ってくる。
 バーマンとしてのオレも、馴染みの空気にリラックス。  
 
「へへっ、どうかな?・・・それより、ほら、他の写真も見てくれよ。」
 
 視線で微笑みを交わしつつ、酒棚から数枚の写真を剥ぎ取った。
 
 教室から窓の外を眺める、制服姿の綾波。
 表情の無いその横顔は、広角レンズで強調された遠近感の中で、折れてしまいそうな弱さを感じさせる筈だ。
 
 遊園地の噴水を背景に、シンジにビンタを放つ惣流。
 腰の入ったそのフォームと、竜巻のように巻き上がった輝く髪。
 怒りの美神のごとく凛々しい横顔に、ちょこんとくっついたソフトクリームが微苦笑を誘う。
 
 トウジと洞木・・・トウジの高校の学園祭の時だな。
 日の射さない体育倉庫の裏で、背中を丸め、寄り添うようにしゃがみ込む二人・・・真剣な表情で周囲に目を配っているトウジの手には、洞木お手製の愛情弁当。
 同じように赤い頬で周囲を伺いながら、トウジに湯気の立つカップを渡そうとしている洞木。
 
 ああ、これは最近のヤツだな。
 ミサトさんと加持さん・・・だっけ? それに、シンジと惣流。
 加持さんの腕にぶら下がって楽しげな惣流・・・でも、反対側の手ではしっかりとシンジのシャツを握りしめ。
 ・・・フレームの外では、シンジと葛城さんが苦笑いしてるんだけどさ。
 
 それに・・・
 
 あと・・・
 
 シンジが背を向けた隙に、大口を開けておにぎりを頬張る綾波の写真を手渡した時、彼女が口を開いた。
 
「ほんと・・・いつもこの人達を見ていたんですね・・・。」
 
 
 
 
 
 
「ん? ああ、友達だし・・・気のいいヤツ等だからな。」
 
「わたしには・・・こんな風に見守ってくれる人なんて居なかった・・・。」
 
 寂しげに呟き、儚げに笑う彼女。
 
 ・・・いや、『笑ってみせる彼女』・・・だな。
 
 頭の隅の方で、そんな事を冷静に考えながらも。
 オレはすっかり面食らっていた。
 だって、そうだろ? 一目惚れなんて、本当に有るわけ無いじゃないか。
 カメラ越しに世界を見続けてきた『傍観者』のオレが、そんなドラマの『当事者』になんてなれる筈無いじゃないか。
 高まる胸の鼓動と、熱を帯びる頬にそんな言い訳をしなければ。
 オレは、寂しげで、とても綺麗な彼女の微笑みを・・・両腕で抱きしめたいという衝動に、抗えそうも無かった。
 
「・・・オレが、見てやるよ。」
 
 堤防は、弱いところから決壊する。
 口をついて漏れ出た言葉に、ぼんやりとそんな事を考えながら。
 ・・・オレは、これっぽっちも後悔なんてしていなかった。
 
「きみを、オレが見ていてあげるよ。」
 
 だから、もう一度。もっとはっきり彼女に告げる。
 
「オレが見ているから、さ・・・。」
 
 驚いたように見開かれた彼女の瞳に、拒絶の色は見られない。
 その事に勇気づけられ、もう一段。
 オレは、観客席からステージの上へと、『当事者』になるべく歩を進める。
 
「・・・写真、撮ってくれるんですか?」
 
 彼女は、探るように問いかけた。
 違うと言って欲しい・・・頼りなげに揺れる瞳が、そう呟く。
 
「違うよ。そんな事言ってるんじゃないんだ。」
 
 だから、否定する。
 
「オレが、きみを見守ってあげる・・・いや、見守りたいんだ。」
 
「あの写真みたいに?・・・寂しい時も? 楽しい時も? 嬉しい時も?」
 
「そうさ、どんな時だって、きみと一緒に・・・。」
 
 黒い真珠から、雫がこぼれた。
 
「そう、きみをこの目で捕まえていたいんだ。」
 
 彼女は目を反らし、ショットグラスを一気に開ける。
 そのまま顔を伏せ、熱を帯びた吐息に載せて、悲しそうに呟いた。
 
「結局、レンズ越しなんですね・・・。」
 
「え・・・?」
 
 次の瞬間、オレの視界は黒い物に覆われ。
 次に視界が晴れた時、オレの世界は歪んでいた。
 
「お、おい! メガネを取るなよ!」
 
 焦るオレをからかうように、明るい声が返ってくる。
 
「ふふっ、駄目ですよ、ちゃんとその目で見て下さい♪」
 
「見るって、何をさ!?」
 
 メガネを取り返そうとカウンター越しに差し出した両腕に、何かがすっぽり収まって。
 
「レンズなんて無くても・・・見えますよね?」
 
 それは、黒い真珠。
 
「お願いです・・・私を見て・・・。」
 
 切なく揺れる、彼女の宝玉。
 
「ひとりは、もう・・・嫌です・・・。」
 
 そう言い残した彼女は。
 
 
 ゴッ。 
 
 
 異音と共に、視界の外へと沈んだ。
 
 
 
 
 ・・・手探りでメガネを取り戻したオレは、真っ赤な顔でカウンターに突っ伏した彼女に溜息を吐く。
 
「・・・キスする相手が違うんじゃないか?」
 
 思わず漏れた笑みは、意外な事に少しも苦くなかったから。
 
「・・・まあ、こんな晩だって悪くは無いさ。」
 
 カウンターの下から取りだした、テーブル席用の厚手のクロスを彼女の肩に掛け。
 
「・・・酒の肴には上等だしな。」
 
 看板の照明を消し、閉店の札を表に出して、トウジのボトルからもう一杯。
 
 彼女の寝顔を見守りながら、グラスを傾けるオレは。
 下戸の常連客を、この日から新たに一人、迎える事になった。
 
 
 
 
 
 
 後日:
 
「ふふふ、ケンスケさん・・・ん〜っ・・・。」
 
 酒の勢いを借りて、今日も迫ってくる彼女。
 
「マユミちゃん・・・それ、ウーロン茶。」
 
 突っ込むオレ。
 
「えっ? やっ? あのっ・・・!?」
 
 
 カシャッ。
 
 
 慌てふためく彼女の姿も、オレのレンズで焼き付けた。
 
 
 
 
 
 


 食う寝る36さんから『Luna Blu』一周年記念の『KISS』を頂いてしまいました。(^-^)/
 ありがとうございます!
 
 バーテンダーのケンスケシリーズの三作目です。
 しっとりとしていて、そしてちょびっと切ない。
 恋の始まりって、ほんのささやかなきっかけなんでしょうね。
 このお話のケンスケ君とマユミさんはお似合いだと思います。(^-^)/
 
 
 この作品を読んでいただいたみなさま。
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