爽やかな初夏の昼下がり
とある駅前のビルの一階にある喫茶店
楽しそうに談笑しているカップルやグループの中に、一人でポツンと佇む彼女がそこに居た
通りに面した窓脇の席、頬杖をつきながら外の風景をアンニュイなオーラを漂わせて眺めている
茶系統のパンツに白いブラウスが 知的でエレガントな美女の見事な曲線を現す女性らしい身体を覆う
背中まで伸びる長い髪は ゆるやかなウェーブを描きながら彼女の肢体を包む。顔を少し揺らす度にその髪・・・金色の中でも一際豪華で高貴な『ゴールデンレッド』が彼女の肩や首筋をくすぐる
澄んだ湖の色の瞳は、何を捉えるでもなくただ漠然と窓の外を見つめるだけ
店内の男達はそんな彼女の姿に心を奪われながらもあまりにも『完璧』過ぎて なかなか声を掛ける事も出来ない。時々 勇気ある・・・というより無分別な若者が誘おうとするのだが、彼女のコバルトブルーの瞳の前であえなく敗退。店のウエイター達はそんな男達の姿を小さく鼻で笑っている
『 窓際の憂いの美女 』 どこか寂しそうな瞳で頬杖をつく
いつの間にか喫茶店は彼女を中心にして不思議な緊張感とかすかな期待感が展開され、客達の会話もどこか意識の表面だけをすべっている
・・・と、いきなり彼女は右手で自分の口を抑えた。まるで嗚咽を耐えるかのようにぎゅっと目を閉じると、その瞳から一筋の雫が彼女の頬を流れて落ちた
それを目にした店の男達は 一瞬腰を浮かせ何らかのアクションを示そうとする
しかし・・・
「 ・・・ふぁぁ〜〜〜〜。もぉ〜いつまで待たせんよ〜〜 むにゃむにゃ・・・ 」
思ってもいなかったアクビ混じりのその声に、一斉にずっこけた
・・・どうやら ただ眠かっただけらしい
さて 『憂いの美女』から 『退屈しているお嬢さん』へと評価が下落すると、当然ナンパな男達が動き出そうと試みる
しかしその時には かの麗女が元気よく立ち上がり手を振っていたりする
そして・・・
カランッ♪
店のドアの鐘が小さな音を奏でると、ひとりの女性が入ってきた。薄いブルーのワンピース、清潔そうな外観は十分好意に値する美女である。走ってきたのだろうか息が荒く 少し顔色も赤い
黒くて長い髪を背中まで流し、化粧は薄いがそれでも可憐な顔を少し歪めて待たせた友人に相対した
「 ごめん! アスカ、待った?」
アスカと呼ばれた彼女は その蒼い瞳にきゅっと力を込めて
「 もう、遅いわよ!ヒカリったら〜 」
どうにか遅刻したてきた彼女は 何度も謝りながら 友人を宥める事に成功したようだ
一緒に席に座る2人の姿に、再び店内の男達の視線が集中する
金髪の彼女は至極活動的。コロコロと変化する表情は見ているだけでも楽しい
一方 清楚、可憐 という言葉がそのまま当てはまりそうな彼女は終始平謝り。それでも蒼い瞳の友人の扱いには慣れているのだろう。『チョコパフェ一つ』で機嫌を取ると にこやかに微笑んだ
金髪碧眼 スタイル抜群の美女。そしていかにも日本的な黒い瞳の少女
和洋の対峙でもあるが、どちらも極めて 麗しい。男達にとっては見ているだけでも『眼福モノ』
やがて『お詫びの品』が運ばれてきて 楽しそうに談笑しながらぱくつくと、先程まで発散させていた『近寄りがたい雰囲気』はあっという間に無くなり、そこに居るのは年頃の・・・多分二十歳前・・・美女2人の姿
見ているだけでも目の保養になる光景だった
ところが にぎやかに笑いあっていた2人が急に声を秘め コソコソと内緒話
そのあまりの変わりように 思わず耳を傾けた・・・
「 に、妊娠ですってぇぇーーーー!!! 」
「 しーー! ヒカリったら声が大きいわよ・・・」
店内の注目を浴びてしまったアスカは大きく手を振って親友をいさめる
ヒカリもあまり大声で話す話題でもないので、自分の声を抑えた
「 父親って・・・やっぱり碇くんよね? 」
聞かなくてもいいのだが、とりあすえず確認
「 あ、当ったり前じゃない! アタシがシンジ以外の男と・・・」
「 アスカ、声が大きい・・・」
激昂する彼女を急いで宥める。とても他人には聞かせられない話だ
じろりと周囲を見渡すと、周りの人間全員が急いで目を背けたりする
ヒカリは小さなため息を洩らすと、向かいの席に座る親友の顔を見つめた
「 ・・・とりあえずは・・・おめでとう、アスカ 」
小さな声で祝福すると、彼女は頬をピンクに染める
「 あ、ありがと ヒカリ 」
そんなアスカの様子を見ながら、ヒカリはつくづく思う
『 ふ〜ん・・・あの 碇くんとねぇ〜〜・・・』
かれこれアスカ達と付き合いはじめて もう5年の月日が流れた
中学生だった自分達も 高校卒業を目前にして進路の岐路に立っている
そんな時期に発覚したアスカの妊娠
しかしヒカリにはアスカを責める事は出来なかった
5年にも及ぶ彼女のシンジに対するアタックを身近で見てきていたからだ
その姿は正に『健気(けなげ)』。多少 暴走気味の場合もあったが、本来もてる筈のアスカが他の男には目もくれないで あの少年一筋に生きていく様は、見ていて心が震えたものだ
その気になれば男なんて選り取りみどりな親友だったからだ
ところが その当人である『碇シンジ』という少年は 見ていてじれったい程 『 鈍い 』
その鈍感ぶりは国宝級を通り越して『神話級』
あれだけのアスカのアタックにも 全然気づいた様子すらない
どうやら 余りにも身近(同居)に居た事が反ってマイナスになったようだ
同じ屋根の下に住む環境が、彼女の『恋心』を 家族の『親愛さ』と錯覚していたようで、アスカの失言・・・時折叫ぶ 『好き』という言葉をも 家族に対するそれだと思い込んだらしい
2、3度 キスも経験したらしいが、 『 外国じゃ あれが挨拶代わりなんだよね 』とほざくシンジの頭を何度殴りたかった事か・・・実際 我慢出来ずに2回ほど どついている
ほとほと厄介な相手に惚れ込んでしまった親友に同情していたのだが、その恋がやっとの事で『成就』したらしい
・・・どうやら 本当に『実って』しまったみたいだが・・・
とにかく自分自身も『鈴原トウジ』という男と『婚約』までしてしまっているヒカリなのだから、今更アスカに対してどうこう言うつもりはなかった
確かに高校生の妊娠というのも大問題だが、あれほどの苦難を乗り越えてきた友人達。世間の目からすれば『同棲』以外何物でもない共同生活を送ってもう4年以上経つ。いわゆる『そーゆう事』になっても何の不思議もない
・・・と、ここまで割り切れるのもヒカリ自身がたった一度だけとはいえ『そーゆう事』をやらかしてしまったという経過があるからだ。ほんのはずみみたいなカタチで経験してしまった彼女。ところが翌朝洞木家の玄関に現れたのが・・・黒の紋付袴というちょっと似合わない姿の彼。そして開口一番
『 ワ、ワ、ワシと結婚してくれっ!』と とんでもない言葉。漢(おとこ)としてどうしてもケジメをつける決意だとか
当然わちゃくちゃな騒動が持ち上がったが 結局『婚約』といった形で納まる事が出来た。二人共卒業後に就職、早い事家庭を築く予定である
さて、そんな彼女であったから 親友の妊娠といったスキャンダルにも少しは耐性が出来た。ヒカリとしては素直に祝福したい気持ちである
・・・しかし
ただ ひとつ 心の中にある陰りは
・・・『綾波レイ』という少女
アスカと同じくらい少年を慕っていた彼女の存在を知っていたからだ
長い付き合いで親友と呼んでも差し支えない程の絆を築いてしまったレイの心の内を思うと、手放しには喜べない
我慢出来ずに つい 聞いてしまう
「 ・・・・・・じゃぁ、綾波さんは? 」
アスカの口から洩れるだろう悲しい結末を覚悟して待っていたヒカリの耳に ・・・思いがけない言葉
「 ・・・そ、そんな・・・」
唇がわなわなと震える。頭に血が昇って顔面が真っ赤になるのがよくわかる
息が出来ない。肺が酸素を求めてバクバクいっている
「 ・・・二人とも・・・同時に・・・にんしん・・・うそ・・・でしょ・・・」
頭の中に浮かんだ光景は ・・・・・・裸で絡み合う三人の友人達
酸素不足の金魚みたいに口をぱくぱくさせて 空気を肺に送り込むと それをに吐き出す
「 ・・・ふっ 」
顔がピクピクと痙攣する
「・・・・・・ふっ 」
赤くなった視界のすみで 親友が己の鼓膜を守るために耳を押さえている姿が 目に入った
「・・・・・・・・・ふっ 」
なにやら面白そうな展開に店内の客 従業員達が一斉に耳を傾ける
・・・どうゆう結果を招くとも知らずに
そして
「 ふっ、不潔よぉぉぉぉーーーーーーー!!!!」
二人の美女の会話に 思わず聞き耳をたてていた男達の鼓膜を、黒髪の彼女の衝撃波が襲った
『 好奇心、ネコを殺す 』 である
『 ヒ、ヒカリも相変わらずね・・・』
アスカはため息混じりの笑みを洩らすと、両手を頭から離す
ピリピリピリ・・・
辛うじて耳は保護したものの、親友の強烈な『叫び』をもろに浴びてしまい身体中の細胞が電撃でもくらったように痺れている
実際 鼓膜も震えているのか キーンという耳鳴りまでしていた
とりあえず目の前のお冷やをゆっくりと飲み干す
ゴクッ・・・ゴクッ・・・
冷た水が喉の中を通過していくにつれて身体の痙攣も治まってきた
タンッ
固い音をたててコップを置き、一言 苦言をしようとしたアスカの瞳には
・・・あっちの世界に旅立ってしまっている親友の姿が映った
「 『 じゃぁ、ワシ等も子供作らんといかんな・・・』 ってトウジったらそんな・・・でも、どうしてもって言うなら・・・」
頬をピンク色に染めて自分自身の身体を抱きしめ イヤンイヤン
「 ・・・ヒカリ?」
「 ・・・お願い、優しくしてね・・・そりゃぁバージンじゃないけど・・・最初の時の事は何も覚えてないんだもん・・・」
「 お〜い、ヒカリさぁ〜ん♪」
アスカの声にも応えず、ひとり妄想状態。その潤んだ瞳はどんな光景を見ているのだろうか
「 ・・・えっ!?そんな事までやるの・・・えぇ、わかったわ。夫の希望に応えるのも妻の役目・・・」
何やら凄い想像しているらしい。顔を真っ赤にして妖しい声を発している
アスカは大きなため息を吐くと とりあえずテーブルのチョコパフェ食べ始めた
向かいの席からは「 あ〜ん 」 とか 「 いやぁ〜ん 」とかうめき声が洩れてくるが一切無視
数分後 パフェをすっかり空にした時も、親友は潤んだ瞳で身体をくねくね、あっちの世界を旅行中。なにやら嬉しそうな悲鳴をあげている
「 ・・・そんな、トウジったら・・・私 恥ずかしい〜 」
「 こっちの方が恥ずかしいわよ 」
すっかりと醒めた目で ヒカリの顔に右手を近づける
「 もう、十分 堪能したわね 」 妄想中の親友に声をかける。『武士の情け』は終了
中指をぐぐっと曲げて 勢いよく額にヒット。『 でこピン 』だ
バチンッ
「 きゃんっ♪」
まるで犬のような声。何が起きたのか判らずに顔を右往左往するヒカリに向かってにっこりと微笑んだ
「 ・・・おかえり、ヒカリ 」
「 えっ!?・・・アスカ?」
やっとのことで 現実世界への帰還である
「 ヒカリってさぁ〜 もしかして 欲求不満? 」
しらけた顔してそんな事のたまう アスカ嬢
深刻な相談をしていた筈が ヒカリのおかげで気分はすっかり どっちらけ。グレープフルーツジュースをストローで掻き回しながら 物憂げに問うた
「 よ、よ、欲求不満って・・・」
聞かれた彼女は又もや顔をピンクに染める。声が次第に弱くなっていったのは、なんとなく思い当たるがあったから
「 ・・・・・・トウジって 頑固だから・・・」
5年の月日が 『友達』から『彼女』、そして『恋人』を経てつい最近『婚約者』と変えていった2人の立場
一度だけとはいえ 関係してしまった以上、ヒカリとしては不安半分期待半分でトウジからの誘いを覚悟していた。女性週刊誌の特集記事まで読んで事前知識をしっかりと取得済み
ところが 彼といえば 『 漢(おとこ)としてのケジメや 』とか言い出し、事実 あれからヒカリには全然手を出してくる気配すらない。『結婚』まで自戒するらしい
ヒカリとしては 安堵感と共に胸の奥にもやもやした思いが渦巻く結果となった
「 鈴原もバカだからねぇ〜 」
とは、恋敵(レイ)と二人がかりで鈍感少年(シンジ)を押し倒してしまったアスカだからこそ言える台詞。実際そこまでやらなくてはシンジを篭絡出来なかった事が悲しいやら情けないやら。到底他人事ではない
「 いっそ ヒカリも押し倒してみたら? 」
助言だか教唆だか判らない微妙な発言までする始末。今後の話の展開にどこかヤバイものを感じたヒカリは 慌てて話を逸らす
「 そ、そ、そう言えば アスカの報告したい事って・・・やっぱ それ?」
「 あっ、そうそう・・・」
咥えていたストローを勢いよく放す。やっとの事で会話が本道に戻ったようだ
・・・ヒカリの作戦勝ちとも言うが
「 ヒカリに話したかったのは 子供の事と・・・」
ちょっとだけため息を洩らすアスカ。どうやら小さな心の葛藤があったらしい
「 新しい家のこと・・・」
「 ・・・家? 」
「 うん。あのね・・・」
もう一度ストローから勢いよくジュースを吸う。喉の奥に飲み込む液体と別のもの・・・
そして親友の顔を真正面に見つめた
「 シンジがね・・・新しい家を建てるのよ・・・『みんなの家』なんだって・・・ 」
一瞬 目をぱちくりとさせたヒカリは 不思議そうな声で聞き返す
「 ・・・みんなの家? 」
一方アスカはまるで苦虫でも噛み潰したような顔
「 そう、山の中に大きな家を建てて みんなで住むんだって。シンジとあたしとレイと子供達・・・それにミサトとリツコ、マヤも来るそうよ・・・」
「 ・・・はぁ〜?」
するとアスカはまるで堰を切ったかのように 次々と文句とも愚痴とも取れる台詞を放つ
あふれ出す洪水に ヒカリは崩れ落ちそうになったが なんとか踏み止まって堪えた
つまりアスカの言葉を要約すると
『 なんで新婚家庭に邪魔者が入るのよ〜〜 』 と いった事らしい
反則技( 無理矢理と妊娠 )まで駆使してやっとの事でシンジのハートをゲット。さぁ、これからラブラブ一直線・・・と考えていた矢先にこれだ
「 ・・・まぁ、レイは仕方が無いとしても・・・」
どうやら アスカとレイの間で秘密の条約が結ばれているようだ
「 ミサト!? リツコ!? どうして余計なお邪魔虫まで一緒なのよぉーーーー!!! 」
吼えるアスカ。しかし次には大きく息を吐いたかと思うと、がっくりと腰を降ろした。そしてつぶやくようにポツンと
「 ・・・ま、判っちゃいるんだけどね・・・」
どうやら溜め込んでいたモノを吐き出して すっきりしたようだ。顔つきも心なしか穏やかになっている
「 ・・・アスカ 」
気遣うヒカリに対して 小さな笑みさえ見せた
「 ごめん、ヒカリ。これ ただの愚痴だから・・・」
「 で、ヒカリの方はどうなのよ?」
ちょっと重くなった空気を変えようと アスカは話題を相手のことに換えた
「 保育士の研修先 決まった?」
高校一年の頃から 保母への夢を語っていた親友。その資格を得る為には 高校卒業後 専門の学校に通うか 又は研修先で二年間の経験を積み試験を受けるか である
彼女は学校に通うよりも 生の現場で実務経験を積むことを選んだ。・・・つまり 幼稚園でバイトするのである
ヒカリの目指していたモノは 『家庭的な雰囲気で子供達を親身になって育ててやる事』
その為に 研修先も 『家族的』な幼稚園を探していたのだが・・・なかなか格好の物件が見当たらず 苦労していたところであった
「 ・・・うん。なんとか見つかったんだけど ね 」
ヒカリの表情からは 希望が適った喜びが あまり感じられない
「 ん? どうしたのよ 」
不思議に思ったアスカが尋ねてみると・・・
彼女の理想像である 『家族的な雰囲気』の幼稚園
その為には 大きなところより 小規模な幼稚園を選ばざるをえない。 しかし 小さいところは どうしても経営状態が良好とは言えず 研修生として雇ってもらうだけでも一苦労だったのだ
今からこれでは 二年後 正式に保母となった場合にどうなるのか 判ったモノではなかった
「 そこだって園長先生とその娘さん、それに30代の人二人でやっているんだけど・・・もし 本採用となると 誰かのポストが空かなきゃ雇えない状況なのよ・・・」
「 ふぅ〜ん・・・別のところじゃ駄目なの?」
「 うん・・・働くからには やっぱり理想にこだわっちゃうのよね・・・」
ふぅ と小さなため息が ひとつ
特に彼女の場合、『結婚』という現実が目の前にあるため ある程度の経済的自立は不可欠。二年後には夢を取るか 現実を取るかの選択が迫られるかもしれない
「 結婚しても保母の仕事は一生続けるつもりだから・・・」
物憂げにテーブルのグラスを手に取るヒカリ
カランッと 氷の音が鳴り響き 白い喉が小さく揺れた
「 ふむ、今から妥協はしたくないのか・・・」
アスカも考え込むように腕を組んだ
人生という道の岐路に立ってる故に その悩みは大きい
と、気配を感じて目をやると 見慣れた黒い服の男がこちらへやってくる
「 あっ ヒカリ! 愛しい旦那の登場よ♪ 」
今までの空気を払いとばすかのような からかいの言葉
「 もう、アスカったらー 。それいい加減に止めてよね 」
口では制止するものの 満更でもない顔で 婚約者を迎えるヒカリ。ちょっと染まった頬がいかにも初々しい
再び 店内のドアが音を奏でると 精悍な顔の青年が入ってくる
相変わらず 身にまとうのは黒。このセンスだけは直らなかったようだ
「 すまん。ちと遅れた 」
がっくりと腰を降ろすぐあいで座ったのは鈴原トウジ。黒い髪を短めに切り込み 漂わせる空気は まさに『体育会系』。目つきは鋭いが顔のラインが優しい為に 幾分柔らかく感じる
しかし どうやら今日はいつもと違うようだ
店員に渡されたお冷やを 一気に飲み干すと いささか乱暴にグラスを置いた
そして鎮痛な表情で・・・
「 ・・・すまん、ヒカリ。・・・ワシ、会社 くびになってもうた・・・」
しばし 三人を不思議な沈黙が支配する。シーンとした空気の中 カチコチと時計の秒針の音が響く
最初に再起動したのは やっぱりアスカ
「 ・・・くび?」
トウジは重々しくうなづく
「 あぁ、そうや 」
「 会社ってアレでしょ? アンタがずっとバイトしていた運送会社? 」
「 ・・・そや 」
「 トラックの運転手になるんだって頑張っていた・・・あの会社?」
「 そう、あの会社や・・・」
トウジが深いため息をはくと やっとヒカリが動き出す
「 ど、どうしてー? あんなにあの会社の事 気に入ってたじゃない? 」
そして重い口調でボソボソと語ってくれたところによると・・・
トウジのバイト先である運送会社は小さいながら 働き者でやり手の社長と 威勢のいい従業員とで最近急成長している会社であった
ところが一方が繁盛すれば もう一方は景気が悪くなるのは世の例え
わりを食ったのは とある古くからあるのライバル会社
いつしか陰険な嫌がらせを受けるようになったとか
会社としては古い付き合いもあり、甘んじて受け止めていたが それでますます図に乗って 一層酷くなったらしい
とうとう我慢出来なくなったトウジが 相手の社員三人相手に喧嘩、 病院送りにしてしまった
当然 ライバル会社は激昂し 告訴してやるとまで言い出す
それで泣く泣く社長が トウジにくびを宣告した次第のようだ
話を聞き終えたアスカは トウジの顔をギロリと睨みつけた
「 ・・・アンタ、まさか・・・本気を出したんじゃないでしょうね?」
聞かれたトウジは身体を小さくすくめる
「 ・・・ちょっとだけやがな 」
二人の視線は トウジの右足に集中した
彼の失われた右足は ネルフのオーバーテクノロジーによって完全に再生されている
・・・ネルフ解体のどさくさにまぎれての作業だったが
新しい足は常人の数倍の力を引き出す事が可能。リミッターを外せば鉄骨をもへし折る事ができる
・・・その分の負担は他の生身の部分に 滅茶苦茶にかかる事になる・・・言わば欠陥品に近い
「 まっ、話を聞けば相手も悪いし、アンタも自業自得よね〜 」
腕組みした天井を見上げるアスカ。次の瞬間トウジの顔を見下ろす
「 でも、せっかく内定まで貰った会社 この時期にくびになって アンタこれからどうするのよ? 」
「 どうするって・・・どないしょ〜?」
不安げに隣を向くと、ヒカリが心配げな顔
「 ・・・この時期から新しい就職口なんか 探せるの?」
「 う〜〜〜ん・・・」
年の暮れも押し迫った今日。内定もらってすっかり安心していた彼にそんな余裕あるだろうか
「 他の運送会社は どう?」
「 あかん、あかん。なんせ狭い業界や、ワシの事件なんか あっという間に広まってるわ。・・・下手したら『回状(かいじょう)』回ってるかもしれん 」
「 回状って?」
「 ヤクザの破門状とかあるやろ。つまりどこそこの誰彼はこんな事してしまいましたって 同業者同士で通知出すんや 」
「 そこまでやる?」
「 うちの社長はそんな事せえへんけど・・・あっちの会社が な・・・古い会社やさかい あちこちに付き合いあるんや 」
「 ・・・って事は 」
「 あぁ、トラックの運転手は もう無理や。・・・せっかく大型免許取る算段してたのにな・・・」
うーんと考え込む トウジ。その顔はいかにも残念そうだ
「 ごっつい車 転がすのはガキの頃からの夢やったんやけど・・・」
その時
突然、アスカが立ち上がった
「 そうだ!」
「 ん、なんや?」
「 ・・・どうしたの、アスカ?」
不思議そうな二人に、良い事思いついたという顔を見せる
・・・そして
「 アンタ、幼稚園バスの運転手やりなさい!」
指を突きつけられたトウジは 唖然
「 そして ヒカリ! うちの家で幼稚園 開けば良いのよっ! 」
何故か ぐっと拳を握り締める アスカであった
突拍子のない提言
ヒカリは一瞬 事態の把握ができなかった
反論がなかった事に気を良くしたアスカは 自分の考えを次々と述べる
「 ほらっ、さっき言ったでしょ。新しく建てる家のこと・・・あれって元々はネルフの観測基地だったのよ。
で、その基地跡を利用するんだけどね 馬鹿みたいに広いのよ、これが・・・
はっきり言って かなりのスペースが余るわけ。それを利用して何かの店舗にするにしても 立地が辺鄙なんで集客はまず無理
アパートか下宿屋にしようにも・・・周りに学校や会社があるわけでもなく・・・ってゆうよりまだなんにもないわ。そんな所に借りる人なんて無いでしょ
そもそも あのミサトとかリツコが居るんだもの。まともな人なんて とても住める訳ないじゃん♪
でも、建築の構造を考えると バランス的にも建てた方が安上がりなのよね
だから 半分近くが空室になるの。だからそこを幼稚園にすれば良いのよ!」
「「 ・・・・・・ 」」 話の展開についていけない二人
アスカはそんな彼女達にもおかまいなし
「 あすこら辺はね、これから開発されようって土地なの。街の中心から電車で一時間・・・あっ、駅も来年開通だって
で、そんな場所にこれから家を建てようってのは まぁ 若い夫婦ってのが定番
つまり小さい子供が居る家庭か これから産まれるだろうって夫婦な訳
だから園児の確保は容易な筈よ。どうせヒカリが資格取るには あと二年かかるんだから 今のうちに開園の準備をしておけば良いわ♪」
「「 ・・・・・・ 」」
「 そうそう、私達の子供を第一号にすれば良いわ。・・・・・・考えてみると自宅が幼稚園ってのも便利よね。
通園も楽だし安全だし・・・それにヒカリになら心配しないで子供を預ける事ができるわ!
・・・って事は私が外でバリバリと働けるわけか・・・」
ひとり 捕らぬ狸の皮算用するアスカ。腕組みしながらニヤリッと微笑んだ
「 ・・・あ、あのね・・・」
やっと声が出せるようになったヒカリを説き伏せる
「 で、ヒカリが幼稚園やるから、鈴原は手伝いしながら送迎バスの運転手。夫婦で同じ職場に勤めるって面白いと 思わない?
大体 鈴原も精神年齢が子供と一緒でしょ♪ 絶対気が合うはずよ」
「 お、お前なぁー 」
声を張り上げたトウジに、自信満々『なんか文句ある?』と見下ろすと トウジの抗議は次第に萎んでいく
「 そんなに上手くいくかしら?」
心配げなヒカリには 堂々と胸を張る
「 アタシが保証するから 大丈夫よ!」
アスカの保証ほど当てにならないモノは無い・・・と、とても口には出せない彼女であった
やがて言いたいことだけ言ってしまうと いきなり腕時計を示し、『 あっ、これから病院で検診なのよね 』とアスカは二人を置いて店を後にした
残されたヒカリとトウジは互いの顔を見つめ合うと 思わず苦笑
「 ・・・相変わらず 滅茶苦茶な女やなー 」
「 ほんと、全然変わってないわね・・・」
なぜか漂う 疲労感
しかし そんな中 ヒカリの胸に浮かんだのは ひとつのビジョン
・・・丘の上の幼稚園・・・無邪気な子供達・・・悪戦苦闘する自分
・・・そしてそんな子供達と泥だらけになって一緒になって遊んでいる夫の姿
・・・帰りのバスの中では みんなの合唱の声が いつまでも鳴り響いて・・・・・・・・・
幸せそうな微笑を浮かべる彼女の肩を 彼はそっと揺り動かした
「 ・・・ヒカリ、なに考えてるんや?」
「 えっ!? べ、別になんでも・・・」
思わず 慌てふためく彼女に不器用な・・・そして優しい笑みを浮かべる
・・・そして
「 まっ、ガキどもの相手するんも 悪くはないかもな・・・」