「わりぃ!」 頭を下げるのはいつもいつも俺の方で。 蘭は一瞬怖い顔をして見せて、それから呆れたように軽く笑う。 ぱいぱいっと手が振られ、俺はいつも通り送り出される。 そう。いつも通りに。 恋人を凄惨な事件現場へと送り出す彼女は、こんな日にまでまったく普段と同じ態度を取るのだ。 もう少し、駄々を捏ねられると思っていたから、俺はがっかりしてしまった。 言い間違えでは無い。 『がっかり』したのだ。 たまには可愛らしく唇を尖らせて腕を絡めて「行かないで」と言って欲しい、微妙な男心が哀愁を滲ませてしょんぼりとしているのだ。 俺だって今日くらいは全ての雑事から開放されて蘭と一緒に心ゆくまでフルコースのデートを楽しみたい。 そう思う普通の高校生である事を誰が非難しようか? 俺は華やかに、時に行き過ぎにディスプレイされた大通りを一人寂しく地下鉄で移動するべく駅を目指していた。 バックミュージックはこの時期に相応しい、『ジングルベル』のオルゴールバージョンだった。 「で?工藤君は幸せでラブラブな恋人達で溢れ返るデートスポットに、蘭ちゃんを一人置き去りにしてココに来たの?」 佐藤刑事の台詞の後には、まるでお菓子のおまけの様に特大のため息が付いてきていた。 俺は居心地が悪くなった空気を敏感に察知して体を小さくする。 俺だって良心が痛まない訳ではなく、むしろ本当に今日だけは事件が起こってくれるなと思っていただけに、この言葉は痛かった。 気苦労の絶えない木刑事が俺を慌ててフォローするのも、毎度の事だ。 俺達はどうやら互いに親近感を持っているらしい。 その、恋愛事に不器用だという共通点があるからだろうと俺は勝手に分析し、理解しているのだが・・・ 「でも結局工藤君が悪いんじゃなくて、応援を要請した僕らが原因なんですし。ここは一つ頑張って早く工藤君を蘭さんの元に返してあげましょうよ!」 「高木君。私はいつだって精一杯努力してるし、頑張ってるわよ。」 くすりと笑いながらの軽い切り替えしに、木刑事は必要以上に慌てて今度は佐藤刑事のフォローに回っている。 忙しい人だよ。まったく。 俺は、高木刑事に言われるまでも無く速攻で事件を解決して蘭の傍らに舞い戻ろうと思っていたので、頭をフル回転させながら、状況証拠を確認しようと現場をうろうろとうろついた。 灰褐色の服装が多い中に、明るい色彩のカジュアルな服装の俺は大層悪目立ちしているらしい。 男は黙って仕事をこなす、がモットーの鑑識のトメさんにさえ、声を掛けられる羽目となった。 「おぅ。名探偵。今日はデートか?」 「はぁ。デートの『最中』だったんですけど。」 「お前さんも悪い男だなぁ。ほっぽって来ちまったのか?」 ぐさりと痛い事を満面の笑顔に豪快な笑い声付きで言って下さる。 俺は引き攣った頬のまま苦笑らしきものを浮かべた。 「そのうち捨てられても泣くなよ?男は黙って仕事しろってな。はっはっは。」 びしりと音を立てて苦笑という仮面にヒビが入る。 お、恐ろしい事を、さらっと言うよ。このおっさんは・・・ 多少顔色も悪くなっていたのか、トメさんの周りの若い鑑識さんが俺の顔色を心配そうにちらちらと窺っているのが分かった。 きっと自分にも心当たりがあるのだろう。 同情と同士意識が絶妙に混ざり合った視線を向けてくれている。 俺はお互い頑張ろうというような痛ましい視線を投げ返すと、更にスピードアップして捜査に乗り出した。 蘭の家の玄関前。 俺は大きく深呼吸をして、覚悟を決めた。 そんな大袈裟なもんじゃないだろうと言わないでくれ。 自他共に認める格好付けの俺にとって、結構重要な事なんだから。 折角のクリスマスに、事件の呼び出しを受けた俺を快く送り出してくれた蘭に報いる為に、ちょっとした演出はやっぱり必要だろう。 蘭の家の玄関先が、蘭の家に用事がある人間しか見ないような場所で本当に良かった。 誰かが来るとしても階段を上がる靴音で事前に分かるから、この姿を蘭以外の誰かに見られる心配もない。 俺はがさがさと買い物袋の封を開け、赤い派手な衣装を取り出した。 誰でも知っている人物に俺はなろうとしている。 ここまで来たら言わずとも答えは分かっているだろう。 そう、世界的大スター。 サンタクロース、その人に、だ。 コナンから戻ってからこっち、なんだかんだと言いつつ身長があれよあれよと伸びた俺は、平均的に言っても背の高い部類の男になっていた。 未だ父さんには届かないものの、背が伸びる気配が無くなった訳ではなく、これから先どうなるかは未知の領域だ。 一番大きいサイズでぴったりだった俺は一人手を伸ばして衣装の皺を伸ばしてみる。 「ま・・・いっか。」 前、後とチェックして、俺はオプションでついていた白い袋に蘭へのクリスマスプレゼントを忍ばせた。 外見だけ見れば、完璧なサンタクロースだ。 仕上げに丸っきり似合ってない白い髭を口元に貼りつけて、俺は心の中で玄関先で出迎えてくれるだろう蘭に叫ぶ言葉を練習した。 『メリークリスマス!貴方に幸せを届けに来ました!』 こんなもんだろう。 妙に緊張して来た心臓を宥めて、俺は指先でチャイムを押した。 し〜んとした空気の中、一人立ち尽くすサンタクロース。 毛利家の中から人が出てくる気配がとんと無い。 俺は耳を澄ませた状態でもう一度チャイムを鳴らした。 聞き覚えのある電子音が家の中で微かに響くのが分かる。 だが、愛しい蘭の軽い足音は、待てど暮らせど俺の耳に届く事はなかった。 「・・・家に帰るって言ってなかったか?」 独り言は空しく冷えた空間で速度を失いぽてんと落ちる。 別れ際の蘭の言葉。 『今日はお父さんも近所の人と、ノンストップで騒ぐって昼間から出て行っちゃってるし、お母さんも用事があるって言ってたし。家に帰って色々やってるわ。だからもし新一の方で事件が早く片付いたら、連絡を頂戴?期待しないで待ってるから。』 そんなに遅い時間ではない筈だ。 少なくとも蘭とクリスマスのデートをやり直す時間くらいなら残っている。 それなのに、肝心の蘭が家に居ないだなんて、予定外だった。 俺は一旦背中に担いだ白い袋を足元に置き、胸元に忍ばせておいた携帯の電源を入れた。 一日に2回呼び出されるなんて、滅多に有る事じゃないから杞憂に終わるかもしれないのだが、万が一と言う事も有る。 蘭に2回もあんな想いをさせるのは心苦しかったので、携帯の電源を初めから切っておいたのだ。 電源を入れた途端に警視庁から嬉しくないデートのお誘いなんて事有りませんようにと祈ったのが効いたのか、俺の携帯は電気と言う生命の鼓動を手に入れた後も取り敢えずの沈黙を返した。 短縮番号で蘭の携帯を呼び出す。 果たして・・・ 「おいおい。あいつどうしちまったんだよ?」 何回コールしても相手が出る気配が無い。 俺は何回か無駄だと知りつつ蘭の携帯を鳴らして、とうとう諦めた。 「ここで待ってりゃ、帰って来るだろ。」 世界に一体何人居るんだが、即席のサンタクロースの一人である俺は多分やっぱり世界に何人か居るんだろう恋人を待つサンタクロースとなって、蘭の家の玄関先に座り込む事となった。 1時間経ち、2時間経ち・・・ 俺は段々心配になってきた。 未だ帰って来ない。 携帯だって何回か鳴らしてみたが反応は皆同じ。 コール音だけが、空しく鼓膜を揺らす。 サンタは寂しくプレゼントを胸元で暖める。 「蘭・・・どうしちまったんだよ?」 無性に寂しくなってきて、情け無いかな、呟いた声は妙に湿っぽかった。 外はきっともう真っ暗なんだろう。 時折人々の楽しそうな声が聞こえ、何処かからクリスマスソングが流れている。 蘭も一人でこの曲を聴いているのだろうか? 有名過ぎる英語の歌詞は、幸せな曲とは言い難く、こんな気分の時にはかなり重く感じる。 蘭との事を、この歌のようにしたくない。 ベクトルがマイナス方向に向いている思考は本当にロクな事を考えやしない。 「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」 馬鹿みたいにでかい声で思考を散らして、俺は今度こそと気合を入れて蘭の携帯に電話を掛けた。 「頼む。出てくれ・・・」 呟きながら5回、10回とコールを数える。 18回目で、待ち望んだ声が耳に届いた。 「新一?」 「おせーよ。蘭。」 少しだけ拗ねた口調に、透けて見える嬉しい気持ち。 あ〜あ〜あ〜。ガキみたいにこんな声出してる自分が恥かしくなってきた。 俺は誰も見てないのに赤くなった頬を隠して蘭の言葉に耳を傾けた。 「新一終わったの??」 「終わったもなにも・・・」 もうこうして2時間以上オメーを待ってたなんて言える雰囲気ではない。 何かがおかしい。 蘭は一体どこで何をしているんだ? 「おめー・・・何処に居るんだ?」 「新一の家だよ?御馳走作って待ってるのvv」 弾んだ声で、可愛らしい鈴の声。 俺は一気に脱力した。 「俺んちかよ?!」 「え?駄目だった?」 「駄目じゃねーよ。ちょっと、まぁ色々有るんだけど・・・ま、そう言う事で。」 「訳分かんない。」 そりゃ分からないだろう。 蘭は子供っぽい幼い声で俺を非難する。 電話じゃ声が遠い。 優しく耳朶を揺らす甘い声の雰囲気はまるで宇宙の彼方だ。 勿体無い事この上ない。 やっぱり傍で聴かないとな。 俺は現金にもにやりと笑みを浮かべると、「帰るから待ってろ!」と強引に電話を切った。 危ねー。 俺は帰路を急ぎながら、先ほどの大失態未遂を思い返していた。 蘭の待つ我が家が愛しい余りに、サンタのままで往来を走ってしまう所だった。 階段を途中まで駆け下りて、気が付いて蒼くなって慌ててサンタ服を脱ぎ捨てたもんだから、安物のソレはびりりと音を立てて割けてしまった。 寿命は短かったなと、サンタクロースには未練無く、別れを告げて燃えるごみ箱につっこむ。 プレゼントだけをしっかりと抱いて、俺はいつもの倍の速度で蘭と俺の家の間に横たわる距離を走った。 走って帰って来た事を、あからさまに蘭に知られるのはちょっとカッコ悪いので、玄関先でゆっくりと呼吸を整える。 体を鍛えていると、呼吸なんてモノは案外簡単に制御出来るものだ。 若さも手伝って俺はポーカーフェイスを引っ被ると、蘭に合図を送る意味で自分の家のチャイムを鳴らした。 中から小走りで玄関に近付く蘭の気配。 俺は前髪をくしゃりと掻き混ぜて、気持ち一握り格好を付けると、深呼吸を一回して扉を開けた。 「「メリークリスマス!!!」」 綺麗にハーモニーを奏でた俺達の声。 俺は目を丸くして、間抜け面を蘭に向ける事となった。 真っ赤。 そして真っ白。 そのツートンカラーは見覚え有りまくりのモノ。 そう。世界に今日一体何人居るんだと考えるだけで確認しようだんなんて愚かな考えを万人が投げ捨てる人物。 サンタクロースが俺の目の前に立って居たのだ。 「新一!お帰りなさい!!」 にっこりと笑って蘭が首を傾げる。 長い黒髪は全てサンタの三角帽子に隠されていて、口元には全く似合っていない白い髭。 赤いお決まりの衣装は蘭にはだぶだぶで、ズボンは引き摺ってるし、裾は蘭のほっそりとした指先まで覆い隠してしまっている。 そしてやっぱり白くて大きな袋を担いでいるのだ。 「蘭・・・似合ってねーよ・・・」 俺はくつくつと笑いを零して、なんだか本当に大笑いしたくなって、蘭を強引に抱き寄せてしまった。 きゅぅっとしなるほど強く抱き締めて大声で笑い出す。 「はっはっは!俺達本当似たモノ同士だよな!」 「ちょっと!やだ!何よ〜〜??」 「おめー全然似合ってね〜〜!」 「良いじゃないの。クリスマスって言ったらサンタじゃない。」 「せめてスカートにしろよ?今幾らでも女が着るサンタの服あるじゃねーか?」 ぎゅうぎゅう抱き締めて笑いながら鼻をぶつけて俺が言うと、蘭が勢いでちゅっと俺の頬にキスをしながら答えを返す。 「これはお父さんが酔った勢いで買って来ちゃったものだもん。丁度良いかなぁと思って持ってきたの。」 「髭は止めたら?せめて?」 「だってやっぱり髭が無いとサンタさんじゃないと思わない?」 「髭はな〜。キスするのに邪魔じゃねーか?」 少しだけ2人の体の隙間を開けて、正面から瞳を見つめて真顔で言うと、蘭はゆっくりと笑った。 蘭の名の通り、華やかで生命の輝きそのものみたいな、美しい笑顔。 気持ちの良い空気は常に蘭と共にあるような。 独り占めしたくなる、蕩けるような甘い蘭。 「邪魔かなぁ?」 分かってて言ってるよ。こいつ。 俺も分かってて返してやる。 「邪魔だぜ。きっと。」 「・・・試してみよっか?」 こっそりと囁かれる提案。 「ああ。」 吐息はもう既に期待に熱く掠れている。 触れ合うのはどちらからとも無く。 与えるのではなく。 与えられるのではなく。 唇が触れ合う瞬間はいつもドキドキする。 聖なる夜に相応しく、恋人を抱き締めて甘いキスを交わして。 「メリークリスマス。新一。」 「メリークリスマス。蘭?」 離れて改めて祝福を投げ掛けて。 俺は欲望に忠実に呟いた。 「腹減って死にそう。何か食わせて?」 「・・・ムード無いんだから。」 蘭がぷっと膨れてくるりと俺に背中を向ける。 華奢な背中を後から抱き締めて揺らすと、蘭はくすくすと笑いを零し出した。 「ちゃんと用意してるよ。さ、食べよ?」 「おっし!」 「ちゃんと手、洗って!」 サンタは俺の背中を押しやって、ドアを潜って行った。 ソレを見送って俺は洗面所へと向かう。 窓の外に、雪。 「降って来てる・・・」 蘭が喜ぶだろうなぁと思って、俺まで嬉しくなった。 寒さなんて感じない。 心に灯る暖かさを抱いて、俺はこれからの時間を思ってこっそりと笑みを零したのだった。 END |