もし平和が新蘭だったら?







『女は預かった。無事に帰して欲しくば鞍馬山玉龍寺に1時間後、一人で来い。』
新一の耳に信じられない内容の言葉が響いてきた。
通話はすぐに打ち切られる。
頭の中でリピートして、新一は自分の奥歯が軋む音で我に返った。
蘭が、危ない。




「ちょぉ待て自分!そんな体で行くつもりなんか?頭冷やせやっ!」
平次が耳元で喚き立て、新一の体を力づくでも止め様とするのか、入院者用の薄い寝巻きの襟を片手で掴み上げる。
新一は煩わしそうに表情を歪めただけで、平次の腕ごと体からその布を剥ぎ取った。
病室内には和葉も居るのにお構い無しだ。
慌てて後ろを向く和葉にまるで無関心に新一は纏められていた荷物から着替えを引っ張り出す。
平次はじっと新一の様子を観察していた。
確かに蘭が攫われて平常心でなんか居られるはずもない。
でも、我を失って闇雲に動いている訳ではなさそうだ。
やるべき事は分かっていて、頭もまともに働いている。
満足に動きはしないはずの体はまるで潤滑油を入れたように滑らかに正確に、そして力強ささえ感じさせて動いている。
全て、蘭の為。
「・・・なんや、見せ付けられとる気分やわ。」
呆れた口調で平次が溜息を吐き、和葉に外に出て応援を頼む様に指示した。
頷いて出て行った和葉を見送って、平次は隠し持っていたモノを新一に放り投げる。
紫色に染め抜かれた布に包まれたソレを余裕で受け止めて、新一は窺う様に平次を見遣った。
額に浮いた汗。
無表情に見えては居るが、痛みはやはり変わらず新一の体を蝕んでいるらしい。
意地っ張りめ、と平次は悪態を吐いた。
「ソレ、オカンが大切にしとる短刀や。嵩張らんし、きっと役に立つ思てな。」
目をみはって、それから唇を少し吊り上げる。
「サンキュ。」
掠れた声で一言、新一はそれを腰に挿した。
「言うても聞かへんとは思うが、工藤、無理すんなや?」
「無理して蘭が助かるなら、無理でもやる。」
短い返答の中に、新一の蘭への想いが溢れ返っていて、平次は目を眇めた。
滅多に拝めるものじゃない。
「俺も行こか?」
断られることを半ば予測して平次が掛けた言葉は、新一の意外な切り返しに会う事になる。
「何寝呆けてんだ。オメーも行くに決まってんだろ。」
「へ?だって一人で来い言われたんやろ?」
「犯人の言葉素直に守ってやる義理ねーだろが。どーせ犯人はあの人だ。人を使ってこちらを監視くらいしてるだろうが、裏が掛けねー程切れ者って訳じゃねーだろ。」
「・・・工藤はやっぱり工藤や。心配して損したわ。」
「おい、耳貸せ。」
「へーへー。怪我人には優しゅーしてやるで。何でも仰せのままに、王子様。」
「キモイから止めろ。」
びしりと平次の額に入った裏拳は、頼もしいほど痛かったと、平次は後に蘭に話した。




門の中心に浮かび上がった黒い影。
蘭は表情を歪めて叫んだ。
「新一ぃ!来ちゃ駄目っ!」
「・・・」
シルエットは無言で前方へと歩を進め、やがて燃え盛るかがり火の赤い光りの中に姿を現した。
幼馴染の蘭が見間違う筈もない。
正真正銘、工藤新一だ。
入院するほどの怪我を負っている筈なのに、そんな素振りも見せずきちんと両足でふら付きもせず立っている。
手には木刀。
服部から借りたのか、帽子を目深に被っている。
「来たぜ。・・・蘭を離せ。」
「ほんまよう来たな。一人やろな?」
「どうせ俺に監視をつけてたんだろ?病院抜け出して、タクシー乗り継いで来たんだ。俺が一人だって裏は既に取れてんじゃねーのか?あんたのお仲間がさ。」
「くくくっ。ソレもお見通しと言う訳か。確かにお前は一人の様だな。煩わしい服部平次も毛利小五郎も警察と行動を共にしとるし。・・・好都合や。」
悦に入った口上に蘭は悔しさに唇を噛み締めた。
蘭は無茶をして勝手に行動していた少年探偵団を追って、新一が襲われた公園で犯人の一味と出会ってしまった。
犯人を特定する証拠の品を見つけた歩美を最初に人質に取られ、あっという間に元太も光彦も捕まってしまった。
蘭一人だったらなんとでもなった。
しかし、子供達に怪我を負わす危険を犯す事は出来なかった。
犯人に言われるままに、蘭は捕らわれの身となった。
子供達は多分無事だろう。
犯人グループの顔も見てないし、クロロフォルムらしきものを嗅がされていたから、大人達に事件の事を話してもまともに取り合ってもらえる可能性は低い。
だからこそ、無事。
蘭はそう思っていた。
だが、自分は違う。
毛利小五郎の娘で、自分の証言を警察は信じるだろう。
新一が襲われた時にも犯人を見ている。
だから・・・多分、ここで犯人は新一共々自分を始末しようとするのだろう。
怪我を負っている新一には来て欲しくなかった。
自分でなんとか出来るつもりだったのに、結局助けに来てもらっている自分が不甲斐無い。
悔し涙が蘭の瞳を潤ませた。
「木刀か?俺に剣で勝とうなんて思とるのか?こりゃ面白い。」
「あんたの剣道の腕は調べて来たよ。西条大河さん。」
「バレとんのか。」
あっさりと翁の面を外し、西条は卑劣な笑みを浮かべた。
蘭の背中をどんっと突き飛ばす。
「行け。」
短く言われた言葉に、蘭は新一の方へと駆け出した。
伸ばされる腕。
蘭は胸に飛び込んでしまいたいのをぐっと堪え、小さく「ごめんね」と呟いた。
「ばぁか。」
からかうような小さな笑い声。
蘭は胸を塞いでいた氷の様に冷たい不安を一気に溶かされて、緊張していた体から余分な力を抜いた。
新一が居れば大丈夫。
こんなピンチ、簡単に乗り切れる。
新一は蘭の手を縛っていた縄を短刀で切り、自由を取り戻してやると、そのまま蘭を背後に隠した。
「ちょ、新一?」
「後ろ頼む。」
「・・・うんっ!」
助けられるばかりじゃない自分の立場が嬉しかった。
新一は本調子じゃない。
それに蘭が気が付いて居る事を、新一は知っている。
だから、後ろは蘭に頼むと、新一は蘭を見込んでそう言ってくれている。
蘭の力を過大評価も過小評価もしていない。
それが、嬉しい。
「手練を相手に素人二人が何処まで善戦出来るかな?・・・覚悟しぃや。」
ずらりと面をした男達に取り囲まれているのに、まるで怯んだ様子を見せない二人に苛立った西条が片手を上げた。
決戦の合図、だった。




唖然と、西条は目の前の惨状を見ていた。
自分の可愛い弟子達が次々と倒れている。
真剣を持って切り掛かる弟子をいとも簡単に蘭はノックアウトした。
切り掛からせて懐に招き入れ、1檄目を防ぐと次の攻撃に入らせずに鋭い突きと蹴りで敵を倒す。
素人の戦い方ではない。
何か武術を体得している者の戦い方だ。
新一の方も短刀で刃を受け流しながら、上手く立ち回っている。
隙があれば蹴り掛かるばかりか、地面に落ちているモノを何でも蹴り込んで来る。
鞘も、薪も、面も、奴に掛かれば全て凶器となった。
倒れ傷付いていく者達。
西条はなかなか近付けない。
弟子達はにわか仕立ての隊列を組んであの二人に襲い掛かっているからミスも目に付く。
味方同士でぶつかり合い、その動揺した隙を上手く付かれて体勢を崩されている。
蘭と新一はお互いの背中を守りつつ、息の合ったコンビネーションで戦いの場を目まぐるしく変えていた。
弓を射る間もない。
混戦している分味方に当たる確立が高く、戸惑いが先に立って弓部隊はまったく役にたたない。
ぎりっと西条は奥歯を噛み締めた。
こんな筈じゃなかった。
こんな筈では・・・




「ええいっ!お前らは引けっ!!俺が叩っ斬ってやるっ!」
荒荒しい声を張り上げ、西条が手近な部下を薙ぎ払って前に出て来た。
汗を額に浮かび上がらせ、せわしなく息を吐いていた新一が不敵に笑う。
体が冷えている新一に、蘭は新一の容態が下降の一途を辿っている事を確信した。
安心させる様に一瞬だけ肩を抱いて新一は蘭をそっと自分から離す。
蘭は覚悟を決めた様に、儚く透明な笑顔を見せた。
一蓮托生だから。
信じてるから。
大丈夫だから。
言いたい言葉は一杯あるだろうに、その瞳に全てを飲み込んで蘭は新一に全てを賭けた。
「打ち掛かって来い。」
自分が負けるとは一抹も思っていない愚かな男に、新一は小さく呼吸を整えて好機を待つ。
背後に蘭がいる。
負ける気が、しない。
すっっと風が足元を走った。
細かな土埃が舞う。
新一が動いた。
地面に転がっていた真剣を一振り引っ掴むと、一直線に西条の懐に飛び込む。
下段から救い上げるような白い軌跡は、なんなく西条にかわされた。
「甘いわっ!」
勝ち誇った声と共に振り下ろされる兇刃。
新一は体を沈めぎりぎりのラインでソレを流し、ポケットの中のモノを西条の顔面目掛けて投げ付けた。
「な?!」
ばちばちんっと鼻っ柱にぶつかるお弾き。
咄嗟に目を庇った西条の膝裏を強烈な蹴りが襲った。
「がぁ?!」
倒れ込む所をすかさず新一の回し蹴りが襲う。
剣術家の勘だけで、ソレを辛うじて避け、西条は大きく後ろに跳びずさった。
「お・・おのれ・・・!!」
「甘いのはどっちだよ。」
流れる汗をそのままに、新一が再び剣を構えた。
今度は西条が斬りかかる。
しかし。
バラバラバラ・・・と遠くで空気を鋭く裂く音が聞こえる。
その場に居合わせた人間の殆どが反射的に空を見上げた。
小さな黒い一点は段々と大きな点へと変わっていく。
「ヘリだと?!」
「服部だよ。」
何でもない事のように答えを返すと、新一は裂帛の気合を放って剣を横薙ぎに撃ちかかった。
咄嗟に剣を突き出す西条。
きぃ・・・んと余韻を残す金属音を響かせて、西条の剣の刃と新一の剣の刃が折れ飛んだ。
「ちぃっ!!」
柄を投げ捨て二人は睨み合う。
間合いは縮まらない。
「さぁどうする?アンタの獲物は折れちまってるぜ。」
「未だだ・・・未だっ!俺には妖刀ムラサメがあるっ!」
己を鼓舞する様に大声で新一に言い放つと、西条は新一に背中を見せて廃寺へと全速力で駆け込んだ。
ヘリはすぐに上空へと到達し、風に飛ばされて切れ切れに平次の声が聞こえた。
「工藤〜。仏像さんの場所分かったで〜。」
「んな事ぁ後だよ後!!早く寄越せっっ!!」
「んとにせっかちやなぁ・・・」
服部の声と共にばらばらとサッカーボールが降って来る。
それと同時に西条の声が辺り一面に響き渡った。
義経になれなかった狂者。
屋根の瓦の上に仁王立ち、新一を見下ろしている。
「ココまで上がって来い。工藤新一!ムラサメの錆にしてやるわっ!!!」
警察のヘリを目にして、既に彼以外の男達は戦意を失い地面に膝を突いている。
死屍累々と倒れた者達の黒い影。
この光景を目にしてなお、自分が勝つのだと思い込んでいる男にうんざりと新一は溜息を吐いた。
「付き合ってやる義理はねーな。オメーが降りて来いっっ!!!」
叫びざま地面を軽く跳ねているサッカーボールを力一杯蹴り付けた。
弾丸の様にボールは西条を襲う。
妖刀ムラサメは最初の一撃だけはボールを真っ二つに割ったが、第2波は防ぎ切れなかった。
あっけなく刃は折れ、第3波のボールが顔を殴りつけ、第4波のボールが西条の鳩尾に突き刺さる。
声もなく、西条は倒れた。
瓦を滑り落ちる大きな体が、雨樋を越えて地面に激突する前に新一が放ったボールが落下を止めた。
ぶらんっと片腕が中に投げ出される。
上空からその一部始終を眺めていた平次が無線機にコメントした。
「あ、大滝のおっちゃん?終わったで〜。はよ登ってきぃや。」
『もうちょいや。』
息を切らした大滝の声がスピーカーから聞こえて来る。
平次は座席に深深と凭れ掛かった。




「新一?!」
ぐらりと倒れ掛かった体と地面の間に自分の身を割り込ませて、蘭が蒼白な新一の顔を覗き込む。
「無茶ばっかりしてっ!分かってるの?」
「蘭・・・煩い。頭に響くからもうちょっと小声で。」
力無く喋る新一に蘭は涙ぐみながら膝枕をして楽な体勢を取らせてやった。
「しばらく入院だからね。」
「京都でかよ。服部が毎日来んじゃねーか?」
「・・・来るかもね。」
「げ〜。」
瞳を閉じて新一は口をへの字に結んだ。
玉のような汗を蘭はハンカチでそっと拭う。
だらんと投げ出された指先に、自分の指先をそっと絡ませた。
体温が低い。
蘭は救急隊員が早く来る事を祈った。




「あったで〜。」
平次がひょこっと顔を覗かせる。
新一はこの謎が未だ解けてない悔しさに、子供っぽく顔を顰めた。
「おっ。工藤悔しいか、おら。いやぁ〜、気分エエなぁ。これが勝者の余裕っちゅー奴やな。」
「畜生。言うなよ?ぜってー言うなっ。すぐに解いてやるっっ!!」
「・・・頭つこても無理や思うけどな。」
「うっせーっっ!!」
「へーへー。せいぜい気張りや。」
地団太を踏みそうな勢いで新一が悔しがる。
ほんま推理ん事になるとこいつごっつおもろいわ、なんて平次が考えていると知ったらなおさら怒り心頭で暴れ出すかもしれない。
二人は仏像をそっと運び出し、それにシートを被せた。
後は誰にも見つからない様に本堂に運び入れるだけだ。
並んで歩きながら、平次がのんびりと思い出した様に喋り出した。
「そや。俺の初恋の人の話やけど。」
「・・・そんな話もあったな。誰だか分かったのかよ。」
散々からかわせてもらった話題を本人が振って来た事におかしいと思いながら、新一が話しを合わせた。
石畳に二人の足音が染み入っていく。
静かな山道。
「あれな。和葉やった。」
「へ?」
「女っちゅー生き物は不思議やな。化粧一つであない化けるとはな〜。」
「・・・分かんなかったのかよ。服部。」
新一が呆れを通り越して哀れみを持って平次を眺めた。
鈍いにも程が有る。
「遠山さんも可哀相に・・・」
「じゃかぁしいっ!!しゃーないやんっ!思い出も美化されとったしっ!」
「オメーも初恋は遠山さんかよ。年季入ってんな。」
「『オメーも』ときたか。」
にやにやと笑う平次に、新一はシマッタ?!と口を押さえた。
無言でしばらく歩く。
沈黙に耐え兼ねて、新一がぼそりと漏らした。
「蘭には言うなよ。」
「言わへんわ。アホらし。工藤の場合、言われんでもバレバレやんけ。」
「んな事ねーよっ!」
「はいはい。」
「ふざけんなっ!」
長い階段を降り切って、待たせてあったタクシーに乗り込む。
窓の外を眺めていた平次が、眠る体勢に入っていた新一にそっと囁いた。
「工藤には今回感謝してるで。工藤筆頭に警察のおっちゃんらにさんざん初恋の事でからかわれとったんやけど、最近矛先別に向きよってな。和葉ん事追求されんで済みそうなんや。」
「・・・」
「俺の初恋の代わりにな、工藤とねーちゃんのラブラブシーン、話題になっとるで。」
かっと目を見開いて新一が跳ね起きる。
その勢いに興味深々でバックミラーをちらちら覗いていた運転手が一瞬ハンドルを滑らせた程だ。
「何だとっ?!」
「や〜、工藤気ぃ失ってから、あの目暮いう警部ハンも白鳥いう警部ハンも大滝のおっちゃんも嫌味ったらしいおじゃるの奴も、みぃんな来たんや。工藤気持ち良さそにねーちゃんの膝の上で寝取ったし。手なんか握りおうて、もう当てられっぱなしや。救急車に搬送しよ思て担架に乗せたくとも工藤はねーちゃんの上から起き上がらへんし。ねーちゃんが指離そしたら顔顰めて嫌がりよるし。エーもん見せてもろたわ〜っておっちゃんら言ってたで。」
かぁ〜っと顔を染めてぱくぱくと口を開閉する新一に、平次が人の悪いにやにや笑いを向ける。
「工藤普段からねーちゃんに甘やかされとるから、あんな無意識ん時に前面に出てくるんやで。せいぜい気ぃ付けや。」
「・・・服部ぃぃぃ!!!」
狭い車の中で新一と平次が暴れまくり、運転手が悲鳴を上げて止める様に懇願しても、喧嘩は止まる気配すらなかった。















End


2013/03/03 再UP
映画のパロ。初出が何時だったか覚えてません。

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