■◆■ 私の彼 ■◆■
















「貴方が死んだら、私笑って次の人見つけるから。」



そんな事を、事ある毎に彼に言う。

一瞬悲しそうな瞳をして、諦めたように力無く笑って返って来る返事。



「好きにすれば?」



貴方のその隠された本心は何処にあるの?

私が欲しい答えを知っているくせに、絶対に口にしてはくれないのね。

それが優しさだなんて、勘違いしてるんじゃないでしょうね?



「私、もう待たないから。」



だから天邪鬼にこんな事を宣言してしまう。

私の所為と貴方の所為。





きっとフィフティ・フィフティ。





















「なぁんでこんな所で寝てんだか・・・」



硬いフローリングの上。

体を小さく丸めて彼女が昼寝をしている。

手元には多分転がり落ちた文庫本。

起こさないように細心の注意を払ってそれを拾い上げると、表紙には今話題の恋愛小説のタイトルが踊っている。

内容は、確か離れ離れになった恋人同士が再会を約束してそれぞれの道を進んでいく話。

小耳に挟んだエンディングは、賛同出来るものではなかった。

しおりが挟まっていたのは一番前のページ。

もう読み終えたのだろう。

彼女の寝顔は実年齢より大分幼くて、無性に抱きしめたくなる。

閉じられた瞳。

伏せられた長く美しい睫の端に、真珠色の涙の粒がまだ残っている。

彼が帰ってくる前に頬に流れ落ちた涙の軌跡。

泣きながら読んでいたんだろうと推理させるだけの、証拠。



「泣くくらいなら、読むなよ。バーロ。」



溜息みたいに零れ落ちた声は覇気がない。

泣くのは、もしかしたら自分達の姿を重ね合わせたからかもしれないから。

それは間違いなく、不在がちでよく約束を破り、いつも危険と隣り合わせで、彼女に安心を提供出来ない自分が悪いのだから。

部屋の中はきっと彼女がこの部屋に足を踏み入れた時には昼間の暖かな日差しが溢れていて、明るく暖かい居心地の良い空間だったのだろう。

しかし時が進むにつれこの部屋からは日差しが遠のき、次第に冷えてゆく空気に、彼女は自己防衛するように小さく丸まったのだろう。

暖めてくれる人間も居ない一人の部屋。

いつも何を考えて彼女はここで時を過ごすのだろう。

頬に指先を触れると、ひんやりと体温が奪われてしまっている冷たい肌。

白さがますます彼女の儚さを引き立たせているようで、胸が痛む。

一度寝てしまったらなかなか起きない彼女ではあるが、そぅっと動く事に気を配り、彼女の脇へと身を屈める。

背中と両足の膝裏に腕を差し入れ、バランス良く静かに抱き上げた。

浮き上がる細い体。

女性一般的に言ったら、決して小さい方では無いが、自分と比べると余りにも体重は軽く、華奢な骨付き。

これで武道を嗜み、そのレベルは全国的にも高いと言われても、すぐには信じられないだろう。

長い絹糸の髪がふわふわと空中で揺れる。

リビングを出て階段を上がり、そして辿り着いたのは自室だった。





















見慣れた部屋なのに、彼女が居るだけで、なんだか特別な感じがする。

それだけ彼女が『特別』なんだと再確認して、気持ちが昂ぶった。

触れてみたい。

泉に清水が湧き出るように、唐突にそんな気持ちが溢れ返る。

この場を離れ難い引力というものが、彼女から発せられていて、それに捕まっている自分が分かる。



ベッドの端に腰を下ろし、彼女の青白い頬を見下ろす。

美しい横顔は、何故か寂しそうに見えて、困る。

錯覚かもしれない。

思い込みかもしれない。

見た瞬間理屈でなくそう感じた自分の直感を信じたかった。



彼女が事ある毎に彼に聞かせる言葉を不意に思い出した。

それは、不安な気持ちを掻き立てる。



「俺の事、いつか見捨てて・・・おめーは行くのか?」



答えを聞きたくない問いを、絶対に聞いている筈の無い眠る彼女に投げる。

事件を解決して、こうして日常に戻ってきて、当たり前のように迎えてくれる彼女に、甘えているだけなのだ。



「俺以外の別の男に・・・いつか俺にくれた愛情を与えるのかよ?」



そんなの許さない。

そうやって叫ぶ事は簡単なのに。

優しい彼女はきっとその厚かましい願いを受け入れてくれるに違いないのに。

悲しいかな。俺のプライドはちょっとやそっとじゃ折れてくれなくて。

彼女の強さに依存する自分の弱さを許せなくて。



「おめーが望むように。」



本心とは相容れない事を囁いてしまう。

俺の所為とあいつの所為。





きっとフィフティ・フィフティ。





















「あ〜あ。」



声に出して溜息。

それはやるせの無い情けない気持ちを体の外に追い出すためだけの、ただそれだけの声。

眠り姫を起こす王子様にはとても似つかわしくない声。

・・・彼女には、俺が似合わないという事も暗示しているんだろうか。

そんな事を思い付いてしまって、更に気分がずしんとのめり込む。



「起きてくれよ。」



気が付けばそんな事を呟いている。

誰の声か一瞬分からないほど、甘ったるい声。



「その瞳の中に俺だけを映して、抱きしめろよ。」



子供みたいなことを願ってる。



「何処にも行かないって・・・俺以外の誰のモノにもならないって、誓えよ。」



自分勝手で我侭で。

野蛮でどうしようもない男。

それでも・・・一番大切なのがおめーだって、言いたいんだ。

だから・・・





「・・・起きるなよ?」





空気に溶けてしまう小さな声で祈って、そっと上体を屈める。

薄黒い影が彼女の体に落ちる。

近付く距離。

桜色の濡れた唇。

羽一枚分の軽さの、キス。



気配が、した。

閉じていた瞳を開くよりも早く、男の体はがくんっと落ちた。

深く重ねられる唇。



「ん・・」



零れ落ちた吐息は空気に溶けるより早く、彼女に溶けた。

首に回される彼女の腕が、より強い力で男の体を引き寄せる。

甘い酩酊に心まで奪われた。











「起きろって言ったり、起きるなって言ったり・・・」



悪戯っぽく笑って、柔らかな体をすりっと擦り寄せる。

簡単に形を変える柔らかな双丘。

彼女には有って、彼には無いものだ。



「狸寝入りかよ・・・」



不機嫌そうな声は小さくて、一緒に伸びてきた意地悪な指は彼女の頬を引っ張った。

ぽちんっと叩かれる音。

痛そうなうめき声。



「も〜。大して痛くないでしょ?」

「痛ぇよ。空手女の馬鹿力。」

「そういう事を言う人にはこうよ。」



脇腹を抓られた。

結構痛かったので、慌てて謝った。



「悪かった。」

「うん。」



にっこりと笑って、またすりすりと体を寄せる。

膝の上に乗せても、苦しくない彼女の体重は愛しさを掻き立てるばかり。

甘え上手な彼女に、癒されている。



「ねぇ・・・さっき、言ってたよね?」



ぎくりと体が強張る。

聞いてやがったか?!こいつ!!



「本心・・・だよね?」

「・・・」



うん、だなんて死んだって頷けない。

誤魔化さなければと気ばかりが焦って、空回りする口車。



「ふふ。初めて聞いちゃった。」



何故だかとても嬉しそうに微笑む。

笑顔が綺麗過ぎて目に眩しかった。



「やっぱり、そっちの方が『らしい』わよ。」

「そっちって・・・何?」

「一見すっごく自分勝手に聞こえる、本音。・・・迷ってないで言えば良いのに。」

「・・・」



言える訳ねーだろ?!と喉元まで出掛かって、なんとか塞き止めた。



「昔みたい。」

「何が?」

「私に『待ってて欲しいんだ』って、伝言して、それで本当にずぅっと待たせてた頃みたい。」



可愛い顔して、さらりと痛い事を言う。

体温が2度ほど下がったような感じがして、身震した。



膝の上で体勢を整えて、こちらに正面から向き直る彼女。

何を言われるのかと身構えてしまう。



「貴方だけよ?」

「へっ?!」



ぽかんと間抜け面を晒して、まじまじと愛らしい顔を見る。



「『次の人』なんて嘘。」



伸びて来た指先が、冷たい両頬を挟みこんだ。

至近距離で見詰め合う二人。

部屋の中に二人っきりなのに、更に狭い世界に閉じこもるように視界から互い以外をシャットダウンした。



「一生傍に居てあげる。ここに帰って来て良いよ。」



ふわりとキスされて、急に現実味を帯びる彼女の告白に、更に目を驚きに見開いた。



「ね・・・」

「・・・あぁ。」



敵わねーなぁ。一生おめーには負けっぱなしに違いない。

悔しいような嬉しいような、複雑な気分が、天国に舞い上がらんばかりの感情の上昇気流に掻き消された。

そっと抱き締めて、次第に強く抱き締めて。



彼女が彼を想う強さと。

彼が彼女を想う強さは。





フィフティ・フィフティ。











■ END ■



  

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