私は通い慣れた道を歩いていた。 空は何処までも青く澄み切っていて、心が攫われてしまいそう。 鳥の囀りさえ楽しそうに聞こえる今日はきっと良い事があるに違いないなんて、妙な確信を抱きながら私は幼馴染を迎えに行った。 しかし角を曲がればすぐ新一の家という所で私の足はぴたりと止まってしまった。 なぜなら見慣れない制服の女の子が、新一の家の門の前に所在無げに立っていたからだ。 角に身を潜めてその女の子を観察する。 あの制服って隣駅の女子校の制服じゃない。 あの高校は女の子のレベルが高いって有名な所だっけ。 良く見ればあの子、守ってあげたくなる様な可愛い女の子だ。 ボンヤリとそんな事を考えていたら、新一がキチンと制服を着て外に出てきた。 声は聞こえないけどその女の子と何か話をしている。 私はそーっと踵を返すと遠回りをして先に学校に行く事にした。 てくてくと一人学校までの道を歩きながら、見なきゃ良かったと私は後悔していた。 運が良いのか今まで新一の家まで来る積極的な女の子を私は見た事が無かった。 そりゃあ新一が今までに貰った大量のファンレターやラブレターは嫌と云う程見た事があるけど、それは相手の存在感が希薄だった為あまり気にしないで済んでいた。 それが今回のようなパターンだと相手の女の子の存在が明確過ぎてショックが大きいのだ。 新一がモテるの知ってたけど・・・ 知っている事と事実を受け入れる覚悟とは別物なのだ。 あーあ。見なきゃ良かった。 私は朝から景気の悪い特大の溜め息を吐いた。 おかしい。新一が来ない。 1時間目の古文の授業が始まってもう20分。 新一の席は本人不在のままで、私の不安を煽った。 もしかして、彼女とそのままエスケープとかしちゃったのかな? 脳裏に楽しそうな新一と先程の女の子が手を取り合って砂浜を走っている姿が浮かんでは消えた。 まさか、そんな筈無いよね。 だって新一そういう常識はキチンと持ち合わせてるし・・・ 神経質にシャーペンの芯を出したりしまったりしながら、私は教室の戸ばかり気にしていた。 まだ来ないなんておかしいよね。 もしかしてあの女の子事件の依頼人でそのまま事件を解きに飛び出しちゃったのかな。 そうだと良いな。 そう思いながらも私はその考えが間違っている事を確信していた。 誰かを待つ女の子と云うのは端で見てすぐ分かるのだ。---特に好きな人を待つ女の子は。 自分がそうだから分かる。 不安な気持ちや嬉しい気持ちや恥ずかしい気持ち、いろんな気持ちが周りに零れ出していてきらきらしているのだ。 そこだけスポットライトが当たっているような目の離せない雰囲気を持っている。 だから彼女は新一が好きで、家の前で待っていたんだと思う。 さっきから授業がちっとも頭に入らない。 後で園子に教えて貰おう。 「工藤今来ました!遅刻して済みません!」 ガラッと勢いよく教室の後ろの戸が開いて新一が飛び込んできた。 皆の視線を一身に浴びながら自分の席に向かう新一を、私も目で追っていた。 古文の先生は苦笑しながら「着席して良し。」と新一に声を掛けた。 新一は先生方の受けが良いのでこういう時に得をするのよね。 ちゃっかりしてるんだから、もう。 椅子を引いて座る瞬間新一が私の方をちらっと見た。 何か物言いたそうな目だったので私はとても気になったけど、再開された古文の授業中一度も新一は私の方を向いてはくれなかった。 「蘭、ちょっと来いよ。」 園子とお弁当を食べようと席に座った途端新一がやって来て私とお弁当を強引に拉致した。 私はその只ならぬ雰囲気に押されて、反対の意を唱える事も出来ぬまま面白そうがっている園子に見送られる事となった。 人気の無い中庭の大きな樫の木の下まで腕を引っ張ってきた新一はようやく私を解放してくれた。 芝生の上にどさりと腰を下ろした新一はちょっと怒っている口調で言った。 「何で今日家に来なかったんだよ。」 「え?」 私を見る目は鋭くて下手に誤魔化したりしてもすぐに見破られてしまいそうで、私は返答に困ってしまった。 落ち着き無く目線をさ迷わせる私の態度を如何思ったのか、新一はまたしても強引に自分の隣に私を座らせると鋭い口調で切り出した。 「もう、家に来んの止めんのか?」 「やだ止めないわよ!」 私は朝の楽しみがいきなり取り上げられるのかと思って慌てて否定する。 新一は目をそれと分からない程微妙に和ませて、「じゃあ今日は一体どうしたんだよ。」と重ねて問う。 私は歯切れ悪く「お客さん来てたみたいだったから。」と結局本当の事を喋ってしまった。 新一は途端気まずそうな表情を浮かべた。 「見たのか。でも別に彼女は何でもねーよ。勘違いするなよな。」 「勘違いって何を勘違いするのよ?」 「・・・」 思わぬ質問だったらしく新一は絶句してしまった。 私も咄嗟だったので聞かなくても良い事を聞いてしまったと思っていたので、素直に謝ってしまう事にした。 「ごめんなさい。これからは一言断る事にするね。」 「そうしてくれ。じゃないと俺が不安でしょうがねーんだよ。」 「不安って?」 「来る途中で事故にあったんじゃないかとか、変な事件に巻き込まれてるんじゃないかとか、その、来るのが嫌になったんじゃないかとか考えるだろ、色々。」 3番目のセンテンスの部分がとても小さな声で聞き取り辛かったんだけど、私の聴き間違いじゃ無いよね? 「おかげで待っても来ねーから、不安になって蘭の家まで確認に行っちまったよ!」 「えぇっ!家に来たの?」 「おっちゃんを叩き起こしちまったからもう不機嫌で不機嫌で大変だったぜ。」 「ごめんなさい。」 とても悪い事をしてしまった事にようやく気が付いて、私はなんて謝って良いのか分からなくなってしまった。 新一は乾いた笑いを浮かべ、続けた。 「蘭、おっちゃんに毎朝俺のとこに迎えに来てる事話してねーだろ?おっちゃん『お前は何様のつもりだーっ!!』て怒っちまってさー。」 「え?だって昔からそうだったから特に云わなくても気が付いてると思ってたのに。お父さん知らなかったんだ。」 私は驚いてしまった。 でもなんで怒るの? 「元々おっちゃん俺に良い感情持ってねーじゃん。やっぱ同業者だしさ。今朝はそんな所の今までの溜まってたモンが全部吹き出したって感じで凄かったぜー。ま、俺も大人気無く応戦しちまったんだけど。」 「それで遅刻?」 「そう。まさかこんなに遅刻する羽目になるとは思わなかったな。」 なんとお父さんまで新一に迷惑を掛けていたとは。 親子2代で今日は新一に悪い事をしてしまった。 しゅんとした私を見た新一は、持っていた購買の袋を私にポンっと投げてよこした。 「何、これ?」 「俺最近まともな飯食ってないんだよ。お前の弁当と交換してくれ。」 「え?だって私のお弁当小さいよ?」 「足りない分はパンで補う。」 躊躇する私に新一は右手を差し出して催促する。 私はその手にお弁当をおずおずと乗せた。 なんか恋人同士みたい。 そんな事を考えてしまって私は一人で赤面してしまった。 部活から帰る頃になるととっぷりと日が暮れて、私は夕食の支度の為に帰路を急いでいた。 家の下の喫茶店ポアロの前を通りかかった時に、顔見知りのウエートレスの梓さんに呼び止められた。 「蘭ちゃん高校卒業してすぐにお嫁に行くの?」 「はぁっ?!嫁になんて行く予定は有りません!何でそんな話が・・・」 「え、そうなの?私達てっきりそうだと思ったのに。」 梓さんは残念そうな顔をして「今から蘭ちゃんのウエディングドレス楽しみにしてたのに」なんて言っている。 私はその突飛な噂話が気になってしょうがなかったので、思い切って尋ねてみた。 「なんでそう思ったんですか?」 「今日の朝ね。小五郎さんと若い男の人が険悪な雰囲気で言い争いをしててね。」 お父さんと新一だ! 「それでマスターが何事かと見に行ったらね。二人が一歩も引かないって闘志を燃やして睨み合っているのよ。 喧嘩か?!ってマスターが階段から飛び出そうとしたら、二人の会話がはっきり聞こえたんだって。」 「なんて言ってたんです?」 梓さんはにんまりと笑った。 「『俺に隠れてこそこそと蘭と逢ってんじゃねーよ!』 『隠れてなんかねーよ!第一おっちゃんの許可を貰う必要が何処にあんだよ!』 『なんだとぅ!てめーなんかにゃ蘭はもったいねーんだよ!』 『俺はおっちゃんより数倍は優秀な探偵なんだけどな!』 『うちの娘はやらーんっ!』 『何時までも手元に置けると思ってるのが間違いなんだよ!』 『絶対許さないからな!』 『許して貰わなくて結構だよ!奪っていくから!』って言い争いしてたんだって。」 梓さんは劇の台本を読むように感情たっぷりに会話を再現してくれた。 私は羞恥心で穴が有ったら入りたくなってしまった。 嘘。そんな事大声で言い争うなんて二人ともどうかしてるよ。 『嫁』とか『許す』とか『奪う』とか・・・ お父さんきっとまだ昨日のお酒が抜けてなくて酔ってたのね。 新一は売り言葉に買い言葉で勢いで言っちゃっただけに違いないよね? だって、そうじゃなきゃおかしいし。 でも、ちょっとはそういう風に私の事考えてくれてるのかな。 幼馴染以上の存在として・・・ 私は梓さんに散々からかわれた後やっと解放された。 今日は朝の確信の通り良い事が有ったなぁと私は幸せな気分で夕食を作った。 |