ま:マニア受け






「ふぅん。それでイタリアは楽しかったって訳ね?」
「はいっ。はっ。猛者が多くて。はっ。良い修行に。はっ。なりました。はっ。」
「食事は?真さんあんまりあっちのお料理好きじゃないでしょ?」
「あまり。はっ。口には。はっ。合いませんでしたが。はっ。普段より。はっ。動いて。はっ。いる所為か。はっ。意外と。はっ。美味しく。はっ。頂きました。」
「普段より動いているって・・・真さんもしかして睡眠時間削ってまで、試合してたんじゃ・・・」
「・・・。はっ。・・・。はっ。・・・。はっ。」
「誤魔化さないの!」

園子は自分の下で片腕立て伏せをやっている浅黒い男の髪の毛を遠慮せずに引っ張った。
勿論、これくらいの『痛み』でどうにかできるだなんてこれっぽっちも思ってない。
何しろ女子高生一人その背に乗せたまま、何百回と軽々片手腕立て伏せをするような空手全国チャンピオンだ。
園子の精一杯でさえも、きっと蚊に刺された程度にしか感じないだろう。

「・・・。はっ。すみま。はっ。せん。はっ。」
「も〜真さんって本当に空手馬鹿。」

上下に揺れる椅子は大層座り心地が悪そうなのに、園子のその事に関しては一つも文句を言わなかった。
シーソーの揺れを連想させる彼の人の背中は、まるで巌の如き硬さで、その肌の下には筋肉が張り詰めている事が容易に想像出来た。
何処でどう運命が悪戯したのか、ちょっぴりミーハーなお嬢様園子と、超高校級空手家である真が、無事恋人同士になったのは半年ほど前の事。
度重なる真の海外遠征にもめげずこうしてちゃんと関係が続いているのだから、周囲も不思議がる所だ。

「園子。はっ。さん。はっ。汗。はっ。臭く。はっ。ないですか?はっ。」
「気にならないわよ〜。だって慣れちゃったし。」

薄茶色の髪の毛がさらさら肩口で揺れ、園子は戯れに爪をいじりながら溜息を一つ。

「も〜。全然色っぽくない。」

不満と言えばそんな些細な事ばかりで、園子は普段の我侭が鳴りを潜めているのを自分でも感じていた。
どうにも自分ばかりが惚れてしまっている。
でもそれが悔しくないのは何でだろうと自問自答して、いつも同じ結論に達するのだ。
きっと、この人以上に自分が好きになれる人は居ないと。

「あと。はっ。もうちょっと。はっ。したら。はっ。終わり。はっ。にします。はっ。から。はっ。」
「は〜い〜。」
「そうしたら。はっ。食事。はっ。にでも。はっ。行きま。はっ。しょう。はっ。」
「え?ほんと?」

その一言が嬉しくて、園子は思わず前屈みになって真の顔を覗き込もうとした。
二人の位置関係からして、その表情を見る事は出来なかったのだか、それでも紅い耳だけは見て取れる。
相変わらずの照れ屋ぶりにおかしくなって、園子はくすくすと笑い出し、しまいには体を大きく揺らして声を出して笑い始めた。

「園子。はっ。さん?はっ。」
「ん〜ん。真さんだなぁって思って。」
「はぁ。はっ。そう。はっ。ですか。はっ。」
「ふふ。食事は私のお勧めの場所に付き合ってね?」
「はい。はっ。」

園子は頭の中で自分の体が上下する回数を数え始めた。
楽しい気持ちが自然と笑顔を持続させる。
随分マニアックな人を好きになってしまったものだと、思いながら、それでも世の中この人が良いと思う人間はきっと自分以外にもたくさん居る事を考えて、気を引き締める。
離れてやるつもりなどこれっぽっちもないのだ。
もっともっと好きになれる気がするから。
静かになってしまった園子を、真が窺っている気配がする。
何か言わなければならない気がして、園子は一言だけ漏らした。
今の心境だ。

「マニア受けは私一人で良いのになぁ。」
「は?」

思わず動きを止めた真の背から、園子はするりと立ち上がった。

「はい!おしまい!行こ!」
「あ・・・はい。」

ゴールテープを勝手に切られてしまった真は苦笑しながら立ち上がり、額の汗を手の甲で拭った。
まったくもって勝てやしない。
それでも目の前で嬉しそうににこにこ屈託なく笑う彼女を見ていたら、『負ける』事だってたまには良いじゃないかと思えるから不思議だった。

「少し、時間を貰えますか?着替えてきます。」
「早くねっ!真さんっ!」
「はい。」

疲れた様子も見せずに隣室へと消えた真の背中を眺めて、園子はもう一度呟いた。

「あんなに格好良くても結構救えない格闘馬鹿なのにな〜。なんで皆ちゃんと真さんに目を付けるのかしら?結構マニアックだと思うんだけど。」

腰に手を当てて、短く息を吐く。

「ま。私程のマニアはきっと居ないけどね?」

誰にも譲るつもりはないと、勝気に笑って、園子はお気に入りのお店へ予約の電話を入れる為に携帯を手に取った。







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