サッカー選手新一編


「ヤバイな・・・」

「どうしたんです?」

眉を顰めて顎に手をやった屈強なゴールキーパーに経験豊富なディフェンダーが話し掛ける。

この全日本チームのキャプテンを務める鉄壁のキーパー、赤坂は視線を固定したまま六本木に応えた。

「あいつ・・・世間一般では本番に強い・プレッシャーに強いなんて言われてるが、やはり未だ若いってことだよな。見ろ。緊張と焦りでさっきからまったく周りが見えてない。」

「へ?」

赤坂の視線を辿ると行きつくのはロッカールームのベンチに腰掛け、なにやらぶつぶつと呟きながら百面相をしている男の姿。

確かに普段試合前に見せるムカツクくらいの余裕ぶった笑顔は何処にいったやら、まるで別人だ。

「・・・工藤っすか?」

「ああ、折角ノリに乗っているチームに悪影響を与えなければ良いが・・・あいつ、先発メンバーで、しかも何だかんだ言ってチームメンバーに気に入られているからな。」

「不安やら焦りってのは、伝染しますからね。」

赤坂の不安に煽られて、普段お調子者の六本木の声も少し上滑りする。

二人がそうやって深刻な表情を見せている横から一人の選手がすっと前を横切った。

「ありゃ、違いますよ。」

一言さらりと言い放ち、そのまま自分の荷物を手近なロッカーに入れる技巧派のミッドフィルダーに二人の視線は注目した。

「どういうことだ?比護?」

「どういう事も何も・・・あいつが試合の事で緊張やら不安やら焦燥やらを感じるはずがねぇって事ですよ。二人ともあいつの背後から近付いて、あいつの独り言聞いてみたらどうです?面白いですよ?」

「面白い?一体何なんだよ。あいつ。」

3人が話している背後から4人目の選手が声を掛けた。

多少面白がるような調子が声に滲んでいる。

「工藤、今日こそ幼馴染に告白する決心をしたらしいですよ。」

「ヒデ!今日は遅かったな。」

人好きのする笑顔でヒデは軽く右手を上げる。

彼の左側には直樹がやはりにやにやと笑いながら立っていた。

「あの美人でナイスバディな可愛こちゃんをまぁだ手に入れてないってのが信じられねーぜ。オレは。」

「幼馴染って・・・恋人じゃないのか?」

「誰がどうみても、『恋人』なんですけどね。あいつに言ったら面白いくらい慌てて『あんなみょうちくりん、恋人じゃねーっすよ。』って馬鹿の一つ覚えみたいに返って来ますよ。」

呆れた様に5人の視線がまだ一人空を睨んで汗ばんだ手を握り締めている天才エースストライカーに集中する。

「・・・超奥手?」

「単に愚図ってことじゃないんですか?」

やってられないぜと言わんばかりに比護が両手を上げる。

「なんで100%勝てるって試合に対して白旗揚げて棄権しなくちゃなんねーんですかね。あの男は。告白するチャンスなんざごろごろそこら辺に転がってた筈なんですけどね。」

「この前チームが優勝した時に、『今度こそ!』って言ってなかったっけ?」

直樹が隣にいたヒデに不思議そうに訪ねると、苦笑したヒデが声を潜めて事の顛末を暴露する。

「それがね・・・馬鹿みたいに緊張しちゃって、それを解す為に飲んだブランデーにしこたま酔ったみたいで、彼女の家まで行ったは良いけど、彼女の親父さんに捕まっちゃって二人で酒盛りしちゃったみたいで・・・そのまま気がついたら客室で寝てたらしいですよ。」

「おっ!その話オレ知ってる!」

途中まで大人しく聞いていた六本木が急にけたたましい声を上げた。

「それって、あいつが両頬に手形つけて練習に出てきた時の話だろ?一体あいつは何をやってきたんだってチームの中で話題になってさ〜。ふ〜ん。幼馴染にやられたんだ。・・・んで?何やったんだろうね?」

「・・・ビンタされるような事だな。そりゃ。」

「あいつの場合、告白するより先に、押し倒してそうだな。」

「不器用と言うか、なんというか・・・サッカーだとテクニックと気迫でゴール前に迫る蒼い弾道とか言われてんのに。」

「サッカーと一緒じゃないって事か?」

「「「「「不憫な奴・・・」」」」」





視線の先ではうんうんと唸り始めている工藤新一20歳。

Jリーガーとして活躍中の日本でもっとも世界に近いと言われている男。

数多有る海外有名チームからの誘いを無下にして、何故か日本でサッカーをする謎の多い男。

警察からはその高い推理力を買われて応援要請を受ける事もしばしばの、サッカー選手と探偵業を2足ワラジでこなす脅威的な男。

しかし、プライベートでは長年想いを寄せる愛しい幼馴染に告白の一つも出来ない、かなり情け無い男、だった。





「どっちにしろ、このままじゃ大事な試合に差し支える。誰かアレを何とかしろ。」

キャプテン命令で赤坂がびしりと回りの面々に指示を出す。

お互い顔を見合わせて、動いたのは直樹だった。

「おい、どうするんだよ。」

慌てた様にその背に声を掛けたヒデに「まぁ見てろって」っというような視線を投げて、直樹は新一に近付いた。

「よぉ、工藤。なぁに悩んでんだ?」

「・・・ああ、直樹さん。」

眉間に皺を寄せたまま見上げる新一に、腰を屈めて耳元に内緒話。

「お前の天使ちゃんにするプロポーズの言葉は決まったのかよ?」

「なっ?!何言ってんですか!!!!」

急に慌てふためいた様に意味もなく両手を振り回し、それからはっと自分の失態に気がついたのか、はぁっと大きな溜息と共に新一は片手に顔を埋めた。

気がつけばロッカールームは水を打った様に静かになっているが、幸せな事に新一はその事に気が付かなかった。

「・・・一応。」

ぼそり、と呟かれた応えに小さく口笛を吹く直樹。

いつもの彼ならば「あいつはあくまでも幼馴染であって・・・」などと、他人には理解し難い言い訳をぶつぶつと零しあやふやに誤魔化す所だが、今日はどうやら違うらしい。

「ふ〜〜ん。ようやく腹括ったのかよ。随分往生際、悪かったからな。お前。」

「酷い言われようですね。俺。」

「端から見てたら本当勿体無いぜ。お前。早い所告白しちまえばその分お楽しみの時間が増えてたのに、無駄に引き伸ばしてんだから。」

「分かってますよ・・・今日、8強入りしたら・・・言います。」

「ったく、大丈夫なのかよ?お前。緊張でぼろぼろになるんじゃないのか?」

「サッカーの方は大丈夫ですよ。」

プライドに障ったのか、少しむっとして新一は言い返す。

「『サッカーの方は』と来たか、工藤は。」

ぬぅっと赤坂が新一の前に立ちはだかる。

身長190cmの巨体はまるで塗り壁だ。

「随分自信たっぷりだな。工藤。しかし、その驕りは危険だぞ。」

「ハイ。」

素直に新一が頷く。

蘭のコトで思い悩むあまり、言葉に考えが及ばなかった事を反省する。

「よし、お前に今日の試合の張り合いを持たしてやろう!」

突然直樹が新一に人差し指を突き出した。

にやりと笑う笑顔は大層曲者だ。

『何か来る』。

新一は予感して目の前の男に対して警戒を強めた。

「今日初ゴールを決めた人間が毛利蘭さんへの告白権を手にするってのはどうだ!」

「・・・はぁ?!」

誰憚る事無く新一が声を上げる。

事態を見守っていたヒデが「また直樹の悪い癖が始まった・・・」と頭を抱える。

「いやぁ・・・常々お前の天使ちゃんは美人だなぁって思ってたんだよな〜。ほら、俺好みのボインちゃんだし、笑顔がチャーミングだし。」

「ちょっと・・・直樹さん?」

じと〜っと新一の冷たい視線が直樹に炸裂するも、彼はそれを見ないフリで続ける。

そこら辺は流石修羅場を潜った一流選手と言えよう。

「可能性は0じゃないし?」

挑発的に新一を見詰める直樹に、ぷつりと新一の理性の糸が切れる。

「・・・面白いじゃないですか・・・良いでしょう。やりましょう。」

「そうこなくっちゃ!エントリーは俺と工藤と・・・」

探す様に自分達の周りに何時の間にか集まっていた選手達を見回す直樹に応えて全日本チーム随一のお祭り男と異名を取る六本木が名乗りをあげる。

「はいはいはい!俺も俺も。そっかぁ・・・工藤の幼馴染未だフリーだったのね。よっしゃ!ああいう美人大好き〜。」

「・・・」

新一は無言で六本木をぎろりと睨みつける。

つつーっと背筋を冷たい汗が伝ったが、これで新一がやる気になって先制点を挙げてくれれば、全日本チームは初のワールドカップ8強という名誉を手に入れられる。

ここはぐっと我慢だ。

「んじゃ俺もエントリーっと。最近奥さん冷たくてさー。少し浮気しちゃおうかな。」

はい、と手を挙げて1歩前に出てきたのは、日本橋だ。

新婚さんほやほやの彼は明らかに冷やかしのエントリーだった。

「俺もやる。」

今度は右手からエントリー。

堅実な守備とロングパスが得意な広尾だった。

新一は自分の敵と認識された4人に向かって不意ににこりと綺麗な笑顔を見せた。

「それじゃ正々堂々と戦いましょうか。宜しくお願いします。」

もし、蘭がこの笑顔を見たら、蒼くなった事だろう。

その笑顔はキレル1歩手前の少々危険な笑顔だったからだ。











「激ヤバです。赤坂さん・・・」

ヒデが赤坂の洋服の裾をくいくいと引っ張って、耳元に囁いた。

「ん?今度は何だ。」

「広尾さん・・・マジです。」

「何が『マジ』なんだよ・・・」

「広尾さんが頬を染めて毛利さんをじぃっと見詰めていたという目撃情報が多数報告されてます。」

「・・・おい・・・マジか。」

「はい。大マジです。広尾さんは本当に毛利さんに告白するつもりですよ・・・どうしましょう?」

「どうしましょうも何も、マズイだろう?!工藤が知ったら流血沙汰だっ!スキャンダルだけはなんとしても阻止しないと。」

二人で青くなったが、既に勝負のサイは投げられてしまっている。





ここは一つ、工藤新一に頑張ってもらって、まるで予定調和の様に彼に先制ゴールを決めて貰って、その幼馴染と上手くいって貰わなければと祈るように天を仰いだ。






end