金木犀






ねぇ。覚えておいて。



むせ返るような金木犀の香り。

真っ白でさらさらなシーツ。

キングサイズのベッド。

言葉は愛の告白だけ。



ねぇ。女の子って、そいういうのが大好きなの。













「コナン君!」

「あ、蘭ねーちゃんお帰り。」

「コナン君もね。お帰り。」



帰宅途中で蘭とコナンは一緒になった。

小学生と高校生では帰宅時間が大幅にずれるので、これは本当に珍しい事だった。

この日は蘭がたまたま芸術特別授業があった日で、早く帰れたのだ。



だからこそ実現した、二人一緒の寄り道、だった。








「ねぇねぇ。どこに行くの?」



手を繋がれるのは恥かしい。

どうせ外から見たら女子高生と小学1年生の仲の良い姉弟にしか見えないと分かっているのに。

心臓がドキドキと早鐘を打ち、手はしっとりと汗ばんでしまう。

変に思われないだろうか?

内心生きた心地がしない。



「秘密の場所!」



うふふと瞳が楽しげに瞬く。

蘭は学生鞄を景気良く振りながら、しっかりと繋いだ手を引いて、何処かへとコナンを導いていく。

時折漏れる鼻歌が透明で綺麗なメロディで、聞いていて大層気持ちが良い。

天気は晴れ。

夏の空とは色を微妙に違えた蒼い空は高く、手を伸ばしても届かないと焦がれながら背伸びしたくなるような、蒼。



「蘭ねーちゃん。教えてくれても良いんじゃないの?」

「だ〜め!楽しみは最後まで取っておかなくちゃ♪」

「それって蘭ねーちゃんは良く行く場所?」



作戦を変えて質問攻め。

機嫌良く蘭は笑って見下ろしてくる蘭。

可愛くてしょうがない弟を見守るような優しげな瞳。



「ん〜。今年は今日初めて行きまっす!」

「それって去年は行ってたって事?」

「イエっス!」

「って事は秋が関係ある?」

「うふ。近い近い♪」

「・・・ここから後どれくらい掛かる?」

「もう着いちゃった♪」



くるりと振り返り蘭が全開の笑顔でウィンクをする。

眩しくて、目を眇めて、コナンはそんな彼女に見惚れた。



咲き誇る小さな薄橙の花。

深い緑の葉っぱに抱かれて、鮮やかなコントラストで魅了する。



でもその花の真の魅力は別にあって・・・



「良い香り。」



深呼吸するとふっくらと豊かな胸がゆっくりと上下する。

気持ち良さそうに目を細めて、蘭は大きく伸びをした。

開放感に包まれたのか、コナンに向ける表情は幼く無邪気だ。



「金木犀、だね。」

「そう。綺麗でしょ?ここ、スッゴク素敵な場所だと思わない?」

「うん。思うよ。」





蘭が居て。

素敵な香りが胸一杯に入りこんで来て。

まるでここは御伽の国のような、奇妙な現実感の薄さがあって。



純粋に、何も考えずに、視覚と嗅覚が与えるモノに酔った。








時間にしたら、随分長い事その場に居たような気がする。

気がつけばあたりは薄暗く、蘭が慌てて腕時計を確認して悲鳴を上げた。



「嘘っ!もう帰って夕食の仕度しないと!」

「うわっ。本当。おじさん心配してるかもよ。」

「一応、電話掛けておくね。」



夕暮れは忍び寄る夜に足音に怯えて早足だ。

蘭は再びコナンの小さな手をしっかりと握り、足早に帰路に着く。

暖かで柔らかな指先と先ほどまでの金木犀の香りにふわついた気持ちを持て余して、コナンは頬を染める。



街灯が明る過ぎなくて良かった。

きっと、気が付かれない。



「私、将来一軒家に住む事になったら金木犀を植えるんだ。」

「それは蘭ねーちゃんの夢?」

「うん。夢。だって素敵じゃない?この季節になると庭に出て、飽きるまで金木犀の香りに酔っていられるんだもの。」



楽しげに夢を語る蘭の横顔を見ながら、自分の家に金木犀は無かったなぁと考えるコナン。

幸い植える場所に困る事は無い。

きっと彼女もその夢を叶えられるだろうと、随分自分勝手な事を考えて小さく笑う。



「あら、コナン君、何笑ってるのよ?」

「なんでもな〜い。」

「んもう!コナン君って時々意地悪よね?」



きゅっと力を込めて握った指先で戒めると、蘭は唇をすぼめてコナンを睨んだ。

随分と可愛らしい仕草に、よろりと来る。



「私他にも実は夢があるの。」



内緒話をする雰囲気。

コナンは興味を引かれて自分から蘭に近寄った。

彼女の体臭までほんのりと金木犀の香りがする。

自分が高校生の体であったら、衝動的に抱き締めていたかもしれない。

思考の上っ面でそんな事を思った。



「真っ白でさらさらの洗い立ての絹のシーツが掛かった、大きなベッドがあるお部屋でね。」



くすくすと楽しそうに笑う。

滝の様に流れ落ちる黒髪が彼女の肩から背中へとしゅらしゅらと揺れる。



「金木犀が一杯一杯飾ってあって、空気までオレンジ色に香っているよな、そんなお部屋でね。」



星が瞬き出した空を見上げて、夢見る様にうっとりと呟く。



「好きな人に『好きだよ』って言われてみたいなぁ。」



思わず足を止めたコナンに、驚いて蘭も足を止める。

俯いたコナンの表情は蘭からは見えなかった。

首まで赤く染めてコナンは地面を見詰める。



蘭が言った言葉はまるで・・・まるで新婚初夜のシーンを語っている様で。

まともに受け答えが出来なかった。



「どうしたの?コナン君。」

「や・・なんでも・・・」



ない、という言葉は言えなかった。

恥かしくて、なんだか無性に照れくさくて、尻窄みの言葉が口の中で溶けていく。

蘭は不思議そうに首を傾げしばらくコナンの頭のてっぺんを見詰めていたが、最後に思い出した様に付け加えた。





「覚えておいて、コナン君。女の子はそういうの大好きなのよ?少女趣味だなんて笑っちゃ駄目。きっと将来、そんな風に女の子を喜ばせてあげられる、そんな男の人になってね。」








甘い言葉。

それはまるでコナンにそうする事を蘭自身が願っている様に。








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