じ:十億分の一
「警部?警部!!どうしたんですか?」
最近目を掛けてやっている覇気有る優秀な部下がわしの目の前でご丁寧にひらひらと手の平を振りながら覗き込んで来ていた。
渋い顔をしながら手の平でやんわりとソレを避けると、心配そうに変化した部下の表情に無理やり笑顔を作り出す。
「どうしたんですか?朝からぼんやりして。」
「あぁ・・・」
「・・・やっぱり怪盗キッド、ですか?」
口にされた名前に沸き上がるのは苦く重い真実。
胸ポケットから取り出した煙草を軽く突き上げる様に揺すると、一本飛び出して来たその細身を口に咥えた。
黙ってライターの火を差し出す部下に軽く一礼して先端を火に翳す。
くゆる紫煙をぼんやりと目で追った。
「最後の挨拶、なんて気障なカード贈り付けやがって。本当にふざけた野郎だったな。」
「そうですね。もう1年。何の音沙汰も無い所を見ると、やはり本当に引退したのでしょうか?」
「警察官として奴に引導を渡せなかったのは残念だが、まぁ世間を騒がせる厄介者の面倒を見ないで済むんだから、少しは嬉しそうにしてやっても良いかもしれんな。」
「そんな事ちっとも思って無いでしょう?警部?」
楽しそうに笑いながら手に持っていたペットボトルから透明な液体を喉に流し込む。
その黒過ぎる髪が奔放に跳ねる様は娘の幼馴染を思い出させた。
「なんです?警部?僕の顔に何か?」
「いや・・・」
「本当に朝から変ですよ?つい先日連続強盗犯グループを一斉検挙して手柄を立てた人と同一人物だとは思えません。」
「・・・娘がね。」
「へ?娘さん?あの警部に似てない可愛い子ですか?」
「似てないは、余計だ。」
「済みません。」
「・・・確率的に言って・・・」
「はい?」
「将来結婚を約束する人間が、幼馴染である確率はどの位なんだろうな。」
「・・・今日本の総人口が1億3千万くらいで、その内男性は5割から6割。年齢的な制限をまったく考えないとすると・・・そうですね〜。7千5百万分の一くらいですかね〜。」
「年齢的な制限が無いと言っても、18歳までは結婚出来んぞ。」
「それを言うなら既婚者も除外、ですよね。」
「いやいや、何も日本人でなくても構わんのだし。」
「・・・どこまで確率を上げるつもりですか。」
「逆だろう?確率を下げているんだ。」
「・・・そんな冷静なツッコミ、聞きたくないです。」
「つまりだ。」
そう、つまり。
そんなとんでもない確率の上で、娘と『カレ』は、幼馴染として育ち、そしていずれは・・・
「警部。警部が朝からおかしいのはつまりそういう事なんですね。」
察した部下が何とも言えない表情でわしを見詰める。
「参ったなぁ・・・僕、どちらかというと警部の気持ちが分かるより、その幼馴染君の気持ちの方が分かるんですよね。」
頭を掻きながら唸る部下に、そりゃそうだろうと溜息を吐きたくなる。
年齢だってさほど変わらないはずなのだ。
好きな女の一人や二人、この男にも居るのだろう。
そして多分、将来絶対的に対決しなければならない父親も。
「・・・それで?何時なんです?結婚式。」
のほほんとした顔でとんでもない事をサラッと聞いてくる。
わしは思わずずっこけそうになった。
「未だ申し込まれてもおらん。」
「けいぶ〜。取り越し苦労じゃないですか。あ〜もう心配して損しましたよ。」
「・・・スマン。」
「謝らなくて良いですから、早い所報告書纏めて外回り行きましょう。」
「おいおい。指揮官のわしに外回りをやらせるのか?」
少々意地悪く言ってやると、部下がにやりと食えない笑顔を向けた。
「部屋の中の空気ばっかり吸ってるからネガティブな思考になるんですよ。心優しい部下のたまには外の空気を吸わせてやろうって言う上官想いの優しさですって。」
「自分で言うな。」
確率なんてどうでも良いのだ。
本当は。
娘が、幼馴染で頼りになって、男前で誰にも言えない過去を持つ、あの男に連れ去られるのは決まっていた事のような気がする。
それは既に確率論じゃない。
それで良いのだ。
それで。
・・・幸せになれるなら。
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