い:イレギュラーケース
早朝。
何かの予感がして、いつもの時間より早く起き出した快斗は、むかむかする心が促すままに、1時間も早く学校へと登校した。
帰宅部で遅刻ぎりぎりの常習犯の快斗は、朝早い学校の様子など見た事も無い。
件大会ではいつも決勝カードに絡んでくる野球部や、発足したばかりでヤル気十分のラクロス部など、運動系の部活に所属する生徒達が元気に汗を流している。
それらの様子をぼぉっとしならが元気だね〜などと、爺臭く呟きながら、快斗は自分の教室へと向かった。
不穏な空気が漂うその空間に入る事を、本能が否定している。
うんざりとした表情を貼り付け、快斗は中に居る人間に自分の存在をアピールするかのように騒々しく引き戸を開けたのだった。
「あら、黒羽君。おはよう。」
「珍しい時間に君の顔を見ましたね。」
「・・・」
近過ぎず、遠過ぎずの席に腰掛けている二人。
そこだけ雰囲気は嬉し恥ずかし花の17歳というより、古き良き伝統を持つ英国紳士淑女といった様相だ。
快斗に取ってあまり近付きたくない雰囲気だ。
「・・・一応聞いてやるけど。何してんの?オメーら。」
「朝の有意義な一時を過ごしています。」
体躯に似合う低く響くバリトンに快斗の眉の間に皺が寄せられる。
答えにまったくなっていないと一人ごち、そのまま目線で同じ内容を紅の魔女に尋ねた。
「彼とは日本における義務教育終了後の教育機関である『高校』について論じていましたの。ここで何を学ぶべきなのか。」
「・・・」
「何ですか?黒羽君。言いたい事ははっきり言ったらどうです?君らしくも無い。」
「オメーら、高校に来るなよ。」
論じなければ学ぶべきモノも見付けられないのかと、本格的に呆れた快斗に、二人は示し合わせたように密やかに笑った。
それは共通の秘密を持つ匂いを感じさせて、快斗は不機嫌な顔になった。
「んだよ?」
「同じ事は貴方にも言えるんじゃなくて?黒羽君。」
「君はIQ400の頭脳を持ち、ここで初めて学習するような事柄が一つも無い凡庸ならざる知識を持っている。将来的な展望も明確で、既にその為の技術も身に付いている。君こそ、この江古田高校に何をしに来ているんだい?」
「俺は学校に遊びに来てんだよ。」
小気味良いテンポで、胸を張って快斗は答えた。
「一人で出来る事なんてたかが知れてる。俺は皆で出来る事をしにきてんだよ。」
「ふぅん。優等生なお答えね。」
「何がおかしい?」
機嫌良く笑う魔女に快斗はふぅっと表情を変えて問い掛けた。
夜の顔に近い、何を考えているのか窺い知れない不透明な笑顔。
臆する事無く紅子は答えた。
「貴方はここへ日常を守る為にやってくる。」
長い髪を指先に絡め、整った爪先で髪を梳く表情は齢百を越える老婆のような暗い陰を感じさせた。
「もう一人の『彼』に侵食されないように、貴方は光を求め続けている。」
「光、とは?」
白馬が口を挟み、紅子は分かっているでしょ?と首を傾げて妖艶に微笑んだ。
「おいおい・・・まさか。」
言葉を続けようとして、罠に嵌る予感に身震いした快斗は口を閉ざした。
自分が喉の奥で飲み込んだ言葉。
『まさか、光ってのが青子だとでも言うんじゃねーだろーな?』
その後の展開なんて目に見えるようだ。
「・・・来るんじゃ無かった。」
代わりにそんな言葉を吐き出す。
言葉にせずとも暗黙の了解だとでも言いたそうに二人が笑っているのが気に食わない。
何がどうしてこんな話になってしまったのか?
首を傾げるばかりなのだが、今更もう遅い。
「来て良かったんじゃないかしら?黒羽君。」
「何でだよ。」
「今日は特別な日ですのよ。」
「はい?」
「何が起こると言うんです?」
「貴方には関係無いわ。」
ぴしゃりと白馬の言葉を跳ね除けて、紅子は快斗を真っ直ぐに見詰めた。
「幸、あらん事を。」
「・・・魔女の言葉だ。丁重にお断りする。」
低く唸って快斗は天井の煤けた蛍光灯を見やった。
なるほど、今日は色々とイレギュラーだ。
何が起こるかは神のみぞ知る。
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