い:今は昔の物語





「おかあさ〜ん。」



蘭が滅多に見せない甘えた表情を、少しだけ困ったように英理は見詰め返した。

3人で食事を、と毎回望む蘭に対して毎回別の言い訳をしながら断ってしまう自分の否に目を瞑り通す事も出来ず、今日は親子水入らずのディナーを取っていた。

普段家事をやらせてしまっている罪滅ぼしのつもりで、有名ホテルのフルコース。

可愛い一人娘に贅沢を教えてやるのは楽しいし、きっと将来必要になる。

美味しい料理に舌鼓を打っていると、蘭が上目遣いで英理に切り出してきたのだ。



家に戻ってきてくれと。

何千回と繰り返された言葉。

蘭も良く諦めないものだと英理は思った。



「蘭。それだけはごめんねとしか言えないわ。あの人が生活態度を改めない限り、やり直せないの。」

「でもでもっ!昔ほどお父さんだらしなくないと思わない?」

「思わないわ。」

「最近は事務所の方もちゃんと仕事回ってて、そんなに生活苦しくないし。マージャンも競馬も飲みも、そりゃ綺麗さっぱり止めましたって訳にはいかないけど、回数減ってきたし。」

「・・・それでもだらしない所は目に付くし。細やかな気配りが出来ないのは相変わらずだし、いい年してアイドルに夢中だし。・・・あんんな駄目男と生活なんて考えられないわ。」



きっぱりと言い切って、切れ味の良いナイフで目の前の皿の肉をざくりと切り裂いた。

蘭は小さな溜息を吐くと、上品な仕草でほうれん草のソテーを口に運んだ。

英理はその様子を盗み見ながら、娘が父親に似なくて本当に良かったと何度目になるのか分からない感動を心に抱いた。

あのがさつでどうしようもない駄目男に、容姿も性格も似なくて本当に本当に良かったと。



「お母さん?何?私の顔がどうかした?」

不思議そうな声に、現実に呼び戻されて、誤魔化し笑いを浮かべる。

みるみる内に半眼になった年相応に美しい娘が、おか〜さ〜ん?と低い声を出した。

「またお父さんの悪口考えてたでしょ?分かるんだから!」

「・・・しょうがないでしょう。」

「も〜!どーして仲直り出来ないの??昔は仲良かったのに!!」

「昔は昔。今は今。・・・蘭も今に分かるわよ。」

唐突に思い浮かんだ顔から連想的に言葉を零すと、蘭には通じなかったのか再び不思議そうな顔で首を傾げている。

英理はふふっと笑いを零した。

「なぁに?」

「だって貴方も『幼馴染で探偵』を選ぶんでしょ?」

「!!」

蘭は絶句した後、フォークを持ったその姿勢のままかぁっと頬を赤く染めた。

初心な反応を返す娘を見ながら、未だ恋人には昇格していないようね、などと現状を把握し、ほっとしたような残念なような複雑な気分を味わう。



一途な娘の事だ。

天変地異でもおきない限り幼い恋心を大事に育てて、やがてあの幼馴染の元へと飛び立っていってしまうのだろう。

自分と同じような苦しみを味わう事が無いように祈りたかったが、頭の何処かで自分の夫と娘の幼馴染は違うのだと誰かが告げている。

自分とは違って幸せになれるだろうと、囁く声がする。

それでも素直に祝福出来ないのは、自分達が上手くいっていないことから来る僻みなのかもしれない。



「・・・お母さん。私と新一は、その・・・違うからね。」

漸く立ち直って未だ赤い頬のまま、そんな事を言う娘に敏腕弁護士はちろりと視線を送っただけだった。

「またそんな事言って。将来貴方が新一君と一緒になった時にはせいぜい覚悟してらっしゃい。有希子と二人でからかい倒してやりますからね。」

「・・・」

「蘭。貴方近い内に土日空けられる?」

「・・・何?」

「親子二人で温泉にでも行きましょう?じっくりたっぷり幼馴染で探偵をしている男ってのがどんなに付き合い難いモノか教えてあげるから。」

「・・・お父さんとコナン君は?」

「置いて行くに決まってるでしょ?」

「・・・一緒に行こうよ?ね。お母さん。可哀想じゃない。」

「駄目よ、ダメ。邪魔なだけなんだから。」



ムキになる蘭が次第に面白くなってしまって、英理はくすくすと密かな笑いを零しながらダメを繰り返す。

当分英理が自宅へと帰ってくるのはお預けになりそうだと、蘭は内心肩を落とした。








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