* DARLIN DARLIN *
「ねぇねぇ!また載ってるよ!!S.Kの事件っっ!!」
きゃぴるんとした小麦色の肌の女子高生が友人にばさりと新聞を広げて見せる。
活字が躍る紙面を一瞥した友人が苦笑を顔に貼り付けた。
「あんたね〜。顔も分からない探偵に未だ御執心なの?」
「だってぇ!格好良いじゃない?迷宮無しの名探偵。そりゃルックスは分かんないけどさ。絶対格好良いに決まってるよっ!」
「馬鹿ねぇ。顔が不細工だから新聞に写真載せないんじゃない。夢見過ぎだよ。」
「そんな事ないもん!それにこの人、未だ学生っぽいんだよ?学生なのにこんなに活躍しちゃってさ〜。凄いじゃない?」
「喜びなさんな。タレントだって年なら学生じゃん。絶対トーヤの方が格好良いよ。ね〜一緒にトーヤに嵌ろうよ〜。」
「嫌よ。そんな顔と歌だけの男なんて。私は断然S.Kさん!」
「イニシャルしか分かんないような男だよ?もったいぶらないで名前くらい公表しろっての。」
「S.Kかぁ・・・Sだと、聡とか悟とか総司とか節也とか・・・」
「分からないわよ?三郎とか新衛門とかかもしれないし。」
「意地悪言わないでよっ!も〜!!」
友人の混ぜっ返す様な発言に気を悪くしたのか、アイスコーヒーをずずっと啜ると、その女子高生は傍らの鞄を肩にかけて立ち上がった。
真向かいに座っていた友人が慌ててグラスの中身を空ける。
「待ってよっ!タカコ〜!!」
「待てないわよっ!みのりの馬鹿っ!」
すたすたとレジに向かうタカコの後を追ってみのりが小走りについていく。
二人が店から出て行った事によって、カフェの中には再び静寂が戻ってきた。
「・・・有名人だね?S.Kさん?」
ストローに細い指を添えながら、蘭がくすりと微笑を浮かべる。
頬杖を突いている所為で、正面に座る新一の目には胸の谷間がくっきりと見えている。
深い切れ込みが、胸の柔らかさと豊かさが想像させて、ちょっと困る。
新一はさりげなく視線をそこから引き剥がすと、窓の外を眺める振りをした。
「名乗ってみれば面白かったのに。」
「未だ言うか。オメーはよぉ。」
本当にそんな事をすれば、むっとするくせに・・・とは、口に出さない。
もしかしたらなんとも思ってくれないかも、と不安が無い訳ではなかったからだ。
独占欲は自分が蘭の分まで持ち合わせてしまったのかもしれないと、重苦しい気持ちになる。
みっともないけど蘭は自分のものだと主張せずにはいられないのは、余裕が無いのか子供なのか。
その両方だと言われたなら、納得するしかない歯痒さ。
まったく嫌になる。
「それで?新聞にも大きく取り上げられてたけど、事件はどうだったの?」
気を取り直して、新一はコーヒーで唇を湿らせた後口を開いた。
「ん。無事解決。今日は被害者の家族の人とちょっと会う予定があんだけど、オメー待てる?」
窺うような口調と、待ってて欲しいという願望が滲む甘えた視線に、蘭はまた少し笑う。
多分辛いだろう。
愛する肉親を無くしたばかりの人々と会うのは、その奈落のような深い悲しみに引き摺られて、幾ら自分が健全な心を持っていたとしても傷ついたり苦しんだりする。
そんな時は愛する人に会いたいと、誰でも思うだろう。
だから蘭は迷い無くふんわりと微笑んだ。
「待っててあげる。どうせすぐでしょ?」
「ああ、時間は取らせねーと思う。」
「じゃ、時間平気そうだったらその後コレに一緒に行ってくれるよね?」
蘭の右手にはチケットらしきものが2枚。
新一は当然その内容を知っていたので、渋い顔ながら頷いた。
「ああ、開始時間に間に合うならな。・・・だから他の人間誘おうなんてもう言うなよ?」
「はぁい。」
ぺろりと舌を出して蘭がお行儀の良い返事をした。
昨日新一が今日の夜用事が有ると言った時に蘭は実に思わせ振りに、「じゃあチケットもったいないから他の人誘うね?」などと言ったのだ。
答えに詰まった新一に追い討ちを掛ける様に、「夜道が怖いから男の人が良いかな。」などと呟く蘭に、新一が素直に頷ける筈などなかった。
新一だって馬鹿じゃない。
蘭が冗談で口にしたことくらい頭では分かっていたのに。
・・・分かっていたのに、躱せなかったのはやっぱり余裕がないからなのだろう。
蘭の事に関しては、天下に名を轟かせる稀代の名探偵である新一だとて、まったくもって弱いのである。
「そろそろ行こうぜ。」
二人の前のカップの中身が空になった事を確認して、新一が伝票を持って立ち上がった。
蘭が鞄から財布を取り出そうとするのを目で制した新一に、蘭がぷるぷると顔を振る。
「最近奢られてばっかりで嫌。」
「良いんだよ。外で飯食う分くらいは俺が出す。」
「でも新一だって、学生なんだからあんまり自由になるお金ないじゃない。探偵業でお金取ってる訳じゃないし。」
「俺には秘密のポケットがあんだよ。」
「叩くとお金が増えるの?そんな都合の良いモノないでしょ。まさかまたおじ様のカード??」
「『また』とか言うなよ。人聞き悪ぃ。とうさんのカードは後にも先にもアレ一回だぜ。」
心外だと膨れる新一に、嘘は見受けられない。
蘭は不思議そうに新一を見返した。
蘭の知る限り、新一はアルバイトなどしていないのだ。
「ま、色々とな。金稼ぐ手段は何も体使うだけじゃねーし。」
新一はさっさとレジで二人分の清算を済ませると蘭をつれて表へと出た。
真夏の太陽は容赦なく肌を焼く。
蘭が慌てて日傘を取り出してぽんっと開くのを、新一は黙って見ていた。
一々大変そうだが、蘭の白い肌がそうやって守られているのなら口出しするのは憚られる。
なんと言っても新一は蘭の真っ白い柔らかな肌が大好きなのだから。
「あ〜、また奢られちゃった。」
拗ねたように唇を尖らせる。
蘭に自然と集まってくる男どもの視線を無意識に冷たい視線で蹴散らしながら、新一は蘭と並んでゆっくりと歩く。
足元についてくる影は短く、体をまとい付くような熱い空気に汗が噴き出した。
「オメーも遠慮深いよな。おっちゃん譲りじゃなくて、おばさん譲りか?」
「そうね。お母さんはあんまり他人に甘える事を良しとしない性格だから。でも、私のコレは違うわよ。同い年でお互い両親に養われてる身の上なのに、新一ばっかりお金を出すなんて。」
新一のシャツの裾をくいっと引いて、蘭が新一を見上げる。
凶悪犯にナイフを突き付けられてもドキッとしない新一の心臓が、簡単に飛び上がった。
「・・・オメーに飯作らせたりしてる、せめてもの罪滅ぼしだよ。」
「・・・そんな事気にしてたんだ。」
「気にするだろ。普通。」
「やだ、新一が『普通』だなんて口にしてる。変なの〜。」
面白そうに弾む声が新一をからかう。
新一は報復として蘭の肩に片腕を巻き付けた。
汗ばんだ肌が密着する。
「きゃっ!ヤダっ!!」
人前でイチャイチャするのが恥ずかしくてしょうがない蘭が身を捩って逃げ出そうとするのを、新一はツボを抑えた押さえ込みで動きを封じた。
頬を赤くして俯いた蘭が可愛くてしょうがない。
未練がましく蘭を見詰めていた男が新一との仲睦まじい様子にがっくりと肩を落として離れて行った。
薄着の夏は何かと役得が多い。
触れ合う素肌に新一は鼻の下をだらしなく伸ばした。
「さぁってと。」
新一は蘭の体に回した左腕を持ち上げて時計を見る。
目暮警部と約束した時間まであと50分ちょっと。
「もう少し時間あっけど。蘭は何処行きたいんだ。」
「CD見たい。・・・ねぇもう離して?」
火照った頬と耳朶。
新一は困ったように懇願する蘭の言葉に渋々絡めていた腕を離した。
一歩よろけた蘭はほっと息を吐き出す。
「折角今日ライブに行くんだもの。トーヤのCD買おうかと思って。」
「ふぅん。興味あんの?その『トーヤ』とやらに。」
「そりゃ今話題の歌手だもん。さっきの子も言ってたけど、クールな声とルックスが女の子に大人気なのよ?
」
「・・・嵌るなよ。」
本音がそのまま口を突いた。
きょとんとした蘭。
そっぽを向いて新一が再び蘭の肩を抱いた。
「・・・ヤキモチ。」
「しょーがねーだろっ!」
誤魔化す為の大声に蘭は今度は逃げ出さずに肩を抱かれたまま、くすくすと笑い続けた。
目の前に居る蘭の声が聞こえないだなんて。
新一は音の大洪水にうんざりとしていた。
読唇術でなんとか蘭の言葉を拾ってみれば、言っているのは「凄い人気ぶりね。」なんてつまらない内容で。
再び蘭の視線が戻っていったのはステージ上の黒づくめの長身の男の上だった。
派手な音楽に攻撃的な歌詞。
なるほど、人気が出る要素は兼ね備えているようだ。
新一はただその男を観察しているだけで、決してその男が作り出す音楽を楽しんでいる訳ではなかった。
しかし一緒に居る蘭は少なくとも楽しそうに目の前のステージを眺めていたし、そんな蘭の喜んでいる顔を眺めているのは好きだったから、新一はその場に居続ける理由を見出していた。
時折触れ合う肩に心を揺さぶられる。
時々向けられる笑顔に魂が惹かれる。
隣の蘭の姿を堪能しつつ、たまにステージ上の男を見るという繰り返しで、新一の60分は過ぎて行った。
アンコールの曲のイントロが流れ始めた時だった。
興奮の絶頂にいた最前列のファンの一角から、突如鋭い悲鳴が上がった。
明らかに声質が違うその悲鳴に、新一と蘭は同時に反応した。
「なんだ今の。」
「やだ・・・」
二人の前にひしめくファンの頭の間から驚きに硬直するステージ上のトーヤの姿が見える。
トーヤが落としたマイクが床に当たって鈍い音を立てた。
「やべぇ。」
新一は咄嗟に蘭を抱えて設置された床置きスピーカーの影に移動した。
出口に向かって殺到するファンの波が二人が今まで居た場所に雪崩れ込む。
ステージ上には招かれざる客が常軌を逸した目で這い登っていた。
『お前がトーヤとか言う男かよ。』
落ちたマイクがステージ上の音を拾って増大させている為、狭いライブ会場に居た全ての人間がその声を聞いた。
視点が定まっていない。
絶えず揺れ動く頭。
蘭が不安げに呟いた。
「あの人酔ってるよね?」
「ああ、性質悪ぃ酔っ払いだぜ。」
『お前の何処が良いんだよ。顔だけの男の何処が、あいつは良いって言うんだよ?!』
『何言ってんだよ、お前・・・』
怒鳴りつける男に、トーヤは後ずさりながら言葉を返す。
歌う姿とはかけ離れた弱気な男の素顔がちらちらと見え隠れする。
『あいつが・・・メイはお前なんかが俺よりも良いだなんて言うんだっっ!』
男が絶叫して、泣き出した。
滂沱の涙とはこの事だろうか。
一時混乱に陥りそうになっていたファンが、事態を正しく把握して大人しくなりつつあった。
その場で動きを止め、ステージ上の珍事を見守っている。
『仕事が忙しかったんだ・・・好きで放って置いた訳じゃないのに。あいつ俺よりお前が良いだなんて乗り換えやがった。』
『ちょっと待ってくれよ。』
『ちゃらちゃら歌だけ歌ってる奴の何処が良いんだ。お前なんてどうせ脳みそ空っぽなんだろう?!俺なんて東都大学を出てんだぜ!エリートなんだっ!』
『分かった・・・分かったよ。』
『分かってねぇ!!』
苛ただしげに床を踏み鳴らした男の行動に、アイドルのトーヤはびくんっと体を竦ませた。
折角の長身は怯えて縮こまり、みっともない姿を晒している。
シナリオにない展開に、素が出ているのだろう。
新一はどうしたもんかと頭を悩ませた。
『俺の何処が悪いんだよ。お前の何処が俺より優れてるってんだっ!』
『し、知らないよ・・・』
『両親は高名な音楽家?20歳で渡米?新人賞総ナメの実力派?本当かよ?嘘なんじゃねーのか!!』
『嘘だなんて・・・』
『だったら英語でしゃべってみろ!金で賞を買ったんじゃない証拠を見せてみろっ!』
『無茶言うなよっ!!』
語気が荒くなる一方の男に、顔を歪ませて泣き出しそうな男。
新一はそっと蘭の耳元で問い掛けた。
「なぁ。確かあのトーヤって男、柔道黒帯で居合い抜きが特技って言ってたよな。」
「うん。パンフレットのプロフィールはそうなってるけど・・・」
小声で蘭が答える。
しかし蘭自身それが疑わしいと思っている事は、間違いなかった。
小さなライブハウスなので、スタッフも少人数なんだろう。
壇上の男が凶器を隠し持っている可能性も捨てきれない。
手が出せない状況で、ステージには哀れな男が八つ当たりの生贄として残されていた。
新一は小さく溜息を吐いた。
「埒があかねー。俺行ってくっから。」
「うん。気を付けて。」
酔っ払ってちょっと気が大きくなっているだけの大男だ。
日々犯罪者と必要に応じてやり合っている新一にとって敵ではない。
それなのに、心配そうに新一の顔を見詰める蘭が愛しかった。
誰も見ていない事を良い事に、一瞬で新一は蘭の唇を奪うと、怒られる前にステージに向かって動き出した。
ライブ真っ最中と違って、今は簡単にステージまで近づく事が出来た。
おろおろと立ち尽くす会場警備のスタッフの脇をするりと抜けて、新一はステージに身軽に飛び上がった。
『何だてめぇっっ!!!』
乱入してきた新一に激昂した男が振り向きざま殴り掛かってくる。
慌てず騒がず、新一は突き出された拳を掴んでそのまま後ろに捻り上げた。
『痛い痛いっっ!!!』
騒ぐ男の煩さに顰め面をしながら、新一は目の前でしゃがみこんでしまったトーヤに御座なりに「大丈夫ですか?」と声を掛けた。
ステージ下ではざわめきが次第に波紋を広げる。
新一は男を拘束したまま、足元に落ちていたマイクを拾い上げ、仕事用の顔を作った。
『皆さんお静かに。これから係員の指示に従うよう御願い致します。決して自分勝手に行動なさらないで下さい。』
漸くステージ脇から飛び出してくる男性スタッフ。
呆けたように立てないトーヤ。
興味深深で自分を見上げてくるトーヤの熱狂的なファン。
面倒な事になったと新一は半ば諦めを持って全てを受け入れる気持ちになった。
「ねぇねぇ!また載ってるよ!!S.Kの事件っっ!!」
興奮の為赤くなった林檎のような頬の女子高生が友人に引っ張って新聞の芸能欄を指さす。
大きく書かれたタイトルを見てその友人もきゃぁっと歓声を上げた。
「すごぉい!トーヤのライブで暴漢を逮捕!だって!!」
「いやぁん。格好良いよね〜。襲い掛かってきた男を片手で制したって書いてあるっ!」
「やっぱり強いんだよね。ああ、トーヤのライブ行った人は素顔見たって事なんでしょ?!どんな人なのかなぁ。」
「見て見て!トーヤのファンの話っ!『トーヤと是非一緒に歌手デビューして欲しいです!』ですって!!絶対ルックスもイケてるんだよっ!」
「うっそ〜!!仕事も出来て顔も良いだなんて。ああんっ!会ってみたい〜!!。」
「なんで顔も名前も教えてくれないんだろ。もったいないっ!!!」
「そうだよね。S.Kだけじゃファンレターも書けないよ。」
「なんか会員制のファンサイトとかあるんだって。」
「それに入れば少しは情報分かるかなぁ?」
「私も入ろうかなぁ・・・」
周りの苦笑も何のそので、二人はきゃーきゃー騒ぎ続ける。
しかし飲み物も空になって空腹も満たされたのかその二人の女子高生はトレイを持って立ち上がった。
「さ、行こう!ちな!!」
「うん!」
ゴミ箱にきちんと分別して空の容器を入れると、二人は真夏の陽射しの下に飛び出していった。
二人が店から出て行った事によって、ファーストフードの店内は再び静寂が戻ってきた。
「歌手デビューだって。どう??S.Kさん?」
悪戯っぽく片目を瞑って首を傾げる蘭に、新一は悩殺されそうになって慌てて首を振った。
「オメーな。俺の音痴を知ってんだろ?!」
「だってぇ。やっぱり期待に応えてあげないと。」
「俺は歌手でもアイドルでもねーの。探偵はんな期待には応えねーんだよ。」
目の前のダブルバーガーに齧り付く新一を蘭は眺めていたが、ふと何かに気が付いて動きを止めた。
蘭の白い指先がトレイに山積みになっていた紙ナプキンを一枚抜き取り、新一の唇の脇についたソースを拭った。
されるがままの新一はバツが悪そうにコーラをごくごくと飲み干す。
「でも新一どんどん有名になっちゃうね。良いの?顔と名前出さなくて。将来探偵業やる時に利用出来ないよ?」
「顔と名前は色々マズイからな。プライベートくらい守っとかねーと、安心して街も歩けねーだろ。」
「そうなの?でも高校生の時みたいにファンレター来ないし、道を歩いててもキャーって騒がれないよ?新一そういうの好きだったじゃない。」
痛い過去を突いて来る蘭に新一は無言で溜息を吐いた。
蘭と幼馴染だった頃の涙ぐましい努力は結局報われてはいなかったのだ。
分かっていたのだ。
蘭がこういう事には呆れるほど鈍感だという事は。
「・・・騒がれるのが特別好きだった訳じゃねーの。」
「そうは見えなかったけど?」
「俺の事で騒ぐのは蘭一人で良い。」
きっぱりと言い切って、新一は蘭をじっと見詰めた。
次第に染まりだす蘭の頬。
薄桃色から薄紅色へ。
「・・・バカ。」
「お褒めに預かりまして。」
自ら蘭以外の女は興味ないと告白した名探偵は、夕食に大層豪勢なご馳走にありつく事となる。
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