雨と魚@榊真白
困らせましょう!
「分かりません!」
それは勉強が分からなくて一人では解決しようになくて、最終手段とばかりに目の前の人間教えを請おうと縋ってきたというような声なんかじゃなかった。
まるで喧嘩を売っているかのように、ただ大きいだけで攻撃的な棘棘しい声だった。
机に頬杖を突いて投げ遣りな態度で見上げる瞳。
これが生徒の態度かと思わず教鞭を突き付けたくて、それをやったら相手の思う壷だとぐぅっと丹田に力を込めて我慢した。
・・・不愉快な思いをしているだけで既に術中だという声には、耳を塞いだ。
「何処が分からないんだよ?具体的に言ってみろ。」
「分からないものは分からないの。具体的に言ってみろだなんて、偉そうですね。先生。」
切れ味の鋭いナイフみたいな言葉が投げ付けられる。
思わず睨み付けると、これ見よがしに視線を外された。
窓の外には創立当初から其処にあるような大樹の枝葉が広がる。
教室の生徒はその木によって日照権が侵害されるが、それと引き換えにさやさやと囁く葉擦れのバックミュージックと、目に優しい緑の色彩を手に入れるのだ。
今は冬。
葉の色は心無しか暗く硬く、まるでコイツの心ん中みたいだ、と思った。
「・・・いつまでもこれじゃ埒があかないだろうが。観念して喋れよ。」
「観念する事なんてありません。第一先生の教え方が悪いから青子が分からないままなんです。そこを反省しようとは思わないんですか?」
ひくり、と唇の端が痙攣した。
口が減らないとは前々から思っていたし、意固地になると手がつけられない事も知っていたが、今日のは酷い。
酷過ぎる。
俺はどうしたものかと、溜息を吐いた。
不可能を可能にするのはわりかし得意だと自負しているが、こういう方面にはてんで駄目だと自嘲する。
誰に指摘されるまでもなく、俺はこの目の前で不機嫌さを隠す所かアピールしまくりの、中森青子には滅法弱かった。
全身の毛を逆立てて爪を立てようと警戒する猫。
そんな形容がぴったりだ。
普段から好んでスキンシップを行なう俺もさすがに手が出せなくて両手を拱いていた。
下手に手を出すと、本当に引っ掻かれそうだ。
「あー・・・青子?そう怒るなよ。俺だって省みる点が全く無いとは言わない。」
「・・・はぁ?何寝惚けた事言ってるんですか、先生?省みる点が有り過ぎてどうしようもないって言うならいざ知らず。この後に及んでそんな言い草は無いと思います。」
青子は言っている内に腹立たしさを内に閉じ込められなくなったのか、開かれたままの確率統計の教科書を手の平でバンバンと叩き出した。
そんな風に力任せに叩くと後で手の平が痛くなるに違いないのに、止めさせようと伸ばした手の平はすぐさま払い除けられた。
・・・結構ショックなのな、そういうの。
気力が根こそぎ持っていかれ、ライフポイントは一気にイエローゾーンだ。
「もう帰りたいなぁ。時間の無駄みたいですし、帰っても良いですか?先生?」
言外にさっさと帰らせろと命令口調の青子に、快斗は負けてなるものかと全身から気力を掻き集めた。
胸を張って、人差指を教科書の問題箇所にポイントする。
「帰りたいならこの問題を解かないとな。先生との約束、だろ。」
「『先生』とは確かに約束しましたけど。先程から邪魔する人が居るんで進まないんです。」
「俺の事かよ。ソレ。」
「そう。分かってるならどっか行って、先生。青子一人で出来ますから。」
「・・・青子。その、『先生』は止めてくれ。」
「嫌です!」
冷たい答えに、溜息まで凍りそうだ。
腕時計で時間を確認して、快斗は粘りに粘った1時間が全て無駄だった事をようやく受け入れた。
先生の都合で不意に自習時間となった四限目。
出された課題は教科書からたったの五問だったが、それは難度の高い問題だったので、自然数学が出来る人間の周りに人垣が出来た。
勿論快斗の周りにも完璧な解答を盗み見ようとする悪友と、先生より分かり易いと評判の解説を聞こうと集まった女生徒人とで賑わっていた。
快斗は調子良く黒板を使って三問目まで解説した。
時折冗談やマジックを織り交ぜたソレは、客観的に見ても堅苦しいばかりの数学教師よりも分かり易く、クラスメート達は大喜びだ。
『コレ、お礼!』
女の子ならば誰でも今日はチョコレートを用意している。
快斗は人気者ではあるが本命にはなり得ない安全パイだったから、快斗の前にチョコレートの小山出来ても、男共は特に騒ぎ立てなかった。
甘いモノは嫌いじゃないと笑顔を振り撒きながら、快斗はちらりと青子に視線を向ける。
去年まではバレンタインを知らなかった。
でも今年は知ってる。
快斗が知っている事を、青子も知っている。
何故青子は自分にチョコレートをくれようとしないのか?
不安は押し殺しても無視しても、何かで紛らわせようとしてもストーカーのように快斗の意識に付き纏って、苛々も限界だった。
お願いお願いとの大合唱に、快斗は四問目の解説を始めながら青子の様子をこっそりと気付かれぬように観察した。
青子は真面目な性格なので、こういう時は一人で静かに問題に取り組む。
分からなくても出来なくても、最後の最後まで、絶対に一人で課題に取り組み快斗に頼って来た事は終ぞ一回も無い。
それがほんのちょっぴり、快斗のプライドを傷付けた。
蓄積された苛々が、快斗に行動を起こさせた。
零れ落ちたからかいの言葉。
『オメー、こんなのも出来ないの?』
『・・・努力はしてるもん!』
ほんの少し紅く染まった頬は、多分問題が解けない事を恥じる気持ちからなのを、快斗は見て取れた筈だったのに。
・・・引き際を誤ったのだ。
『授業真面目に聞いてるように見えたけど、実は居眠りでもしてたのか?アホ子。こっち来いよ。黒羽先生が教えてやるよ。』
分からない問題を懇切丁寧に解説してあげたら、他の女の子と同じように自分にチョコレートを差し出すんじゃないか。
期待していたのはそんな小さな事だったのに。
青子は表情を強張らせて、快斗を黙って見詰め返したのだ。
「青子、ごめんってば!」
「聞こえません!」
「謝ってるだろー!こんなに必死に謝ってるのにその態度かよ!」
「逆切れしないで下さい。迷惑です。」
「ごめんなさい!」
「反省の色が薄いです。」
帰り道、快斗は誠心誠意を込めて青子に謝り続けている。
青子は多少表情が柔らいだものの、未だ快斗の目を見て笑顔を見せない。
「なぁ、青子。いい加減許してくれよ。反省してます。凄くしてます。だから、な?」
「調子良過ぎ。」
隣に並ぶと、青子は小走りで先に行こうとしなかった。
青子の見えない所で快斗は小さく拳をガッツポーズにした。
夕陽に照らされた青子の頬は、まるで林檎か苺か。
美味しそうだと、何の衒いも無く考えている自分が少し怖い。
「青子・・・何をしたら許してくれんだよ。言ってみろよ、何でも良いからさ。」
「快斗・・・そういうの、十八番だよね。」
くすり、と青子が笑った。
その微笑を目にして、どっと緊張がつま先から抜けふにゃりと四肢が崩折れそうになった。
情け無い事に、相当振り回されている。
「快斗がやる事なんて最初から決まってるじゃない。青子にわざわざ聞く必要ってあるの?」
「そりゃあるだろ。」
軽い軽口にも唇を尖らせたりしない青子に、安心して気掛かりでしょうがない事をそっと尋ねてみた。
「青子、俺に渡すモンねーの?」
「あったかなぁ。」
暮れ行く夕暮れを見ながらわざとらしい態度。
これは全てを知っていて俺をからかおうとしていると、感情を読む事に長けている俺は当然気が付いた。
青子の鞄から覗く蒼いセロファン。
それが包んでいるモノを俺が欲しがっている事を知っていて、青子はやっぱり素直にそれをくれようとはしないのだ。
素直じゃない。
「あるだろ。」
「んー、何だっけ?」
にこっと笑う。
笑顔は無邪気で可愛いのに、中身は意地悪が悪い。
まぁ、さっきの俺の所業を考えたら、ここまで機嫌が回復して、更に自分の少なからぬ好意を伝えようという気になるのは、奇蹟だと思わなければならないかもしれないが・・・
「青子、未だ怒ってるのか?」
「怒ってないよ。怒るの疲れちゃった。」
「じゃ、くれよ。」
「何を?」
「あーおーこーーーー!!!!」
今気付いた。
青子は言わせたいのだ。
これは罰ゲームなのだ。
「さ、快斗?」
「・・・」
「捨てちゃおっかな。」
「・・・負けた。」
男が強請るなんて超格好悪ぃ。
しかし、ココで意地を張って目の前のご馳走を逃がすのは余りにも惜しい。
せめて、『チョコレートをくれ』と単刀直入に言うんじゃなくて別の言葉で伝えよう。
さぁ考えろ、黒羽快斗。
IQ400のトップレベルの最高の頭脳を今こそ使うのだ。
深呼吸は一回。
青子の目をちゃんと見て。
「 」
言えたらご褒美は、甘くて苦いチョコレート。
・・・END・・・
2007/02/14 UP
※快斗×青子『ちょこ・りんぐ』参加作品※
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