+++ CALL YOUR NAME +++




例えば高級住宅街で。

例えば時価数億のダイアが盗まれて。

例えばたまたま犯行現場は密室となり。

例えば容疑者はその時屋敷に居た人物に絞られて。





そうすると呼ばれたりするのだ。

世間に名高い名探偵。



工藤新一が。

















「ふぅん。大体状況は分かりました。」

今日は管轄違いなのか、馴染みの目暮警部が居ない現場で、新一は担当刑事から事件のあらましを聞いていた。

ざっと聞いて見た所であっさりとトリックの糸口が見える辺り、今日の事件は楽勝なのだろう。

ただ、誰もが出来るトリックである為、犯人を限定するのが難しい。

「・・・と、こう言う訳なので、ダイヤの発見に全力を尽くして下さい。僕の考えでは、まだこの屋敷内にある筈です。」

「なるほど・・・ダイヤが出てくればおのずと犯人も浮かび上がると言う事なんだね。」

「隠し場所が、犯人を特定する最大の証拠になります。それぞれの容疑者が動ける範囲は限られてたいのですから。」

「さすが誉れ高い名探偵だな。全然その着眼点は思い付けなかったよ。」

今日初めて一緒に仕事をした刑事に手放しで褒められて、新一は困った様に笑った。

どうも面と向かって賞賛されるのには慣れない。

「いえ、初期捜査を固めて下さっていたので、こちらも凄く助かりました。」

「そう言ってもらえるとこちらも嬉しい。さて、どうやってダイヤを探すのか、なんだが。」

「馬鹿みたいに広いですからね・・・この屋敷。」

新一と山田警部はぐるりと自分達の周りを見回した。

長く続く廊下。

その左右に幾つも現れる障子。

右手には広大な日本庭園が見える。

さすが個人で数億のダイヤを所有するだけある、富豪の屋敷だ。

「人手を集めたいのだが、何しろ広瀬氏があまり良い顔をしなくてね。」

今回の被害者である屋主の名前を出して、山田警部が苦笑を零した。

新一も最初に紹介され、事情も直接聞いたので知っている人物だ。

悪い人間ではない。

ただ、静かに余生を送っていた厳格な人物なので、警察と言えども見知らぬ人間が我が家に土足で入り込んでくる事には心穏やかで居られなかったのだろう。

表面的にはやんわりとだったが、厳しく屋敷を捜索する人間の制限を言い渡されてしまっていたのだ。

「こういう時に、最新鋭の機器があればなぁと思うよ。」

「赤外線スコープとかですか?」

SFチックな単語で冗談を言ったつもりの新一に、山田警部はしかめっ面で頷いたので、新一は驚いた。

「まぁ実際そこまで金持ちじゃないからな。警察も。」

「そうですね。後はダイヤの方に発信機がついていれば良かったんですけど。」

「そこまでする人は少ないだろうな。」

二人が並んで歩くと廊下が軋む音が微かに響く。

しんと静まり返った屋敷内には人の気配が遠く、非現実的な空気が漂っていて寒々しかった。

「何か、ないかね。工藤君。」

「ダイヤを見つける有効な手段、ですか。」

顎に手をやって考えても、実際出来る事は少ない。

人海戦術は一番単純で一番効果が期待出来るのだが、それが使えないとなると後の手段は似たり寄ったりだろう二人が頭を悩ましていると、広瀬氏の実の妹に当たる広瀬一二三が声を掛けて来た。

40代半ばか。

若若しい雰囲気ながら落ち着いており、実質この屋敷の内部を取り仕切っている女性で、広瀬氏以外では彼女だけが唯一容疑者から完全に外されている人物だった。

「あの・・・ダイヤの事なんですが、広瀬がちょっと話があると申しております。」

「話、ですか。」

案内されるままに、再び広瀬氏の書斎に通されると、ゆったりとした黒皮のチェアに越し掛けた広瀬氏がくるりと椅子を回転させてこちらを振り向いた。

「あ。」

思わず声を漏らしたのは山田警部。

広瀬氏の膝の上に、先ほどにはなかったものがあったからだ。

それは・・・





「ワンッ!」

「・・・その犬は?」

「この犬を捜査に使っても構わん。」

「とおっしゃいますのは・・・匂い、ですか?」

警察でもしばしば捜査に使う為、山田警部の反応は早かった。

広瀬氏の膝に横たわった大型犬は、おそらく血統書付きのアフガンハウンドだろう。

艶々とした長い毛並みは手入れが行き届き、黒い瞳は澄んでいて美しい。

賢そうな顔立ちに、新一は興味を惹かれた。

「この犬は私と一緒にダイヤを何度か見ている。あのダイヤは妻が好きだった匂い袋を一緒にしておったから、その匂いを追えば見つかるじゃろう。」

「そうですか・・・その犬をお貸し願えるという訳ですね。」

「あのダイヤは亡き妻の形見じゃ。必ず見つけ出さねばならん。」

「重々承知しております。では。」

山田警部が広瀬氏に近付くと、その犬はつーんとそっぽを向いた。

伸ばした手を引っ込めるわけにもいかず、山田警部は困った様に立ち尽くしている。

横から広瀬一二三が溜息混じりに説明した。

「この子、人見知りが激しいんですの。だから、どなたかこの子が気に入ってくれないと多分ダイヤを探す手伝いは無理だと思いますわ。」

「あの・・・広瀬さんにお手伝い願うわけには行かないんですか?」

新一が主人の広瀬ではなく、妹の広瀬一二三を見て聞く。

広瀬氏は車椅子生活者なので、無理だと言うのは聞かずとも分かっていたからだ。

しかし、新一の視線の先で広瀬一二三は頭を振ってそれは出来ませんと答えた。

「私は今日中にやってしまわなければならない仕事がありまして。申し訳ないんですけど。」

「いえ、こちらこそ不躾なお願いを致しました。」

恐縮した様に頭を下げられて、慌てて新一が倣って頭を下げる。

すると黙ったままの広瀬氏が口を開いた。

「君、工藤君と言ったな。ちょっとこちらに来なさい。」

「はい?」

一人と一匹に熱い視線を注がれて、新一は不思議に思いながら広瀬氏の方へと近付いた。

距離が縮まる毎に優美な犬の尻尾がふさふさと大きく揺れ動く。

新一はある種の予感を感じた。



「ふむ。やはりな。」

「あの・・・」

広瀬氏の目の前に立った新一にしきりに鼻先を伸ばして、アフガンハウンドが匂いを嗅ぐ。

千切れんばかりに左右に振られる尻尾ときらきらと輝く瞳に、新一は自分がこの犬のお眼鏡に叶った事を悟った。

「コレが大層喜んでおる。君が使うと良い。」

そのまま綱を手渡される。

するりと広瀬氏の膝から滑り降り、アフガンハウンドは新一の脇にぴたりと寄り添った。

「凄いな工藤君。」

「いや、別に凄い訳じゃ・・・」

「これは面食いなんじゃ。」

実も蓋もない事をさらりと言って、広瀬氏が面白そうに笑う。

山田警部と新一は複雑な表情を浮かべ発言は控えた。

選ばれなかった山田警部への配慮が新一の根底にあった事は否定出来ない。

「じゃ、工藤君、頼むぞ。」

山田警部がぽんっと新一の肩を叩く。

「あの。この犬の名前は?」

束の間のパートナーとなった犬の手綱を握り締め新一が広瀬氏に尋ねると、広瀬氏が一呼吸置いて答えた。



「『ラン』、だ。」

「え?!」

















「やべ〜。」

ランを片手に引きながら、新一は長い廊下を当てもなく歩く。

足元でしきりに匂いを嗅ぎながらふらふらと歩くランを気にしながらも思考は先ほどの一幕から離れない。

ランの名前を聞いて、動揺してしまったのは不可抗力だと思いたい。

愛しい大切な幼馴染の名前と同じだなんて、偶然にしては出来過ぎている。

『ラン』という名前に過敏な反応をしてしまい、それを不思議に思った広瀬氏に突っ込まれ、誤魔化しているうちに呟いた名前がこれまた頬を赤くさせ、山田警部には熱があるんじゃないかと額に手を当てられる始末。

慌てて逃げ出す様にランを連れて退出したのだが。



「思いっきり挙動不審だよな。俺・・・」

未だ熱を持ってかっかと火照っている頬に片手を擦り付け、新一は自分の靴下とランの毛並みを交互に眺める。



特別な名前なのだ。

『ラン』という名は。

声にすれば自然と気持ちが溶け出してしまうような、不思議な力が既に宿ってしまっている音。



「だらしねー面してなかったかな。俺。」



はっきり言って自信がない。

条件反射みたいにその名を呟くと、優しい気分になる。

塞いでいた気持ちが雲間が晴れる様に解れていく。

未だ、幼馴染の癖に。

その名前は酷く甘く胸に焼き付いて。



参ったなと、新一は頭をがしがしと掻いた。

「キュゥ?」

新一の様子がおかしい事に気が付いたのか、心配そうにランが見上げてくる。

「わりぃ。平気だよ。」

頭をくりくりと撫でてやると嬉しそうに長い舌でぺろりと手の平を舐められた。

皮膚を擽られる感触につい笑いが零れる。

「こら。くすぐったいだろ、ラン?」

「ワフッ!」

元気に一声鳴いて、再びダイヤの捜査に戻る気になったのか、ランは床に鼻を押し付ける様に手がかりを探っている。

新一も真面目にやらなければと意識を集中してランの行き先に気を配った。

やがてランは一つの部屋の入り口で大きく一声鳴いた。

新一を見上げる瞳は何かを見つけたというようにきらきら輝いている。

「ラン。ココだな?」

「ワンッ!」

新一が白い手袋を嵌めた手でドアノブを回そうとした所で、廊下の端に現れた山田警部と容疑者の一人、広瀬氏の顧問弁護士を勤める曽根川に呼び止められた。

「君っ!その部屋は入っちゃイカン!!」

「何故ですか?」

近付いてくる二人に新一は疑問を投げ掛ける。

脚下ではランが低く唸り声を上げている。

山田警部には先ほどココまでの拒絶を表してなかったことから、どうやら曽根川弁護士が気に入らないのだろう。

曽根側の方も犬などそこに居ないかの如く無視している。

「その部屋は亡き奥様が好きだった絵画が飾られている部屋だ。おいそれと入られては困るな。」

「でもこの部屋の中が怪しいとランは言ってますけど。」

唸り続けるランを落ち着かせる為、頭の上に軽く手を乗せて小さく揺らしてやる。

ランは一旦唸るのを止め、新一をじっと見詰めた。

信頼してくれているみたいで嬉しい。

「犬の言うことなど誰が信じる?君も探偵ゴッコなど控えて勉強したらどうかね?未だ学生だろう。」

小馬鹿にしたような諌める口調に、逆に新一は頭がすぅっと冷えたのを感じる。

こういった輩は今まで五万と居た。

新一の実力を見極め様ともしないで嫌味を言う事に関しては、別段気にならない。

しかし、ランを馬鹿にしたのはカチンと来た。

理性では犬のランと幼馴染のランはまったく関係ないと分かっている。



だが。

正直言って面白くない。

心の中では既に『俺のランを馬鹿にしやがって』などと青白い怒りの炎がめらめらと燃え上がっていた。



新一は冷めた表情でその弁護士を一瞥し、隣の山田警部に視線を向けた。

「ダイヤの捜索で場所の制限を受けているのですか?」

「広瀬氏には許可を貰っている。構わんよ、工藤君。」

隣に立つ嫌味な弁護士を気にしながらも、きっぱりと山田警部は言い切り新一にドアを開けるように促した。

新一がドアを開くと一番にランがするりと部屋の中に滑り込んだ。

続いて新一、山田警部、そして最後に曽根川弁護士が続く。

「何かあったら弁償してもらうからな。ここにあるものは数百万から数千万もする高価な絵ばかりなんだ。ちゃんと肝に銘じておいてもらうっ!」

脅しを掛けているのか、自分のものでもないくせに威張った口調の曽根川に新一は逆に鼻で小さく笑ってやった。

自分が顧問についている人物の力を己の力と誤解している男なぞ、敵ではない。

鬱陶しくとも、新一を阻む壁にはなり得ない。

完全に無視して、ランがやりたい様にやらせると、ランはダイヤの気配を探りながら部屋の中の範囲を狭めて行く。

「ラン、どうだ?」

声を掛けると頼もしい瞳が見返してくるので、新一は安心して好きにさせていた。

山田警部も固唾を飲んで見守っている。

一人無視された形の曽根川だけがぶつぶつと二人と一匹に聞こえる音量の嫌味をぶつぶつと零していた。

「大体犬にダイヤを探させるなんてナンセンスだ。警察は一体何を考えてるんだ?犬なんて所詮畜生、何も出来るもんか。」

ブチンっと新一の頭の血管が一本切れる。

「ランは血統書付きだから、そこらへんの雑種の野良犬よりは頭は良いだろうが、犬である事には変わりがないだろう?」

ぶちんっとまた一本額の血管が切れる。

新一の顔は感情と言う色を失い、無表情に塗り潰されていく。

「ランが広瀬さんの可愛がっている犬だとしてもだっ!見つかる訳がないっ!犬なんかに!!」

ぶっちんと、一際太い血管が切れる音が響いた。

新一がゆらりと曽根川弁護士に向き直る。

剣呑な輝きを浮かべた瞳に不釣合いな穏やかな作り笑い。

「随分と曽根崎さんは我々の捜査方法が不満のようですね。」

低く響く声は空気中の水素と化学反応を起こしてばちばち言いそうな程、怒りのオーラを含んでいた。

幾ら鈍い人間でも神経が緊張に震えるような冷たい声に、曽根崎が小さく息を飲む。

潜り抜けた修羅場の数が違うと如実に見せ付けている、新一の無言の圧力に尊大だった態度が尻窄んで行く。

その変化を顔色一つ変えず新一は見届けた。

脆く弱い、権力に溺れた男。

だが、心の奥底で苦笑しながら囁くもう一人の自分が居る。

普段ならココまでしないだろ?

上手くかわすだけの処世術は身に付けているのだから。

青臭くココまで相手を潰したのは多分、『ラン』と言う名の犬を馬鹿にされたから。

俺も終わってる、と溜息一つ。

『ラン』という名前の特別さ加減は、誰が決めるでもなく自分が決めるのだから。

最高級レベルで大切にしている自分が、如何に蘭に溺れているか、示している。

外から見えないだけマシか。

改めて感心したような視線を向けている山田警部にバレませんようにと、新一は心から祈った。

格好悪い所を好んで暴露したがる人間は居ないのだから。



「・・・ラン。さぁダイヤを探すんだ。」

人間の方の一騒動が終わるまで動きを止めていたランに新一がゆっくりと声を掛ける。

頷くランに、まるで人間みたいだと山田警部が呟くのが聞こえる。

ランは優秀なんだよ。

自分の事みたいに微笑ましくて、新一は唇の端を吊り上げた。

「ワンッワンッ!!」

一つの絵の前でしきりに咆えるラン。

新一と山田警部は、その絵の前に立った。

「これは・・・日本画の小手川先生の『見返り美人』だな。」

「山田警部は絵は詳しいんですか?」

失礼ながら意外に思って、新一がこそりと囁くと、照れたような笑みが返ってきた。

「いや・・・カミさんが絵を習ってるからちょっと齧った程度で。」

「そうですか・・・」

「これの額か何かに隠されているのか?ダイヤは。」

「・・・」

「工藤君?」

「あ、済みません。」

じっと絵を凝視していた新一が眉を寄せて考え込む。

山田警部は廊下に控えていた警官に広瀬氏に絵を持ち出す許可を貰って来いと指示を出した。

両手を組み、脇にランを従えてじっと新一は絵を睨み付ける。

背後で静かにしていた曽根川が恐る恐る声を掛けてきた。

「ああ・・っと。工藤君。何か・・・?」

「ええ。この絵なんですけど。」

一旦言葉を切り、新一はすぅっと瞳を眇める。

言葉を待つ山田警部と曽根川に静かに告げた。



「・・・贋作、ですね。」

















「驚いたよ・・・工藤君。」

「いや、ちゃんとした鑑定には回して頂かないと・・・」

そう言いながらも新一は絵が贋作だと100%確信していた。

盗まれたダイヤと、ダイヤが隠されていた贋作の絵。

なにやら臭い。

広瀬氏の書斎に集められた容疑者5人と警察官、そして広瀬氏と新一、犬のランは、問題の絵を前に沈黙を守っていた。

誰も何も言い出さない。

それはこの場所で犯罪が陽光の下に暴かれるのを知っているからだ。

既に真実に行き付いていた新一は、自分の体に長い毛を擦り付けて甘えてくるランを見ながら、今回はこいつのおかげだよな、とくすりと笑みを浮かべていた。

先ほどからしきりに新一に甘えてくるランが可愛くてしょうがない。

ホンモノもこれくらい素直に甘えてくれれば良いのに、なんて考えて思わず顔がにやけてしまった。

事件のクライマックスはこれからだと言うのに。



「警部っ!」

緊張した面持ちで警官が一人部屋の中に入ってきた。

手に持っているのは、ダイヤ。

そう、ダイヤは贋作の絵の額縁に隠されていたのだ。

一足先に額だけが鑑識に回され、絵は別の額に入れられこの部屋に残されたのだ。

それは新一がそう要請したから。

この贋作はこの一連の事件の謎を解く鍵なのだ。

ダイヤは一旦山田警部の手に渡され、そして本来の持ち主である広瀬氏に手渡された。

無言でそのダイヤを見詰める広瀬氏に、新一は柔らかな視線を投げた。

「工藤君。」

山田警部の促す声。

一斉に新一へと集中する視線に身が引き締まる思いだった。

窓の外の日は既に暮れかけている。

夕闇が影を飲み込む前に帰る事が出来れば、あるいは帰宅途中の幼馴染を捕まえる事が出来るかもしれない。

今日はやたら名前を呼んだ所為で、本人に会わねば気が納まらない所まで感情が昂ぶってしまっている。

厄介な恋心は暴れ出すと手におえない。

だから早く事件を片付けて、会いに行こう。

心を決めてしまえば楽だった。

新一がターミネーターを演じる舞台の幕が開く。



「さて、今回の事件の事について、お話しましょう。」

















「こらっ!ちょっと待てってっ!ランっ!」

「ワフッ」

じゃれつかれて堪らず新一は尻餅を付いた。

アフガンハウンドの成犬であるランは体が大きく、大の大人でも勢いをつけて飛び掛られると支え切れない。

床に倒れ込んだ新一の顔を嬉しそうにペロペロと舐めるランに、新一は身を捩った。

「擽ってぇんだよっ!ランっ!」

「ワンッ!」

「ヤメロってっ!こら!舐めんなよ!」

「ワンワンッ!」

「分かったからっ!わっ馬鹿っ!体重掛けるなっ!」

「ワフ!!」

「しょーがねーなー。ランは。」

ぎゅぅっと抱き締めてやると、体を揺らして全身で喜びを体現する可愛い犬に新一は降参したと言うように笑みを零した。

見守っているのは広瀬氏と広瀬一二三、そして山田警部だ。

「ランは本当に工藤君が気に入った様だね。」

感心したような広瀬氏の言葉に新一がどきりとする。

蘭が自分を好きだと、言われた気がしたからだ。

・・・アホか俺。

それでもなんとなく嬉しい。



「そうですね。兄さん。」

くすくすと笑う一二三に広瀬氏がにこやかに頷く。

「どうかね。工藤君、ランを連れて行くかね?」

「ええっ?!」

真っ赤になって硬直した新一に山田警部が大声で笑い出した。

ランは嬉しそうに新一の上に乗ったまま、頬を舐めている。

「ランっ!オメーも、ほらっ!広瀬さん所に戻れってっ!」

危ない妄想が突っ走りそうだ。



ランを連れて行くだなんて?!

もしこれがおっちゃんだったら、蘭がまんま嫁に行くみたいで、しかも嫁ぎ先が新一の所みたいではないか。

嬉しそうなランが、蘭に重なる。

マズイマズイっ!!!

勝手に赤くなる頬。

早鐘の心臓。



「幸い、ランは女の子なのよ?工藤君。貴方の家にはお庭はあるの?」

「毎日2回は散歩に連れてってやってくれたまえ。」

「広瀬さんっ!な、何言ってるんですか?!」

体に力が上手く入らず新一はランに相変わらず押し倒されたまま。

冗談か本気か、広瀬兄妹は楽しそうに新一とランを見ている。

「工藤君は本当にランに好かれたね〜。私と何が違うのかな?」

「山田警部っ!そんな事より手を貸してくださいっ!」

このままではイケナイと、新一が助けを求めるもソレさえも笑いの種なのか、まるで相手にしてもらえない。

「なんだ工藤君。うちのランは不満かね?」

「不満なんてないですけどっ!!」



なんせ蘭は器量良しスタイル良し料理上手で頭も良くて強いし家事万能で優しいし可愛いし・・・じゃなくてっ!!! 言われているのは犬のランだと分かっているのに、言葉の端から思考がジェットコースター並みの暴走を始める。



「本当。ここまでランが懐いたのはお義姉さん以来だわ。ラン?工藤君の事好きなの?」

「ワンッ!」

タイミング良く元気の良い一声が響き、一同がどっと笑う中新一だけが顔を真っ赤にして手の平で顔を覆い隠していた。



今のは不意打ちだった。

ランが・・・

蘭に重なって。

未だ好きだと言って貰えてない欲求不満の心にズガンと衝撃が来る。



『新一が大好きだよ?』



なんて甘く言われてみたい。

誰かに聞かれた時、恥ずかしがったり誤魔化したりしないで、甘い微笑を浮かべて断言して欲しい。

そんな夢を現実に見せられたようで。

恥ずかしくて、顔が上げられない。



ランを体の上に乗せたまま、動きを止めた新一に、山田警部が特に他意無く新一に話し掛けた。

「所で、なんで工藤君はそこまで恥ずかしがってるんだい?」

「・・・何でも無いですっっっ!!!」



絶対知られる訳にはいかない。

幼馴染の名前が『蘭』だという事を。

鋭い人間なら気が付いてしまうだろう。

新一が『ラン』と『蘭』を重ね合わせていることを。

冷静に冷静にと唱えながら漸く上半身を起こし、ランを脇にやって起き上がる。

なるべく視線を誰とも合わせないように服についた誇りを叩き、寂しそうに見上げるランの鼻先をちょいっと突付いた。

なんとなく気まずい新一がココはもう逃げるが勝ちだと退出の口上を述べようとした時。

コンコンと扉がノックされた。

それは室内が静かになるタイミングを見計らっていたに違いなく、新一はバツが悪い思いで俯いた。



「誰だ?」

「警視庁の方が見えてますが。」

「通してくれ。」

広瀬氏の言葉に一拍遅れて扉が開き、見知った顔が室内へと入って来た。

新一は硬直した。



「警視庁の、目暮です。」

「高木です。」



にやにやと笑いを零す二人。

高木などは新一を見て堪えきれず小さく吹き出している。

新一は最悪だと我が身の運の無さを呪った。

「目暮さん?どうしてココに?」

「ああ、山田警部。ちょっと工藤君に用事があってお邪魔したんだが・・・」

「・・・あの?」

言葉が続かず必死に笑いを堪える警視庁の刑事二人に山田が困惑して声を掛ける。

新一はこのままダッシュをかまして逃げ出そうかと真剣に考えた。

ようやく笑いの波が引くと、目暮は殊更ゆっくりと新一の方に向き直った。

「新一君。いやぁ・・・」

「警部。もう何も言わないで下さいっ!」

「いやぁ・・・ははは。」

「警部っ!」

「可愛い犬ですな。『ラン』と言うんですか?」

「・・・」

「いやぁっ!本当に可愛いっすね〜!『ラン』ちゃんはっ!!こりゃ好かれれば嬉しいですね〜。」

「・・・高木さん・・・」

二人がここぞとばかりからかってくるのを止める術を新一は持たない。

黙ってこの攻撃に耐えるのみである。

「・・・さっきから話が見えないんだが。」

二人が何か知っているに違いないと踏んで広瀬氏が興味を引かれたように訪ねる。

「いや別に。ただ、工藤君の幼馴・・・」

「わぁぁぁあああああっっっ!!!!!!!!」







厄日かも。

この後、散々からかわれる事になり、新一は心の中で泣いたのだった。






 


  ▲Go To Back