古今東西男女事情
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日本という国は平和なんだなぁ。
誰でもそう思わずにいられない平凡なお昼休み。
まぁ普通の高校生ではそう滅多矢鱈に平凡でないお昼休みになどぶち当たるわけも無いが、その普通の領域から
外れているかの名探偵には貴重なお昼休みとなった。
いや、なるはずだった。
クラスメートがこんな話を振るまでは・・・
「工藤知ってっか?昨日の空手部の練習試合毛利が圧勝だったって?」
「んあ?」
大ぶりのエビフライに齧り付いたまま新一は話し掛けて来た狩野を仰ぎ見た。
練習試合・・・?
そう言えばそんな事蘭が言っていたような、そうでないような?
「他校の女主将全然相手になんなかったって噂だぜ。ホントにあんな可愛い顔してバリ強いなんて反則だよなぁ。」
ちらちらと蘭のほうを盗み見ながら狩野は至極残念そうな顔をする。
何とはなしに新一の周りに集まってお昼を食べていた面々も賛同の意を表しながら内緒話の音量で話を続ける。
「なあなあ工藤。俺は常々疑問だったんだが、お前と毛利ってどっちが強いの?」
「はあ?!」
「いや、良くじゃれ合いのような夫婦喧嘩はやってっけど、本気で喧嘩になった時にはどっちが勝つのかと思ってさ。」
「ちょっと待て!何で夫婦喧嘩なんだよっ!」
「俺は毛利が強いと思ってんだけど。」
「いやいや、こう見えても名探偵の工藤の方がやっぱりいざとなったら強いだろう。な?」
「・・・・」
新一は無言で頭を抱える。
手の影から覗く目が半眼で、うっかり見てしまったクラスメートが思わず視線を泳がせていたが、図太い悪友達はお
構いなしに新一の脇を小突く。
「んで、どっちなんだよ?」
「なんでそんなくだらない事にいちいち答えてやんなきゃなんねーんだよ。」
再び弁当に箸を伸ばしつつ心底くだらないと言った表情で新一が答える。
ずいっと顔を近付ける水乃。
「くだらなくないぞ。俺にとってはここ数ヶ月間暖め続けた疑問なんだ。お前には答える義務がある!」
「おめぇの頭ん中は温暖化現象激しいな。どこをどうしたらそんなアホっぽい疑問を考え続けられるんだ?」
新一は間近に有った水乃の顔をぞんざいに押し退けるが、背後から狩野に肘固めを掛けられ逃げられなくなる。
普段はこんなおふざけには加わらない浅見まで新一の右隣に机に腰掛けニコニコと話を聞いている。
「・・・暇人どもめ!」
これは逃げ切れないと観念した新一は腹癒せに水乃が陣取っていた前の席を軽く蹴り飛ばす。
バランスを崩して大きく手を泳がせた水乃が慌てて体制を整えるのを軽く笑って、あっさりと新一は事態の収集を付
けた。
「蘭のほうが強いだろ。そりゃ。」
「おいおい、そんな情けない事で良いのか?工藤。」
「あのなぁ、蘭は都大会優勝の猛者だぞ?誰があんな空手女に勝てるってんだよ?チャレンジしてみるか?」
「え?!良いの?」
妙にうきうきとした狩野の声に新一は首を傾げる。
何故か回りの人間も人の悪い笑顔でニヤニヤとするばかり。
すっと新一の耳に口を近付けて気色の悪い声で水乃が言い聞かせるように囁く。
「こいつドサクサに紛れて毛利を襲いかねんぞ?油断ならん男だからなぁ。」
囁かれた内容にむっとする新一。
しかし、それを回りの人間に悟らせるような可愛い性格ではない。
まぁだからこそ意地っ張りだとか素直じゃないだとか言われ続けるのだが、本人の持って生まれた性格なので直しよ
うもない。
「工藤でさえ触れた事のない、あの空手胴着に隠された白い肌に一番乗りしちゃうかもなぁ、俺。」
一人の世界に浸っている狩野をすかさず浅見が突っ込む。
「無理じゃないの?毛利さんそう言う所はガード固そうだし。な?工藤。」
「なんでそこで俺に話を振るんだよ。」
「だって工藤、毛利さんに勝てないって言ってたじゃない。つまりそう言う事なんだろ?」
「『そう言う事』ってどう言う事だよ?」
いまいち透明度に欠ける会話に次第にいらいらとしてきた新一の肩を宥めるようにそれまで静観していた御手洗が
叩く。
「工藤らしくない今一つ精彩に欠けた切り返しだね?」
「んだよ?」
「いや、だからさ。工藤が青少年らしくがばぁっと押し倒しても、毛利さんの蹴りだか突きだかを食らってノックアウトっ
て事だよな?」
人を食った恍けた顔で水乃がしししっと笑う。
新一は一瞬豆鉄砲でも食らったかのような顔をした後、容赦なく水野の後頭部をはたいた。
すぱこーんっと実に良い音が鳴る。
「やっぱ水乃の頭ン中は空っぽだな。」
怒気孕んだ声に水乃が首を竦める。
しかし、懲りた様子もましてや反省している様子も見られなかった。
「都合良く作り話をすんなっ!なんで俺があんな女押し倒さにゃならんねーんだよ。俺が勝てねーって言ってるのは面
と向かってやりあった場合。あいつとまともにやりあったら骨の一本や二本覚悟しなくちゃ無理だって事だよ。」
最後のおかずを頬張りながらお行儀悪く言葉を吐き出す新一を何故か胡乱気な目で眺める友人達。
新一に背を向けてこそこそと話をする。
「あんな事言ってっけど、絶対経験あんだぜ。そりゃ押し倒した女に逆に投げ飛ばされたなんて格好悪いもんな。」
「そうかなぁ。意外に上手くいったのをカモフラージュするために勝てないなんて言ってるだけなんじゃない?ほら、工
藤ってば計算高いから。」
「いや、毛利さんが怖くて押し倒せないって意見も捨て難い。ちなみに俺なら失敗を恐れずチャレンジするぞ?」
「じゃ、毛利さんの事押し倒してみるか?お前。」
「やめとく。俺は毛利さんは怖くないが工藤が怖い。」
「俺はやっぱ毛利さんの空手技はこえーけどなぁ。簡単に一捻りされそう。」
「空手じゃなくて柔道だったら密着度高くてやられるにしても役得有りそうなんだけどなぁ。空手だもんなぁ。」
いつの間にやら新一を蚊帳の外において襲う襲わないだのの物騒な話をしだしたクラスメートに呆れた表情を向け
た新一は、ふと顔を巡らせてこちらを窺っている蘭に気がついた。
どうやら、話の端々に出てくる自分の名前に反応したらしい。
新一は空になった弁当箱を片しながらさり気なく話に夢中になっている悪友の足を蹴った。
「痛いよ!工藤。さっきから我関せずって顔してるけど、自分の奥さんの話位ちゃんと聴けよ!」
妙に馬鹿でかい声が教室内に響きり、とうとう蘭がこちらに向かって歩いて来てしまった。
新一は内心やばいなぁと思ったものの、じたばたするのも格好悪い気がしてポーカーフェイスをするりと纏った。
「何の話?」
『奥さん』に過敏に反応して頬を怒りと羞恥で赤く染めた蘭が腰に手を当てて立ちはだかる。
その横では園子がニヤニヤと新一を眺めている。
「別になんでもねーよ。」
新一が机から読み掛けの推理小説の本を取り出しながら惚けるが、御手洗があっさりと真相を暴露してしまう。
「毛利と工藤どっちが強いかって話。工藤は『毛利のほうが強い』って申告してるけど?」
蘭はしばらく考えた後、困ったように笑顔を作った。
「新一はそう思ってるんだ?」
「まあ、向かい合って『始めっ!』って試合したらおめぇに負けるな。」
「・・・ま。そうでしょうね。普段から空手で鍛えてる私と、推理小説ばっかり呼んでる新一じゃ話にならないでしょうね。」
それだけ言うと蘭は自分の席に戻っていってしまった。
園子が何やら言いた気にしていたが、新一は意識して視線を逸らせてそれ以上の園子の行為をシャットダウンしてし
まった。
やがて園子が後ろ髪引かれる様子で立ち去ると、クラスの悪友どもがわらわらと新一に群がって来た。
「毛利さん、怒ってるんじゃないの?」
「なんか、悲しそうというか、寂しそうというか、どっちにしろ喜んではなかったよな。」
「女心としては嘘でも良いから『俺の方が強い』って言って欲しかったんじゃねーの?ほら、やっぱり自分の方が強い
なんてなんか嫌じゃん。」
口々にそんな事を言って新一をじぃっと見つめる。
新一は、飄々と言い放った。
「午後の授業は英語だぞ。課題ちゃんとやってきたのか?」
一斉に机に駆け戻るクラスメートに短く溜息を吐くと、新一は英語のノートを斜め前の席の狩野に放り投げた。
二人で新一の家に向かうのは随分と久し振りで、本人も気が付かないながら新一は目許を優しく和ませていた。
平凡な昼休みを過ごし損ねた新一に神様はちゃんと代替案を用意していたらしい。
目暮警部にも呼び出されず、教師にも呼び出されず、悪友にも呼び止められずに学校を抜け出す事に成功した新一
は、蘭を言葉巧みに家に誘い込む事にも成功していた。
手にはスーパーの買い物袋。
夕食の献立には新一の好みが反映されていて、それを考えるだけで口元が緩んでしまう。
二人の影は長く前方に伸び、黄昏時を嫌と言う程意識させる時間。
帰路を急ぐ二人の他に人影はなく、何とはなしに隣の人物を強烈に意識してしまう。
「ねぇ新一?」
長い睫毛を物憂げに伏せて蘭が立ち止まる。
肩越しに振りかえった新一の目に映ったのはどことなくしょんぼりとした華奢な姿。
「私空手好きだけど、強くなり過ぎたかなぁ。」
ポツリと漏らされた一言で、蘭が昼間の事を引きずっていた事を改めて確認して新一はなんと答えて良いのか迷って
しまった。
その沈黙を肯定と勘違いして蘭は顔を歪めて唇をかみ締めた。
しまったっ!と新一が気が付いた時にはもう遅く、蘭は皮肉気に笑顔を作り歩き出していた。
「ま、良いけど。どうせ新一素直になんて答えてくれないでしょ?男の自分より女の私の方が強いなんて男のプライド
に拘るもんねぇ。そうおいそれと認められないって事?」
「ちょっと待てよ!俺はそんな事一言も言ってねぇぞ!勝手に自己完結すんなっ!」
「何よぅ?本当の事でしょ?」
蘭は取り付く島も無い意固地な態度で新一の半歩前をすたすたと歩いている。
新一が言い訳しても素直に聞いてくれそうに無い。
この幼馴染みは本当にしなくて良い誤解だけはこちらが嫌になるくらいやってくれる。
先程までの優しく穏やか空気は裸足で逃げ出してしまっていた。
「蘭。おめぇ誤解してる。昼間俺が言いたかったのはなぁ・・・」
「何を、どう誤解するって言うのよ?『喧嘩したら私に勝てない。』そう言ったの新一じゃない。」
「だからそれはおめぇが思ってるような意味じゃなくてだなぁっ!」
「はぁ?何訳分かんない事力説してるのよ?まったく最近新一まともに運動してないから力落ち捲ってるんじゃない
の?そのうち私の手加減してる蹴りとか避けられなくなるんじゃない。」
小馬鹿にしたような笑い声にさすがの新一もカチンとくる。
「お前なぁ。俺の話聞けって!」
「なーにー?私より弱い人の遠吠えなんて聞いてる程暇じゃないの。今度また空手の試合があるから練習も頑張ん
なきゃいけないし。そうそう、今度園子達とプール行くし。」
「プールは関係ないだろう?」
ちっとも話を聞こうとしない、可愛くない態度を取る蘭に新一は冷静なツッコミをいれる。
強がってる蘭は頬を上気させて、毛を逆立てて抵抗する猫みたいだ。
・・・ちょっと他人に見せたくない程可愛らしい・・・
自分の矛盾する思考に気が付かない新一。
「あっ。この道最近痴漢が出るって注意されてるトコだ。」
新一の言葉は右耳から左耳に通り抜ける事になっているらしい。
綺麗に無視された形の新一は面白くないながらも相槌を打つ。
「・・・そうだよ。蘭も絶対暗くなったら一人じゃこの道歩くなよ。結構性質の悪い奴らしいから。」
「大丈夫よ。そんな奴私が蹴りの一つもくれてやれば即捕まえられるわよ。だって私空手本当に強いし。」
不意に蘭の手首を新一が掴んだ。
痛みに蘭が顔を歪める。
「蘭。勘違いするな。」
「何よ!痛いじゃないっ!」
「オメーは確かに空手は強くなったよ。試合だったら大抵の選手には勝てるだろうし、そこら辺の普通の男なんて相
手になんないだろうな。
でもそれは飽くまでも一対一のルールに則った試合ならって事だ。喧嘩なんつったら勝てば官軍って考えなんだぞ?
卑怯な事なんて当たり前だし、不意打ち・多人数・武器・薬なんでもアリなんだぞ?そこら辺ちゃんと理解しておかな
いと痛い目見るのは自分だって事分かってんのか?!」
「な・・何よ。」
真剣な眼差しが急に怖くなって蘭は視線を逸らせた。
それでも口は勝手に強がって反抗的な台詞を吐く。
「そう言う偉そうな口は私に勝てるようになってから利きなさいよっ!」
新一は無言で溜息を短く付くと、軽く右足を前に出し蘭の足を引っ掛けた。
「きゃっ?!」
思わず宙を泳いだ手を民家の垣根に伸ばすが、それを遮る様に伸びてきた新一の腕が蘭の腰を掬い取る。
勢い半回転した蘭の体は新一の体と垣根に挟まれて身動き出来なくなってしまった。
何時の間にか両手は人括りに頭上高く新一の右手一本で抑えこまれている。
中腰に垣根に凭れる様に立たされている為上手く全身に力が入らない。
射るような瞳が至近距離に有って、逸らす事も出来ずに凍りついた様に蘭はその動きを止めた。
まさに、一瞬の出来事だった。
「・・・分かっただろ?」
「な、なにが・・・」
「俺は確かに『蘭に負ける』って昼間言ったけどそれは試合ならって事だ。ただお前に『勝つ』だけだったら簡単なん
だよ。」
低く一定調で喋られる言葉に背筋がぞくりと粟立つよな恐怖のようなものを覚える。
普段知っている新一が何処かに行ってしまった事に、それ以前に宣言された通りいとも簡単に蘭の自由を奪って
いった新一に、蘭は言葉を失った。
怯えた様に目を潤ませる蘭に新一は内心やり過ぎた!!と焦っていたが今更引っ込みもつかない。
それでもきちんと言いたい事は言っておこうと再度口を開いた。
心の片隅で今日あり付ける筈だった美味しい晩御飯に別れを告げながら・・・
「だから、さ。痴漢なんて平気だなんて思うなよ。自分がか弱い女なんだって事忘れるなよ。ちゃんと用心して、頼る
所はちゃんと男に頼っとけ。な?強がって怪我なんかしたら馬鹿らしいだろ?」
力無く蘭が項垂れる。
新一は拘束していた蘭の手をそっと開放すると軽い体を引き起こして蘭をちゃんと立たせる。
背中についた埃を軽く払ってやって、投げ出していた荷物をゆっくりとした動作で拾い上げた。
声が掛けにくい雰囲気の背中に出来るだけ優しい声で驚かせ無いようにそうっと話し掛ける。
「・・お前んちまで送って行ってやるから。・・・泣くなよ?」
「・・・泣いてないもん。」
明らかに湿った声で蘭が呟く。
でも新一は知らん顔をした。
「そうか?」
「そうよ!」
なんとなく会話の無いまま並んで道を歩き出す。
曲がり角で二人は互いに別の方向に向かおうとした。
新一は蘭の家の方向に。
蘭は新一の家の方向に。
「え?帰るんだろ?蘭。」
「帰らないわよ。新一の家で夕食作る約束でしょ?」
「え?!」
「何よ?文句有るの?」
「ねーよっ!」
思わずにやけた顔をぱっと反らせて蘭に見られない様にする。
そっぽを向いていた新一の耳に微かな声が届いた。
「さっきの事、ゴメンね。」
驚いた様に振り向く新一に今度は蘭がそっぽを向く。
表情は見えないが耳が熟した果実の様に赤い。
「心配してくれてるんだよね?」
「まあな。」
「でも悔しいな。新一に簡単に負けちゃうなんて・・・」
「そりゃ、いくらお前が強くても俺男なんだぜ?そう簡単に負けね―だろ?」
「そうかなぁ・・・」
「それに俺、実践向きの体術習ってるし。」
新一の独り言は蘭の耳には届かなかった。
「え?なんか言った?」
「いや、腹減ったなって・・・」
「早く帰ろ?」
「おう。」
逃げ出していた優しく穏やかな空気が再び二人の側に戻って来て、二人はスーパーを出た時と同じ気分で再び新一
の家へと帰路を急いだのだった。
End
2013/04/09 再UP
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