「あ。」 事件と聞いて飛び出して行った優作がレストランの入り口に姿を現したのを見つけて有希子は小さく声を上げた。 まさか、デートの最中に彼女をほっぽり出して事件に駆けつけてしまうような人だとは思っても見なかった有希子だが、いざ自分がその立場に立ってみると妙に納得している自分が居てくすぐったい気分になった。 だってそれが工藤優作って人なんだもん。 まだ出逢って間もないのにキチンと自分が彼の事を理解できているのが有希子はとても嬉しく思った。 優作は入り口で立ち止まり、有希子の方をじっと見ている。 すぐこちらに来ない事に不安を抱いた有希子だが、大股でこちらに歩き出した優作を見て更に不安を抱いた。 眉はきりっと釣り上がり口は真一文字に結ばれている。 怒ってるの? 有希子は自分が何かしてしまったのか急いで考えを巡らせたが何も思い付かない。 そうこうしている内に優作が有希子の目の前に立っていた。 黙って立ったままの優作の頬が心なしか赤い。 有希子は事件の事を取り敢えず話題に出してきっかけを掴もうと口を開き掛けた。 「有希子さん!」 突然の大声にびっくりする有希子。 小さく息を吸う優作。 「私と結婚して下さいっ!!」 「あ・・・」 有希子はプロポーズされたのだと理解できるまで数秒掛かった。 胸がどきどきしてきて上手く呼吸が上手く出来なくなってしまう。 だって出逢ってまだ数ヶ月だし、デートだってまだそんなにしてないし、それにまだ手だって握った事無いのに・・・! 水を打ったように静まる店内。 有希子は最初の衝撃から立ち直ると何だか笑いたくなってしまった。 この人って、この人って・・・可愛いかもっ・・・ 優作は不安一杯という顔をしていたが、有希子が驚きの表情からゆっくりと微笑みの表情に変えたのを見てぱあっと嬉しそうな表情を見せた。 頭の中には既に教会の鐘の音が鳴り響いている。 「はい。」 有希子は優作の目を見て返事をした。 その途端店内から拍手と歓声が上がった。 二人は外野をまったく無視していた為その祝福に驚いたが、よくよく考えれば休日の夜の人気レストラン。 客の入りは今日も満員御礼だったのだ。 「おい。彼女藤峰有希子じゃないか?」 誰かのそんな声が聞こえて来て二人は同時に互いの顔を見る。 お互い有名人だった事を思い出し、大騒ぎになりつつあるレストランから逃げ出す二人だった。 「優作君のプロポーズか?あんときゃまだ外に居た警察の人間もばっちり聞いとったよ。思わずみんなで顔を覆ってしまったよ。 なんせ事件と聞いて恋人をほっぽり出して駆けつけるような男が、事件解決して戻ってすぐ大声でプロポーズだろ? ムードもへったくれも無い最低のプロポーズだと思ったね。上手く行くはず無いじゃないかと。 ところが翌朝の新聞を見りゃでかでかと『人気女優藤峰有希子結婚!お相手は新進推理小説家!』なんて載っとるし。 わしら全員詐欺だと思ったよ。はっはっは。」 目暮警部に両親のプロポーズ話を聞いた新一は複雑な表情になった。 「何でそれで上手く行くんだよ。納得いかねーなー。」 |
「約束通り、お寿司奢って貰いましょうか。」 「分かってるよっ!」 つまんねえ賭けなんざするんじゃなかった。 小五郎は心底後悔した。 隣を歩く英理とはガキの頃からつるんでいる腐れ縁だ。 こいつがストレートで弁護士の国家試験に受かるのなんて火を見るより明らかだったのに何だって賭けなんか受けちまったのか。 そう唸りながら実はその理由が簡単に分かる小五郎はその理由に唸っていたりするのだ。 こういう形でしか『お祝い』が出来ないのが意地っ張りの毛利小五郎って男なのだ。 しかし今回はそれがあだになった。 英理は昨日大学のゼミ仲間から一流フランス料理店でお祝いをしてもらったそうだ。 その時に花束やらバッグやらネックレスやら貰ったらしい。男から・・・ おとついは高校の部活仲間に一流イタリアレストランでお祝いをしてもらったそうだ。 その時にも花束やらバッグやらネックレスやら貰ったらしい。男から・・・ そして今日寿司を奢る自分ははっきり行って3番煎じじゃねーか。アホらし。 こんな女の何処が良いのか。英理は昔っからやたらめったらモテるのだ。 馴染みの寿司屋に連れ立って入った二人に見知った店員が声を掛ける。 「適当に握ってくれ。」 投げ遣り気味に言った小五郎の態度に英理はカチンと来る。 「ちょっと。賭けに負けたからって随分な態度じゃない?せっかく人が良い気分なのに台無しにしないでよ。」 「うるせーな。今日折角亮子ちゃんとデートの約束してたのにお前が今日じゃないと都合着かないって言うから付き合ってやってるんだ。感謝しろよ。」 小五郎は言ってからしまったと思ったが後の祭り。 英理はうんざりした様子で椅子から立ちあがり目を細めて小五郎を睨んだ。 「じゃあこれから亮子ちゃんとやらをここに呼べば?私は失礼するから。」 「っと、待てよ!」 言うなり英理の手首をむんずと掴み強く引っ張り降ろす。 「何よ。痛いじゃないの。」 「今日は絶対寿司食わせてやるからな!勝手にどっか行くんじゃねーよ。」 強い調子で念を押すと英理は暫く逡巡した後椅子に座り直した。 小五郎はほっとした様子でお茶を啜る。 それから二人はお寿司を味わった。 その間殆ど無言だったが、その方が余程良い雰囲気でご飯が食べられるのだ。 「お前本当にここ一番の賭けには強いよなー。」 満腹になった二人は薄暗くなって来た空を背に家に帰る道を歩いていた。 「試験に受かったのは実力よ。変な言い掛かりつけないで。」 「分かってるよ。試験の事じゃなくて賭けの事だよ。」 「そうねえ。確かにあんまり負けた記憶無いわね。」 顎に手をやり考える英理の横顔はすっきりと整っていて近寄り難い雰囲気を醸し出している。 触れば冷やりとする感触や髪の毛のしっとりとした手触りは知っているのに遠い存在に思えて小五郎は頭を振った。 「うん。貴方には連戦連勝ね。」 「嫌味な奴だなあ。ああ、そーだよ。何か知んねーけど一度も勝てた試しがねーんだよなあ。」 「ま、こればっかりは運なんだからしょうがないわね。」 先を歩いていた英理はくるりと振り返って笑った。 その拍子に首に掛けていたダイヤのネックレスが光を反射して煌いた。 小五郎の見知らぬネックレスは、誰からの贈り物なんだろうか。 胸の奥がちくりと痛んだ。 「貴方卒業したら警察官になるのよね?って事は私たち仇敵同士になる訳だ。そうしたらおちおち食事も出来なくなるかしら。」 「・・・ああ。」 覇気の無い声に気付いたのか英理は小五郎の目の前に来て顔を覗き込んだ。 「ねえ、賭けましょうよ?」 「は?何を?」 「何でも良いわ。お金でも物でも、労働でも良いわね。」 英理は楽しそうに指を小五郎の胸に突きたてた。 「やるの?やらないの?」 いずれ別の道を行く事になる二人。 ボンヤリと今感じている苛立ちとか焦燥とか悲しみとかの正体が分かった気がして小五郎は溜め息を吐いた。 「やる。」 「賭けの対象は、あれにしましょうよ。」 英理がそう言って指差したのは噴水の前に立つ若い女性。 「あの人の待ち人が男か女か、賭けましょう。」 「良いぜ。」 「貴方からどうぞ。」 ハンデねと英理は弾んだ声で促す。 小五郎は何も考えずに答えた。 「男。恋人だな。」 そうであるといい、無意識に願った。 「じゃあ私は女。友達ってところかな?」 「賭けるものは何にする?」 「何でも一つ、相手の言う事を聞くって事でO.K?」 「かまわんさ。」 無言で二人はその女性の見える木の影に立って相手を待った。 まるで映画を見るように、その女性の人生のワンシーンを共有するかのように。 英理は気付かなかったが小五郎はその目に女性を映しながらも隣の幼馴染の事を考え続けていた。 10分程してその女性が誰かに手を振る。 「来たみたい。」 英理が相手を確認しようと木陰から身を乗り出そうとした瞬間、強い力で体が木の幹に押し付けられた。 両肩に小五郎の大きく無骨な手が置かれ、噛み付くような口付けをされる。 微かな煙草の匂いが今自分の目の前に居るのが同い年の幼馴染だという事を証明してくれる。 衝動に任せて貪っていた唇をようやく離した小五郎はそのまま英理の顔を見ようとせず、大股で家へ向かう道を歩き出した。 「見えなかったから賭けは無効だ。」 はっとして英理が噴水を振り返ると、先程まで人を待っていた女性が消えていた。 「ち、ちょっと!」 英理が小五郎の後を追う。 追いついて力任せに振り向かせると、そこには赤い顔をして怒ってる小五郎の顔があった。 決して英理と目を合わせようとしない所を見ると怒っているのではなく照れ隠しに恐い顔をしている事が分かる。 「どういう意味よ!説明しなさいよ、馬鹿!」 緊張で上ずった声。 「うるせーな。意味なんてねーよ。」 普段より低い小五郎の声。 「意味ないなんてっ・・あ、あんな事しておいてどういうつもりよ!」 パニックになっていつもの理路整然とした回路を置いてきてしまったのか英理は感情的に叫んだ。 昔から小五郎の押しに弱い英理は今や目を潤ませ声が震えて何だか可愛いウサギのようだった。 「好きなんだよ。」 観念して小五郎が英理の目を見る。 「おめ―が、地球上の誰よりも。」 「嘘・・」 「嘘じゃねーよっ!」 やけくそ気味に怒鳴って小五郎は再び歩き出す。 その行く手を再度遮って英理は小五郎の前に立ったが、何を言ったら良いのか分からずに途方に暮れてしまった。 天を仰ぎ溜め息を吐いた小五郎は今度は触れるだけの小さな口付けをした。 「好きなんだよ。意味なんてねーんだよ。」 英理は泣き出してしまい、小五郎は衆人環視の中そっと腕の中にその幼馴染を閉じ込めた。 「知らなかったろ?蘭ちゃん。」 親子2代で切り盛りする寿司屋に親子2代で常連客となっている蘭は両親のプロポーズ話を聞いて絶句してしまった。 「嘘。信じられない。」 「結局奥さんも弁護士にはならないで結婚しちまうんだから勿体無い事だよなあ。うちの倅も影でこっそり泣きやがるし。」 まあ今となっちゃ奥さんも弁護しやってるしうちの倅も幼馴染と結婚したがね、と寿司屋の主人は話を結んだ。 |
「おめでとう!」 「いやあ、こんな美人の恋人を隠してるなんて人が悪いなあ。」 「服部君はもっと結婚は遅いと思ってたよ。」 ここは大阪府警の職員が良く利用する洋食屋の個室である。 今日は服部平蔵と池波静華の婚約を祝う会と称して服部の同僚やら上司やらが集まっている。 『祝う会』と表向きはなっているが、その実この業務以外は極端に口数の少ない男の婚約者とは一体どんな女性なのか観察する会であった。 「池波静華でございます。」 自己紹介で静華が挨拶した瞬間その場にいる独身男性は服部平蔵がどんな魔法を使ったのか真剣に悩んだ。 何故こんな美人をこの無口な男が口説き落とせるのか?と誰もが疑問に思った。 やはり警察官たる者疑う事から入るのはその性分といえよう。 服部の親友である遠山も突然の婚約発表に驚いていた一人だった。 自分は付き合っている彼女をこの親友にちゃんと報告していたというのに、服部は俺に黙って彼女を作っていたなんて酷い裏切りだと思っていた遠山は少し吊るし上げてやれとばかりに話を振った。 「平蔵。お前なんて言ってプロポーズしたんだ?」 誰もが聞きたくて聞けなかった話題がさらりと場に放り出された。 固唾を飲んでその答えを待つギャラリー。 服部平蔵は普段の一本調子で答えた。 「何も言っとらん。」 意外な答えにしーんとなる室内。 「何も言わんでどうやって結婚できるんだ?」 遠山が呆れて親友に尋ねるが、平蔵は黙して語らずの姿勢を崩さない。 「言わなくても伝わるものですわ。」 澄んだ水の様に透明な笑顔で静華が答える。 何だか分からないが凄い事になっている。 その場にいた全員がそう思った。 「ははは。今日はめでたい席だから無礼講でいこうじゃないか!さあ飲むぞーっ!」 何事も無かったかのように宴会が再開された。 しかし遠山だけは平蔵のぽつりと漏らした言葉を不幸にも耳にしてしまった。 「何時の間にかそう決まってたんだ・・・」 「それっておかんがおとんを嵌めたって事やろか?」 平次は笑いを無理に押さえた妙な表情で遠山を見た。 「・・・」 何と答えて良いのやらコメントを控えていると横で大人しく話を聞いていた娘の和葉が「そうなんちゃう?」とあっさり答えている。 「いやー。あのおかんならやりかねんなー。はあこわ。」 「いや、しかし・・」 遠山が親友の為に言葉を言い添えようと口を開き掛けたが、平次の言葉によって遮られた。 「でもおとんも嫌やったら黙っとる性格や無し、どうせ都合の良い展開やったからほっといただけなんちゃうか?」 あの人面倒くさがりやからな、と平次は続けた。 さすが親子言わんでも分かっているわ、と遮られた言葉を続ける手間が省け遠山もほっとした。 「ま、割れ鍋に閉じ蓋って事でこの話は仕舞いにしよ。」 |