「ちょっと頼みがあるんだ。」なんて新一が言うので蘭は小学5年生の夏休み初日、新一の家に出掛けた。
買ってもらったばかりの真っ白なレースのワンピースとお気に入りの麦藁帽子、ヒールの高い木のサンダルを履いて鼻歌なんて歌いながらセミの鳴く道を歩いた。
お母さんと選んだワンピースは大人っぽい意匠で、お父さんにも似合うと誉められたものだ。
新一もなんか言ってくれるかな?
蘭はちょっぴりの期待を胸に新一の家のチャイムを押そうとした。
「蘭。チャイム押さなくて良いぞ。」
「新一?外で待っててくれたの?」
門の脇の木陰から新一が顔を覗かせた。
そして蘭のワンピースを見ると困った顔をした。
「何でよりによって白い洋服なんて着てくるんだよ。汚れちまうじゃないか。」
「なんで汚れるのよ!」
折角のワンピースも新一にとっては何でもない事らしい。
いやむしろ嫌がられている事を知って、蘭は期待していた分がっかりしてしまった。
その感情を悟られるのは絶対嫌!と蘭は怒った振りをして必死に取り繕った。
「今日はさ、蘭に書庫の整理を手伝ってもらおうと思ってさ。あそこホコリ溜まってるから絶対汚れるけど良いか?」
「良くないに決まってるでしょ!私帰る!」
くるりと踵を返して来た道を引き返そうとした蘭の腕を慌てて掴み、新一は強引に蘭を家の中にと連れ込んだ。
「分かった。その服が汚れない様に俺の洋服貸してやる。それなら良いだろ。」
「まだ手伝うなんて一言も言ってないもん。」
「一人じゃ絶対今日中に終わらないんだよ。頼む。ちゃんとバイト代払うからさ。」
結局蘭は新一の懇願に負け、新一に借りたTシャツとジーパンに着替え書庫の掃除を手伝う事となった。
新一と蘭はまだ体格に違いが無かった為お互いの服が無理なく着る事が出来た。
蘭は鏡に映った自分の姿を何だか不思議な気持ちで見つめた。
変なの。
そう思うものの何だか顔が火照ってきて恥ずかしくなってしまったので慌てて雑巾を片手に棚を拭く作業を開始した。
新一は戸棚に梯子を掛けて上の方のホコリを落としている。
「新一がお家の手伝いするなんて珍しいよね。どうしちゃったの?」
「夏休みの軍資金稼ぎだよ。今日一日書庫の掃除すると5千円貰えるんだ。」
「?『軍資金』って何?」
新一はよく難しい言葉を使う。
本を一杯読むから自然に覚えると言うのだが、蘭には意味が分からなくて会話が上手く噛み合わない事がある。
蘭はそんな時新一って頭が良いなあと純粋に尊敬したりするが、恥ずかしいので内緒にしている。
「『軍資金』って何?って言われるとなあ。上手く説明出来ねーや。」
ともかく夏休みの小遣いを稼ぐって事と同じだよ、と新一は言い足した。
新一も蘭も手際が良い方なので瞬く間に書棚は綺麗になっていく。
お喋りをしつつも手をキチンと動かしているからだ。
「新一ここの本読んでるの?」
蘭の目の前にずらっと並んでいる本は分厚いハードカバーの本ばかり。
蘭が疑問に思って梯子上の新一に尋ねると間髪入れずに返事が返ってくる。
「ああ結構読んだよ。今読んでるのはアガサクリスティの本。結構面白いんだぜ。」
「ふーん。読書感想文はその本で書くの?」
「えぇっ!そりゃ無理だよ。だってこれ推理小説だぜ。」
「なんで『推理小説』だと駄目なの?」
蘭が口にすると、新一は掃除の手を止めてうーんと唸っている。
余程難しい質問だったのかな?蘭はまだ頭を抱えて唸っている新一を見て思った。
「一番の理由は殺人事件を題材にしてるからかなぁ。」
暫くしてから自信のなさそうな声で新一が答えた。
「『殺人事件』のお話なの?!」
蘭は驚いて大きな声を出してしまった。
殺人事件と言ったら父小五郎の仕事に関係するあの『殺人事件』ではないか!
「ま、そういう事。それより蘭。バイト料何が良い?」
新一が話題を変えてくれたので蘭はほっとした。
「何が良いのかな?んー。」
今度は蘭が悩む番だった。
急に言われても何も考えてなかった為何も思い浮かばない。
「新一が考えてよ。」
「えっ?」
新一は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたため蘭はおかしくってきゃらきゃらと笑った。
笑われた新一は拗ねてしまい、蘭は宥めるのが大変だった。
日も暮れ始めた頃には二人ともホコリで真っ黒になってしまった。
今度は蘭が新一に頼み込んで、一度登ってみたいと思っていた梯子の上に登りホコリを丁寧に拭き取っていた。
新一は何やら下で本の整理を行っているらしく先程から分厚い本を出したりしまったりしている。
その様子を観察していた蘭は新一のすぐ隣に積み上げられていた本の山が今にも崩れそうにぐらぐらしている事に気が付いた。
「新一っ!そこ危ない!」
蘭は新一にその事を教えようと無理な姿勢で振り返った。
蘭のひじが戸棚に当たり体のバランスが崩れる。
スローモーションで遠ざかる本棚を見つめながら体が宙に浮くのを奇妙に冷めた頭で感じた。
「らんっっ!!」
頭がずきずきする。
遠くで新一のお父さんの声。
なんか怒ってるみたい。
怒られているのは、誰?
「まったくお前って奴は、なんで蘭君を梯子の上に登らせたんだ。危険な事は男がやるって相場が決まっているだろう。」
「ごめんなさい。」
謝る声は新一の声。
おじさん。新一の事怒らないで。蘭が頼んで梯子に登らせて貰ったの!
蘭は痛む頭に手を当ててそっと起き上がった。
「蘭っ!大丈夫か?まだ痛いか?」
新一がすぐさま駆け寄ってきて蘭の背中に手を置き起き上がるのを助ける。
見回すとそこは新一の家のリビングで隣には有希子が心配そうな顔で付き添っていて、優作は椅子に座っていた。
「蘭ちゃん、頭に大きなたんこぶが出来てるの。もうちょっと冷やしておいた方が良いわ。」
有希子が優しく言ってアイスノンを蘭の後頭部に当ててくれる。
新一は両手を合わせて蘭の目の前で頭を下げた。
「ごめん!俺のせいで蘭に怪我させちまった。本当にごめん。」
「謝る事無いよ、新一。だって私が不注意だっただけだもん。」
蘭は新一の下げられた頭を軽くはたく。
新一は心配そうに蘭の目を見た。
「平気。こんなの空手やってるとしょっちゅうだもん。」
優作は有希子と顔を見合わせると溜め息を吐いた。
蘭が新一を庇っているのが見え見えなのだ。
優作は未だ心配そうに幼馴染を見る息子に向かって心の内でこの果報者めっと苦笑いした。
「それにしても自分の仕事なのに蘭君に手伝わせるのは反則なんじゃないのか、新一。」
「ちゃんとバイト代払うつもりだったけど。」
「バイト代ってお金渡すつもりだったの?あんた。」
有希子が呆れた口調で言うと新一はソッポを向いて「そうじゃ無いけど・・・」とぶつぶつ答えた。
有希子はふーんと含みのある顔で新一の額を小突く。
「じゃあ何を渡すのかな。新一君?」
「うっせーな。まだ考えてねーよ。」
有希子と新一が親子のスキンシップをしていると優作が向こうの方から声を掛けた。
「で、肝心の掃除の方はどれ位片付いたんだ?」
「もうほとんど終わり。床に積んである本を棚に戻すのが終わってねーけど。」
「随分早いな。」
「俺一人だったら掃除の途中で本読み出しちまって全然進まなかったろーけど、蘭と二人だったからな。」
「成る程。蘭君はさしずめ新一の監視人ってところか。」
それからふと優作は息子とその幼馴染をまじまじと見て言った。
「取り敢えず風呂に入ってきなさい。」
その後蘭は新一の両親に連れられて新一と一緒にフランスレストランに連れて行って貰った。
白いワンピース姿の蘭は優作や有希子に可愛いと誉めて貰えてとても嬉しかった。
新一は相変わらず何も言ってくれなかった。
それよりも母親に着せられたカッターシャツとカチッとした洋服がお気に召さないのかぶすっとしている。
蘭はフランス料理はおいしいし、頭のたんこぶを気遣って側に居る新一と沢山話しが出来たので上機嫌だった。
その日そのフランス料理店にいた客は、白いワンピースの愛らしい女の子とその横に立つ幼いナイトのカップルを見る事が出来た。
あるテーブルでは、将来お似合いのカップルになるわねと話題に上り、あるテーブルでは初々しい二人に微笑ましい感情を抱いた。
観察眼と状況判断能力に優れていた新一は、母親の仕組んだ悪戯に憤慨しながらも蘭が心配で結局側を離れる事が出来なかった。
新一が蘭にバイト代として何をプレゼントしたかは二人だけの秘密だ。
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ただいまかなり切羽詰っております(笑)
それでもなんとか更新を滞らせたくないが為
いきなり季節はずれの夏物語をアップする事になりました(爆笑)
書き上げたのは夏真っ盛りの8月1日でした。
3ヶ月も何の為に寝かせていたのか私自身にも分かりません。
本編の方はチビ新チビ蘭の話です。
ほのぼのしてて良いですね。