コチコチコチ 秒針が一巡もしないうちに何度も服の裾をまくって時計を見る青子は明らかに不機嫌。 もう春が目の前のこの時期。 それなりに暖かい陽気で、つい先週買ったばっかりの春らしい爽やかな空色のワンピースを選んで 休日の大通りにひとり立っているのには訳があった。 ザワザワと騒がしくも楽しそうな人々の笑い声を耳にしていた青子は、 いつもならそんな喧騒も好んでその空間に浸ったりするのだが… 今日はそうもいかないらしく、もう1時間近くもムスッとした表情を崩さない。 その理由は当然と言えば当然、待ちぼうけをくらっているからに他ならなかった。 「あーーーもうッ!!快斗のバカバカバカッ!!」 立っているのも疲れて近くにあった植え込みの縁に腰をかけた青子の叫びは 空しくも賑やかな周りの空気に溶けて流れてしまう。 「女の子をこんなに待たせるなんて快斗ってば最ッ低!」 そもそもいつもならば多少遅れたくらいでそんなに怒る青子じゃない。 ちょっと拗ねる程度で、快斗が 『悪かったって。昼飯は俺がおごってやっからさ』 なんて台詞を口にすればたちまち笑顔になったりする。 でも今日は違った。 それは今日が二人が出会った記念日だから。 『…なぁ、青子。明日何か予定とかあんのか?』 昨日の授業の合間の休み時間。 突然の問いかけに「何もないけど?」と答えると、快斗はわざとらしく顔を背けて 青子に赤くなった顔を見られないようにしながらポツリと呟いた。 『なら、どっか出かけよーぜ?』 当然、青子が出会った日が明日であることを忘れるはずがなく心の片隅で二人で何かしたいなぁ などと思ってはいたが、快斗が覚えているとは到底思えなかったから何も言わなかった。 その快斗の口から出てきたお誘いに青子は一瞬きょとんとした顔をしたが 試すような口調で問い掛けてみた。 『覚えてるの?』 『…ったりめーだろ』 即答されて青子は思わず顔がほころんでしまった。 (そっか…快斗も覚えててくれたんだ) 純粋に嬉しかった。 で、どうすんだ?とチラッと見やる快斗に青子は満面の笑みを浮かべた。 『青子お弁当作って持ってく!ピクニックしようよ!』 『ピクニック〜?ガキくせー…別にいいけど、食えるもん作れよ』 『あーッそういうこと言うんだ〜!今の発言で快斗にはお魚さん盛り合わせお弁当決定』 『う、嘘デス…青子さんの作ったものなら何でも…だからそれだけは勘弁…ι』 クスクスと笑う青子に快斗も嬉しそうな笑みを浮かべた。 そしてふたりの記念日は幕開けから楽しいものになる…はずだった。 一向に姿を現さない幼なじみに青子は怒りも通り越してだんだん心配になっていた。 単なる寝坊とかならまだいいが、自宅に電話しても誰も出ない連絡の取れないこの状況では 色々な想像が出来て次第に不安が増していく。 (…じ、事故とかだったらどうしよう…) 人はひとりでいるとどうしても悪い方向に考えを向けてしまうものだ。 反射神経も運動神経もいい快斗に限ってそんなことはない―― そう思っているからこそ余計に気にかかる。 (だって快斗が青子との約束を忘れるはずないし… 快斗は意地悪だけどいつも青子のこと考えてくれてるもん) それが幼なじみとしてなのか、それともそれ以上の感情を持っているからかは別にして、 それでも快斗が青子を想っていることは第三者から見ても明らか。 そう思うと忘れてた、なんて理由も絶対有り得ない。 ピーポーピーポー… 遠くの方で救急車のサイレンの音が響くと、青子はビクッとあからさまに反応した。 取り越し苦労ならそれでいい。 でも、もし本当に……事故だったら…? 考え出すと止まらない。 青子は無意識の内に震えている手足を何とか動かして一番近い病院に 足を向けようと立ち上がった ―その時 「お、おい、青子!?」 ガシッと掴まれた見知った手の感触に青子は目を瞠った。 「何処行くつもりだよ?待ち合わせ場所はここだろ?」 息せききって呼吸を整える幼なじみの顔に気が緩んだのか、 青子は少しづつ涙目になっていった。 唐突な潤んだ表情に当の快斗は訳が分からずただ慌てふためくばかり。 「な、な、何だよっ…おい、青子?」 それは当然。快斗はこの幼なじみの涙に何よりも弱い。 とりあえず落ち着かせようと植え込みの縁にもう一度腰をかけさせて自然に片手で 頭を撫でてやりながらバツが悪そうに声を出した。 「俺が遅れちまったから怒ってんのか? 来る途中で足悪い婆さんに捕まっちまってさ、家まで荷物持ちでついてったから …悪かったって」 そう言う快斗の言葉に青子は声を出せずに首を横に振るだけ。 本当の理由を聞いて胸の奥で安心しつつも、まだしゃくり上げる嗚咽が止まらず 隣で困っている快斗に説明も出来ずにいる。 (どうしよう…快斗絶対困ってる。でもどうしてだろ…止まんないよ) ―それはきっと離れている時に何かあっても自分には何も分からないことに気付いてしまったから。 困り顔の快斗はクスン、と鼻をすすって俯く青子の目の前まで手の平を持っていって指を軽く鳴らした。 ポンッ 小さい音と共に快斗の手の中に現れたのは赤い可愛らしい花。 そう、ふたりが出会った時と同じもの。 両手で包み込むように花を受け取った青子はまだ涙が溜まった目で快斗を見上げて視線を合わせた。 ようやく真正面から青子の顔が見れた快斗は内心ホッとする。 そしてこの状況に不謹慎かと思いつつも口元に笑みを浮かべてしまった。 青子は首を傾げる。 「…何笑ってるの?」 「いや、あまりにも同じだからさ」 「…?何と?」 「オメーと出会った時とだよ」 寂しくて泣きそうになっていた青子に赤い花を出して笑いかけた快斗 時計台の前じゃないけれど確かにあの時を思い起こさせる。 隣で笑う快斗と手渡された小さな花に交互に視線を預ける青子はようやく溜まった涙を 消し去ると、今までの涙が嘘のような可愛い笑顔を快斗に向けた。 「でも、あの頃とは違うトコもあるよ」 「へ?なんだよそれ」 「…青子のね、気持ちだよ」 父親に待たされて泣きそうになっていたあの頃とは違い、 今ではこの大事な幼なじみのことを想って泣けてしまう。 自分で勝手に膨らませた想像に怖くなって涙が出るなんて あの時の父親を想ってもきっとこんな気持ちにはならなかった。 こうしてちょっと遅くなりながらもふたりだけの記念日は無事に始まった。 公園の芝生にシートを広げて予定通りのピクニック。 バスケットに入った手作りのお弁当をつまみながら青子が泣いていた理由を聞いた快斗は 文字通り目を丸くして呆れた。 「バーカッ、何でお前っていつも馬鹿みたいに幸せ志向なのにそんなトコだけ後ろ向き考えなんだよ」 言いながら口の中にポイッと唐揚を入れる快斗に青子は少なからずムッとする。 「何よぉ〜!青子本気で心配したんだから…なのに何?その言い草!」 「るっせーなぁ…俺がオメーを待たせたままにしておくわけねーだろっ」 「え?」 「たとえ何があったとしても青子に待ちぼうけ食らわせたままにしとかねーよ。 もし事故ったとしても足引きずってでもちゃんと来るから、俺は。 …だから待ってる間に変な想像して泣くのだけは止めろよな」 「…足引きずって来られても青子困っちゃうよ」 「いーからっ、俺の知らないところで俺のことで泣かれんのだけは嫌なんだって…」 後で知った時、泣かせていた自分自身を許せなくて後悔することになるから。 「…うん、分かった。 だから快斗もあんまりしょっちゅう青子を待たせるのはやめてよね?」 「ハイハイ、努力します」 暖かい日差しが溢れる公園でふたりだけで祝うささやかな記念日は 出会ったばかりのあの頃と同じなようで少し違う、お互いを想う気持ちで一杯だった。 |