見上げた先には苔生した石段の長い階段が続いていた。
これから其れに挑もうとする者達にとって、その光景は深い絶望を突きつける究極の嫌がらせと言えよう。
新一はもう帰りたくなっていた。
「蘭。本当に行くのか。」
心底嫌そうな声を出した新一に蘭はピシャリと言い放った。
「行くわよ。もちろん。だって待ち合わせてるんだから仕様が無いでしょ。」
ただその声にやはりウンザリとしてるような響きが入っていたのは否めない。
何しろ空にはギラギラとした太陽、風がまったく無い午後一のコンディションでは、体力に自信のある者でも遠慮したいと言うのが本音だろう。
しかし、石段の上には阿笠博士が車を回して待っているのだから行くしかないのだ。
こんな事なら二人で散策しながら石段コースを行くなんて言わなきゃ良かったよ、と新一は後悔しつつ既に登り始めていた蘭の後ろに続いた。
新一と蘭は今年の春中学校に進学した。
結局二人とも地元の中学校を選択したので、クラスの中に知り合いも多く中学校生活は楽しいものだった。
ただ最近新一の周りも蘭の周りも何だか騒がしい。
見知らぬ上級生が部活をする二人を見に来たり、廊下で擦れ違う同級生が意味深な視線を投げて来たり・・
未来の名探偵はその意味が分からず戸惑うばかりだったが、蘭は何か思い当たる事があるらしく新一とは別の意味で戸惑っていた。
そう。この時期は女の子の方がえてして早熟なのだから。
階段は容赦無く続き、きちんと閉められていない蛇口から流れる水の様に少しずつだが確実に二人の体力を奪っていった。
「ごめ・・新一、少し、休もう。」
息も絶え絶えといった体で蘭が石段に座り込む。
その際に日に焼けていない白い足が目の前に見えて新一の心臓は跳ね上がった。
何だよ?そんな驚く事じゃねーのに・・・
自分の反応に疑問が浮かんだもののすぐに考えを残りの行程に切り替えた。
「痛ったーい。新一先行って良いよ。私後からゆっくり行くから。」
「痛いっておまえ腹でも痛いのか?」
「あのねー、食べ過ぎた新一じゃあるまいしそんな事ある訳無いでしょ。」
「俺だってねーよ!」
二人の会話は坂道を転がり落ちる様にどんどんエスカレートしていった。
周りにその会話を聞く人影も無く、石畳に二人の幼い高い声が跳ね返る。
「と、こんな事してる場合じゃねーな。日射病になっちまうよ。」
唐突に降り注ぐ陽射しの殺人的な威力に気が付いた新一は、片手を上げて蘭を黙らせ改まった調子で話を本筋に戻した。
「結局どこが痛いんだよ。」
蘭は急に大人しくなって小さな声で申告した。
「足。サンダルで靴擦れしちゃった。」
見ると素肌とサンダルの境目の部分が赤く擦り剥けているのが分かった。
見た事の無い新品のサンダル。これじゃあ靴擦れもするだろう。
蘭も言われる内容に察しが付いたのか身を小さくしている。
何だかその様子を見ていると可哀相になってきた新一は無言で蘭の前にしゃがみ背中を向けた。
「えっ!」
普段なら嫌みの一つや二つ飛んで来るのに、この新一の優しさは一体なんだろう。
今日は私の誕生日だったっけ?など惚けた考えまで浮かんでくる。
最初に声を上げたっきりグズグズしている蘭に業を煮やして新一は振り向いて急かした。
「早くしろよ。ここで干からびるなんてごめんだからな。」
怒ったような声につい普段の反発心がむくむくと頭を擡げて来て、蘭は言わなくて良い事をつい言ってしまう。
「私より小さい人が私を上までおぶって行こうなんて無理に決まってるでしょ!」
その言葉を聞いた新一は勝ち誇ったように笑うと立ち上がり、蘭の手を引いて同じ段に立たせた。
「見てみろ!俺の方が身長はもう高いんだよ!ま、体重はまだ蘭の方が重いだろうけどな。」
新一と目線を合わせると、確かに微妙に顔を上げなくてはならない。
知らない間に身長が抜かれてしまっていた事に心底驚いた蘭は体重云々の下りに怒りを表明する事も、強引に背中におんぶされた事に対する遠慮も表明する事が出来なかった。
蘭が新一と逢ってから今まで二人の身長の序列が入れ替わる事など一度も無かったので、其れは青天の霹靂の様に蘭には感じられた。
何だか新一が遠くなったみたいに感じて蘭は心細くなった。
其れは教室の片隅で語られる新一への思いを偶然耳にした時に感じたものと同じだった。
不意に先日言われた園子の言葉が脳裏を過ぎる。
「結構あやつルックスがいけてるから上級生のお姉様方にキャーキャー言われるんじゃないの?」
そんな事まで思い出して蘭は益々落ち込んでしまった。
石段を一歩一歩蘭をおぶって歩いている新一はというと・・
結構胸がある、かも。
何時の間にこんなに育ったんだろうこいつ。
軟らかな感触が背中に押し当てられて、新一はかなり良い気分を味わっていた。
知らぬ間に顔がにやけてしまいそうで必死に平静を装うものの、心の中では何だか妙に得した気分で新一は先程の不平不満は何処へやら、かなりご機嫌だった。
もうちょっとゆっくり歩こうかな、とかなり真剣に考えている新一だった。
遠くで阿笠博士の声。
てっぺんまでもうすぐ。
この石畳は蘭と新一にお互いを別の存在にするきっかけを与えたようだった。
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3作目の小説です。
コンセプトはCMのパクリで、台詞もそのまま使っています。
登場人物を平次と和葉にするか最後まで迷ったのですが、
大阪弁が上手く書けないだろうとこのカップルは断念しました。
なんだか可愛い新一になってしまって、
そこが自分で気に入っている話です。