ざわざわざわ・・・・・・ 絶え間なく続くざわめき。他人の事など構っていられないとばかりに行き過ぎる人々。 ここは有名デパートの一角にある休憩場所。 と言っても、ベンチが一つポツンと置いてあるだけの簡素な空間。 だが、人々の喧噪から隔離されたその場所は、疲れた者を癒すには充分で・・・・・・。 「蘭姉ちゃん。大丈夫?」 顔の色を無くしてクッタリと背もたれに身体を預けている蘭を心配気にみやる。 「ん?ごめんね、コナン君。もう少ししたら落ち着くと思うの。 そしたら帰ろう?」 「じゃあ、僕、おじさんに電話するよ。車で迎えにきて貰おうよ」 こんなに白い顔をしている蘭を電車に乗せるなんて、とてもじゃないがさせたくない。 彼女を支えられる力強い腕があればともかく・・・・・・。 「でもね、コナン君。お父さんだってたまにはゆっくりさせて上げないと・・・。」 「おじさんならいつもゆっくりしてるじゃない。」 「・・・・・・」 「それに、蘭姉ちゃんの具合が悪いのをほっといたら僕がおじさんに怒られちゃうよ。」 ああ見えて、おっちゃんはかなりの子煩悩だ。蘭の身に何かあったらそれこそあの脳天気な人だって黙ってはいない。 「それに、やっぱり無理はよくないよ。蘭姉ちゃん、とっても辛そうだもん。」 ね?と子供らしく笑顔を向けると、蘭が苦笑して俺の頭に手を伸ばす。 「コナン君ってば・・・・・・」 子供なんだか大人っぽいんだかよく分からないわね?とポンポンと俺の頭を優しく二回叩いて離れていく手。 「それじゃ、僕電話してくる。そこで待っててね?ついでにデパートの人も連れてくるから!」 言いながら走り出す。 はっきりいって蘭の様子はかなり辛そうだ。座っているのだってやっとに違いない。 早く落ち着かせてやらないと・・・・・・。 キョロキョロと見渡して店員を捜す。電話よりも先に休める場所の確保を。大きなデパートだ。保健室らしきものがある筈。 「あ!店員のお兄さ〜ん!」 やっとこさ店の制服を着た人を見つけ、声を上げて呼ぶ。 「あのね、僕と一緒にきたお姉ちゃんが具合が悪くて大変なの! 座っていても辛そうなんだよ!」 「本当かい?今どこにいるの?連れていってくれる?」 「こっちだよ!」 パタパタと走って先程の休憩場所へと店員を導く。倒れていなければいいけど・・・。 「店員さん!ここだよ!」 走って戻ると、辛そうにしながらも蘭は別れた時のままベンチに座っていた。 「大丈夫ですか?どんな感じで具合が悪いんです?」 「・・・すいません。ただ気持ち悪いだけなんです。もう少しすれば治ると思うんですが・・・・・・」 「無理はいけません。歩けますか?」 「・・・・・・」 フルフルと軽く首を振る蘭。それだけでも辛そうだ。 「そうですか・・・では、ちょっと失礼致します。」 「え?・・・!」 「保健室、ここからすぐなんですよ。なんで、このまま行かせて頂きますね。 坊や、悪いんだけど、そこの非常口のドア開けてくれるかい?」 「うん」 蘭を両手で抱き上げた店員は、蘭や自分の反応に気付いた様子もなくすぐ近くにある非常口へと進んでいく。 自分も「今は蘭を早くゆっくりさせてやりたい」一心でドアを開ける為に走る。 でも、それでも。心の中の自分が叫ぶ。 『どうして俺じゃないんだ!』 どても虚しい叫びが心の中で静かに響き渡っていた・・・・・・。 結局、蘭の具合が良くなる事はなく、俺からの電話で慌ててやってきたおっちゃんの車にのってその日は家に帰った。 蘭が具合が悪かった原因は風邪。夏独特の疲れなどが溜まったんだろう、というのがデパート専属の保険医の見立てだった。 そして蘭が寝込む事2日。 高熱が下がらず、とても辛そうな息を繰り返す蘭の枕元で俺はずっと蘭を看病していた。 3日目。 やっと熱が下がった為、今まで蘭の部屋で寝ていたのだが、布団を今まで通り、おっちゃんの部屋へと戻して明かりを落とした。 そんな夜の事。 ガタン! 蘭の部屋から何か物が落ちた様な音がした。 『何だ?』 それほど大きな音ではなかったとはいえ、気になる。 だて眼鏡ではあるが、すっかり定着した愛用の眼鏡を手にして蘭の部屋へと行く。 「蘭姉ちゃん、入るよ?」 万が一寝ていては申し訳ないと、小声で断ってからドアを開ける。 「蘭姉ちゃん?」 「・・・コナン君。ごめん、起こしちゃった?」 ドアを開けて中を覗くと、机の電気だけが灯っている薄暗い部屋で、カーディガンを肩に掛けた姿で机に座っている蘭が苦笑ぎみに微笑んで振りった。 逆光で良くは分からないが、瞳に濡れた様な輝きがあるのは気のせいか? 「・・・駄目だよ、蘭姉ちゃん。熱が下がったばかりなんだから、ちゃんと寝てなくちゃ」 「ん。分かってるんだけど、どうしても、ね・・・・・・」 「?・・・・・・何か見ていたの?」 少し寂しげな微笑みで机へと視線を戻した蘭に、俺はドアをそっと閉めてから近づいていき、机の上を覗き込む。 そこには、ほんのつかの間の夢の証拠が置いてある。 「これ、演劇の時の写真だよね?」 騎士の格好をした17才の工藤新一と、姫役のドレスを着た蘭が映っている写真。 「そうだよ。久しぶりに会えた新一との唯一の写真・・・・・・」 愛しそうに、けれど寂しそうに見つめる蘭。 「蘭姉ちゃん、寂しいの?」 自分で言って「はっ!」とした。言うつもり等なかったのに! 「・・・そうね。寂しいわ。まさか、こんなに会えない日々が来るとは思ってなかったから。」 小さくクスリッと笑う蘭の視線は写真にのせたまま。 「以前は・・・・・・新一が当たり前の様に隣りにいた時は、写真なんて全然必要なかった。手を伸ばせばすぐ掴める場所に新一はいたんだもの。 でも今は・・・・・・。 こんな事なら、ちゃんと自分の気持ちを伝えて置けばよかった・・・・・・!」 ポタッ・・・ポタッ・・・・・・ 蛍光灯の光を反射して輝く雫が、蘭の頬を伝って机を濡らす。 「気持ちを伝えていれば、こんなに不安にはならなかったかもしれない。 私、このまま新一を待っていてもいいんだろうか・・・・・・」 止めどなく流れる涙を拭う事をせぬまま、蘭はそっと目を閉じる。 『蘭・・・・・・!』 悔しくて悔しくて、心のなで歯ぎしりをしてやるせなさを誤魔化す。 蘭の瞳から溢れる涙を拭ってやりたい。だが、蘭が望むのはコナンの手ではなく、新一の手なんだ。 同じであって、同じではない・・・・・・。 どうして俺はこんなに小さな姿になってしまったんだろうか? 蘭を支えられるだけの力と腕、そして慰める術を自分は持っていた筈なのに何故?! 今、その全てを取り戻す事ができたなら!! 「あの日・・・怖くて聞けなかった言葉。花火に奪われた言葉を聞く勇気が欲しい」 どうする事もできなくて、手を握りしめてうつむいていた自分に届いた言葉。 花火に奪われた言葉?・・・・・・あの日の事だろうか。 中3の夏。とっておきの場所で言い損ねた告白の言葉。 あのとき、蘭はわざとはぐらかしたのか? 俺にも、蘭にも、あの時は二人共に勇気が足りなかったのか・・・・・・。 ふっ、と肩の力が抜けた。そして、今の自分がすべき事を知る。 「コナン君?」 背伸びをして、そっと濡れる頬に口づける。 「勇気の出るおまじないだよ。大丈夫。蘭姉ちゃんは新一兄ちゃんを信じて待っていていいんだよ。 だって、新一兄ちゃんは蘭姉ちゃんの隣りが一番だって言ってたもん。」 「・・・・・・」 「だからさ、いつでも僕が勇気が出るおまじないしてあげるから、今度新一兄ちゃんが戻ってきた時、蘭姉ちゃんらしく想いを伝えるといいよ。 きっと、大丈夫だから。」 ニッコリと微笑んで蘭と視線を合わせる。 大丈夫だよ、と伝える様に。 「・・・・・・有り難う、コナン君」 暫く見つめ合った後、漸く小さな微笑みが戻ってくる。 「風邪で気弱になっていたみたい。でも、コナン君のおまじないで少し勇気が出たわ。 そうよね、待って待って、そして戻ってきたら新一に責任をとって貰いましょう!」 「そうだよ。散々待たせて!って怒ってあげなよ。」 「うん。そうする。 さて、コナン君から元気をもらったところで、もう一眠りしましょう。きっともう、悲しい悪夢もみないでしょうから・・・・・・。」 「そう?じゃあ、僕も戻るね。お休みなさい、蘭姉ちゃん」 「お休みなさい、コナン君」 笑顔で手を振る蘭に笑顔を返してドアを閉める。 泣かせたくないのに、この姿でいる限り、蘭が新一の事を想って涙を流す日が幾度となくやってくる。蘭にはいつも笑っていて欲しいのに・・・・・・。 涙を流させる自分と、その涙を拭えない自分にやるせなさがこみ上げる。 どんなに想っても、この姿でいる限り彼女を幸せにする事は叶わない。 蘭を幸せにできる自分になる為に「早く自分に戻らなくっちゃな・・・・・・」ポソリと呟く。 今すぐには無理だけど、絶対に元に戻ってみせる。 だからそれまでは・・・・・・ 「良い夢を・・・・・・」 蘭へと思いを込めて呟き、そっと蘭の部屋のドア前から離れる。 |