ミステリーヒーローの憂鬱
「本当に私なんかが入っちゃって大丈夫なのかなぁ?」
俺の隣で未だ不安げに表情を曇らせているのは幼馴染の毛利蘭だ。
小さい頃から気が付けば傍に居た奴で、結局この年になるまで離れた事は一度としてない。
あの黒の組織絡みの大事件の最中でさえ、だ。
これには振り返ってみて自分でも吃驚する。
そんなに俺はこいつから離れられないのかと、自問自答したくなる。
・・・ま。
離れられないんだけど。
「新一、私やっぱり・・・」
「オメーらしくない態度だなぁ。普段のミーハーっぷりはどうしたんだよ。」
「・・・ミーハーなのは認めるけど、さすがにこんな席に連れてこられると私みたいな一般庶民はそりゃ躊躇するわよ。」
「俺だって一般庶民だよ。」
少しでも蘭の不安が取り除けるならと叩いた軽口は、本人の睨みによって掻き消された。
「新一が一般庶民だったら私なんかどうなるのよ。いい加減自分の立場を理解したら?」
「母さんと父さんはそりゃこっち側の人間かもしれねーけど。俺は少なくともオメーと同じ側の人間。」
「どうかしら?」
普段の蘭が戻ってきたみたいだ。
この隙にと、足が鈍りがちな蘭の手を取って、俺はごてごてと飾り立てられた正面玄関を蘭を連れて潜った。
不審人物が入り込まないようにと正面左右に二人配備されている警備員は俺の顔を知っているのか、それとも事前に主催者から連絡を受けていたのか、俺達二人を呼び止めることはなかった。
今日はとある有名歌手の芸能活動20周年の記念パーティ。
各界から大物がわんさと集まって来る為、警備は並のモノじゃない。
なんで俺達二人がこんなパーティに出席するのか?
――― それは俺がこのパーティの主催者から依頼を受けているからに他ならない。
「新一、慣れてるわね。凄い、立派。」
感嘆してます、というのを隠さない蘭のくすぐったい賛辞に、俺は多少照れてそっぽを向いた。
顔見知りの映画監督と挨拶を交わしただけだというのに、蘭は自分が出来ないと言うだけの理由で俺を褒める。
俺の場合小さい頃から母さんに連れられてこういう席に多少は慣れてるし、父さんが社交辞令くらいちゃんと出来なければ駄目だとスパルタで叩き込んだからだ。
蘭を連れて目立たないように会場をぐるりと一周した。
一見華やかで何事も起こりそうに無い型通りの記念パーティだ。
でも主催者は脅迫状を受け取ってからこっち、不安で不安でしょうがないらしい。
警備を倍に増やして、顔見知りの刑事に相談して、俺みたいな探偵を雇い入れても未だ不安だという顔をする。
俺は正直、脅迫状はただの脅しで今日は何も起こらないと踏んでいる。
そう推理する材料は色々あるんだが、それらを並べて理路整然と主催者に説明しても、彼は結局精神安定剤と睡眠薬を手放せない日々を送ってきたらしい。
心配性もここまで来ると大変だと俺は同情している。
蘭は俺の横で美味しそうに料理をぱくついている。
事前に事件が起こる確率は低く、今日は本当に念の為に出席するだけと言ってあるので、随分とリラックスしてパーティを楽しむ気らしい。
折角連れてきたんだから、楽しんでくれた方が俺も嬉しかった。
なんせ、ドタキャンしたデート3回分の埋め合わせだ。
「ちょっと!新一!見て見て!」
ぐいっと容赦ない力で袖口を引っ張られた。
俺はぐらりと横に体が倒れ掛け、慌てて体勢を立て直した。
無意識の蘭は恐ろしい怪力を発揮する。
「あの大きな男の人の影!ほらほら!」
「あぁ?格闘家の室町の後ろか?」
興奮して今にもぴょんぴょん飛び跳ねそうな蘭の様子からしてアイドルか、と俺はソレらしき人物を探す。
その人物は暫くして、大きな男の影からするりと抜け出して全身をこちらの視線に晒した。
「・・・モデル?」
「うんそう!最近はミュージカルで人気なのよ!佐藤巧って言うの!」
横を見ると、蘭はふっくらとした頬を紅潮させて大きな黒い瞳をうるっとうるませていた。
・・・面白くない。
「園子に自慢しちゃおう!佐藤巧を見たよって!」
「んなに人気あるのかよ?」
「やだ新一、知らないの?!」
「知らねーよ。」
俺の不機嫌さに気付かない蘭は、のんきに「新一でも知らない事あるのね〜」などと的外れな発言をした。
蘭と妃弁護士の血の繋がりを確信するのはこんな時だ。
あまりにも男心を理解出来てない。
おっちゃんと語り明かす話題があるとすれば、筆頭はこの親子の『鈍さ』なんじゃないかと俺は常々思っている。
・・・おっちゃんと酒を片手に語り明かすなんて、今はまったく考えられない事だが。
「ちょ!新一!やだ!嘘!」
「何が『嘘』で何が『嫌』なんだよ。日本語喋れよ、蘭。」
「こっち・・・!来る!」
蘭の空手で鍛えた指先が俺の左腕をぎゅぅっと抓り上げた。
悲鳴を上げたいのをぐっと堪えてそちらを向くと、何故か件の佐藤巧が俺達の方に歩いて来るのが見えた。
微笑みは百万ドルの微笑か?
近くでまじまじと見ると、確かに綺麗で格好良い男だと認めざるを得ない。
「工藤新一さん、ですね?」
「はい。佐藤巧さん、とおっしゃいましたよね。」
話し掛けられて無視する訳にはいかないだろうと、つい先程までは名も知らなかった男に営業用の仮面を被る。
自分の名前が出た事に、佐藤はほっとしたのか目元を緩ませる。
きりっとした表情が崩れて、作り物めいた雰囲気が一掃された。
随分と甘いマスクは女性を何人泣かせたんだろと邪推するには十分だ。
蘭は俺の横で先程から真っ赤になって固まっている。
・・・すげぇ面白くねー!!
「活躍はかねがねお聞きしてます。俺の兄貴が実は前に工藤さんが解決した事件の関係者でして、良く話を聞かされたものですよ。」
「そうですか。お兄さんが僕の名前を好意的に伝えて下さっているという事は、僕が少しはその事件でお役に立てたという事ですね。光栄です。」
「少しだなんてご謙遜を。」
モデルとしての活躍も俳優としての活躍も、俺は直接見た事は無い。
でも、この目の前の男の力量は空気を通してびんびん伝わってきた。
なるほど、これがオーラっていう奴らしい。
嫌な予感がして、ふと横を見ると、蘭は既にもうそのオーラに当てられてか、ぽぅっとした表情で佐藤に見惚れていた。
「兄貴に工藤さんに直接お会いしたって自慢しないと。何か良いお土産話でもして頂けたら嬉しいんですが、どうですか?最近の解決した事件のお話とか聞かせて下さい。」
「探偵というのは元々地味な職業でして。お話出来るような面白いお話はあまり無いんですよ。それより僕の方こそクラスメートに貴方にお会いした事を自慢出来そうです。」
多少のやっかみを込めて、俺は随分と自虐的なネタを振ってしまった。
蘭は未だ夢見る乙女モードらしい。
「俺なんか自慢出来るような芸能人じゃないですよ。」
爽やかな笑顔で百点満点の回答。
これで好意を抱かない女は多分居ない。
・・・多分、この佐藤という人物が悪い訳じゃない。
理性が総力を挙げて俺の本能を言い聞かせようと躍起になっているのを感じた。
でも。
声のトーンが低くなるのは不可抗力だ。
「今旬の芸能人じゃないですか。」
知りもしないのに良く言うよ、俺。
「俺の連れも貴方のファンみたいですし。」
軽く視線を投げて笑うと、佐藤は蘭を一瞬見てにっこりと笑った。
体温計みたいに不機嫌レベルを計る不機嫌計というものがあるのなら、それはきっと今メモリを振り切っているに違いない。
「ありがとうございます。こんな綺麗な女性にファンだと言ってもらえるなんて、お世辞でも嬉しいですよ。」
「お世辞じゃないです!佐藤さんの舞台、なかなかチケット取れなくて、私DVDでしか見た事ないんです。それくらい人気があるんですよ!」
「チケット、ですか。良かったら今度工藤さんと二人で見に来てください。お送りしますよ。」
「え、そんな!悪いですから・・・!」
一回は断るというのが美徳と考えられている日本人らしい受け答えをする蘭。
でも視線はしっかり俺に是非チケットを受け取って欲しいと懇願してる。
長い付き合いだから、それくらい目を見れば分かる。
・・・分かりたくなかったよ。
「今度やる舞台はあの有名な三国光希の脚本で、老若男女が楽しめる内容だと思うんですよ。俺も是非工藤さんに見て貰いたいから遠慮しないで下さい。どうですか?受け取ってもらえますか?
」
左右から視線が注がれる。
断れる状況じゃない。
「・・・頂いてしまって宜しいんですか?」
「勿論!それで良かったら楽屋に遊びに来て下さい。共演する役者の中にも工藤さんの話を聞きたがってるのが居ますし。」
「・・・ご迷惑じゃなければ遊びに行かせて貰います。」
蘭がぱぁっと顔を輝かせた。
俺は全然嬉しくねーけど、オメーが喜ぶなら・・・しょうがねーよな。
割り切れない感情をゴミ箱に投げ捨てた。
想像の中だけど、力一杯憂さを晴らすように。
その後ちょっと話をして、俺達は佐藤と別れた。
蘭はもうこのパーティで遣り残した事は無いとばかりに満足した表情を浮かべて、俺に何度も先程のお礼を言った。
そんなに嬉しいのか、蘭。
納得いかない。
面白くない。
顔にまったく出さない程俺は大人じゃない。
俺の剣呑な表情に圧されて、いつの間にか周りには誰も居なくなっていた。
蘭は未だ余韻に浸っているのか俺の状態にまったく気付いていなかった。
・・・こん畜生!
最後に。
脅迫状はやはり悪戯目的だったらしく、パーティは無事終わった事を付記しておく。
444,444Hits tomotomo様 ありがとうございました!
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