小悪魔の逃亡
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いっつも振り回されてばっかり。そんな悔しい気持ちを、片時も忘れた事は無いの。女は執念深いんだからね!
何時も約束を破られてばかり。謝られるとつい許してしまうけど、悲しい気持ちが薄れる事は絶対に無いし、忘れるなんて出来ない。
笑って許して上げられたのも、昨日まで。
私達は怒っています。もう甘い顔はしない事にしました。
今日の約束? 何の事だったかな。覚えて無いので、二人で、二人だけで、素敵なデートをしてきます。
貴方達の知らない所で面白い経験をして、貴方達の知らない人と羽目を外して楽しんできます。
だから、探さないでね。
その文面は二人を吃驚させるには充分で、呆然と穴が空く程その手紙に見入ってしまっていた。
筆跡は恐らく蘭のモノ。でも、その『私達』という代名詞に含まれる人物は、間違いなく新一の隣でアホ面を晒している快斗の幼馴染兼恋人の青子だ。
たっぷりとした沈黙の後で、せーので二人タイミングを合わせたように盛大な溜息を零した。空気は完全にお通夜だ。
「……だって? どうする?」
困り切って隣の人物に取り敢えずの判断を押し付けようと画策する大怪盗を、名探偵はそうはいくかと鋭く睨み付けた。
「青子ちゃんの事、怒らせてたのか?」
「ちょっと……この前、約束破っちまった。許してくれそうな雰囲気を察知して、謝る態度が良くなかった……そういうオメーも?」
「ははは……ちょい警視庁から依頼が入っちまって。面白そうなトリックだったから、食い気味に現場行きますって叫んで、まぁ、蘭の意見を聞く前に予定を変更した」
自分の所業をこうやって他所様に晒して、改めてあまりに酷い現実を自覚した。これは怒らせて当たり前だと、二人して頭を抱えてしまう。なんてことだっ!
「折角、喜ぶと思って、俺達はあんまり乗り気になれないダブルデートを計画したのに」
「折角、二人きりじゃないのが残念で仕方無いレベルの、夜景が綺麗に見えるムードの良いレストランを予約したのに」
「……ホテルの部屋」
「……取ってあるのに」
はぁぁ〜っと、超特大の溜息。
恐らく、この直前のエスケープは最初から綿密に計画されていた事に違いなくて。それだけ、静かだが苛烈な怒りが彼女達を苛んでいた訳で。言い訳の余地は全く無くとも、やっぱり今日という日を諦めるには勿体無さ過ぎて。
二人は無言で頷くと、逃亡してしまった彼女達を探す、長く困難な旅に出た。
「青子ちゃん! 今日は思いっきり楽しもうね」
「蘭ちゃん! 前に話した可愛いランジェリーショップに連れてって?」
「良いよ。シーズンモノの可愛い下着新調しよう! ……青子ちゃん、何決死の覚悟を決めたみたいな顔してるのかな?」
「……快斗の事ぎゃふんと言わせてやるんだから!」
頬を高潮させて、声高に決意の程を語る青子が可愛くて、蘭はくすくすと笑いを零した。女の子同士、こんな話をするのは楽しい。
「青子ちゃん、どうやって黒羽君をぎゃふんって言わせるの?」
「……快斗ってば、蘭ちゃんや同じクラスの紅子ちゃんを引き合いに出して、青子の事お子様って馬鹿にするんだよ?」
「うんうん」
「青子だって、もうお子様は卒業したの。それを証明する為に、大人っぽい下着買うの!」
「……見せるの?」
「み、見せる訳無いよぉぉ!!」
瞬時に頬を染め上げて、青子が大声でわたわたと叫ぶ。道行く人が何事だとじろじろと見詰めて通り過ぎて行くのも、本人は目に入ってはいないらしい。
蘭が悪戯っぽく小首を傾げて、「でも」と続ける。
「見えない所を大人っぽくしても、黒羽君気付かないし、口先だけだと納得しないから、結局ぎゃふんとは言わないんじゃない?」
「う……」
「やっぱり見せないと。ね?」
「ええっっ!!」
蘭の大胆な発言に、青子の心臓はバクバクと鳴り出した。頬に手を当てて、意味も無く左右を見回す。助けてくれとばかりに。
しかし、唐突に気が付く。よくよく見ると、そんな大胆な事を言う蘭の頬も耳も、青子に負けない位真っ赤になっていた。
「蘭ちゃん? 赤いよ……?」
「うん。だろうね。」
困った様に頬を包み込んで、蘭はふはぁっと溜息を吐く。悩ましげな表情は可憐な色香を滲ませている。
「こんな事言うのは、他人事だからって無責任にけしかけてる訳じゃなくて、私も考えてるからなんだ」
「考えてるって……下着を見せるって事?」
まさかなぁっと半信半疑で尋ねると、驚いた事に蘭はこくりと頷いて、それを目にした青子は引っ繰り返る程吃驚した。
「別に見せるとか見せないとか、具体的な作戦を考えてるんじゃなくて……何て言うか、積極的に女を感じさせにいくっていうか……」
言い難そうに言葉を繋ぐ蘭。頬や耳が仄かに紅い。
「……新一って、そういうの、淡白なんだもん……」
「……そう、見えるね」
思わず新一の顔を思い浮かべて、青子がその事に同意する。どうも彼からは、あの年代特有のぎらぎらとした感情を感じる取る事は出来なかった。
でも……それは快斗も一緒で。
「好きだって言ってくれたのに、何もしないなんて。そういう意味の好きじゃなかったのかなって、やっぱり不安なんだもん」
もじもじと爪を弄りながら、蘭がポツリと呟く。クラスメートからの質問攻撃に、普通の彼氏彼女の関係から明らかにかけ離れている自分たちを感じ取って、蘭は泣きそうになる瞬間がある。
自分の魅力の無さが原因なのか? 考えた末に、かなり露出度の高い洋服を着て家に遊びに行った事がある。しかし、結果は×。
その日も紳士的に家まで送られて、蘭は自室に入るや否やベッドに倒れ付してしまった。惨敗として日記に刻まれてしまった。
「そう言えば……快斗も何もしない……」
不意に思い当たった様に、青子まで顔を歪ませた。あまりに自然に幼馴染みの延長で恋人をやっていたから、頭を撫でられたりスカートを捲られたりはするけど、何か思惑を持って快斗が体に触れて来る事はなかった。それを不自然に思わなかった自分がどうかしていたのだ。
「どうしよう……やっぱり青子がお子様だから?」
「そんな事無いよ! 青子ちゃんは充分女の子らしいんだから!」
「ら、蘭ちゃんだって凄く魅力的だよ! 私が男だったら絶対ほっとかないもん!」
「私も青子ちゃんみたいな彼女が欲しいよ!」
息切れする程二人は互いを慰め合った。二人で何処か検討違いの励まし合いをしながら、鉄は熱い内に打てとばかりに意気込んで、蘭がお勧めのランジェリーショップへと入っていく二人だった。
「やっぱり。黒かなぁ……」
ディスプレイされている黒の上下の下着は、あまりに大人な雰囲気で青子を尻ごみさせる。蘭は隣でうーんと唸って、ふるふると頭を振った。
「黒はあんまり青子ちゃんに似合わないと思う。肌が白いし、華奢な身体だし。それより、ふわっと明るい淡いカンジの色が良いよ」
店内をぐるっと見回して、蘭は反対側の壁に掛けてあるパステルグリーンの下着に目をつけた。脳内で青子に着せてみると、似合う気がした。
「あれは?」
「ん?」
二人で近付くと、布地の半分以上がレースで編まれた精緻なデザインで、品良く且つ可愛らしいモノだった。キャミソールやガーターベルトもセットで買えるらしい。
「ガーターベルトって大人っぽいよね」
蘭が憧れた様にそれを見上げて言う。青子もつられてそれを見上げ、ウンと頷いた。学生で身に着けている人を見た事が無かった。
青子がそう告げると、蘭はちょっと考えた後、自分の母親や、新一の母親が身に着けているのを知っていると答える。夏の暑い時期には涼しいという理由だそうだ。
「蘭ちゃん、似合いそう……」
「え? そ、そうかな」
「チャレンジしてみようよ!」
「え、じゃ、青子ちゃんも」
一人は恥ずかしいと、蘭は青子を巻き込もうとして、そういう所は蘭も未だ少女なのだと、青子は内心で一緒だと嬉しく思う。
大人顔負けの活躍を見せる二人の幼馴染兼恋人達を、誇らしく思うし、愛しく思うのだが、時折自分達の手の届かない酷く遠い所に居るような気分になって寂しさを覚えてしまう。
でも、青子と蘭は、同じ位置に居る。同じ様な事で悩み、立ち止まり、同志だから、互いの言葉がちゃんと心に響く。絶対的な味方ポジションなのだ。
「青子、ガーターベルトはちょっと……括れと膨らみが足りないし」
自分で言って、自分でダメージを受けた青子は、しょんぼりと肩を落とした。蘭は嘘を吐くような慰めの言葉は口にしない。だから、違う方向で彼女を持ち上げた。
「じゃ、ベビードールは? あそこに飾られているの、とっても可愛いと思う」
「あ、可愛い」
リボンではなく花モチーフで胸の真ん中を飾り、そこから斜めに流れるフリルはたっぷりだ。シルクサテンの光沢はベッドサイドの仄かな明かりで煌めくだろう。
青子が憧れるような目線を向けた事に蘭はちゃんと気付いている。ニコニコと笑って、色はどれにする?と、可愛らしく首を傾げたのだった。
「に、似合う……すっごく似合う、蘭ちゃん可愛いのに格好良くて、モデルさんみたいだよ〜。青子、女だけどドキドキが激しいよ!」
「え、ありがと……」
褒め言葉のオンパレードに、蘭は身を捩って照れた。友人といえども試着室で下着姿を見せるのは恥ずかしいのに、青子だからとカーテンを開けたのだ。青子のおねだりに負けた、とも言える。
「絶対、それにするべきだと思う! 新一君になったつもりで眺めたら、青子、身体が熱くなってきちゃった」
「青子ちゃん、その発言、問題だと思うよ」
蘭が苦笑いを浮かべて窘めるのだが、青子のテンションは鰻登りだ。余程気に入ってくれたのだと思う事にする。
蘭自身も鏡に映った姿を見て、自分に似合うと未だ買ってもないのに満足してしまったのだ。ガーターベルドが自分を少しだけ背伸びさせてくれると、信じたい。
「次は青子ちゃんの番!」
「う〜……お、女は度胸!」
蘭が購入を決めて着替えている間に、青子は隣の試着室に入ってベビードールを着る。ブラをしないで着るタイプも有るが、ブラを着けた上に着るタイプをチョイスしたので、蘭に見せるというハードルも少し下がる。
ごそごそと着替えていると、蘭が隣から出てくる気配がして、カーテン越しに声が掛かった。
「青子ちゃん、着れた?」
「うん……ちゃんと着れてるか、不安だけど」
「見てあげる!」
声が弾んでいるのがとても良く分かる。考えてみれば、二人でこうして出掛ける事も多くなっていたが、今日また深い仲になる為の扉を一つ開いた気持ちだ。何でも相談出来て、喜怒哀楽を共感して貰える友人の貴重さを噛み締める。
「青子、蘭ちゃんと友達になれて良かった」
そう言いながら、試着室のカーテンをそろりと開けた。
「どうかな?」
「似合う〜。ロイヤルブルーが白い肌にとっても映える! 黒のドットも遊び心有るし。回ってみて?」
自分の見立てはいまいち信じられなくとも、蘭の言葉は信じられると、『似合う』の一言に心底安心した青子は、望まれた通りくるりと回って見せた。蘭がうんうんと力強く頷いている。
「買おう! これは買いだよ、青子ちゃん! これ見たら、黒羽君ぎゃふんって言うよ、平伏してお願いしてくるよ、絶対!」
「……蘭ちゃん、青子、快斗に見せる勇気は無いからね。見せないからね」
「折角だから、見せようよ。それで、大人宣言しよ?」
「蘭ちゃんは見せたら良いと思う。新一君、蘭ちゃんを女神様って崇め奉ると思う。絶対敗北宣言出ると思う」
「真面目な顔して言う事じゃないよ〜。ね、青子ちゃん、じゃあ写真撮ろう。それで見せよう」
「いやいや、蘭ちゃんこそ写真撮ろう。新一君に見せる見せないじゃなくて、青子がお守り代わりに眺めるから」
会話が可笑しな方向に転がり落ちようとしている事に、二人は天然が故に気付いていない。不誠実な恋人から逃げて、女同士で楽しんで、恋人には自分達を探し回らせる事で溜飲を下げようとしているのに、結果的にその恋人達が狂喜乱舞するような事を自らしでかそうとしている。
この事を知った後に、俺達の恋人がこんなにも可愛い、世界一可愛い、と身悶える男二人が床に転がった話は、また今度。
End
2016/10/10 UP
新蘭プチオンリー『新蘭LOVERS2』ペーパー用小話
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