月曜日の憂鬱






「おーい。アホ子?オメー元気ねーよな」
ひょいと覗き込んだ顔があんまりにも青かったので、快斗は眉を顰めて真剣な表情を作った。
元気が無いという話ではなく、どうやら本格的に具合が悪いようだ。
朝は快斗が遅刻ぎりぎりで教室に飛び込んだ為会話を交わしてないし、2時限目は選択科目だった為同じ教室で授業を受けてさえいない。
青子の声を聞いて顔を見ないとイマイチ調子が出ないと3時限前の休み時間に席に来て見て、漸く気付いた青子の異変だった。
空いていた青子の前の席に後ろ向きに跨ぐように座ると、青子と同じ目線になる。
「具合悪そうだな。無理して学校来んなよ」
「だって今日テストあるでしょ」
「……音楽のテストだろ?別に受けなくちゃ死んじまう訳でもあるめーし」
そう言いながらも青子の性格上テストを欠席なんてはなから頭に無いんだろうという事も分かる快斗は内心溜息を吐いた。
音楽のテストは三人一組で受ける合唱で、自分一人が欠けると他の二人に迷惑が掛かると思っているのだろう。
クラスでも人気者の青子は出席番号順で決められたテスト仲間とも楽しくやっていて、再テストくらい快く引き受けてくれると分かっているのに、と快斗はもどかしく思う。
「もうちょっとしたら多分良くなってくるから」
「どういう根拠だよ」
「お薬飲んだ」
机にぺたりと突っ伏して、青子はくぐもった声を出す。
ふわふわの髪の毛が揺れたので、思わず快斗は子供にするみたいに目の前の頭をゆっくりと撫でてしまった。
「んー。気持ち良い」
「……保健室で寝てくれば」
「んー。それほどでもない」
「嘘付け」
青子の肩がぴくりと反応し、嘘のなかなか吐けない幼馴染に快斗は苦笑いをするしかなかった。
長い付き合いなどなくても、青子の嘘を見抜くのは容易い。
「辛いんだろ?無理して授業受けても周りに心配掛けるだけだぜ」
「……うー」
抗議のつもりなのか抵抗のつもりなのか、不明瞭な唸り声を上げた青子の頭を撫で続けながら、快斗は諭すように低く穏やかな口調で言葉を紡ぐ。
「日頃の行いが良いオメーだから、センセ達も快く保健室行き認めてくれるだろーよ」
「……快斗が日頃の行い悪過ぎるんだよ」
「俺なんか、保健室の『ほ』の字を口にするだけで速攻却下されるもんなー」
「授業サボり過ぎ!」
「へーへー。耳に痛いお言葉をありがとよ。ほら、行くぞ保健室」
「ヤダ」
なかなか動き出そうとしない青子の意地っ張りに、快斗は手を引っ込めて立ち上がって考える。
二人の遣り取りを注視していたクラスメートの何人かに気付いて、青子ってやっぱ人気者、と再認識する快斗だった。
「別に肩に担いで行っても良いけど」
「ヤダ。青子荷物じゃないもん」
「お姫様抱っこの方が良いか」
「もっとヤダ。青子お姫様じゃないもん」
「……」
俺のお姫様にしてやっても良い、だなんて言ったら、こいつはどう取るんだろうか?なんて、悪戯心も芽生えない事はなかったが、相手は病人とぐっと我慢する。
他に幾つかのからかい文句も即座に思い付いたが、そんな遣り取りをしていたらあっという間に休み時間は終わってしまうだろう。
「妥協して、おぶってやるから、いい加減諦めろ」
「青子スカートなんだけど」
「パンツ見せないように、ちゃんと気を付けておぶってやっから」
「……デリカシー皆無だね。快斗」
青子の声はどんどん消え入るように小さくなって、快斗は耳をそばだてながら聞き取っていた。
促すように頭をぽんっと叩くと、観念したのか青子がのろのろと頭を上げた。
血の気を失った顔に苦笑が刷かれる。
「分かった。保健室行く」
「よし。んで?抱っこするか?おんぶするか?担ぐか?」
「……」
まるで詐欺師のような笑みを浮かべて選択を迫る快斗に、青子は非常に嫌そうな顔をして唇をへの字に結んだ。
両手を机に突いて難儀そうに立ち上がると、青子は下から掬い上げるように快斗を見詰めた。
「……肩を貸して下さい」
「身長差結構あると、辛いぜ」
「肩を貸して下さい!」
「怒るなよ」
親切心で言ってんのになーという快斗のぼやきを無視して、青子は快斗に手を伸ばす。
タイミングを間違えないで青子を支えると、足元が既に覚束なくなっている青子を器用にリードしながら快斗は教室を出た。



騒がしかった教室内が凪いだように静かになり、廊下を引っ切り無しに行き交っていた生徒達が教室内に吸い込まれていく。
まるでスイッチを押したみたいに切り替わった光景に、青子が申し訳無さそうに快斗を見上げた。
「ごめんね。休憩時間終わっちゃった。遅刻扱いになっちゃうかも」
「気にすんな。次の時間サボるから」
「駄目だよ!」
ぎゅっと頬を抓られて、その指の力の強さがもたらす痛みに快斗は顔を歪めた。
具合が悪くても弱っていても、青子は青子だった。
「サボっちゃ駄目だからね!絶対出てね!青子の所為で授業に遅れた事、ちゃんと後で青子が先生に言いに行くから。
分かった?」
「今更遅刻の数がマイナス1になろうがプラス1になろうが、俺の場合変わらねーと思うけどなー」
ここ1ヶ月の遅刻早退の数を指折り数えると両手でも足りない程、勤怠が悪いのだ。
青子もその事は知っていて、だから尚の事快斗の勤怠に敏感になっているのだ。
「ちゃんと改善しようって言う姿勢を見せないと。先生達もいつまでも甘い顔してくれないよ」
具合が悪いのに説教を始めそうな勢いの青子に、快斗はやれやれと溜息を吐きながら保健室のドアを片手で開けた。
開けた瞬間、二人は同時に保険医の不在を雰囲気で知る。
江古田の保険医は50代の賑やかな女性で、在室していれば何処と無く空気が賑やかになっているからだ。
「先生、居ないね」
「何もボードには書いてねーから、ちょっと出てるだけだろ。オメーは気にせずベッドに横になってろよ」
先生の許可を得るまでは遠慮してパイプ椅子に座って待ちかねない青子に先手を打って、快斗は強引に青子をカーテンの引かれたベッドの方に連れて行く。
いよいよ具合が良くないのか、青子は全身に倦怠感を滲ませて快斗にされるがままだ。
清潔なシーツと布団を捲って青子を腰掛けさせると、快斗は躊躇無く跪き青子の革靴を脱がせた。
「ちょ……快斗、別に良いよ」
「気にすんな、病人」
靴を揃えてベッドの脇に置くと、両のふくらはぎを片手で持ってベッドの上に乗せる。
まさかそんな事までされると思ってなかった青子は、不意の事に息を短くひゅっと吸い込んで目を見開いた。
「ほら、横になる」
「う……うん」
あっという間に布団を掛けられて、青子は漸く大人しくベッドに身体を横たえて休めた。
「さすってやろうか」
「は」
布団を肩口まで掛けてやりながら、快斗は真面目な顔をしてそんな事を言い、青子の目を丸くさせた。
上睫毛と下睫毛が何度も拍手をして、青子はぽかーんと唇を開けて快斗を眺める。
「だから、腰。さすってやろうかって」
「こ、こ……腰?」
「辛いだろ。冷やすと痛みが激しくなったり具合悪くなったりすんだろ?」
「な……何の事」
「オメー、月のモンだろ」
「……」
なかなか返事をしない青子に焦れたのか、快斗は勝手に布団の中に手を突っ込み、驚くべき目測で正確に青子の腰に手の平を当てた。
びくりと身体を固くした青子の腰をゆっくりとさすり始める。
快斗の手の平は青子の体温より熱くて、その熱がじんわりと冷えていた腰を暖める。
心地良い熱に、青子は拒絶の言葉を飲み込まざるを得なかった。
何で分かったんだろうと思うと同時に、快斗だから分かったのかとも思う。
幾ら気心が知れた幼馴染といえども恥ずかしさは拭えないのだが、快斗は労わるような優しい顔を見るとそんな事を言い出す方が悪い気がしてしまう。
されるがままに大人しくしていると、快斗が意外に思ったのが忍び笑いを零した。
「大人しいのな」
「……だって」
「オメーなら『えっち』とか『すけべ』位は言いそうなのに、どした?」
「……そういう雰囲気じゃないし。快斗こそ、恥ずかしくないの?」
「べっつにー?俺男だから分からねーけど、女の子には当たり前の事だろ。月1で辛いなんて、大変だろうなって思うから、してやれる事はしてやろうと思うのが普通だろ」
「普通じゃないよ」
他の男の子は知らないけど、快斗の行動は絶対普通じゃない、と青子は心の内でだけ呟いた。
その単語を出す事さえ躊躇するか、逆に面白半分で口にして茶化すかのどっちかで、快斗のように事実として淡々と受け止める人を見たのは初めてだった。
「お喋りはここまで。音楽のテストはどうせ午後だから、昼まで寝てろ」
「でも……」
「寝不足とか体の疲れの蓄積とか、周期の関係とかでも痛みが酷くなる場合ってあるんだろ。今回は大人しく寝てろって。顔色悪いのも貧血起こしてんだろーし」
腰を擦られながら、言い聞かせるような低く心地の良い声音に、青子は眠気を誘われていた。
瞼がだんだん重くなり、眠りの精が忍び寄る足音を感じる。
「昼持ってきてやっから、それまでお休み」
「……うん」
「良い子だ」
父親みたいだと考えた事を最後に、青子は意識をゆっくりと手放した。



「……最後の、なんだか年上の恋人みたいな台詞だったよなー」
青子との考え方の違いに気付かない快斗は、自分の台詞にちょっと赤面しながら青子のあどけない寝顔を嬉しそうに見詰めていた事は、誰も知らない。












End


2012/06/07 UP
快青、幼馴染が故に仲良し。でも青子ちゃんはきっとこういうの恥ずかしいと思う。

back