BEFORE [3]
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中森警部は声を出して笑った。
居た堪れなくて快斗は小さく身を縮ませて、残り少ないコップに口をつけたりしてみる。
「それはこちらが聞きたいよ。」
ひとしきり笑って気が済んだのか、中森警部が姿勢を正して快斗に向き直った。
瞳が穏やかに微笑んでいる。
「一体君はいつ青子を連れ去っていくんだい?」
「へ?」
「一度ちゃんと聞いておきたかったんだ。」
「あの・・・」
「なんだい?らしくないぞ。快斗君。そんな風に口篭もるなんて。」
「・・・敢えて言いますけど。本当に答えて欲しいんですか?俺に?」
「覚悟する時間があとどれくらい残されているのか、知りたいね。」
「・・・」
もう覚悟を決めてるんじゃないんですか?と快斗は喉元まで出掛かって、それを意志の力で押し戻した。
穏やかな瞳には娘を親元から奪い去っていく憎い男を見るような色が浮かんでいなかった。
中森警部が言う、初めて『不快な感情』を持ったというあの日から少しずつ長い時間をかけて、きっと覚悟してきたのだろう。
「・・・どんな答えを期待してるんですか?おじさん。」
途方にくれたように情けない声になってしまった。
快斗は気恥ずかしさに視線を固定出来ないで、机を見たり椅子を見たり、中森警部の髪の毛を見たり指先を見たりと、忙しない。
中森警部はのんびりと答えた。
「期待なんぞしとらんよ。君は他人にどうこうされるような意志薄弱な男じゃない。そうだろう?」
「・・・随分評価されてますね、俺。」
「当たり前だ。詰まらん男には青子をやれんよ。」
「・・・親馬鹿ですって・・・それ。」
汗ばんできた指先を握り締めて、いつまでも誤魔化せるものじゃないと深呼吸を2つ。
頬が熱いのが格好悪くて、快斗は俯きそうになる顔を全力で阻止しなければならなかった。
「・・・青子が、俺を選んでくれたら。多分、連れて行きます。」
「抽象的だな。」
「あの、おじさん?本当に・・・その。あ〜俺達まだ付き合っても無いんですけど。」
「知っているよ。青子はなんでもわしに話してくれるからな。」
「仲良いですね。相変わらず。」
「妬けるかい?」
「・・・おじさん。俺で遊んでません?」
「いけないかい?」
「・・・良いですよ。もう。」
嫌ではないのだ。
からかわれるのも、根本にあるのは息子のように可愛がってもらっている親愛の情だと分かっているから。
だったらもうアレコレ言ってもしょうがないのだ。
快斗は顎を机に突っ立てた手の平に乗せて、苦笑いをした。
「大学は、青子が希望しとるから、家から通わせたいかな。」
「へ?」
「青子の学費くらいは親として出してやりたい。これは譲れない。」
「おじさん?」
「まぁ卒業と同時に結婚式、くらいのフライングは許してあげよう。だから・・・」
「だ、だから・・・?」
「早く青子を楽にしてやってくれないか?」
快斗は目を見開いた。
中森警部はゆっくりと顔をめぐらせてことりと溜息を落とした。
節くれだった大きな指先がゆっくりと絡まる。
「青子・・・なんか苦しんでますか?」
気が付かなかった事が、苦しいというようにやっとの思いで吐き出した台詞に中森は沈黙を返した。
「あいつ・・・なんも言わねーから。」
「・・・言える訳はないかな?」
「・・・おじさん?」
真意を探るように視線を注意深く向けると、謎めいた微笑が返された。
「・・・おじさん。」
声のトーンを変えて、快斗は呟いた。
隠しているつもりの真実を知っているのかもしれない。
それは恐れを抱くと同時に快斗に安堵を与えた。
気が付いたとしてもおかしくは無い。
血を分けた肉親を抜くと、快斗の一番近くに居る親子なのである。
青子も。
中森警部も。
18歳までのカウントダウンは、同時に最終決戦までのカウントダウンでもあって。
快斗の心の中に渦巻く嵐を、感じ取っているとしたら。
完全に負けている、と思った。
「おじさん。青子には、一杯言いたい事があるんです。」
分かっているよと瞳が和む。
理解されると言う事はなんて気持ちの良い事なんだろう。
そしてそんな人たちを騙していた事の、なんと罪深い事か。
「言える時がきたら、きっと青子が耳を塞いでも無理やり聞かせちまうんだろうーな。俺。」
「男はそれくらい強引な時があっても良いんじゃないか。」
「・・・もし、青子がそれを聞いても俺を、選んでくれるんなら。」
真っ直ぐと瞳を見て一言。
力強い言葉で告げた。
「青子を、連れて行きます。」
微笑が深く唇に刻まれた。
父親で有り、一人の男である中森は、快斗の言葉をどう受け取ったのだろう。
不安は後から追い付いて来た。
「忘れないでくれ。その言葉を。約束だよ。」
「・・・」
もしかしたら、言質をとられたのかもしれないと、思い至った。
もうすぐ旅立つ快斗を、知っていたのかもしれない。
青子の貧血。
中森警部のキッド以外の強盗対策チームへの移動。
もし全部繋がっているとしたら?
「おじさん・・・」
聞いて見たかった。
でも聞く事は、認めてしまう事と同義で有るような気がして聞けなかった。
知らん振りをしてくれているなら、その方が良い。
中森警部と警部の娘は、怪盗キッドの正体を知らない方が良い。
「帰るのかね?」
無言で立ち上げり、鞄を手に取った快斗に中森が声をかけた。
快斗は悪戯っぽく笑った。
「折角学校サボるって決めたんだから、ちょっと遊びに行こうかと。」
「帰る前に青子の様子を見ていってくれるかな?」
快斗はもう一度目を見開いて、思わずまじまじと中森の顔を見てしまった。
下手なウィンクが飛んできた。
「・・・了解。」
どうなっても知らねーぞ。
快斗はにこやかな中森に心の中で呟いた。
穏やかな呼吸音に柔らかな寝顔。
中森の愛娘はすやすやと眠っていた。
童話の中の眠り姫のようだと、快斗は枕元で青子の寝顔を見詰める。
帰ってきたら言わなくちゃなんねーよな。
帰って来れる事が前提の悩みに、快斗は前向きに取り組む。
帰って来る事なんて、青子に許してもらう事に比べたらなんて簡単な事なんだろう。
もう貧血なんて起こさせないように。
最後に、その寝顔からキスを奪いとってやろうかなんて考えたが、逡巡した後止めた。
楽しみは後に取って置いた方が良い。
ドアを閉める音に気が付いて青子が起きてしまわないように細心の注意を払って、快斗はそっと青子の部屋を抜け出した。
次にこのドアを潜る時には、自分の足元に伸びる白い影は追い払った後だと心に決めて。
階段を降りるリズミカルな足音が小さくなって、退出の挨拶の言葉に続いて玄関のドアの開閉の音。
そして表の門扉の錠の締まる音が完全に聞こえた段階で青子はようやく瞳を開けた。
心臓がどきどき言っている。
青子は細い息を吐き出して、それを静めようとした。
快斗は気が付かなかっただろう。
最後の瞬間に青子が快斗の顔を盗み見ていた事に。
真剣な表情だけど、硬くは無くて。
余裕を覗わせる豊かな色彩を瞳に映し込んで。
ああ、根っからのエンターティナーなんだと、おかしくなった。
これから一人で大変な目に合うのに。
観客の居ないステージでも、手を抜く事はきっとなかったのだろう。
あの白き怪盗は。
帰ってきたら。
青子も言いたい事を言おうと、心に決める。
手だって出してしまおう。
涙だって一杯零してやる。
せいぜい慌てて、困って、青子のご機嫌を取るべく奔走して。
振り回された分、振り回してやるんだから。
帰って来る事は疑っていない。
そこまであの長年一緒に歩いてきた幼馴染を見くびっていない。
父親譲りの才気ある青年に、不可能なんて絶対無いのだから。
小さい頃からそのマジックの腕に心酔してきた自分だから断言出来る。
きっと帰ってくる。
幕が開く。
魔術師の最大にして最高のショーが、始まる。
観客は居なくとも。
それはきっと、誰かを幸福にする魔法に変わるだろう。
2008/02/03 UP
End
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