BEFORE [1]
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なんだか久し振りに見る。
快斗の真剣な横顔。
叔父様譲りの知的な額と涼しやかな口元。
悪戯っ子っぽい瞳に煌く淡い光の粒。
快斗は生まれながらのエンターティナーだなぁと、ぼんやりと思った。
「アホ子〜。何ぼさっと口開けてんだ?オメー虫入るぞ。」
皮肉な口調で青子の頭をぽんっと叩くと、反撃を避ける為に素早く前
を走る快斗。
青子は動力の切れ掛かっている人形みたいな動きで快斗を見遣り、特に何の感慨も浮かばなかったのか、そのまま視線を前方に戻した。
前髪がそよそよと揺れる青子の横顔はなんだか青白い。
快斗は動きを止めて、青子の様子を窺うようにじっと見詰めた。
呆れたような溜息一つで再び青子の元に戻ってくる。
「オメーなぁ。また貧血?」
「大丈夫だもん。」
「どこら辺が?」
「・・・ほら。ちゃんと立ってるじゃない!」
両足を心持広げて危なげなく立って見せる青子と、ますます呆れた表情を深くした快斗。
二人の横を興味深々な江古田高校の生徒が抜き去っていく。
まだ登校時刻に余裕が有る所為か、人影はまばらだ。
「立ってるなんて基本中の基本だろうがっ!そんな事自慢出来んのは赤ん坊くらいだろう〜がっ!」
「な?!良いじゃない!」
「良くねーよ。まったく、やっとの思いで立ってるどっかの誰かさんの体調なんて悪いに決まってんだろが。おら。家に帰れよ。」
「嫌よ。」
「何意地張ってんの?・・・おじさんか?」
「・・・」
答えないのが答え。
快斗は事情が分かるだけに強く言えずに渋面で腕を組んだ。
中森警部は現在怪盗キッドの専任で有るにもかかわらず、他の窃盗事件にも協力を請われて出動していたりする。
ここ数日怪盗キッドが大人しい事から、何やら主にヨーロッパを基点に強盗や時に殺人も犯す犯罪グループの日本での活動を水際で阻止する為に、徹夜作業で家を空けていると聞いた。
最初に叩いてしまえば、強盗団が日本に入ってくることはないし、他の犯罪組織への牽制にも繋がると、意欲的な中森警部の声を、盗聴したのはつい先日。
だから、だろう。
青子は心配かけまいと無理をするのは。
健気だとか。
さすが警察官の娘だとか。
快斗は言いたくなかった。
そんな事を言ってしまったらますます青子が逃げ場を失ってしまうかもしれないと危惧するからだ。
自分だけは彼女にとって本音を零せる相手になりたかった。
『特別』を欲っするロマンチスト。
快斗は自分をそう分析している。
危なっかしい幼馴染兼片思い相手を持つと
大変だとしみじみ思う。
「おじさんだってなぁ。おめーに無理させてまで仕事をやりたいと思ってる訳じゃねーんだよ。それどころか、オメーにそこまで我慢させちまってるんだって自分を責めると思うぞ?」
「そんな事・・・だ、第一青子全然平気だもん!」
「うっそつけ〜?」
不意を打って青子の右肩を軽く押すと、簡単にぐらりと彼女の細い肢体は傾いだ。
体調が多少悪い、というレベルではない。
快斗は盛大な溜息を吐いた。
「あ?!」
空気が抜けたような小さな悲鳴に、慌てず騒がず伸ばされた力強い腕。
大して青子の腕と変わりなさそうなのに、何故こんなにも何でも出来る万能の腕なんだろうと、青子は悔しくなった。
バランスを崩した青子の体は腕一本で再び安定感を取り戻した。
快斗が半眼で青子の睨み付ける。
「体調万全の人間はこれくらいでよろめいたりしねーんだよ。分かったか。」
「・・・」
唇をかみ締めて俯く青子の顔色は先ほどよりも酷くなっているような気がして、快斗は早々に学校に定刻に行くのを諦めた。
元々学校になど行く必要もないほどの優秀な頭だ。
少しくらいの遅刻は度肝を抜くようなレポート一つで目こぼしされるだろう。
太陽光線はじりじりと肌を焼く熾烈さ。
早い所、この意地っ張りを家に引きずり込まないと。
貧血に加えて日射病なんて洒落にもならない。
「きゃっ??!!」
手っ取り早い方法をとった快斗に、青子は小さな悲鳴を零した。
宙に浮く体。
眩暈の所為ではない、視界の揺れ。
「ちょっとっ!やだ!離して!」
「はいはい。良い子にしててね。青子ちゃん。ただでさえ重いんだから、暴れると確実に落としちゃうぜ。」
「だから下ろしてってば!!」
暴れこそしないものの、じっとしているのは不可能とばかりに身をしきりに捩る青子に快斗は少し困る。
時々当たる体の部位がどこもかしこも柔らかくて、やっぱり自分とは全然違う生物なんだと思い知るからだ。
互角に喧嘩していても、自分より弱くて脆くて、でもしなやかでひたむきで、触れ合ったらどんな化学反応が起きるんだろうと興味深い彼女。
心が望むままに触れるのは怖くて、何より彼女の反応が怖くて、やっぱり今のままで良いやと思ってしまう自分は随分臆病なんだろうと思う。
好奇の目に晒されながら、なんとか中森家の玄関まで辿り着く。
ここまで来てしまうと、青子はもう観念しているのか静かなものだった。
「快斗・・・お父さん家に居るから。だから、下ろして。」
「はいはい。俺もまだ命が惜しいからな。」
幼馴染としてはきっと信頼されている。
でも愛娘の異性の友人としては、どうだろう。
やはり面白い気はしないだろう。
いつか必ず愛娘が他の男のモノになると知っていても、その日がなるべく遠ければ良いと思うのはどこの親も同じなのだから。
中森警部は娘をとても大事にしている。
だから、娘を悲しませる男の存在を良しとしないし、快斗はそんな男になりたくはないし、何より義理の父親予定の警部に嫌われたくはないのだ。
軽い体をふわりと下ろすと、青子はほっと安堵の表情を見せた。
「ありがと。快斗。もう学校行って?」
腕時計が指す時間を気にしながら、青子が快斗の背中を押した。
しかし快斗の体はびくともしないし、一向に快斗のつま先は学校の方向へ向こうとはしない。
「快斗?」
「久し振りだしおじさんに挨拶してから行くわ。俺。」
「・・・」
長い付き合いだ。
青子の性格などお見通し。
多分自分の体調のことを極力誤魔化して父親に報告するであろう青子の先手を打って、快斗はそう宣言するとさっさと玄関の扉を開け上がり込もうとする。
この家の住人より先に靴を脱ぎ、大きな声で「お邪魔しま〜す。」と挨拶をすると、吃驚顔の中森警部が今から顔を出した。
「快斗君じゃないか。それに青子?どうした。忘れ物か?」
新聞紙を片手にくつろいだ様子の中森警部だが、眼の下の隈は疲労を色濃く映し出していた。
似たもの親子だと、快斗は青子の顔と中森警部の顔を交互に見ながら頭を抱える。
「お父さん・・・あのね。」
言い辛そうな青子に快斗が隣に並んで助け舟を出す。
「おじさん。青子貧血みたいだから、連れて帰って来ました。今日は家で休んだ方が良いと思いませんか?」
「青子。貧血って・・・」
長くて大きな溜息を一つ零して、中森警部は自嘲気味に唇を吊り上げた。
「父親失格だな。全然気が付かなかった。スマンな。青子。」
「お父さんに謝って欲しくない!お父さんの方が今大変なのに、青子が体調管理ちゃんと出来なくて、迷惑掛けちゃって・・・」
「青子は良くやってくれてるよ。いつも済まないと思ってるんだ。ああ、本当だ。顔色が悪い。」
さらりと青子の前髪を手の平で掬って額を出すと、警部は娘の体温を自分の指先で測った。
「熱は無いかな?」
「ん。へーき。」
青子の背中を柔らかく大きな手の平で押しながら中森警部は立ち上がり、青子の部屋へと一緒に向かう。
途中振り返りながら、快斗に声を掛けた。
「スマンがちょっと待っていてくれるかな?快斗君。」
「はい。おじさん。」
最後にちらりと盗み見た青子は、父親が傍に居る安心感からか、ぐったりと力を抜いて寄り掛かっていた。
2008/01/21 UP
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