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紺碧のジョリー・ロジャー感想小説『ヒーロー!』
散らかし放題の探偵事務所に業を煮やした蘭がコナンを引き連れて夜の掃除を始めたのは、夕食後、8時を回ってからの事だった。
小五郎は仕事だと行って昼から出て行って返って来ていない。
純真な蘭も、さすがにここ連日の小五郎の帰宅時に酒の匂いをさせている事から、仕事のプラスアルファの部分を疑っていた。
「きっと依頼人が美人なんだわ!」
ぷりぷりと怒る蘭をちらりと確認して、コナンは心中それは無さそうだな〜と推理する。
依頼人には直接会っていないのだが、依頼内容は小五郎がだらしなく机の上に置き去りにしていた報告書を盗み見たので知っているコナンだった。
「蘭ねーちゃん。そこは止めておいたら?もう遅いよ。」
分厚いパイプファイルが乱雑に突っ込まれた棚の上の分厚い埃の層に気が付いてしまった蘭が、本格的に棚の掃除を始めようとしたのを見て取ったコナンが慌てて止めに入る。
明日も早くから朝練がある蘭にあまり負担を掛けてはいけないという配慮だ。
「背も届かない高い所だから、小五郎おじさんにやってもらうのが良いんじゃない?」
無邪気を装って提案したコナンに、蘭は暫し考え込んでやがて頷いた。
「そうね。言っても無駄かもしれないけど、明日お父さんにやってもらおっか。」
「『言っても無駄かもしれないけど』って所に蘭ねーちゃんの苦労が出てるよね。」
「・・・私、この年にしては本当口煩いよね。嫌だなぁ。」
はふっと溜息を吐く蘭が、あんまりにも可愛く見えて、コナンはぽかんと口を開いた。
尖った唇と膨らませた頬が、美人という印象を与える整った顔を幼く見せている。
斜め下から眺めている所為か、長い睫毛がくるんと柔らかなカーブを描いて上を向いている所まではっきりと見て取れて、コナンは口を手の平で押さえて慌てて下を向いた。
赤い顔の理由を問い詰められたら、本音を零してしまいそうだった。
「・・・ねぇ、コナン君?」
「はひっ!」
「・・・どしたの?」
引っ繰り返った返事に、蘭がおかしそうに笑いを堪えながら尋ねる。
「何でも無い、よ。」
「ふぅん?」
「・・・蘭ねーちゃんこそ。掃除の間中、何か考え事してたよね?」
「・・・分かった?」
「うん。真剣な顔してたから。」
「コナン君って鋭いよね。」
囁くような声音は、夜の静寂には良く似合っていた。
自然とコナンの手を取って柔らかな力で繋ぐと、蘭は事務所を出て鍵を掛けた。
小さな手の平で蘭の細い指先をきゅっと握ると、コナンは考えながらゆっくりと話し始めた。
「この前の、頼親島の事件の事?」
「大当たり。」
「・・・教えて?」
その言葉を押し出すのに、コナンは長い間躊躇していた。
辛い思いをした事件を蒸し返すのが、蘭にとって得策なのか。
思い出させる事によって、蘭が苦しむんじゃないか?
そんな考えはいつもコナンの脳裏をちらちらと過って、彼を密かに苦しめた。
でも今回の事件では二人で一緒に居ない時間が長くて、彼女達が犯人達とどんな遣り取りをしたのかも良く分かってなくて、もどかしくてしょうがないのも事実だった。
知りたい、という気持ちは探偵の性なのか。
「あんまり面白い話じゃないよ?」
「それでも知りたいって言っちゃ、駄目?」
「そんな事ないよ。んー。そうだなぁ。」
カツン、カツンと二人が並んで階段を昇る足音が響き渡る。
硬質な音は壁やら天井やらに跳ね返って、タップダンスでも踊り出しそうだと蘭は余計な事を思いついて微笑む。
コナンの声は普段より大分低くて、随分と心地良く響き、蘭の考えを纏める事に一役買っていた。
「あの事件の時、園子がね、私に言ってくれた事があってね。」
「どんな事?」
「『背中を任せられる』って、言ってくれたんだ。敵に囲まれて、味方は互いだけで、そんな状況で戦わなくちゃならない時に、背中を任せられるのは蘭だよって言ってくれたの。」
「園子ねーちゃんは、蘭ねーちゃんの事、凄く信頼してるんだね。」
「うん。嬉しかった。」
会話の中で、蘭の複雑な微笑の理由が分かった気がして、コナンは口篭った。
蘭にも任せられるのか、蘭にだけ任せられるのか?
園子の真意を推し量りかねて、コナンは思わず眉間に皺を寄せてしまった。
「・・・あのさ。園子ねーちゃん、重要な人物を忘れてるような気がするんだけど。」
「・・・コナン君もそう思う?」
「・・・」
京極さん、可哀想だな。
思わず憐憫の眼差しで爪先を見詰める。
少なくともコナンが知る人間の中では最強の部類に入る男なのに、何故園子の考えの中に登場しなかったんだろうかと。
「私もその時は気付かなかったんだけど、後から考えるとなんであの時京極さんの話しが出て来なかったのか、気になっちゃってね。」
「・・・園子ねーちゃん、案外抜けてる所あるから、忘れてただけ、とか?」
コナンの発言に蘭は無言で見詰め返した。
親友である園子が褒められた訳ではないのに反論しないのは、思い当たる節があるからだろう。
二人は毛利邸の玄関を潜り、リビングへと足を進める。
蒸し暑い空気が篭り、なんだか息苦しいような気分になる。
無言で扇風機のスイッチを入れる蘭と、キッチンへ冷えた麦茶を取りに行くコナン。
向かい合って麦茶を一口飲むのに、言葉が要らない程に二人はここでは家族だ。
「なぁんかね、ちょっと考えちゃう。園子と京極さんの事とか、それから・・・」
「新一にーちゃんの事とか?」
「うん。」
窓の外を眺める蘭の眼差しの奥を覗き込めば、在りし日の自分の姿を見付ける事が出来るに違いないと、コナンは悲しげな表情を隠した。
もし、新一と蘭が、敵に囲まれてしまったら・・・
自分は蘭に背中を預けて目の前の敵だけを倒し続ける事が出来るのだろうか?
答えは始めから其処に在って、コナンは小さく自嘲した。
「コナン君?」
「・・・新一にーちゃんはきっと、蘭ねーちゃんに背中を預けないよ。」
「・・・うん。」
「誤解しないで。」
切なげに細められた瞳がそっぽを向いたのを、やっぱりという思いでコナンは見詰めて、きっぱりと言葉を紡いだ。
拒絶を許さない、強い気持ちを込めて届けた言葉は、蘭の視線を再びコナンへと舞い戻らせた。
「だって。オトコだから。」
「え?」
「大事な人に戦わせようなんて最初から考えないよ。大事だから、守りたいって思うものでしょ?」
蘭の大きな瞳が見開かれる。
コナンは片手で頬杖を突くと、何がおかしいのかくすりと笑う。
大人びた微笑だった。
「背中合わせに戦って欲しいんじゃなくて。背中に隠れてて欲しいって思うんだよ。男だから。守らせてくれたら、きっと頑張っちゃうんだ。それで戦い終わって振り向いたら、満面の笑顔で『ありがとう』って言って欲しいんだよ。」
「・・・駄目だよ。」
最後まで黙って聞いていた蘭は、暫く考えた後首を左右に振って困った様に呟く。
コナンは眼鏡の奥で瞳を瞬かせた。
「うん。蘭ねーちゃんはそう言うと思った。でもそこはオトコの我侭って事で、許して欲しいなぁって。」
「コナン君?それ誰の入れ知恵?」
「・・・」
調子に乗り過ぎた、と青くなっても後の祭り。
コナンの発言に疑問を持った蘭は、軽く睨み付ける様にコナンの表情を窺っていて、下手な言い訳をしたら泥沼に嵌まりそうだった。
たらりと冷や汗をかいて、コナンは視線を泳がせる。
あからさまな怪しい態度に自分で気が付いていない。
「・・・えっと?」
「それ、新一が言ってたの?」
「う、うん。」
「コナン君、今回の事件の話、新一にしたの?」
「うん!だって、ほら、新一にーちゃん、そういうの知りたがりだから!」
「でも、園子の背中を預けられるって話はしてないでしょ?」
「・・・う、うん。」
「・・・コナン君?新一の話って本当?」
「・・・嘘です。」
今回ばかりは完敗だと、コナンは両肩を落として項垂れた。
調子に乗って自分の考えを垂れ流したのだから、自分が悪い事など分かり切ってはいるし、後で山程反省点も挙げられるだろうが、今重要なのはどうやって蘭の疑惑の目を逸らすかという事だった。
コチコチと時計の秒針が時を刻む音まではっきりと聞き取る事が出来て、そんな恐ろしい静寂がこの部屋を支配しているのかと思うと背筋も凍りそうだ。
「コナン君。」
「はい・・・あ。」
「何?」
急に頭を上げて何かに気付いたように目を見開いたコナンに、蘭は少し表情を和らげて身を乗り出した。
至近距離で見詰められても、コナンは動じる様子を見せず、気が付いた何かに心を奪われている様だった。
言葉を失ったままのコナンに焦れて、蘭が手を伸ばしてコナンの頬を突っついた。
「コナン君ってば!」
「あ、ごめんなさい。さっきの園子ねーちゃんの話なんだけど。」
「園子の話?」
「うん。京極のおにーさんの名前が挙がらなかった事。それって、もしかしたら、園子ねーちゃんの中で京極のおにーさんは誰よりも強くて、助けなんて必要ないって思ってるからじゃないかな?」
「あ・・・それはあるかも。」
「園子ねーちゃんって、京極のおにーさんの事、信じてるよね。」
「うん。京極さんの強さを園子が疑った事はないかもしれない。京極さんに自分が想われてる事を疑う事はあっても、ね。」
蘭の言葉が案外的を射ていたので、二人は視線を絡ませると耐え切れなくなってくすくすと笑い声を零した。
「園子ねーちゃんにとって、京極のおにーさんはきっと、絶対無敵のヒーローなんだよ。」
「そうね。私も京極さん以上に強い人って今は思い付かないわ。」
「・・・」
それはそれでちょっと複雑だったコナンは、それでも余計な事は言わずに居た。
何故ならこの話の流れで行くならば、上手く蘭の追及を逃れられそうだったからだ。
結局、二人で京極の強さについて話し合って、それから園子と京極の関係について話し合って、眠くなった二人はそのまま就寝の挨拶を交わして別れた。
「なんだかんだで、あいつら二人の友情って強固だよなー。」
独り布団の中でコナンは暗闇に光を見付けるように目を凝らしながら呟く。
勝ち負けじゃないと分かってはいても、悔しい気持ちが消せなくて、頬を手の平で強く擦った。
嫉妬、なのかもしれない。
ちょっと格好悪い、と思う。
その考えを振り払うように頭を強く左右に振ると、最後にコナンははぁっと長い溜息を吐き出した。
「俺は、蘭に背中を預けられる、かな。戦ってなんか欲しくねーけど。」
切実な願いを込めた言葉達は、ゆっくりと夜の闇に溶けて消えた。
end
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