君は囁く










万歳をして、指の先よりも高い窓。

そんなものはなかなか一般の家庭の家では見掛けられない。

私は真っ白な卸したての雑巾で窓を磨きながら透明なガラス一枚隔てた外の世界を見ていた。

手は規則的に動かされ、無意識下でも窓はどんどん綺麗になっていく。

右側の窓が終ったら左側へ一歩移動。

上から下まで、ちゃんとクリーナーを使って磨き、隅から隅までぴかぴかにするのは嫌いじゃなかった。

「蘭。」

半身を真横に倒す様にしてドアから姿を見せたのは眠そうな新一。

この素敵な家の主の一人息子で、現在ただ一人の住人。

大きな口を空けて欠伸を零すと、目の端を拳で擦る。

叩き起こした所為か、未だ半覚醒という雰囲気だった。

「一応掃除機掛け終わったぜ。」

「一応って何よ。ちゃんと縦に掛けた後横に掛けたの?」

「面倒だったからやってねー。」

悪びれた様子も見せずに言い付けを守らなかった事を報告した新一に、私は半ば予測していた証拠とばかりに即座に濡れた雑巾を新一に投げ付けた。

片手でソレをキャッチして、新一は雑巾にキスするという不名誉な事件を回避する。

相変わらずずば抜けた運動神経だ。

「蘭・・・雑巾投げ付けるなよ。」

「私が笑って許すと思ってたの?新一は?」

「いや、口だけじゃなく手も出るんじゃねーかとは思ってた。」

笑って肩を竦めた新一は、私の前まで歩いて来ると雑巾を再び私に差し出した。

無言で受け取って窓拭きを再開すると、新一が「次は?」と聞いてきた。

感心な事に未だ掃除を手伝う気があるみたい。

「そうね。最近乾燥してるから、庭木に水をやっておいた方が良いんじゃないかしら?お願い出来る?」

「了解。それ終わったら、一休みしようぜ。」

「ん、珈琲淹れましょ。」

新一は嬉しそうに目を細めると、軽く私の頬を指先で撫でた後、部屋から出て行った。

窓掃除は、残す所後二枚。

その二枚は作り付けの腰の高さの飾り棚の上方に位置しており、今まで掃除していた高く広い窓に比べると随分とこじんまりとして見えた。

でも、外の明るさをたっぷりと内に取り込むという役目をきちんと果たしていた。

窓の汚れを引き受けて薄黒く染まった雑巾を手で丁寧に洗い、私は本日最後の仕事に取り掛かる。

きゅっ、きゅっ、と何だか面白い音が鳴る。

窓の外はガラスを一枚挟んでいる所為か、太陽の光が気侭に踊っている様にとてもきらきらと輝いて見えた。

そう言えば・・・

昨日は、新一が今日は久し振りにオフになるって言ったから、天気になれって授業中に暇さえあれば祈っていたっけ。

天気予報では雨になる確率は50%で、確率2分の1っていうのは、なかなかスリリングだった。

晴れたら新一を連れ出して、ゆっくりと散歩をして新しく大通り沿いに出来たカフェに立寄って、新一が好きそうな映画を見ようって考えてたのに。

朝迎えに来たら、新一は未だベッドの中で夢の中で、起こしてみたものの凄く眠そうだったから。

もういいや、って理想のプランをゴミ箱に投げ捨てたのよね。

「あ〜あ。」

声を出した溜息で、がっかりという気分を演出してみた。

・・・あんまりにもわざとらしい声が出てしまったので、一人でおかしくなって笑いが込み上げていた。

デートが駄目になって彼氏の家を掃除している彼女って、他人から見たらやっぱり可哀想なのかしら?

でも、疲れて眠り足りない彼氏を家事にこき使う彼女って事で同情を引くどころか、何て酷い女なんだって非難されるかも。

掃除をしようって言い出した私を、着替え終ってリビングに降りて来て珈琲を飲み終わった新一は随分吃驚した顔で見た。

何か言いたそうな顔で私を暫く見てたけど何も言わなかった。

きっと、新一が言いたかった事はこんな事だろうと思う。

「今日は久し振りに出掛けるチャンスなのに、良いのか?」

でも、私が目覚まし三つも使ったのに起きれなかった新一が疲れている事を知って、出掛けるのを遠慮したのを、新一はちゃんと知っているのだ。

だから、聞かなかった。

それからきっと、「サンキュ。」って言いたかったんだと思う。

彼氏彼女なのにデートらしい事もなかなか出来なくてごめん、それなのに俺の身体を気遣ってくれてありがとな、って言おうとして、照れ臭くなって言えなかったのだ。

私はちゃんと知ってる。

言葉にしなくて通じるっていう所が、年季の入った夫婦みたいで、ちょっと嬉しい。

でもそれは内緒。

調子に乗るから。

窓は曇り一点も無いくらい綺麗に磨き上がった。

気持ちも晴れ晴れする。

さぁ、珈琲を淹れよう。



出掛けられなくても、二人で一緒に居る事が出来るならば幸せですと、誰かが囁くから。

今日は家でのんびりしようね。



end











2007/02/23 UP

END



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