バレンタインの不思議






「・・・あぁ?何だって?」

耳は悪く無い筈なのに、名探偵は僕の言葉を拾い損ねたのか首を傾げた。

さらりと秀でた額を滑った長めの前髪。

これが世間の奥様方を悩殺するノーブルな仕種の一つかと、思わず興味津々で観察したらそれを察した名探偵に渋い顔をされた。

意識してる訳じゃない。

こんな風に前に言い訳しているのを聞いた事があるけれど、正直嘘と本当はフィフティー・フィフティーだと僕は踏んでる。

「もう一度言ってくれないか?」

「大した事じゃないんだけど。名探偵は一杯チョコレート貰うでしょ?」

「・・・まぁ、貰うな。」

また渋い顔をしてる。

名探偵は甘いモノは苦手じゃないけど、多分好きでもないから。

あの大量のチョコレートの始末に毎年困ってるんだ。

去年も家から溢れんばかりに積まれたチョコレートを前に唸り声を上げてた。

結局あれらのチョコレートが何処に消えたのか僕は知らないけど、そつの無いこの人の事だから上手い事やったんだろう。

誰も悲しませる事なく、まるで魔法みたいに。

「でも、食べるチョコレート、一つだよね。」

「・・・今の所は。」

「『今の所は』って気になる言い方だよね。過去には沢山食べてたって事?それとも未来に二つ以上のチョコレート食べる予定があるの?」

「過去には、まぁ食べたのは一つじゃなかったな。未来は、まぁ、二つになる事もあるな。」

思い出に暫し浸る名探偵は顎に長い指を添えて斜め上を見上げている。

でも僕は知っている。

その方向にあるのは掃除は行き届いているけど年季が入った木目が美しい天井だけで、別に思い出が貼ってある訳じゃない。

「過去の話も未来の話も気になるけど。それはまぁ置いておいて。」

茶目っ気を出した僕のパントマイムは名探偵のお気に召したらしい。

僕の両手が机の脇の方に追い遣った『過去』と『未来』の話が詰まった形の無い箱を、名探偵はわざわざ掴んで机の中央、つまり僕らの間にでんと戻した。

悔しいけど、箱がある振りは名探偵の方が上手かった。

「だから、これは今は邪魔!」

面倒だったので、正拳突きでその箱、つまりは何も無い空間を、僕は思いっ切り良く粉砕した。

名探偵は軽く両肩を竦めるポーズ。

「今はチョコレート一つしか食べてない名探偵に質問だけど。名探偵は不安じゃないの?」

「何が?」

「自分が唯一食べたいと思うチョコレートを、どうして絶対貰えるって思えるの?」

「『どうして?』か。今は専売特許だな。」

名探偵の指先は柔らかく僕の額を突付き、前のめりになって机の上に這い上がりそうになっていた僕の身体を後方のソファーへと押し戻した。

柔らかく笑う名探偵は、僕と同じようにソファーの背に全身を預けリラックスした。

片足をひょいと組む。

僕には真似の出来ない芸当だった。

「絶対貰えるモンは、絶対貰えるんだよ。不安に思ってたのは遠い昔さ。」

「遠い昔ってどのくらい?」

「高校生くらいの時。あん時はドキドキしてたもんだよ。」

「貰えなかった事ってあるの?」

「・・・無いな。」

「いつぐらいからドキドキしなくなった?」

僕の質問に名探偵はきょとんとした。

そしてにやり、と笑った。

「ドキドキは毎年してる。」

「え?だって名探偵、不安に思ってたのは高校生くらいの時ってさっき言ってたじゃないか。今は不安じゃないんでしょ?絶対貰えるって確信してるんでしょ?おかしいじゃないか。」

「質問攻めだなぁ。今日は。」

「早く答えて!」

「口、達者だなぁ。誰に似たんだか。」

「パパだよ。」

あっさりと答えると、名探偵は破顔した。

テレビ画面の向こう側に居る時には絶対見せてくれない全開の笑顔で、僕はこの笑顔が大好きだったりする。

「不安でドキドキしてたのは遠い昔。今は期待でドキドキしてる。」

「・・・今もドキドキする?世間一般的には『トキメキ』って夫婦になるとなくなっちゃうんでしょ?」

「その質問の答えは要らないんじゃないか?自分で答え言ってるじゃねーか。」

「・・・世間一般には自分達は当て嵌まらないって事?」

「そういう事。未だドキドキするし、ちゃぁんとトキメキもあるさ。」

この台詞は、僕に向けられたモノじゃなかった。

だって名探偵は僕の背後を見て、僕に見せるのとは明らかに種類が違う笑顔を唇に乗せて格好良さ2倍くらいの低い声で囁くように言ったから、すぐに分かった。

僕の背後で立ち竦んだ人物を振り返ると、チョコレートケーキを手に持ったまま、耳まで真っ赤になっていた。

唇がわなわなと震えている。

「よっ!蘭!愛してるぜ!」

「何言ってるのよ!馬鹿!!」

ママの声は恥ずかしさから大きくて、僕は両手で鼓膜をガードしなくちゃならなかった。





















「んで?オメーは?」

「は?」

ママが作ってくれたチョコレートケーキは僕と名探偵の大好物で、二人仲良く大きく切り分けて貰ったそれに齧り付いてる。

名探偵は食べ方が汚い。

僕に取っての反面教師だ。

「だから、オメーのは?」

右手に掴んだフォークに大きな欠片を突き刺しながら、左手の手の平を上に向けて名探偵は僕に差し出す。

僕はきょとんと目を瞬かせる。

「さっきの未来の話。今は一つしか食ってねーけど、将来は二つになるかもしれないって言っただろ?それは今年じゃねーのかと思って。」

「・・・パパ。浮気は駄目だよ。」

「おいおいおい。用意してんじゃねーの?」

「誰が何を?」

「オメーが、お父さんにチョコレートを。」

「・・・用意、してないよ。」

2人の間に横たわったのは沈黙。

バックミュージックはママの楽しそうな笑い声だった。





end





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おまけ



二人でこっそりと深い眠りに落ちた愛娘の部屋に忍び込んで、その穏やかな寝顔に見入る。

どちらかと言うと蘭に似た娘は、元気が良くて頭が良くて、新一は平次に親馬鹿街道一直線とからかわれようとも、「うちの娘が一番可愛い!」と主張する事を止めない。

蘭は傍らで苦笑を零すけど、内心では絶対に新一の意見に拍手を送っているに違いないと、新一は思っている。

すやすやと眠る娘は、寝ていればこんなにおしとやかで愛らしくて少女らしいのに、口を開くとまるで少年のようだった。

自分の事を「僕」と呼び、好奇心旺盛で人見知りする事無く疑問があればすぐに「それは何?」「どうして?」などと大人を質問攻めにする。

蘭はそんな娘を見て「中身は本当に新一にそっくり!」と笑うのだ。

「なぁ蘭・・・」

「なぁに?」

起こしてしまわないように、ひそひそと顔を寄せて囁き合うと、互いの吐息が頬を擽って何だかじっとしていられない気分になってしまう。

新一はごそりと身動ぎして、無駄に拳を握りしめた。

「今日、バレンタインだったろ。」

「そうね。新一バレンタインのチョコレート貰えなかったね。」

「普通父親にチョコレートやろうって思うよなぁ。」

「思うわね。私も最初にあげたチョコレートはお父さん宛てだったわよ。」

「俺より、先?」

「お父さんと新一・・・まぁ同じ時期ね。」

照れたのか蘭は少し早口で白状した。

記憶では確か自分が初めてチョコレートを蘭から貰ったのは幼稚園の頃だった。

小さなピンク色のセロファンの包み。

中には小さなハート型のホワイトチョコレートが沢山入っていて、幼い自分は甘いモノがそこそこ好きだったから母親と父親に自慢げに見せた後一気に食べてしまったと、思い出しておかしくなる。

あの時、とても嬉しかったのだ。

自分が蘭に好かれている事が誰の目にも明らかに証明されたから。

「んで・・・こいつは未だ誰かにチョコレートをあげる程成長してねー訳だな。」

「さて、そうかしら?パパにはあげなくても他の誰かには上げたって思わないの?」

「え?!」

おかしそうに笑う蘭に、一気に血の気が下がった。

自分よりも先にこの愛しい娘のチョコレートを貰う男?!

それはまったく想像の範囲外だった。

「おいっ!蘭!それ本当なのか?」

「何が?」

「何がって!こいつが俺よりも先に誰かにチョコレートをあげたって話だよ!」

「私そんな事言った?」

惚ける蘭に新一は自分の機嫌がすぅっと下降線を辿るのを感じた。

どうせ母親は娘の味方に決まっているのだ。

特に恋する娘とは絶対的な信頼関係を築き、父親を排除するなど当たり前。

見事な演技力で娘とその恋人の逢瀬をサポートまでしてしまう。

いやいやいや・・・!未だ早いだろ!そんな事は!

想像は一足飛びに背広を来た男が両膝を突いて「お父さん、娘さんを僕に下さい」などと頭を下げる場面まで行ってしまう。

新一は自分の脳みそが湯立つんじゃないかと思った。



「新一?新一!」

「あぁ!!」

「声、大きいわよ。」

「・・・それで?本当の所はどうなんだ?」

「さぁ、どうかしら?心配なら明日自分でこの子に聞いてみたら?」

くすりと余裕の笑顔を浮かべられると腹が立つ。

しかし蘭はどうやら口を割りそうに無いと、名探偵の勘が言っていて、新一ははぁっと溜息を吐くと天を仰ぐのだった。





end





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だが、ここではいそうですかと引き下がるのはやはり悔しい。

新一は精一杯悪役らしい笑顔を浮かべ、目を眇めた。

「明日じゃ遅い。今日オメーから聞く事にする。」

「へ?」

問答無用とばかりに蘭を抱き上げると、新一はすたすたと寝室を目指して一直線。

蘭が娘の事を気にして抗議を手控える事を計算に入れた見事な作戦だった。















その夜、新一は無事真実を手に入れた。

それは娘は結局そういうイベントに未だ興味が無く、父親にもその他の男にもチョコレートを用意する事はなかったという事実を。

満足げに眠る新一の横では、下手にからかうんじゃなかったと後悔する蘭の姿があった。









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