七夕にお願い 〜after〜






「「「おっはようございま〜すっ!」」」

「・・・おう。」

玄関先で固まった新一と、彼を見上げる少年探偵団3人組。

稀代の名探偵は髪はぼさぼさ跳ね捲りで、パジャマは上の二つと下の二つのボタンが外れてなんだかだらしない。

眠そうな瞼は今にも再びくっ付きそうで、声もなんだか掠れて聞き取り辛かった。

対して探偵団3人組は朝から100%エンジンが掛かっている所為か、元気一杯でしゃきっとしている。

余りに対照的な一人と3人だった。



「んで?何だよ。」

ふわぁっと欠伸をした新一の、歯並びまでばっちり観察した3人は顔を見合わせてからたくらみ顔で笑う。

何考えてんだ?と頭を捻った新一に必要以上に大きな声が飛んできた。

「今日はここで七夕やるの!」

「俺たちねーちゃんに呼ばれたんだぜ!」

「それで蘭さんはいらっしゃってるのですか?」

3人3様の言葉を順に飲み込んで、新一はがりがりと首の後ろを掻いた。

昨日一緒に学校から帰って来た蘭との会話を思い返してみても、そんな内容の発言は無かったように思える。

言い損ねたのか、サプライズか・・・?



「後者、だな。」

「え?『校舎』じゃないよ!ここで七夕やるんだよ!新一おにーさんっ!」

独り言を取り違えて歩美が背伸びしながら間違いを正してくる。

「七夕か。今日は7月7日だったのか。」

3人組の間を抜けて玄関から数歩外に出ると、梅雨明けも未だなのに照り付けるような元気な太陽が青空に陣取っている。

こりゃ暑くなりそうだと、目の上に手の平で庇を作って遠くの入道雲を確認した。



「今夜は晴れそうだな。」

「そうすっと『オリヅメ』と『ヒボシ』が食えるんだな!」

「・・・オメー、変わってねーよな。」

新一がコナンであった時、学校では常に行動を共にしていた元太がまったく変わっていない事に呆れと懐かしさを感じて、新一は目を細める。

彼らはコナンを忘れないまま、新一を受け入れた。

真実を知る日が来るかもしれねーけど、このままでも良い気がすんのは俺だけなのか?

心中呟き、新一は3人を振り返る。

「取り敢えず、中に入れよ。」

玄関の扉を大きく開け放って今も一人で暮らす大きな豪邸に、小さくて賑やかな客人を新一は招き入れた。



「うわぁ・・・大きいテレビ!」

「凄いですね〜。ソファーがふかふかです。」

「なぁなぁこれ食って良いか?」

リビングに通された途端、リードを離された子犬のように3方に散っていった3人に父親のような眼差しを送り、新一はキッチンへと足を運んだ。

自分は起き抜けで、パジャマのままだが、先に何か出しておいてやった方が喜ぶだろうと考えたからだ。

特に食いしん坊の元太には何か先に与えておかなければ、勝手に家捜しして食べ物を調達してきてしまいそうだ。

「酒とかごろごろしてるからな〜。」

そんなものでも飲まれた日には大変な騒動になるだろう。

想像するだけでも笑えてしょうがない新一は、腹筋に力を込めながら手早く彼らにミルクを用意した。

自分用に珈琲メーカーをセットすると、棚を漁って3人が好みそうなクッキーを見つけ出す。

色々なものが詰まれた棚は、蘭が整理整頓してくれているお陰で目的のものが見付り易かった。

自分がやってもこうはならないと蘭の仕事振りを感心しながら、器用にグラス3つとクッキーを一遍に持ちリビングへと戻った。

小さな姿は未だソファーには戻っておらず、好奇心旺盛な少年探偵団に苦笑を零す。



「おい、オメーら。ここに置いとくからな。」

「おっ!クッキーじゃん。美味そ〜。」

食べ物関係には目敏い元太が一番にソファーに戻って来る。

新一は寄って来た毬栗頭を乱暴に撫でると、「俺着替えてくるからな。」と言い残し2階へ行く為リビングを出た。

ぺたぺたと裸足のまま廊下を歩き、一旦玄関へと出る。

人が見ていないという無意識の気軽さから、パジャマの中に手を突っ込んで肩をばきばき鳴らしながら階段を2段程昇った時だった。

呼び鈴が新一を呼び止めた。

適度な感覚を置いて2回。

首だけを巡らせて気配を探るように動きを止めた新一の表情に嬉しそうな色が広がる。

シックスセンス、とでも呼べば良いのか。

自分のこの特殊な能力はお気に入りだった。

相手を確認する事無く、そのまま勢いをつけて扉を全開にすると、まるで新一のその行動が最初から分かっていたように蘭が扉の開く方向に邪魔にならない場所に立っていた。

明るい色の袖なしニットは身体にフィットする形でフードが付いている。

ピンストライプの入った生成りのボックススカート、それから伸びるすらりとした素足に華奢なミュール。

上から下まで一通りチェックして、新一は蘭と視線を合わせて笑った。



「おはよう。蘭。」

「・・・未だパジャマだなんて。だらしないっ!」

新一の脇を擦り抜けざま蘭は軽く脇に拳を入れる。

身を捩って攻撃を避けながら新一が「昨日遅かったんだよ。」と定番の言い訳を口にした。

「ど〜せ本読んでたんでしょ?」

蘭がお行儀良くミュールを脱いで玄関先に靴を揃えるのを何となく見守りながら、新一も突っ掛けを脱いで玄関に上がる。

「夜に目暮警部から電話あってさ。そのまま3時間も話し込んじまった。」

「え?じゃ事件の依頼?」

「そ〜なるのか?アレ?」

「ごめん。」

素直に謝りの言葉を口にする蘭に、新一の眼差しが砂糖1杯分甘くなる。

可愛いなぁとでれっと笑み崩れないように気を付けながら、新一はリビングを指差した。

「来てるぜ、あいつら。」

「ふふ。吃驚したでしょ?」

くりんっと瞳を瞬かせて、悪戯っぽく覗き込む蘭は無邪気に笑っている。

新一は蘭の首の横に流れる黒髪に指を絡ませて梳きながら答える。

「宅配かと思って起き抜けで出て行ったらあいつらなんだもんな。そりゃ驚く。」

「この格好で出て行ったの?きっと凄くだらしの無い人だと思われたよ〜。」

楽しげな蘭の様子に、自分の失態も蘭が喜ぶのなら良いかと妙な納得方法で新一は忘れる事にする。

「ともかく、俺着替えて来っからあいつらの相手してやってくれ。」

「は〜い。」

蘭と別れ、今度こそ新一は誰に邪魔される事無く2階へと階段を昇って行った。







ラフな格好に着替えて、思い出したように顔を洗うと、新一はリビングへと戻った。

甲高い子供の声と笑い声が溢れている。

なんだか家族みたいだと考えながらドアを潜った。

日が大分高くなった所為か、光がばら撒かれたみたいに明るくて暑いリビング。

エアコンのリモコンを手に取って冷房を入れると、送風口から心地よい温度の風が流れて来て新一の髪をふわりと揺らした。

「あ、着替えてきた。」

4人で額を突き合わせながら何かをやっていた蘭が面を上げる。

手に持っていたのは緑色の折り紙に鋏。

見れば机の上にはカラフルな折り紙が広げられ、既に出来上がっていた七夕の飾りが脇に乗っていた。

「笹はどーすんだよ。うちにはねーぞ。」

蘭の隣のスペースが空いている事を確認して、迷った様子も無くその場所に腰を下ろす。

丸みを帯びた蘭の腰に新一の固く引き締まった腕が触れると、恥ずかしそうにぱっと身体が離されてしまった。

残念そうに腕を見る新一の横で、光彦がご心配なく、と疑問に答える。

「笹は手配済みです。もうすぐ到着するんじゃないですかね?」

「そうじゃねーか。灰原今日は6時起きだって行ってたからな〜。そろそろ腹減って帰ってくるんじゃねーかな〜。」

「・・・なるほど。笹は阿笠博士と灰原担当か。」

「庭に飾っても良いでしょ?」

例えノーと答えても、おねだり攻撃で絶対イエスと言われるくせに・・・と軽く睨むと、殊更にっこりと微笑み返された。

どーせこの顔に弱いよ、俺は・・・

自分の知らぬ間に全ての段取りが決まっていて口も挟ませてもらえない事に拗ねる事も許してもらえないと知った新一が、潔く頷く。

それを待っていたのか、周りで少年探偵団の3人がやったぁと両手を突き上げて歓声を挙げた。

別に邪魔になる訳でも無し、こいつらが喜ぶなら良いかとソファーに深く凭れ込むと、膝の上に仄かな温もりが乗る。

顔を向けると、蘭の指先だった。

「ありがと。」

シフォンケーキみたいに甘くて柔らかな微笑を向けられる。

食べたいと、条件反射みたいに思ってしまうのは、きっと男として正常な筈だと新一はもごもごと言い訳じみた考えでその欲求を打ち消した。

さすがに人目がある所で、新一も行動を起こそうとはしない。



「ん?そういえば、新一?ご飯は?」

隣に座っている為、蘭は少し前屈みになりながら新一の顔を覗き込んだ。

数値的には同年代の平均を上回っているに違いない豊かで柔らかなバストが彼女自身の膝で押し潰さそうだ。

視界に入ったそんな光景にドキドキしながら、新一はキッチンを意味も無く振り返った。

「食べるの・・・忘れそうだった。」

「何やってるのよ。」

蘭の口調は呆れ返っていて、そのまま説教モードに突入しそうな雰囲気を伴っていた。

彼女が心配してくれているのはいつもの事で、毎度同じ事を言い含められているのに、行動の改善が見受けられない自分に、新一自身も少々呆れてしまった。

何かあっただろうかと、考えながら立ち上がると、何故か蘭も同時に立ち上がっていた。

「良いわよ、私が用意するから新一は座ってて。」

新一が口を開く前に、蘭はそれだけ行ってキッチンへと足を向けた。

なんとなくそのまま座る気にもなれなかった新一が、そのまま蘭を追う事も出来ずにその場に突っ立って蘭の背中を眺める。

さらさらと揺れる髪の束は、こんなに暑いのに随分と涼しげで、まるで一陣の風に揺れる風鈴みてーだと考える。

あまりに強い視線だったのか、キッチンに身体を半分隠しながら、蘭が振り返った。

「だって新一に用意させたら、絶対パン一枚とか牛乳だけとか、手抜きするでしょ?今からそんなんじゃ夏を乗り切れないわよ!」

怒ったような口調に、新一だけでなく少年探偵団の面々も顔を綻ばせる。

内容と口調が合っていないのだ。

紅味を増した頬と、微妙に真っ直ぐにこちらを見ない目線が、全てを物語っていて。

直ぐにキッチンへと隠れてしまった蘭に聞こえないように4人で忍び笑いを漏らして、歩美が代表するように口を開いた。

「蘭おねーさん、素直に新一おにーさんが心配だよって言えば良いのに。」

「それが出来ないのが乙女心という奴ですよ。」

幾ら年齢の割りに博識な光彦とて、『乙女心』というものを理解している訳ではなく、知ったかぶりが見え隠れする台詞に、元太が影で鋭く突っ込みを入れる。

程なくしてキッチンのシンクに水を流す音が聞こえ、歩美が青い折り紙に手を伸ばしたのを切っ掛けに元太と光彦も七夕の飾りを作りだす。

特に手伝えとも言われた覚えが無かったのだが、この場所に蘭の代わりに残っている以上、手伝うのは義務のような気がして、新一も広げられた折り紙の中から一枚手に取った。

懐かしさに手が一瞬止まる。

さすがに男であった新一が、必要に迫れて何かを作るという以外に折り紙に手を伸ばした記憶は無く、最後の記憶が既に数年も前で有る事に気が付いたからだ。

それでも三つ子の魂百までとは良く言ったもので、七夕の飾りの幾つのかの作り方は直ぐに思い出される。

とりあえず半分に折り紙を折り畳みながら、新一は記憶の中で悪戦苦闘する蘭と自分に思い出し笑いをした。

「何笑ってんだ〜?」

元太が気が付き、折った折り紙に鋏を入れながら首を傾げる。

正面に座る新一が突然笑い出したので、気になるのだろう。

「昔の事思い出したんだよ。前にも七夕で笹に飾るっつって、蘭と二人で笹飾りを作った事があったんだ。」

「そうなんですか。二人はずっと一緒だったからそういう思い出一杯あるんですね。」

相槌を打つ光彦の言葉に新一は頷く。

「まーな。蘭の奴、七夕の日が大雨だった時なんて、すげぇ泣いて大変だったんだぜ。」

「どーしてだよ〜?天の川見えねーからか?」

「不正解。」

即座に否定して、新一は歩美を見た。

次の答えを促されている事に気が付いた歩美が、糊で折り紙の端をくっつけながら得意満面の笑顔を浮かべる。

答えに自信があったからだ。

「蘭おねーさんはきっと、雨だと織姫様と彦星様が会えないから、泣いちゃったんじゃないのかな?」

その答えに、光彦と元太は驚いたようだった。

しかし新一は望む答えが得られたというように、穏やかに、そして満足そうに笑った。

その表情が何かを愛でる様に綻んだのは、きっと記憶の中で泣いている少女を見詰めているからだろう。

「歩美ちゃんが正解。蘭の奴、1年に1回しか会えないのに、雨が邪魔するなんて神様は意地悪だって大泣きすんだぜ?俺に何とかしてくれって頼むし、本当に困ったぜ。」

「そうなんだ〜。でも私その気持ち分かるな〜。」

「俺は分かんね〜。」

「う〜ん。なるほど。女性はそんな事を考えるんですね。」

「俺も最初は分からなかったんだけどよ。あいつぼろぼろ涙零しながらつっかえつっかえそんな事言うし。結局泣いてる理由が分かってもどうにもならない事だからこっちは途方に暮れるし。まったく面倒な奴だよな。」

背後を振り返ってキッチンの物音に耳を澄ます。

こちらの声など聞こえてないのだろう。

新一の朝食を用意する為に立てられる音に変化はなかった。

他人の事なのに、ましてや七夕の物語に出てくる織姫と彦星は実在の人物でさえないのに、二人が会えない事に心を痛めて泣きじゃくる蘭は、今でも目に焼きついていた。

なんて無邪気に物事を考えるんだろうか?

自分は所詮七夕なんて作り話と冷めた目で見ていたのに、目の前の幼馴染は素直に七夕の話を信じてせっせと七夕の飾りを作りお祈りまでして晴れる事を待ち望んで。

愛しい、と感じたのは当然の事だったのかもしれない。

その時に傍に居たのが自分で良かったと、新一は何度でも思う。

蘭の幼馴染が自分で良かった。

他の誰にもあんなに可愛かった蘭を見せずに済んで良かったと思う。

我侭な自分に苦笑を漏らしつつ、手元の笹飾りに器用に括り紐を付けて、机の上に乗せた。

「あ、新一さん意外に上手ですね!」

「『意外』ってなんだよ。」

思い出に浸っていたら納まりの付かない程溢れてしまった愛しい気持ちの上手い宥め方を思い付いて、新一はソファーから立ち上がった。

首を精一杯伸ばして見上げた3人にひらりと手を振る。

「腹減った。つまみ食いしてくる。」

「ずりーぞっ!」

何がずるいんだか、元太の叫び声を無視して新一はキッチンへと足取りも軽く入っていった。

残された3人は何やかやと賑やかにおしゃべりをしながら笹飾り作りに興じている。

とても平和な、休日朝のひと時だった。





すぱぁぁぁぁんっっ!と、乾いた音が工藤邸内に響き渡るまでは。





「・・・何の音?」

「何だ?」

「何でしょうね?」

首を伸ばして音のした方向、つまりキッチンの方を覗き込む3人。

小声で何か言い争っているようだが、内容はまったく聞き取れないので、3人の興味はどんどん惹き付けられてしまう。

「どうしよう?覗きに行こっか?」

「気になるよな!行こうぜ!」

「でも、出歯亀になりませんか?」

「そうなの?」

「・・・そうでしょうね。」



突然割り込んで来た自分達以外の人間の声に驚いて振り返ると、其処には少々困り顔の阿笠博士とニヒルに笑う灰原の姿があった。

「哀ちゃん。行っちゃ駄目かなぁ?」

「止めておきなさい。あてられるだけよ。」

つい先ほどまで新一が座っていた場所に腰を下ろし、灰原は持っていた荷物を机の空いていた部分においた。 ふぅっと一息吐いて、ソファーに凭れこむ。

「・・・本当、分かり易い男。」

その一言に阿笠博士は新一に悪いと思いつつ、笑いが抑え切れなかったし、3人の中で一番ませていた光彦は何となく新一のとった行動に察しがつき、歩美と元太はますます訳が分からなくて首を傾げる羽目になってしまった。







結局2人が出てきたのはそれから20分も経った頃だったし、その頃には探偵団の3人は笹飾り作りに夢中になっていた。

新一が一人朝食にしてはバランス良く品数も多い豪勢な食事を食べる傍らで、老若男女6人で色とりどりな飾りを作る。

用意した折り紙が全部手を加えられて飾りになり、笹に付けられ終わった時には、全員がなんとなく今夜は晴れると良いなぁと考えていた。

満天の星空の下で、何処かで逢瀬が叶った彦星と織姫に想いを馳せながら、皆で賑やかに騒げる幸せを、期待しながら。









END




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