夕焼けスイッチ
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誰かを想うという事は、案外難しい。
まもりは夕焼けで輪郭が赤く染まった目の前の人物を眺めながらこっそりと溜息を吐いた。
耳聡い悪魔はそんなまもりさえも許してはくれないらしい。
鋭い動きで振り返ると、有無を言わさぬ雰囲気でまもりの右腕を左手で掴み、自分の横に引っ張った。
「ちょっ・・・!危ないでしょ!」
「・・・ちんたら歩いてるからだ」
小馬鹿にした口調の奥に潜むのが、柔肌を傷付ける棘ではなく臆病で用心深い暖かな本心である事をまもりは知っているから。
反論しようとするちょっとした反抗心を穏やかに宥めすかして、まもりはヒル魔の横を歩いた。
夕焼けは紅くて紅くて、何かを覆い隠そうとするかのように燃えているのに、双眸を焼くような激しさは無い。
目を眇めて夕日を眺めると、まもりの顔に影が落ちた。
「ヒル魔く・・・ん?」
「目ぇ閉じろ」
命令した癖に、ソレさえも待つ事は出来ないというように性急に影はまもりを覆い隠した。
唇に感じるのは氷の冷たさじゃなくて、癒される人肌の温度だ。
軽く下唇を舐める舌に戸惑いから小さく身を震わせ、まもりはそっと鍛えられた胸板を押した。
「何だ?」
「ココじゃ、ヤダ」
「あぁ?誰も居ねーだろ」
機嫌を損ねたように響く低い声に、まもりが怯む事は無く、咎めるように眉を寄せて睨み付ける。
目の前の悪魔という二つ名を持つ男も、睨まれた程度で態度を改める訳も無く、鷹揚にまもりの次の言葉を待っていた。
紅い太陽は最後の光を放ちながら、地平線を今にもノックしようとしている。
疲れた身体が仄かに熱いのは、夕陽が余すところ無く全身を染めているからなのか。
「人が居るとか、居ないとか、そういう問題じゃないでしょ」
「優等生の台詞だな、糞マネ。いい加減聞き飽きた」
「ヒル魔君が何度も言わせるからじゃない。聞き飽きるんじゃなくて、そろそろ聞き分けてよ」
「あぁ?聞こえねーなー」
人外を思わせる異様に長い耳の横に左手を添えて、まもりの小言なんぞ聞こえないとアピールするヒル魔に、まもりは力を込めた拳を叩き付けた。
ボスンッと音が立ったものの、さして痛そうな顔もしなかったヒル魔に、まもりは悔しくて頬を紅潮させた。
「非力で話にならねーよ。姉崎まもり」
「これでも最近ウェイトトレーニング始めたのよ。今に見てらっしゃい」
まもりの言葉が予想外だったのか、突如として歩みを止めたヒル魔にまもりは二歩先から振り返った。
「どうしたの?」
「止めろ」
「は?」
「今すぐウェイトトレーニングなんざ止めちまえ!」
強い口調でヒル魔が命令し、まもりは何故そうなったのか大きな瞳を更に見開いて、真っ青な宝石を強調させた。
ヒル魔の釣り上がった瞳がすぅっと眇められた。
声を上げる間もなく腰を長い指先で掴まれ引き寄せられると、軽く開いた唇から音を立ててヒル魔の侵略が始まった。
まもりの全身が夕陽に染められるよりも深く、紅く染まる。
咄嗟に突っぱねた腕など、まるで子供騙しだと言わんばかりで、ヒル魔の侵略は止まらない。
心臓が煩くて、まもりは自分が暴力的な口付けの合間に何を自分が口走っているのか聞き取る事が出来なかった。
「ん・・・」
なかなかいう事を聞かない瞼を抉じ開けると、未だ見慣れる事の無い青白い天井が目に飛び込んできた。
背中にはシルクのシーツの感触。
「ヒル、魔く・・・ぅん?」
甘えたような語尾に自分で赤面していると、近くから椅子が軋む音が聞こえ、望んでいた顔が視界に飛び込んできた。
前髪が額に垂れ、まもりが意識を失っている間に風呂に入った事が見て取れた。
「起きたか、糞マネ。いきなり倒れてんじゃねーよ」
「ごめんなさい」
起き上がろうとした身体を、ヒル魔は軽く抑え付けた。
サイドテーブルに腕を伸ばしストロー付きのペットボトルを差し出し、まもりに水分を取らせる。
舌を湿らせたのはまもりが好む甘いミルクティーだった。
「もうちょっと横になってろ。立ち上がった途端また倒れられたんじゃ迷惑だ」
迷惑だなんて、思ってないくせに。
そう心の中で呟いて、まもりはヒル魔の分かり難い優しさに表情を綻ばせた。
わずかに寝返りを打てば、シーツからヒル魔の匂いがして、急に照れ臭くなって視線を泳がせた。
「今、何時?」
「8時回った所だ。糞チビに連絡しといたぞ」
「・・・ありがと」
「・・・糞マネ、オメー具合悪かったのか?」
「ううん」
否定してからまもりは正直に言ったものかどうか悩んだ。
怒るだろうか?
ちらりと自分を見下ろす男の表情を確認すると、案外心配されている事が分かってまもりの心がほんわかと温まった。
「・・・ごめんなさい」
「何を謝る?」
「お客さん、来たみたい」
「・・・・・・」
頭の切れるヒル魔にはこれで充分だった。
数瞬の沈黙の後、盛大な顰め面をされて、まもりは申し訳なく思いながらも笑わずに居られなかった。
整髪剤が何も付いていない洗い髪を乱暴に長い指先で掻き回して、ヒル魔は部屋を出て行った。
遠くでガツンッと何かを蹴り付ける音が響いて、堪え切れずまもりは声を出して笑った。
本当は私だって残念に思ってるんだよ、ヒル魔君。
そう告げる事が、久し振りにまもりを抱けると思って期待していたヒル魔に対する優しさだろうかとほんのちょっと悩んで、まもりは自分の考えを否定した。
ぎりぎりの所で何とか効いているストッパーを外しかねない、危険な言葉だ。
まもりはじくじくと痛み出したおなかを押さえながらゆっくりと起き上がって小さく溜息を吐いた。
予定よりも早くやってきたお客さんは数日後にはまもりの中から去っていくだろう。
その後の事を今から覚悟して、まもりは苦笑を零した。
end
2011/12/11 UP
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