桜を纏う
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ざぁっと葉擦れの音がした。
ぶわっと舞い散る桜の淡いピンク。
今年の桜は早咲きで、そしてきっとそれが故に、早く散ってしまうだろう。
翻ったスカートの裾を手で押さえながら、まもりは空を見上げる。
昨日降った雨は、空から雲を追い払ってしまって、なんだか少し寂しい光景になっていた。
腕時計を見て時間を確認する。
待ち合わせには未だ早い。
少し歩いてみようかと、まもりは当ても無く歩き始めた。
桜の花の付き方は梅とは大分違う。
その違いを観察しながら、満開の桜の下、薄水色のワンピースを着たまもりはゆっくりと歩いた。
華奢なヒールがレンガ道にカツカツと音を立てる。
散歩道として整備されたそこでは、時折犬を連れた年配の方や、部活動中の学生と擦れ違った。
ほんの少しの寂寥感がまもりの心を揺らす。
学生、という身分は既に過去に置いてきてしまった。
未だ何処にも属していない、自由であり不自由な自分に、不安を感じぬ訳ではない。
まもりは今まで優等生と言われ続けて、用意された道のど真ん中を配分されたペースで歩いてきた、典型的な人間だったから。
今の状態が信じられなかった。
「風、強いな」
足元を吹き抜ける風が、地面で休んでいた桜の花びらを再び空へと飛び立たせる。
羽を持っている訳ではない、桜の花びらは一時の遊覧を楽しんで、何れは地面へと落ちて来るだろう。
運良く捕まえられた一片の花びらをまもりは潰さぬように手の平の中に閉じ込める。
胸が、痛い。
左胸、心臓の上に拳を当てて、まもりは俯いた。
頭の奥が熱くて、喉が何かに飢えて干上がって、あぁ、これは、涙が零れそうなんだ、と他人事のように思った。
「まも姉〜!」
突き抜けるような元気の良い声に、感傷が吹き散らされ、まもりは何とか笑顔で顔を上げる事が出来た。
鈴音がローラーブレードで一気にまもりとの距離を詰める。
危なげの無いその滑りは、見ていて気持ちが良かった。
彼女自身が起こす風で、桜の花びらがまた舞い飛ぶ。
綺麗だ、とまもりは目を眇めた。
「まも姉、何してるの!こっちこっち!」
「ちょっと時間があったから、桜を見てたの」
腕を引かれて、その子供のような仕草に笑いながら、まもりは彼女に連れられて元来た方向へ歩き出した。
セナが居るのがすぐに分かり、まもりは自分の中に未だ根強くセナとの姉弟関係が存在する事を再確認する。
三つ子の魂百までとは、良く言ったモノだと少しおかしかった。
「早く早く!」
「やだ、どうしたの?別に急がなくても桜祭りの屋台は逃げないよ?」
「そうじゃなくて!」
「ん?」
「来てる!!」
ざぁっ、と葉擦れの音がする。
一気に舞い散った桜吹雪。
ピンク色の煙幕の中、見え隠れするセナと一人の男。
振り向かなくても、誰だか分かる後姿に、まもりは目を見開いた。
蒼い瞳が零れ落ちてしまいそうだ。
耳にピアスは無く、長めの髪も天を向いて起立していない。
見慣れたユニフォームでも制服でもない私服姿は、モノトーンカラーで大人びて見える。
髪の色も金髪に比べれば、落ち着いて見えるダークブラウン。
「あれは、誰……?」
「えぇ!?まも姉分からないの!」
悲鳴を上げるみたいな鈴音の素っ頓狂な声が合図となって、二人は同時にこちらを振り向いて対照的な表情を見せた。
セナの困り顔、そしてヒル魔の笑い顔。
あぁ、悪魔が手薬煉を引いて笑っている。
「暫く見ない内に目まで悪くなったか、糞マネ」
聞き違える事は無い、特徴的な声に、震えが走って、歩みを止めた。
まもりに引き止められた形で、鈴音も急ブレーキを掛け、ぐらついた身体は駆け寄っていたセナによって支えられた。
「目……わ、悪くなってなんか、無いわよ」
無理矢理押し出した声も、身体と同様に震えていて、まもりは強気な口調に隠し切れない自分の状態を恥じて唇を噛み締めた。
冷静に、普段通りに、対応しなくちゃ。
そう言い聞かせるまもりなどお構い無しに、ヒル魔はポケットに手を突っ込んだまままもりに近付いた。
黒のジャケットは薄手で、中に着込んだグレイのニットも春モノだ。
桜は黒に良く映えて、ちらちらと地面へと落ちていった。
「糞マネ、大学の入学取り止めたんだってな。ケケケ、常識的な両親はさぞ度肝を抜かれた事だろうよ」
「そりゃ驚いただろうけど。ちゃんと認めてくれたわよ」
「ほぉ、糞ハゲの母親なら泡吹いて卒倒した後、金切り声で『何でどうして』を喚きそうだがなぁ」
「雪光君が聞いたら気を悪くするわよ」
そう言いながら、まもりはその可能性を否定出来ないと内心思う。
ヒル魔は物事の本質を見極める事に、とても長けている。
賞賛すべき能力の一つだ。
「それで?ヒル魔君は今更何のようなのかしら?今日来るなんて聞いて無いわよ」
「そりゃ誰にも言ってないからな」
「オレも知らなかったし。ヒル魔さん、良くココが分かりましたね」
「勘だ」
「ええぇ?!勘ですか?!」
「すっごい!妖兄!」
セナと鈴音の驚きと賞賛の声に、まもりは渋い顔をする。
素直は美徳だと思うが、口を出さずに居られなかった。
「それは嘘でしょ。勘でなんか分かるもんですか。ちょっとヒル魔君、白状しなさい。何を使ったの?」
「GPS」
あっさりと種明かしをして、セナの携帯に仕掛けがあると補足した後、ヒル魔はまもりの手を取って歩き出した。
セナの焦った叫び声。
鈴音の嬉しそうな歓声。
息を飲み一言も発する事の出来なかったまもり。
ヒル魔は勝ち誇ったように笑っていた。
+++
「ちょっと、ヤダ!ヒル魔君!」
「相変わらずウルセー女」
「失礼な事言わないで」
「黙れ」
まともに会話が成立しないと、まもりは手を引かれながらヒル魔の広い背中を睨み付けた。
二年半ばで泥門を中退したヒル魔の行き先を知る人間は居らず、残された人間はヒル魔の性格からしてそれも有りなのだろうと事実を受け入れるしかなかった。
まもりも勿論そうだ。
同じチームの一員。
それ以上でも以下でもなかった自分達の事を考えると、一番自然な別れのような気がした。
そう、納得したのだ。
一生会う事は無いとは考えなかったが、何時か絶対再会出来るとも思えなかった。
だから、あっさりと再会してしまった今は、なんだか夢を見ているようだ。
まもりは二度瞬きをして、口調を改めて背中に問い掛けた。
「ヒル魔君、どうして来たの?」
「お前の顔が気に入らなかったから」
「はい?」
何処から切り込んで来たのか理解出来ずに、まもりは間抜けに一言漏らしただけだった。
表情は窺えないが、鼻で笑う気配。
「高校中退して何処ぞに消える不良なんざ、お前の人生に関係無いって、そう思ってただろ?姉崎。それが気に入らねーんだよ」
「ちょっと!別にそんな顔してないわよ。第一会ってもないのに勝手な想像で言ってるだけでしょう?」
「会わなくても分かんだよ」
ヒル魔が不意に立ち止まり、まもりはその広い背中に鼻からぶつかった。
ひそかな痛みに顔を顰めるが、ふわりと香った匂いに、言葉を失う。
あぁ、一年以上前の、あの劇的な日々の中で、常に一緒だった香りだと。
広くて大きな噴水の前、水面には桜の欠片が数え切れぬほど漂っていた。
噴水を囲むようにベンチが並んでいるが、どれも人が座っている。
しかし、空いていたベンチを目敏く見付けると、ヒル魔はまもりを強引にそこに座らせ、自分も隣に腰を下ろした。
ベンチに背を預け、長い足を高々と組む。
「折角受かった大学蹴って、何をするつもりだ?」
「……関係ないじゃない」
無言のまま、瞳が答えろと脅迫する。
逃げようにもさりげなく肩を抱かれている為、敵わなかった。
……さりげなく?
そう言えばなんだかこの体勢はカップルみたいじゃないかと、まもりは今更慌ててじたばたし始めた。
ヒル魔はまもりの行動パターンを熟知しているのか、予想済みとばかりに動じない。
「ひ、ヒル魔君。離してよ」
「答えるのが先だ」
「関係無いヒル魔君に答える義理はないもの!」
「関係が必要なら、今作るぞ」
アメフト選手を舐めちゃいけなかった。
蛭魔妖一を侮ってはいけなかった。
リラックスして座っていた状態からワンアクションであっさりとまもりに覆い被さると、まもりの唇に噛み付くように口付けた。
下唇を食んで、舌先で隙間をなぞる。
反射的に逃げ掛けた身体を左手で抱くようにして拘束して、取り敢えず振り解こうと上げた手を右手で捕まえる。
無駄が無い手際だ。
閉じられる事の無い透き通った蒼い瞳に照準を合わせたままのヒル魔の瞳。
潤いを奪うように二度三度と唇を唇で撫でられ、まもりは泣きそうに表情を歪ませた。
満足したのか、ヒル魔は唐突に離れていった。
「……今の、何」
「カマトトぶるのも大概にしておけよ。日本語では接吻、英語ではKISS。フランス語なら」
「って分かってるわよ!バカ!」
思い切り手を胸に叩き付けても、ヒル魔は笑うだけだった。
嫌がりもしない。
避けもしない。
居た堪れなくてまもりは顔を伏せた。
白い肌は染まり易く、今や何処もかしこも薔薇色だ。
「これ以上の関係が必要なら、俺もやぶさかじゃねーが、どうしたい?」
面白がるようなその声に、まもりは声も無く悲鳴を上げ、顔を上げて目の前の男を突き飛ばそうと試みた。
あっさり阻止された上、顎の下に手を入れられ、強制的に見詰め合う事となる。
「大学を辞めた、理由は?」
「……行っても、何をして良いのか分からなかったから」
「就職すんのか?」
「……多分」
「行き当たりばったりってか。優等生も堕ちたもんだなぁ」
「……なんでそんなに嬉しそうなのよ!」
「人手が足りなくてな。求人広告出す手間が省けた」
「ちょ、何勝手に……」
「俺の予想では大学に行く事になってたから、予定が狂った。もうちょっと地固めしてから来るつもりだったが、変な虫が付くのも変な道に入られるのも本意じゃねー」
「え?地固めって、何?」
「色々あんだよ、こっちには」
一瞬だけ真面目な顔をして、蛭魔は視線を外したが、すぐに戻って来た。
楽しげに笑うその表情の中、琥珀色の目だけがかつてのヒル魔のソレではなく、まもりの心臓を壊さんばかりに揺さぶった。
「先に言っておくが、拒否権は無い」
視線と視線のガチンコ勝負。
蒼い瞳の中にはヒル魔が映り、琥珀の瞳の中にはまもりが映っている。
どんな無理難題を押し付けられても、「はい」としか返事をさせて貰えないんだろうなと、まもりは覚悟した。
+++
「上手く行ってるかなぁ。まも姉と妖兄」
「行ってくれないと困るなぁ。まもり姉ちゃん、最近危なっかしいから」
「泣く人一杯出るよね〜」
「取り敢えず、モン太は引き受けた」
「それじゃ、私は他のメンバー担当かな」
屋台で買った林檎飴を舐めながら、鈴音は隣を歩くセナを見上げる。
身長が大分伸びたので、ローラーブレードを履いていても、随分と視線を上に向けなければならない。
セナはサツマイモスティックを半分以上消化して、指先に付いた砂糖を払いながら鈴音と前を交互に見ている。
「学校の人も結構泣くんじゃないの?まも姉モテるから」
「他のチームの人も泣くのかな〜。あ、陸にも連絡しておかないと」
「泣くかな?」
「陸は違うと思うけど、心配しそうだなぁ」
「セナも心配?」
「心配だけど、ヒル魔さんだからな〜」
心配しても全部無駄になる気がする、とセナは諦観の表情で肩を竦めて、鈴音を爆笑させた。
end
2008/04/23 UP
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