アイスバイン・モード









まもりはその瞬間色々な事を考えてしまった。

数学の授業で出された課題の事。

前風紀委員として後輩に引き継いだ仕事の問い合わせの事。

今日の練習メニューの事。

どれもこれも、今この瞬間、まもりを危険から救い出してくれる訳ではないのに、随分と無駄な事を考えたものだと笑ってしまう。

雲の白と、空の青。

鮮やかで目に焼き付くそのコントラストに目を細め、まもりは落下の衝撃に耐えようと歯を食い縛った。







「まもり姉ちゃん?!」

一番だったのは、チーム内最速のランニングバッグだった。

随分と遠い所でモン太とキャッチの練習をしていた筈なのに、土埃を上げて階段から落ちたまもりの傍まで駆け付けた。

助け起こし心配げに眉を寄せる。

まもりは努めて何気ない様子で捲れ上がったスカートを引っ張り下ろした。

階段上で呆然とまもりが落ちるのを見ていた他部の女性マネージャーが蒼い顔をして二人を見下ろしている。

彼女もまた被害者の一人だ。

本来2列でランニングする筈の部員達がふざけて列を乱した所為で、自転車で併走していた彼女もまたバランスを崩した。

たまたま後ろにまもりが居て、運の悪い事にまもりがよろけた場所は階段の上だったのだ。

小結が転がるようにやってきて、真っ赤な顔をして手を振り回している。

膝から滴り落ち靴下を紅く染める血に気が動転しているのが良く分かった。

3人のラインマンもモン太も遅れて駆け付けて、保健室だ、それより水で洗い流すべきだ、いやいやいっそ救急車!と姦しい。

そんな中、一人冷静なのはまもりだった。

「皆、落ち着いて、平気だから」

「でも、血が凄いよ、まもり姉ちゃん」

自分の方が余程痛そうな顔をしているセナに、軽く手を触れる。

小さい頃から繰り返されてきた安心を促すボディタッチ。

強張っていたセナの表情が少し解けた。

「取り敢えず制服汚しそうだから着替えてくるわ。皆は練習に戻って。あ、貴方もそんな心配そうな顔しなくて良いの。怪我は無い?」

後半の言葉は、漸く最初のショック状態から立ち直って近付いてきた他部のマネージャーに向けた言葉だった。

ごめんなさいと繰り返し、涙を浮かべる彼女をまもりは優しく抱き締める。

話した事が数える程しかない顔を知っている程度の関係の生徒だったが、まもりは誰にでも優しかった。

暫くすると彼女も落ち着き、そのタイミングでまもりは彼女を部活へと戻した。

心配そうに振り返りながら立ち去る彼女に、まもりは手を振ってにこりと笑う。

その間に手を出しあぐねている部員を尻目に、セナが瀧から受け取ったハンカチで流れ続ける血を拭い、軽く患部を縛った。

「ごめんなさい。ハンカチ、買って返すわ」

「気にしないで、マドモアゼルまもり。それよりも傷が残ったら大変だ、早く早く!」

「バカ、『早く』って何を早くすんだよ!」

「やっぱ救急車か?!」

「黒木も落ち着け。保健のセンコー呼んで来ようぜ」

「だから、皆落ち着いて。私一人で保険室に行けるから」

心配される事がくすぐったいような顔をして、まもりが立ち上がろうとした。

さっと、四方から出てくる手に苦笑を零す。

誰の手を取っても皆気にしないだろうが、まもりは何となく躊躇してしまい、結局皆の助けをやんわりと断り、一人で立ち上がった。

傷はスカートの下に完全に隠れて、靴下を折って血の付いた部分を見えなくすれば、まもりが怪我を負っている事は分からなくなった。

「ほら、早く練習に戻らないと、誰かさんが暴れだすわよ?」

「誰が暴れ出すって?」

良く通る声だった。

どぶろくとミーティングをした後、個人指導を受けていた背番号1の男が、マシンガン片手に歩いてくる。

せかせかした印象を受ける程早くもなく、愚鈍だと思われる程遅くも無い。

その歩みはどこか尖った印象を受ける。

金髪がぎらりと蒼い空を突いた。

「何かあったか?」

「ううん、何も。私がちょっと皆に伝えたい事があったから集まってもらったの」

怪我の経緯を説明するのが面倒臭い。

それに、余計な心配をされるのが嫌。

そんな理由でまもりは小さな嘘を吐いた。

ヒル魔が目を眇める。

細く切れ上がった双眸が鋭さを増して、まもりを、そして周りのデビルバッツメンバーを眺めた。

「てめぇは賢しい女だからな。ポーカーフェイスぐらいやってのけるだろうが、見てみろよ、周りを」

くつくつと愉悦を含む笑いを零した後、ヒル魔が静かな声で指示を出した。

「は?」

意味が分からず、素直に周りを見回してまもりはヒル魔の言わんとしている事に気が付いた。

「糞部員共が動揺しまくりでバレバレなんだよ、糞マネ!」

「……あー」

力無い溜め息のような返事が、まもりが敗北を受け入れた証だった。

十文字もモン太も、小結も瀧も、皆まもりを取り囲むように立ち、心配そうにじっとしていない。

ヒル魔の知能の高さが無くとも、何かあったという事くらいは分かる筈だ。

顔色を呼んで、大体の事情を察したのだろう。

大袈裟な溜め息。

そしてやおらまもりの腕を取って自分の方へと引っ張った。

「え?何?」

「養護教諭は研修で休み、糞チアは未だ来てねー。他に適任が居ない。しょうがねーから俺が手当てしてやる。来い」

「自分で出来るわ」

「まどろっこしい。明日締め切りの仕事説明するついでだ。黙って来い」

まもりの女性らしい身体を引っ張るのに必要な力ぐらい備えているヒル魔の男性らしい身体に、まもりが抵抗を止める。

無駄だし、痛いし。

肩越しに振り返って、安心させるように笑い、後はまもりはヒル魔に手を引かれるまま部室の方へと連れられて行った。









+++









「おら、足出せ足!」

救急箱を床に叩き付けるように乱暴に置き、ヒル魔はどかりとまもりの前に座り込んだ。

汗ばんだ額に前髪が貼り付いている。

頬には泥がこびり付いていて、学生服にマシンガン片手に教師を脅す人物と同じには見えなかった。

「おい、コラ。何呆けてやがる」

小突くように怪我をしていない方の足、左足を叩かれた。

まもりははっと気が付いたように蒼い瞳をぱしぱしと瞬かせ、それからゆっくりと右足を差し出した。

素直に言う事聞かなくても良いのに。

まもりの中で悪戯っぽく誰かが囁く。

しかし、滅多に無いヒル魔自らが手当てをすると言い出した事に興味が沸いていた。

どんな風に自分に触れるのか、見てみたいと思ったのだ。

ヒル魔は断りも無く勝手に裾を捲り上げると、全面的に擦り傷が付いてしまった膝から太腿の辺りまでを光の下に晒した。

言葉を掛けられる事もなかった。

思わず息を呑むまもりに、構う様子もまったくない。

「ちょっと!ヒル魔君!」

さすがにコレは恥ずかしい。

慌てて制止しようとしたまもりを鋭い眼光一つで黙らせて、ヒル魔は長い指先で救急箱の止め具を弾く様にして蓋を開けた。

薬品の匂いがぷんと鼻を付く。

まもりの瑞々しい白い肌に何も関心が無いという様子で、無駄な作業一つ挟む事無くヒル魔は消毒液を脱脂綿に含ませ、傷に押し付けていく。

「っ……」

痛みがあるのか、まもりは唇を噛んで声を我慢した。

小さな泡を幾つも弾けさせる消毒液を淡々と眺めるヒル魔。

意識しているのは自分だけだと、まもりは消え入りたくなる。

セナだったら平気だった。

ヒル魔はダメだ。

何故か、とてもダメな気がする。

まもりは座ったパイプ椅子のビニールの部分に手を突いて、力を込めた。

指先が白く変わるのを、ヒル魔は横目で確認して、唇の端を小さく釣り上げたが、まもりの位置からは見えない。

「随分派手にやったな。ガキだな」

「どーせ子供ですよ」

照れ隠しもあって、平坦で拗ねた声音だった。

言ってしまってから、まもりは失敗したような気分になって黙り込む。

ヒル魔の手は止まらない。

一通り消毒し終わると、清潔な脱脂綿で余分な消毒液を吸い取り、綺麗になった傷の具合を確認する。

長い指先が肌に触れる度に、まもりはびくびくと身体を揺らした。

「じっとしてられねーのかよ」

「ど、努力してるけど……痛いし!」

それは嘘だ。

痛みだけなら我慢出来る。

自分の持つ温度とは違う指が、他人に滅多に触れられない場所に触れているというだけで、心がざわめき意識外の所で過剰反応してしまうのだ。

自分ではどうしようもないから、指摘されるとやっぱりとても恥ずかしい。

自分が何をしたというのだろう。

じわりと滲みそうになる涙を意地で堪えて、まもりは唇を引き結ぶ。

「ケケ。痛いから泣くのか?」

からかうような薄茶の瞳がまっすぐにまもりを見上げ、蒼い瞳を捕らえる。

言外にそこも子供みたいだと言われている事を敏感に感じ取って、まもりはふいと顔を逸らせた。

明るい色の髪がふわりと舞って、まもりの女性らしい頬の曲線に寄り添う。

薬を塗り、清潔なガーゼを重ねて、最後に白いテープで×字に止める。

時折傷の縁をなぞる指先にまもりは相変わらず身体を揺らせたが、視線を逸らせていた所為でヒル魔がわざとその行為を遣っている事には気が付かず仕舞いだった。

まもりの反応を楽しむヒル魔は、苛めっ子というニュアンスが似合わぬ瞳の色をしていて、見るものが見たら頬を赤らめた事だろう。

白い肌の肌理の細かさを楽しむように、長い指先を滑らせるクォーターバック。

スポーツマンの顔じゃなく、男の顔をしていた。

「ホレ、終わったぞ」

「あ、ありがと」

お礼も満足に言えない程、まもりはぐったりしていた。

異性に触れられるという機会が、純情なまもりにはほとんど無く、要らぬ緊張を強いられたからだ。

赤みの残る頬と目許。

匂い経つような色香が制服から見え隠れする肌から感じられ、ヒル魔は目を細めた。

二人同時に立ち上がるが、まもりはふらりとよろけた。

当然伸びてきた腕を、まもりは自然に受け入れた。

「あ」

「糞マネは座ってろ」

雑な扱いに見えても、まもりを椅子に座らせる一連の行動はちゃんと考えられていて優しい。

パイプ椅子に再び座ったまもりの前に資料をどさりと置いて、ヒル魔はまもりの向かい側の椅子に腰掛けた。

「こっからは、仕事の話だ」

「はい、どうぞ」

「あぁ、その前に一言言っておく」

「?」

にやりと、ヒル魔が極悪に笑った。

苛めっ子の瞳であり、表情であった。

「安易に男の親切鵜呑みにすんな。オレじゃなきゃ、食われてるぞ」

「!!!」



その瞬間のまもりの表情を、ヒル魔は後々カメラで撮って置けば良かったと珍しく後悔した。









end
2008/02/29 UP


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