雪解けワルツ
|
「ハッ、面倒くせー」
尖った声がその薄い唇から吐き出された時、偶然その場に居合わせただけの善良な人々は背筋が凍る思いをした。
何も悪くないのに、だ。
呪いでも掛かっているように、低く響き、余韻を残したその声。
そそくさと声の主から距離を取ろうとする人々の動向に関心を示さず、男はチューイングガムを綺麗に膨らませた。
「ね、お願い、待ち合わせしましょ?」
部室で、珍現象が発生した。
両手を合わせて頭を下げたのは、正義感の強過ぎるきらいのある美人マネージャー。
一見そうとは分からないが、相当驚いた顔をして、その美人マネージャーを見ているのは、地獄の使者が居たらこんな顔をしているかもしれない、この部室内ヒエラルキーの頂点に立つキューピー。
モン太とセナは、揃って白昼夢でも見てるのかと自分を疑い、互いの頬を思いっきり抓って悲鳴を上げた。
「煩ぇぞ、糞サル糞チビ」
「ちょっとヒル魔君、私の話聞いてくれてる?」
「……あー、私、耳が遠くなったみたいで。もう一度お願い出来ますか?糞マネ様」
馬鹿丁寧なモノ言いが気に入らないのか、まもりは眉根を少し寄せる。
ただ、眉間に寄った皺が解けるのもまた早く、彼女のヒル魔に対する慣れが垣間見えた。
それだけの時間を二人は共有しているのだ。
「待ち合わせ、して欲しいの」
「聞き違いじゃなかったか」
染めムラの無い金髪が指の間からさらさらと揺れる。
それは秋の名物、ススキ野原を髣髴させたが、そんな事を今発言してもマシンガンの洗礼を受けるだけだろうとセナは自重する。
まもりもまた、ヒル魔が手櫛で髪を梳く様を見て何かを思ったのか、青い目が瞬きも忘れてヒル魔を見詰めていた。
「おい、糞マネ。止まってんじゃねーよ」
「あ、ごめんなさい」
「……」
素直な謝罪にヒル魔が言葉を失う。
微妙な空気に居た堪れなさを感じたセナは、巡らせた視線がヒル魔にうっかり捕まってしまう。
ギラリと光ったその目が語るのは、『出てけ』の3文字。
逆らったらどうなるか分かったものじゃないと、セナは渋るモン太を黙らせて、部室から出て行った。
バタンという大きな音が、まもりにも部室の中に二人っきりという事実を教える。
「え?セナ達、行っちゃったの?」
「練習だ。俺も練習行かなきゃなんねーから、さっさと要件言え」
「……もしかして、私が見て無い所でセナとモン太君を変なモノで脅して無いでしょうね?」
何かを嗅ぎ取ったまもりが、ヒル魔の前に仁王立ちする。
形の良い胸を突き出すようにして、くびれた腰を強調するように両手を添える仕草。
マネージャーなどやるよりも、モデルをやった方がよっぽど似合うと、ヒル魔にさえ思わせる。
断罪の鎌の輝きに似た青い瞳は、ヒル魔を恐れてはいない。
勇ましさが危なっかしいと、最近思うようになった自分が嫌で、ヒル魔は視線を外した。
どうかしてる。
「ヒ・ル・魔・君!」
「大声出さなくても聞こえてる。オメェが言ってる『変なモノ』ってのはコレの事か?」
懐に入っていたショットガンを両手に構えて見せると、ちっとも怖がらなくなったまもりが銃口に手の平を押し当ててヒル魔を睨み付ける。
青い瞳は言葉もなく部室内でショットガンを振り回すヒル魔を非難していた。
舌打ち一つでそれらを仕舞うと、良く出来ましたと言わんばかりににっこりとまもりが微笑む。
わざとらしいその笑顔でさえ、威力が絶大だというのだから、始末が悪かった。
「じゃ、待ち合わせでOK?」
「勝手に話を端折るな。OK出した覚えはねーぞ。要件言え」
「今度の土曜日、新調する練習用器具を見に行くでしょ?現地集合って事だったけど、待ち合わせにして欲しいの」
「何企んでやがる」
騙される事など皆無の、甘さを削ぎ落としたような1対の目がまもりを射抜く。
今度はまもりが視線を逸らす番だった。
「えっと、お休みの日にヒル魔君に付き合うんだから、ほんのちょっとだけ私にも付き合って欲しいなって」
「全部吐け」
「……雁屋の期間限定のシュークリーム」
「却下」
どうせそんな事だろうと予想していたものの、本人の口から聞くと脱力感がヒル魔を襲う。
甘いもの好きは女に生まれた時に嗜好に勝手にデフォルトオプションされるモノだが、姉崎まもりのシュークリーム好きは常軌を逸している。
シュークリームにだけは腹の中にブラックホールが生まれると、贅肉の無いぺたりとしたまもりの下腹部に目をやって溜息を吐いた。
女体の神秘だ、などと口走る気はなくとも、説明が付かないその現象にはヒル魔でさえ頭を抱える。
メットを抱え、さっさと部屋を出て行こうとしたヒル魔の背中にドスンと何かがぶつかった。
勿論、見なくとも正体は分かり切っている。
甘い、香り。
扉に向かい合ったヒル魔が瞳を細める。
「ちょっとヒル魔君!私だってちゃんと協力してあげてるんだから、ちょっとくらい良いでしょ?!」
「良くねーよ。それに練習用器具を見に行くのはれっきとした糞マネの仕事だ」
背中にまもりをくっつけたまま、ヒル魔が一歩踏み出す。
引き止めようと一層強くしがみ付いたまもりの、柔らかな肢体に、意識が持っていかれそうになる。
ヒル魔が唇を引き締めた。
「一人一箱しか買えないの。ね、お願い、20分くらいで買えると思うから!」
「俺の時給は万単位だ。糞マネの糞シュークリームに付き合う暇なんざねーよ」
「お願いってば!」
「くどい!」
「付き合ってくれなきゃ、バラすからね!」
「何を?」
「え?!な、何って……い、色々よ!」
まもりの必死さがおかしくなって、ヒル魔は唇の端を少し上げる。
たかがシュークリームに、優等生がメロメロだと、一体何人が知っているのだろう。
試すように、また一歩力を込めて前に踏み出すと、まもりが完全に両腕をヒル魔の身体に回して本格的に抱き締めて来た。
ますますおかしい。
本人は拘束しているつもりだろうが、端から見たら立派に別れを惜しむ恋人同士だ。
頭は良い筈なのに、そういった方面に考えが及ばないその鈍さ。
「具体的に、何をバラすんだ?言ってみろ」
「えっと、脅迫手帳とか!」
「今更だろ」
「ま、マシンガンとかライフルとか!」
「今更だろ」
「えぇっと、部室の地下室とか!」
「今更だろ」
「……」
「ネタ切れか?」
背中の沈黙が答えだった。
意識を研ぎ澄ませれば、触れ合った部分から互いの心音を感じる事が出来て、随分と奇妙な関係だとヒル魔は思う。
キャプテンとマネージャー。
問題児と優等生。
想う者と想われる者。
……どちらが、どちらなのか、今ははっきりしなかった。
その曖昧さが、温く、心地良い。
気紛れを、起こしてみようか、とヒル魔は背中から回っていた細い腕を掴んで、左右に開いた。
歴然とした力の差を証明するように、容易くまもりはヒル魔から引き剥がされた。
「断ったらぐだぐだ煩ぇんだろ、どーせ」
「じゃ、ヒル魔君!」
ぱぁっと春に蕾が綻ぶように、まもりの表情が明るくなる。
青い瞳も歓喜に染まり、キラキラと光る。
綺麗で、愛しいモノだ。
「遅刻したら向こう1ヶ月、奴隷な」
「遅刻なんて絶対しないもの!約束よ、ヒル魔君!」
腕時計を見ると、約束の時間5分前になっていた。
当然先に来ているとばかり思っていた青い目のマネージャーが居なかった時、機嫌が急降下した訳をヒル魔は知っている。
待ち合わせに先に来ている方が、相手をより思っているような、そんなつまらない気になったからだ。
まもりが時間に遅れるとしたら、それは何か不測の事態が起こったという事。
携帯に着信が無い事を確認して、ヒル魔は小さな舌打ちを一つ零した。
時間ぎりぎりに駆け込んできたら、取り敢えず帰る素振りでもしてみせようか。
並ぶのがウゼえと言って、この場で渋ってやろう。
考えると愉快な気持ちが戻って来て、ヒル魔はまもりが出現するだろうポイントを広く見渡した。
赤みがかった茶色の髪が小さく揺れているのを直ぐに発見する。
全速力で走ってくるのが少しだけ危なっかしくて、ヒル魔は目を眇めた。
どんな言い訳をしてくれるのか、自分の中で賭けをしながら、ヒル魔はニヒルな笑みを浮かべて、彼女の到着を待った。
end
2008/01/27 UP
text top page back
|
|