飼い慣らせぬ感情について









今の自分を客観的に見るならば、それはそれは滑稽だろう。

蛭魔は素知らぬ顔でパソコンの画面に向かいながら、全身のアンテナを自分の背後へと向けている。

些細な音や、空気の流れ、そんなもの一つとして捉え損ねないように細心の注意を払いながら、手馴れた指先がキーをカタカタと叩く。

外見と中身のアンビバレンス。

それはいつもの事だった。

蛭魔の背後では、雁屋の新作シュークリームの話に花を咲かせるまもりを中心としたデビルバッツのメンバー。

珍しく武蔵や十文字も参加している。

一際目立つまもりの声は、野太い男達の中にあってはしっとりと落ち着いているのにやけに華やかで艶やかに響く。

軽やかな笑い声。

まもりに同意する誰かの声に、まもりが水を得た魚のように嬉しそうに頷く気配がする。

面白くない。

蛭間はかたくなに振り向かなかった。

早くテメーら帰りやがれと心の中で毒づいて、次に作業をするファイルを呼び出した。



学校には部活をしにきていると、部員の大半が胸を張れるほど練習に膨大な時間を費やしている。

蛭魔・まもり・雪光・十文字辺りならば、例え授業をサボタージュして練習に全ての時間を注ぎ込んでも今後困る事はないだろうが、悲しいかな、大半の部員は授業をサボると後で泣きを見る連中ばかりだ。

肝心な試合の時に補習だなんて、本末転倒もよい所だ。

本人の努力不足だと切り捨てるには、部員の人数はぎりぎりだし、正直な所誰が欠けても戦力的に痛い。

だから、時間が一分でも一秒でも惜しいこの時期でも、蛭魔の口から授業をサボって練習しろだなんて直接的な命令は吐き出されなかった。

休み時間も放課後も全て練習の為に充てられる。

文句を言いつつも、誰一人として脱落しないだなんて、半年前に誰が予想しただろうか?

蛭魔でさえそんな可能性について考察した事さえ無い。

顔になんて出さないが、世の中何が起こるか分からないから面白いと、蛭魔でさえ考えてしまう事だ。

日が暮れてなお練習に励む部員を帰宅へと追い立てるのはマネージャーとチアリーダーの役目だ。

今日もまた二人が、集中し過ぎて最終退出時間前の予鈴を聞き逃している部員達を一人一人捕まえて部室へと追い立てる。

そうして部室に集まった部員達が姦しく喋るのをBGMに、さっさと着替えてノートパソコンを開けるのは背番号1の男だった。

メールだけチェックして早々に帰るのかと思いきや、まもり達が支度も終わり雑談を始めても蛭魔はノートパソコンと向き合っていた。

「ちょっと蛭魔君、未だやるの」

「誰かさんが仕事遅い所為だろーが。明日までに終らせねーと意味ねーんだよ」

背後からひょいとノートパソコンの画面を覗き込んだまもりが表情を曇らせる。

蛭魔が開いたエクセルファイルに見覚えがあったからだ。

「え?このファイル処理済だけど」

「終ってねーだろ、どーみても。糞マネの目は節穴か?」

これ見よがしに指差された箇所のデータを見て、まもりは息を詰めた。

二人のやり取りに気が付かぬセナとモン太の陽気な笑い声が室内に響き渡る。

まもりは身を乗り出してマウスを奪うと、スクロールバーを左右に動かし、みっしりと入力されている数値を見比べた。

蛭魔は微かに届いた甘い匂いに眉を顰めたが、肩に掛けられた細い指を咎める事はしなかった。

「これ、ヤダ、嘘!」

「日本語喋りやがれ」

「私が昨日保存したファイルじゃない!!」

「あぁ?」

言わんとする事を理解して、蛭魔は再びまもりからマウスを奪い返し、ファイル管理ソフトを呼び出して昨日の操作履歴を調べる。

固唾を呑んで見守るまもりには、その沈黙が長かった。

やがてソフトを閉じ、まもりに椅子ごと向き直った蛭魔は、非常に残念そうな顔を浮かべていた。

勿論過剰演技だ。

「残念ながら、昨日姉崎さんが保存したというファイルは何処にも見付かりませんねぇ」

「いやぁぁぁぁ!!!」

「ゴ愁傷サマ」

「4時間も掛かったのに!酷い!」

「そりゃこっちの台詞だ、糞マネ。オレはこれからオメーがポカったファイルをもう一回計算しなおさなけりゃならねーんだから」

「ねぇ、中間ファイルとか残ってない?」

「残ってねーな。跡形もねぇ。糞マネ、本当に昨日作業したのか?」

微塵も疑っていないのにそう意地悪く問い掛けると、林檎もかくやというくらい真っ赤に頬を染めてまもりが食って掛かってきた。

「やったわよ、勿論」

「サボってたのを誤魔化してんじゃねーのか?」

「酷い!蛭魔君とは違います」

「そりゃ随分な言い方だな」

まもりが必死に自分の正当性を照明しようとすればするほど蛭魔を喜ばせている事に本人はまったく気付いていない。

ポーカーフェイスの下で蛭魔が、自分だけに気を向けるまもりを独占したような気分になっている事などそれこそ気が付いていない。

気が疲れるようなヘマをする男ではないからだ。

蛭魔妖一という男は。

いつの間にかセナとモン太の声よりもまもりの声の方が大きく部室内に響き渡る。

ライン3人衆はまたかよというような表情で二人を見て、付き合っていられないとばかりにさっさと部室を後にした。

口数は少ないながら観察によって二人の心情を正しく読み取った大工の倅は、馬に蹴られたくないとばかりに家路に着く。

そちら方面に鈍感なライン師弟と存在間の薄い陸上部員、目立つ事が大好きなタイトエンドも順次言い合い二人に声を掛け退出していく。

残ったのはレシーバーとランニングバッグ、そしてチアリーダーの3人だ。

「蛭魔君疲れてるんでしょ?!私がやるってば!」

「またファイル保存し損ねられたら一貫の終わりだからな。俺がやる」

「昨日やったら要領分かってるもの!私がやります」

「俺がやったほうが早い」

「そんな事ないわよ!馬鹿にしないで!」

ヒートアップしたまもりは、自分が蛭魔に圧し掛からんばかりに近付いている事も気が付いていない。

感情が良く表れた表情は、美人という印象よりも可愛らしく面白いという印象が強く、蛭魔の体の良いおもちゃと化している。

鈴音はなんだかな〜という表情で蛭魔を眺め、右手でセナを、左手でモン太の背を叩いた。

「帰ろっか」

「え?でも二人を置いていくのは」

「どーせ、妖兄が仕事終ったら送っていくでしょ。任せておけば良いわよ」

「いやいや、夜道は危険だろ。俺がまもりさんを送って行く」

「・・・・・・モン太のその顔、怖いよ」

「よっぽどまも姉が危険だわ」

「んだよ、二人共!ムキー!」

湯気を上げそうなモン太を二人してドアから連れ出して、最後に鈴音が「それじゃごゆっくり」と声を掛ける。

残されても未だ二人は言い合っていた。

まもりがはっと気が付いた時には、誰一人として部員は残っておらず、状況が理解出来ないまもりは呆然としてしまった。

蛭魔はその隙にさっさとノートパソコンに向き直り作業を始めてしまう。

「ちょっと、蛭魔君」

「あー、漸く邪魔者が消えたな」

「何それ?」

「オメーは知らなくて良い」

「あっ!勝手にやらないで!私がやります!」

「糞マネは大人しく俺に珈琲入れやがれ」

「家政婦じゃないのに」

これはお互い意固地になっていて埒が明かないと、まもりは自分が嫌々折れる事にして、珈琲メーカーの方へと歩き出した。

子供みたいにムキになってしまったと、ほんのちょっぴり反省する。

蛭魔以外の人間相手だったらこんな事はないのになー、と不思議がる彼女も大概鈍感だ。

「砂糖もミルクも入れるなよ」

「もう覚えちゃってるわよ」

暗にそれくらいは貴方の事を知っているわと言われた気がして、蛭魔は珍しく上機嫌に瞳を瞬かせて笑った。











end
2007/10/04 UP


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