髪を切った日
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特に何かがあった訳じゃないけど、気分転換でね。
誰かに問われる度、まもりはそう答えた。
嘘じゃない。
それも本当だと、まもりは心の中で笑う。
でも、それだけが理由じゃない。
髪を切るという行為は、何時だって女の子にとって特別なのだ。
「まも姐、新しい髪形似合うね〜。」
「ありがと、鈴音ちゃん。」
激闘を制し、手に入れた上に行く為の切符が、デビルバッツを抽選会場へと誘ったあの日、皆の前に現れたまもりの髪の毛は短くなっていた。
鈴音はまもりの明るい茶色の髪を見上げてにこにこと笑った。
「皆示し合わせたみたいに髪型変えてるんだもん。驚いちゃった。」
「私も、ムサシ君には驚いたわ。」
声を潜めて、まもりはヒル魔と栗田二人と並んでいる武蔵を眺める。
髪型には元々無頓着そうだと勝手に思っていたのだが、それは思い違いだったのだろうか?
奇抜と言える髪型へとチェンジした彼だが、中身はまったく変わっていない。
あの落ち着いた口調で、何事か二人と喋っている。
「あ〜、あれさっき訊いたら妖兄の指示なんだって。」
「は?」
「罰ゲームらしいよ。」
「何でムサシ君が罰ゲームなんて受けないといけないの?あんなに活躍したのに理不尽だわ!」
抗議に行こうかと半ば真剣に考えたまもりに、鈴音はあははと兄に良く似た笑いを零した。
ヒル魔がまもりの今までの人生で出会った事の無いタイプの人間だった事は、鈴音でなくとも容易に想像出来たし、彼女とヒル魔の性格の違いを考えれば、ここまで熾烈にぶつかり合う事だって想像出来る。
そしてやっぱり想像を裏切る事無く、同じチームの中で同じものを目指すようになってもぶつかり合っている二人が面白かった。
「まぁまぁ。ムサシ君まんざらでもなさそうだから、まも姐が抗議する必要ないんじゃないかな。」
「本人が良いなら良いけど。」
「うん、面白いし!」
「鈴音ちゃん・・・他人事だと思ってるでしょ?」
「これがセナだったら、黙ってられないんだけどね〜。」
鈴音はちらりとまもりの横顔を盗み見たが、今の台詞に特別反応している風もないまもりにがっかりした。
吃驚するくらい恋愛方面に疎いのは相変わらずで、改善される気配も無い。
むしろ、セナが今の武蔵の髪型にした場合という想像をして複雑な表情を浮かべるまもりは、デビルバッツのメンバーになる以前よりも退化さえしてるんじゃないかとさえ思えた。
「まも姐〜。」
「何?」
「・・・まも姐が髪を切った理由ってさ・・・」
視線で21の背番号の男を示すと、まもりは眩しいものを見るようにふぅっと目を細めた。
蒼い瞳は寂しげに揺れている。
「・・・違うよ。」
鈴音はその答えこそ『違う』と直感のままに言葉にしようとしたが、近付いてくる姿に気付き口を噤んだ。
つい先程までパス練習で汗を流していたヒル魔は額にうっすらと汗を浮かべたまま、首筋に張り付いた金髪をうざったそうにかき上げていた。
「糞チア!」
「はーい!」
「糞兄弟に付いてロードワーク行って来い。10キロだ。遠慮せずケツ叩いてフルスピードで走らせろ。」
「うっわ、キツそー。了解でーす!それじゃまも姐、また後で!」
インラインスケートを履いてチアの衣装を着ていた鈴音は、元気の良い返事をするとそのまま三人の元へと滑り去った。
まもりはその後姿を見送って、「あの格好のまま外に行くのかしら?」と呟く。
ヒル魔はまもりの差し出したタオルを当然のように受け取って汗を拭き取りながら、「行くだろ。ガキだからな。」と答えた。
二人で並んでチームメイトの練習風景を眺める。
肌が触れ合っている訳でもないのに、ヒル魔の体が放つ熱をまもりは感じ取る事が出来た。
風は時折強く吹き抜けるが、休む事無くグラウンドを渡り心地好い涼感を届ける。
ヒル魔の熱もやがて収まるだろうと、まもりはぼんやりと思った。
視線を感じて見上げると、同じようにまもりを見ていたヒル魔の視線とぶつかる。
「おい、糞女。テメーが髪を切った主な理由は?」
「・・・ヒル魔君には興味の持てない理由よ。」
まもりは『関係無い理由』とは言わなかった。
『興味の持てない理由』という言葉の裏側に、まもりの自分に対する先入観の存在と語られない理由の内容を知って、ヒル魔は視線を外した。
面倒だな、という正直な感想がヒル魔の頭に浮かぶ。
日に透ける金髪も、幾つも開けたピアスホールも、型に嵌らぬ言動も、黒光りする物騒な玩具も。
全て試合を有利に運ぶ為に相手に恐怖という先入観を植え付ける為のもので、今の所はソレは成功を収めている。
蛭魔妖一という男は底の知れない策略家なのだ。
冷静に膨大な情報を分析して自分が一番望む形の現実を引き寄せる為に、知力を尽くして策を張り巡らせる。
計算し尽しているから、滅多な事では感情を表に出さない。
ただ、それだけなのだ。
別に心臓に青い血が流れている訳でも、木の股から生まれてきた訳でもない。
本質は欠ける事なく人間で、しかも『男』だというのに、この女はソレを見誤っている。
自分が女で、しかも魅力的だという事を、姉崎まもりという女は都合良く忘れる。
ヒル魔はこの先の会話を続けたとしても、その全てが無駄に終るだろうという予感にうんざりして、頭を緩く振った。
まもりは、既に隣に立つ背番号1の男の存在も忘れたように、目の前で練習を続ける部員達の個人データをノートに熱心に書き込み始めていた。
さらさらと首筋で揺れる明るい茶髪は、大分短くなってしまっている。
――― 気に入らなかった。
髪を切った理由も、その髪型も。
「きゃっ!」
ぐいっと後ろ髪を鷲掴みにされ、まもりはバランスを崩して仰け反った。
常人より強靭な指先が痛みを与えるのが目的だと言わんばかりに、強くまもりの髪を引っ張る。
「ちょっとヒル魔君!何するのよ!」
「糞女。髪、伸ばせ。」
「はぁ?!」
「伸ばせっつってんだよ。」
「切ったばっかりよ。何言ってるの。それよりも離して!この体勢苦しいのよ!」
今のまもりの体勢は、腹筋と踏ん張った両足と髪を掴んだままのヒル魔の右手によって支えられている。
何処かがバランスを崩せば、昨夜の雨でぬかるんだグランドに倒れ込むしかなく、マネージャーとして無駄にジャージを汚すのは遠慮したいまもりにとって、嬉しい事態ではない。
震え出しそうな腹筋に目をやって、ヒル魔は短く息を吐いて笑った。
馬鹿にしているようにも、心底愉快そうにも見える、笑いだった。
「だったら早く『伸ばす』って言えば良いだろーが。」
「さっきから何言ってるのか、全然分からないわよ、ヒル魔君!」
「それはテメーが馬鹿だからだ。」
「そんな風に簡単に人の事を『馬鹿』だなんて、言わないで頂戴!不愉快だわ!」
凄んだ所で、この無理な体勢を強いられているまもりの声には普段の威勢は無く、紅潮した頬と必死さを滲ませ始めた蒼い瞳が、彼女の限界を感じさせた。
「丸坊主にする気がねーんだったら、伸ばすしか選択肢はねーだろーが。」
「ヒル魔君!離して!」
「伸ばすだろ?」
懇願にも似た響きを宿すまもりの声は、聞く耳を持たないというスタイルを貫くヒル魔を動かしはしなかった。
この人は本当に悪魔だわ、とまもりは頭の中で罵倒して、結局ヒル魔の真の目的を知る事無く、不本意な答えを口にするしかなかった。
「・・・分かったわよ。伸ばすから!」
自棄を起こして叫んだ声に、ヒル魔は一瞬満足げに鋭い眼光を瞼の下に隠して表情を緩めた。
『笑う』まではいってないのに、穏やかなこんな表情の方が余程まもりの目を惹いて、まもりは自分の限界が来ている事も忘れ蒼い目を瞠った。
ヒル魔の右手が後ろ髪から離れ、まもりの体が一気に後方へと傾く。
「ひゃっ・・・!」
「おらっ、ちゃんと立て。」
すぐさま括れた腰に巻き付くようにヒル魔の右腕が伸ばされ、まもりの身体は少々乱暴に地面と垂直に戻された。
乱暴に扱われた所為で、頬に一筋の髪が纏わり付いているし、後ろ髪は変な方向に跳ねたままだ。
「急に何なのよ!」
「テメーが離せって言ったんだろーが。」
未だ文句を言い足りなさそうなまもりを置いて、ヒル魔はセナとモン太に次の練習内容を告げるべく歩き出した。
見もせずにまもりへと投げ捨てたタオルは、狙い違わずまもりの両手の中に落ちた。
『弟』との決別のつもりだろう。
薄っぺらな理由だと、ヒル魔は思う。
目の前のランニングバッグは、姉のように慕う女が髪を切った事に、少しは思う事があるのだろうか?
姉と同様、かなり鈍いこの男の事だ。
隠された本当に理由になど、一生気付かないに違いない。
特に女に『好み』など無いと思っていたが、どうやら自分はあの女の手触りの良いストレートの髪が気に入っていたらしいと、他人事のように知る。
決別、したんだろう?
遠くに居た雪光の練習の為に笛を吹く女の姿を確認する。
姉弟ごっこは終ったと、周りに示したんだ。
だったら遠慮する事は無い。
肩を越すくらい、伸ばしたら良い。
自分の長い指先の合間から零れ落ちる長い真っ直ぐな陽に透けるような茶髪を想像する為に、ヒル魔は瞳を閉じる。
他の男を理由にして髪の毛を切るだなんて事は、今後許しはしない。
今は1にアメフト、2にアメフト、だ。
全てが終った時、姉崎まもりに襲い掛かる嵐を誰も阻めないだろうと、策士は唇を吊り上げた。
end
2007/05/31 UP
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