それは誕生日という名の特別
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365日の中の1日。
365人居たら、確率的にその中の1人にとって、特別になる日。
まもりはぼんやりと机に頬杖を突いて、窓の外を眺めていた。
気持ちの良いくらいの晴天。
洗濯して干したシーツが、真っ青に染まってしまうんじゃないかと、錯覚しそうな突き抜けた青に、まもりは心を奪われていた。
まもりの瞳の色は、時に空のようだと人に表される。
くすぐったいような照れ臭さがまもりの身を襲うのは、まもりが空に抱いているイメージが良いものばかりだからだろうか。
「良い天気。」
「まもりったら余裕なんだから。ねぇねぇ、問2って答え何?」
「答えは教えられません。」
きっぱりと拒絶すると、クラスメートはやっぱり予想通りの反応かとさしてがっかりした様子も見せず、静かに引き下がり数学の難問に再び孤独な戦いを挑んだようだった。
まもりは比較的数学は得意だ。
自習の課題として与えられたA4サイズ全4ページの課題は既に女性特有の優美な綺麗な字で答えが埋められている。
数学が不得意な不届きなクラスメートの何人かは、机の上に伏せられているまもりの解答済みの課題を虎視眈々と狙っていたが、無敵の風紀委員と名高いまもりからそれを掠め取る事は未だ成功していないのだった。
再びまもりは窓の外に視線を逃がす。
雑然と乱れた机に向かうクラスメートのなんとも言い難い熱気に当てられたのかもしれない。
少しだけ、憂鬱の波に攫われている自分を感じて、誰にも気付かれない様にため息を逃がした。
「まもり?ちょっとどうしたの?熱でもあるんじゃないでしょうね?」
言葉と同時にほんのりと日に焼けた手がまもりの額に当てられる。
見上げると仲の良い友達の一人、咲蘭がまもりを見下ろしていた。
「熱なんて無いよ。ぼぅっとしてただけ。」
「本当に大丈夫?また部活キツイんじゃないの。なんと言ってもキャプテンがあの蛭魔君だもん。」
「部活は出来る範囲でしか働いてないから平気よ。選手の方がよっぽど重労働だわ。」
「アメフトって結構ハードなんだなぁってまもりの話を聞いて初めて知ったわよ。でもまもり。マネージャーだって重労働だって事、ちゃんと自覚した方が良いわよ。」
「えー、そんな事ないってば。」
「あるある!」
突如二人の会話に乱入してきたのは、少し離れた自分の席で課題を前に不気味なうなり声を上げていたアコだった。
右手にはシャーペン、左手には課題の紙を持っている所を見ると、どうやら一人で数学に向き合う事に飽きたらしい。
まもりと咲蘭は二人で顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「アコ、何処まで出来たの?」
「ええっと・・・取り敢えず最後まで目は通したけど。えへへ。」
意味不明な笑い声で誤魔化した時点で成果は押して知るべしという所だろう。
まもりは無言でアコの埋まっていない解答欄にざっと目を通し、咲蘭は教科書の該当場所を開いてアコの前に置いた。
絶妙なコンビネーションと言えよう。
2・3のアドバイスをアコにした後、二人は再び話を始める。
「まもりはね、人より何でも出来ちゃう分、頑張り過ぎてるのに気付くのが遅いのよ。それは鈍感っていう言うのよ。」
「酷い!」
「まもりはこれくらい言わないと分かってくれないでしょ。」
「ねぇ、今日ってアレだよね。」
不意に咲蘭がまもりの肩に指を触れさせた。
まもりはちょっと困ったような表情で小さく頷く。
「どうしたの?」
「あ、うん・・・」
「今日アコと二人でシュークリームお腹一杯食べさせてあげる!放課後雁屋によって買い込んでうちに行こ!」
「・・・今日は、ちょっと・・・ごめん。」
顔の前で両手を合わせ、ぺこりと頭を下げたまもりに、咲蘭とアコが不満の声を上げた。
「なんで〜!」
「・・・お仕事。」
折角のお祝いの申し出を断るのが申し訳なくて、まもりは小さな声で原因を告げ、上目遣いで二人を窺い見る。
青い宝石のような瞳が、二人の姿を映した。
「アメフト部か・・・!んもう!まもりの誕生日だっていうのに、何やらせんのよ!」
うがっと怪獣のような咆哮でアコが怒りを表明する。
咲蘭もむすっと唇を引き結んでアコに続く。
「昼も夜も無ければ、平日も休日も無いんだから。あの悪魔め。」
「そんな事言うと、何処からともなく現れるわよ。」
「「げっ!」」
まもりの忠告に二人は慌てて左右を見回し、あの黒い悪魔の姿が教室内に無い事を確認してから、止めていた息をゆっくりと吐き出した。
「怖い事言わないでよ。」
「だって本当の事よ。蛭魔君って凄い地獄耳なんだから。あの耳は飾りじゃないのよ。」
ふぅっと短く息を吐くまもりに、友人である二人は息を飲んだ。
本人は気付いていないのかもしれないが、蛭魔の事を語る時、まもりの表情は時折変化を見せる。
柔らかく解けるように、硬い殻の内側を気紛れに見せるように、とても魅力的な表情を見せる。
笑顔ばかりではない。
怒り顔も憂い顔も、困り顔も不機嫌そうな顔も、全てに散りばめられた宝石の原石のように。
気付いていないのは本人だけだ。
それもまた鈍いという事なのかもしれない。
「・・・何?何か変?」
二人が自分を注視して固まっているのに気付いたまもりが驚いたように手を顔に当てる。
咲蘭が、次いでアコがまるでマネキンが人間である事を思い出したかのように動き出した。
「あ〜。分かりました分かりました。今日はしょうがないからデビルバッツにまもりの時間を譲るわ。でも明日!明日は私達に付き合ってもらうからね。」
「もう嫌だってくらいシュークリーム食べさせるからね。覚悟してなさいよ。まもり。」
「ありがと!楽しみにしてるからね。」
まもりがにっこりと笑った事で、咲蘭とアコは折角思い描いていたまもりの誕生日お祝いプランを今日決行する事を諦めた。
カジノのような装飾で何処と無く攻撃的なインテリアの部室内で一人まもりは掃除を始める。
言い付けられた事は、今度練習試合をする事になっているアメフトチームの攻撃と守備のパターンの解析だ。
だがしかし、それらに手を付ける前にこの散らかり放題の部室内の掃除をせざる得ない。
こんな所で作業に集中出来る訳がないからだ。
「一体誰がこんなに散らかしたのかしら。」
頭の中に浮かぶ何人かの部員の顔をじゅんぐりに眺めながら、まもりはしょうがないなぁと笑う。
アメフトをやっている時には吃驚するくらい『戦う男』の精悍な顔付きなのに、普段は忘れてしまっているみたいに子供みたいなのだ。
ふざけあったり、馬鹿をやったり。
まもりが否が応にも、しょうがないなぁと、自然に思わされてしまうのだ。
デビルバッツメンバーには。
「あー!これ十文字君のだわ。こんな所にあったのね。」
先日無くしたと十文字が嘆いていた膝のサポーターを乱雑に積み上げられた雑誌の山の下から見付けて、まもりは得意げな顔になる。
「明日の朝一番にこれを目の前に取り出して見せたら、十文字君きっと喜ぶわね。」
くすくすと笑いながら、アメフトとは関係の無い雑誌を手際良く荷紐で纏めドアの横に積む。
帰る時にゴミ捨て場に出しに行けば良いだろうと考えて、ようやく物が納まるべき所に納まった部室を見回して満足げに頷いた。
「さてと。やろうかな。」
かちかちとシャーペンをノックする。
お気に入りのロケットベアのシャープペンは、使い古されて一部の塗装が剥げてしまっている。
それでも捨てる気持ちになれないのは、愛着があるからだろう。
作業の合間に、ふと考える。
誕生日が特別だなんて誰が決めたんだろう。
特別な筈の誕生日に、一人部室で作業をしている自分は一体何なんだろうと。
「一つ歳をとるだけ。つまりそういう事なんだけどね。」
友人に祝って貰えなかった事がやっぱり残念で後を引いているのか。
未練がましいと、まもりは自分を笑った。
時間が過ぎる分、解析は終わりに近付く。
いつの間にか校庭の方から聞こえてきていた野球部の掛け声が途絶えていて、まもりは腕時計で現在時刻を確認した。
もうそろそろ帰られなければならない時間だ。
残りを確認して、あと十分もあれば終わると目算する。
「あとちょっと!ファイト!まもり!」
掛け声勇ましく自分を鼓舞し、まもりは手を動かす。
それは滑らかで無駄の無い手付きだった。
「ちょっと遅くなっちゃったかしら。お母さんに連絡した方が良いかなぁ。」
小走りに校門から出てきたのは、今日言い付けられた作業を全て終えて部室内の戸締りを終えて出て来たまもりだった。
校則で定められた丈を余裕を持って守っていたスカートも、鈴音に半ば強引に押し切られて随分と短くなってしまった。
その為に走るとちらちらと覗く真っ白な太股も、暗闇に覆い隠されて残念ながら人の目に触れる事はなかった。
学校沿いの通学路は人の気配が全く感じられない程静まり返っていたが、明々と地面を照らす多めの街灯が寂しさを払拭していた。
まもりはぱたぱたと重さを感じさせない走りでそこを脇目も振らずに掛け抜ける。
元々運動神経は抜群だったが、皆のロードワークに付き合って自転車で伴走したり、時には実際に一緒に走ったりして鍛えられていたので多少の距離のジョギングでは息も対して切れなくなっている。
このまま家まで走って帰ろうか?などと他愛も無い思い付きがまもりの頭の中で踊った。
角を曲がろうと体が丁度バランスを変えようとした所だった。
考え事に意識の半分が持って行かれていた所為も有るし、電信柱が立っていて、見通しが悪い所だった所為もある。
まもりは飛び出して来たと錯覚するような突如として現れた人物に、勢いも殺す事が出来ないまま突っ込んでしまったのだ。
ドシンと鈍い音。
鞄が放り出されて地面に叩き付けられるドサッという音。
呻くような、低い不機嫌そうな吐息。
まもりがぶつかった人物は無様に地面に転がるような人物ではなかった。
まもりを抱くように受け止め、その場に2本足でちゃんと立っていた。
恐る恐る顔を上げ、まもりは息を飲んだ。
「ひ、蛭魔君。」
「糞マネはいつからライン志望になったんだ?QBにタックルたぁ良い度胸じゃねーか。」
「これは、その。・・・ごめんなさい。」
「謝って済むなら警察要りません。」
小馬鹿にしたようなからかい口調だったが、言葉通りにまもりを許さない気ではなかったのか、蛭魔は存外あっさりとまもりを解放した。
一歩後退したが、まもりはなんとか自分の力で立つ事が出来る。
体当たりした衝撃は、まもりの細身の体に残ってはいたものの、すぐに抜けていく程度のモノだったようだ。
「急いで何処に行く?」
「帰るだけよ。」
「夜道が怖いのか、一丁前に。」
「そういうんじゃないけど。」
何の気紛れか、蛭魔が地面に落ちたまま忘れ去られていたまもりの鞄に体を屈めて手を伸ばした。
ぎょっとしたまもりは思わず自分の手を鞄に伸ばした。
それは条件反射に近かった。
「おいっ!」
「ひゃっ!」
ぶつかった互いの腕。
バランスを崩したまもりを、またしても蛭魔は支える羽目になった。
左手がまもりの右肩を掴み、そのまま押し上げようとする。
右手は鞄を中途半端に掴んだままだ。
しかし、今度は上手く行かない。
慌てたまもりの足が鞄にぶつかり、蹴られたそれが蛭魔の右足を直撃する。
まもりの空を切った右手は地面を掠り、そのまま蛭魔に体全体を押し上げられた関係で蛭魔の左半身を撫でる様に動く。
ダブルでの攻撃に、ぐらり、と蛭魔の体が揺れた。
何がどうなったのか。
まもりはこめかみがびりびりと得体の知れない感情で痺れるのを感じた。
自分の体に密着する他人の体。
鼓動を打つ心臓に近い場所に、他人の熱。
自分の両腕が抱く、骨ばった感触。
まもりは悲鳴をあげようとして、喉がからからに乾いてしまっていてそれが叶わない事を知った。
「・・・おい、糞マネ。」
「・・・ひ、ヒルマ、クン・・・」
「片言日本語喋ってんじゃねーよ。」
「だ、あ、て、なん・・・」
「趣旨変えして人間止めて猿になったのか、糞マネは。だーかーら、パニくってねぇで離せ。」
声が直接体の中に響く事に、まもりは眩暈を感じて目をキツク瞑った。
蛭魔の唇はまもりの丁度左胸の下当たりにくっ付いている。
柔らかで豊な胸を押し潰す様に、蛭魔の顔は真正面から押し付けられているのだ。
まもりの両腕によって。
「おい、聞いてんのか。離せ。」
トーンの変わらない声。
この男はまもりの胸に顔を埋めようと、冷静さを失いはしなかった。
がちがちに固まったまもりに、小さく溜息を吐いて、そして唇を吊り上げて小さく笑う。
からかうように、歌うように、一言。
「男を抱こうなんざ、100万年早ぇんだよ。」
いつの間にか回っていた蛭魔の両腕が磁石の様にくっついていたまもりの体と自身の体をべりっと引き剥がす。
乱れた金髪がきらきらと場違いにも街灯に光に輝いた。
「『抱かれる』よりも『抱く』主義なんだよ、俺はな。」
「・・・何、言ってる、のよ。」
「ハッ!息も絶え絶えに言う台詞じゃないだろうが、糞マネよ。真っ赤になって、何を一体期待してんだ?」
「期待なんてしてません!」
ようやくいつもの調子を取り戻し掛けていたまもりだったが、蛭魔に強引に腕を取られてその胸と腕の中に閉じ込められた時には、何もかもが吹っ飛んでしまった。
リズムの違う鼓動。
硬く広い胸は、幼馴染のセナくらいしか知らなかったまもりには、刺激が強過ぎた。
「確か俺の脅迫手帳によると、糞マネは今日誕生日を迎えたんだよなぁ。」
愉悦を含んだ声は、普段ならば憎たらしさしか感じない筈なのに、この時にはまもりの耳から入って心に届く頃には酷く甘く響いた。
「ま、たまにはサービス、だ。」
冗談なのか、本気なのか。
まもりは焼き切れた心を繋ぎ止めながら、泣きそうな気持ちで判断を天秤に掛けていた。
end
2007/04/18 UP
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