酔わせてもくれない









「酔った振りはヤメロ。」

こちらをちらりとも見ないで、悪魔は言った。

誠実性ゼロ。

薄暗闇の中で光る液晶のディスプレイを見る瞳は鋭い。

目尻は切れ上がり、そのままこめかみに深い溝を作って側頭部から後頭部へと繋がっていきそう。

崩れ落ちたままの上半身を起こす力は私にはない。

冷たい床は吐き出したお酒臭い吐息で温まりつつある。

「ね〜え、蛭魔君〜?」

語尾に精一杯の甘えを滲ませた。

蛭魔君の手元は狂わない。

視線がこちらに向く事はない。

彼の関心は相変わらずディスプレイの向こう側の世界に向けられている。

さっきから何をそんなに熱心に見てるのか? 私には知る事が出来ない。

「蛭・魔・君!」

少し怒った口調でその名を呼んだ。

呼びながら手の届く範囲にあった黒い靴下に包まれた右足の甲に爪を立てた。

綺麗に伸ばしてパールピンクのマニキュアを塗った爪は立派な凶器だ。

「いてぇぞ、糞女。」

小さな舌打ち。

それから容赦無く足から私の指先が振り落とされ、それだけで終らず一旦床から離された足は加速して振り下ろされようとした。

慌てて指を引っ込めるとそれを掠めるようにして蛭魔君の右足は床を踏み付けた。

ズドンっと音がした。

下の人に迷惑じゃない・・・じゃなくて!

「危ないでしょ〜!蛭魔君の馬鹿〜!」

「馬鹿はテメーだ。俺の大事な足に傷つけんな。」

「傷なんて付くわけないじゃない!靴下越しよ?たかが女の爪よ?」

呂律が上手く回らなくて聞き取り辛い声だったけど、構わず抗議した。

蛭魔君相手に沈黙で守備に回るだなんて、そんな狼に睡眠薬で眠る赤頭巾を差し出すに等しい愚かさは持ち合わせていないのだから。

お酒で酔っ払って理性が半分以上飛んでてもそういう重大な事は忘れない女よ、私は。

蛭魔君は何事も無かったかのように、時折指先で画面をスクロールさせながらディスプレイに見入っている。

私の存在は完全無視だった。

「蛭魔君・・・気持ち悪い。」

深酒し過ぎたみたい。

今頃吐き気が胸を圧迫して苦しくなってきた。

さっきまで全然平気だったのに、不思議だなぁと暢気に考える一方で、このままここで吐いたら少しは蛭魔君に開いてして貰えるんだろうかと、馬鹿な考えが頭を過る。

どうせ後始末するのは自分だし、悪魔は私を足元に転がしたまま、自分の作業を続行するんだと分かってるのに。

「ここで吐くな。臭うからな。」

「・・・無理。トイレ。」

「自分で行け。」

ジーンズの裾を引っ張ってアピールしても、つれない蛭魔君。

本当に蛭魔君は私の彼氏なんでしょうか?

誰も居ない空間に問い掛けてみても誰も答えてくれる訳がない。

耳の奥で、深夜のテレビが流す砂嵐みたいな音が響いてる。

息をするのも苦しくなって、生理的な涙が滲んだ瞳を乱暴に手の甲で拭って、何とか自力で立ち上がろうとした。

このままここで伸びていたら、本当に床に吐いてしまう。

今は良くても後悔するのは絶対私なのだ。

だってこの部屋は私の部屋なのだから。

肘を床に突いて上半身をなんとか持ち上げて、少しずつ床を這うようにして移動を開始する。

スカートが皺だらけになってるに違いない。

お気に入りの紺色のバーバリーチェックの巻きスカートなのに。

中途半端に持ち上がった上半身と床に挟まれて、白いニットのセーターは捲れ上がってしまったのか、背中のあたりとお腹のあたりが冷たい空気に触れた。

ようやく一メートルくらい移動しただろうか。

気が付くと、部屋の中は完全な無音になっていた。

「・・・芋虫か?」

「違います!」

勢い良く言い返して私は口元を慌てて押さえた。

吐くかも!

じっとして動かず波をなんとか遣り過ごした。

大きな溜息。

私の頭上から落とされた逸れに、私はびくりと肩を揺らした。

「アホだアホだと思ってたが、ここまでとはな。」

「・・・」

「吐くなよ。吐いたら落とす。」

偉そうな宣言の後、私が返事をする間もなく、身体が中に浮いた。

連れて行かれる先はトイレ。

私はようやく動いた蛭魔君に、何故かとても安堵していた。











「落ち着いたか、糞女。」

「そんな名前じゃないわ。」

「『そんな名前』で充分だろ。人が折角時間割いて来てやったって言うのに、テメーは下らないサークルとやらの飲み会で留守だと?何様のつもりだ。」

「蛭魔君こそ連絡無く勝手に来てその言い草なに?私が部屋に入ろうと思って鍵を取り出したら誰も居ない筈の部屋から灯りは漏れてるは鍵は開いてるは・・・どれだけ吃驚したと思ってるのよ!」

ワンルームなのでさして広くない部屋の中で二人の距離は互いの意志に関係無く存外近い。

蛭魔君は座り心地重視で買った椅子に、私はベッドの上に座ってる。

飛び掛ったら逃げられる前に押し倒せる距離だ。

「テメーの頭は飾りか。状況から判断して俺しか居ないだろ。そんな事も分からないとは、泥門の鬼風紀も大した事なかったと訂正して回らないといけないな。」

「何時の話を取り出してるのよ。蛭魔君。第一、最初っから不機嫌で手が付けられない人をまともに相手する訳ないでしょう?いつまで拗ねてるのよ!」

「あぁ?俺の耳が悪くなったのか?今おぞましい単語が飛び出したようだが。」

「聞こえてないならもう一回言います。蛭魔君いつまで拗ねてるつもりなのよ!酔って気持ちが悪い私を尻目に厭味ったらしく1時間もネットサーフィンなんかしちゃって!」

「ネットサーフィンなんて暇潰しする訳ねーだろ。ニューヨークの株価チェックして売買してたんだよ。暇人と一緒にすんな。」

「1時間も?!」

「やろうと思えば幾らでもやれんだよ。俺が2時間でどのくらい稼いでると思ってるんだ。」

「・・・お金の亡者だわ。」

「日本とアメリカ往復する金は要らないと言うんだな。」

蛭魔君の言葉は私を黙らせるのには充分な威力があった。

勝ち誇った表情を覗かせた蛭魔君とは対照的に悔しくて歪む私の顔。

悔しくて悔しくて、反撃の糸口を掴もうと頭をフル回転させるけど、何も思い付かなかった。

当然居ると思って尋ねて来た部屋に私が居なくて拗ねてた癖に!

自分だって向こうでチームメイトと食事したり飲んだりしてるくせに、私が他の人と楽しそうに飲んでるのは気に入らないだなんて、自己中心的で子供みたいな感情で癇癪起こしてた癖に!

本当はすぐにだって触れたい癖に、私になんて関心無いって振りして、誤魔化すみたいにパソコンを弄ってたくせに。

全部知ってるけど、それを上手く攻撃出来ない。

変な所で不器用な自分に腹が立つ。

「・・・」

「・・・」

睨み合いは膠着状態。

じりじりとお互いの距離を測って出方を窺ってる。

折角蛭魔君が会いに来てくれたのに。

・・・何馬鹿な事やってるんだろう。

どんな憎まれ口叩いたって、行動で示してくれるのは何時だって蛭魔君なのだ。

・・・ああ。

「蛭魔君。」

「なんだ糞女。」

攻撃的な口調は緩む事は無く、その手が伸ばされる事も無く。

ああ、まったく!



口では勝てないんだから、と早々に私は言葉を投げ捨てて、この身一つで蛭魔君に飛び掛かった。









end
2007/03/08 UP


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