愛すべきエゴイスト









蛭魔君からの電話は短い。

悪趣味、と本人が知れば罵るだろうけど、私は毎回蛭魔君との通話時間をこっそりと記録している。

折れ線グラフはほぼ一直線で、大きく外れる事はなかった。

等間隔に打たれる点。

毎週金曜日。

それが蛭魔君と私とを繋ぐ、現在唯一の時間だった。











高校時代の友人が「まもは真面目だねぇ」と笑う。

「大学生ってもっと余裕があるのかと思った」と溜息を吐いたら、間髪入れずに彼女が「そりゃそんなに講義とバイトを詰め込んじゃうとね〜」と原因を教えてくれたのだ。

「普通は卒業単位に関係無い講義は受講しないもんよ、まも。」

「だって、気になる講義が一杯あるんだもの。取らなきゃ損じゃない?」

「そういう所が庶民派思考ねぇ。」

「う・・・そうかなぁ。貧乏臭いかなぁ。」

「まぁ若干そう思わないでもないけど、別に禁止されてる訳でもないし、取りたいだけ取りなさいよ。でもバイト、少し減らした方が良くない?」

「バイトは今楽しくてしょうがないの!可愛い子ばっかりなのよ?昔のセナみたいな子だって居るんだから!」

「区立託児所のバイトなんて良くぞまもぴったりのバイトを見付けて来たもんだわ。でも、まもってば未だセナ君離れしてないの?」

「・・・してないかなぁ?努力してるんだけど。」

「まぁね。努力は認めるわよ。」

しょうがないなぁって感じのその笑顔を見るのは嫌いじゃなかった。

だって、私の良い所も悪い所も、全部受け入れてくれるんじゃないかって思わせて安心させてくれるから。

友情も愛情も一方通行じゃ寂しい。

そう思い知ったのは、蛭魔妖一という人物に深く関わってから。

私の人生は彼によって大きなターニングポイントを迎えた、と言っても過言ではないと思う。

小さな小さな私の頑強で偏見に凝り固まった世界を打ち壊した、人の形をした悪魔。

悪い事も良い事も、彼は私の目の前で実践して見せて、そうして小馬鹿にしたように嘲笑った。

こんな事も知らねーのか?

そう言われるのが悔しかったのは、彼の言う事が事実だったからに違いないと、今なら素直に言える。

「ま〜も?今、蛭魔君の事考えてたでしょ?」

「えっ?!やだ、そんな事・・・」

「誤魔化すの下手よね、まもって。そういう所が不器用で何だか微笑ましいよ。変わってないなぁ。彼、元気でやってるの?」

すっかり氷が溶けてしまって味が薄くなったオレンジジュースを子供が遊ぶようにからからとストローで掻き回す。

鮮やかなブルーのガラスのコップが陽光を反射してきらきらと瞬くようだ。

「うん。元気みたい。この前、日本の社会人チームのデータ寄越せって、偉そうに命令するのよ。私だって忙しいのに。」

「相変わらずね〜。アメフト馬鹿って感じで。」

「うんうん。本当にアメフト馬鹿だから。」

「でもさ。まも、蛭魔君の話する時は顔付き違うね。優しいって言うか女っぽいって言うか。」

「・・・それは、褒められてるのかしら?」

「褒めてどうするのよ。そうじゃなくて、ただ、事実を言っただけ。蛭魔君は変わってないけど、まもは変わったよ。」

その友達の一言は、何故かずしんと心に響いた。











今日は木曜日。

蛭魔君からの電話が無い日。

無事にバイトを終えて帰宅した独りの部屋は、とても寒々しくて誰かに電話を掛けたくなるけど、ぐっと我慢した。

寂しいと感じる度に電話なんて掛けてたら、お母さんもセナも、きっと心配する。

望んで一人暮らしを始めて、既に二年が経過しているのに。

「・・・こんな時普通は、恋人に電話って一番に出てこないと駄目なのかしらね。」

口に出して、私が蛭魔君に電話を掛けようと思いも付かなかった事を再確認する。

太平洋を越えた所に、彼は今も居る。

日本に帰って来るのは年に二・三回だ。

寂しいけど、「寂しい」と素直に言ってしまったら、彼はきっと私をうざったく思うに違いない。

アメリカに行くと宣言された時にこの未来は分かっていた。

こうなる事を知った上で、私は彼との関係の延長を望んだんだから。

弱音なんて吐けない。

吐いたら・・・全てが終わってしまうんじゃないかという不安が私の喉元にナイフを突き付けて脅迫する。

上着をクローゼットに仕舞い、紅茶を飲む為にポットにお湯を沸かす。

蛭魔君と一緒に居ない時は、もっぱら紅茶を飲んだ。

私は甘党だから、当然紅茶にも砂糖を入れると他人に思われがちだけど、実は紅茶には砂糖を入れずに飲んでいる。

その方が美味しいから。

そう、私は珈琲と紅茶ならば、紅茶を選ぶ紅茶派なのだ。

蛭魔君は紅茶なんか飲まない。

私も普段は珈琲なんて飲まない。

だけど、この部屋には高価なコーヒーメーカーがあって、少量ではあるけれど、最上級の珈琲豆が準備されている。

ひっそりと戸棚の奥で眠るそれは、滅多に来ない薄情な悪魔を待っている。

「あ、ヤダ・・・」

ぽろり、と涙が零れた。

それはフローリングの床にぺしゃりと叩き付けられて、憐れな飛沫となった。

ぽつり、ぽつり、と雨の降り始めのように床には水滴が模様を描く。

ぽつり、ぽつり。

「・・・泣きたくなんて、無いのに!」

彼を想って泣いていると知ったら、蛭魔君はどう思うだろう。

そんな面倒な女なんて要らないって、笑って切り捨てるんだろうか?

ああ、思考がマイナス方向へ一直線だ、と冷静な部分が必死にストッパーを探す。

被害妄想だって分かってる。

蛭魔君だってちょっとはそう思うかもしれないけど、行き成りギロチン台へ私を送り込む事は無いだろう。

蛭魔君だけじゃなく、誰にも知られずにこの時間を抹消しよう。

流した涙ごと真空パックにして、ダストシュートに放り込むのだ。

大丈夫、大丈夫。

深呼吸を二回して、私は乱暴に濡れた頬と瞼を袖口で拭いた。

これはただの水。

目にゴミが入っただけ。

「・・・良し。」

気が付けばキッチンからポットがピーピー悲鳴を上げながら私を呼んでいて、慌てて立ち上がり駆け寄る。

前に一度空焚きしてしまって、ポットを駄目にしてしまったから。

お気に入りのアールグレイをゆっくりと丁寧に淹れて、私は買って来ておいた近所のケーキ屋さんのシュークリームを冷蔵庫から取り出す。

本当は夕食後のデザートにしようと思っていたんだけど、泣いた分体力を消耗してしまっていたから大好きなお菓子で急速充電しようと今決めた。

カップとお皿を持って部屋へと戻り、二つをテーブルに並べる。

誰に聞かせるでもないけど、「頂きます」と声に出して、私はカップを手を伸ばした。

そのタイミングで、携帯電話が震えた。

バイブ設定なので音は出ないが、それは着信の合図だ。

「え?」

手に持って名前を確認して・・・

「えぇぇぇ?!」

ある筈の無い文字。

まるでブリキ人形のように機械じみた動きで壁に掛けてある風景写真のカレンダーに目を向け、今日がやっぱり木曜日である事を確認する。

なんで?どうして?だって今日は金曜日じゃない!

呆けたように「蛭魔妖一」の文字を見ていたけど、私はこれが幻でもなんでも無いとしたら、切れてしまう前に取らないと絶対後悔すると気が付いた。

「蛭魔君!!!!」

半瞬で通話ボタンを押し耳に押し付けて、私は声の限りに叫んだ。

別に声の大きさがなかなか電話に出ない私に対する蛭魔君のイライラを緩和してくれる訳でもないのに。

案の定、私の鼓膜を突き破らんばかりの大声は、彼の機嫌を更に損ねただけだった。

『・・・テメーは俺の耳を使いモノにならなくする気か?』

「ごめんなさい。あの今日木曜日よ。」

『分かってる。』

短い返答に心臓が震えた。

夢や幻ではなく、本物の蛭魔君だったから、引っ込んでいた涙がまた込み上げて来た。

習慣で腕時計に目を向け、会話開始時間を記憶する。

蛭魔君を堪能出来る時間は短い。

「珍しいね。木曜日に電話くれるなんて。・・・あの、嬉しい。」

ほんのちょっぴり勇気を出して、素直な気持ちを吐露したら、電話の向こうで蛭魔君が笑う気配が伝わって来た。

きっと今、分かる人が見ないと分からないくらいささやかに、優しい瞳をしているに違いない。

対面してそれを見る事が出来ないもどかしさが胸を苦しくさせるけど、それさえも愛しい感覚だった。

『明日の金曜は用事があって電話出来ねーんだよ。』

「でも今まではそういう時は1週お休みって事で、別に前連絡なんて無かったじゃない?」

『・・・』

沈黙が流れて、珍しい事にそれは蛭魔君の逡巡のようだった。

私が黙って次の言葉を待っていると、短く吐かれた溜息に次いで、蛭魔君の声が聞こえた。

『来週の金曜は練習試合でフロリダに飛ぶからな。丁度移動の飛行機の中で連絡出来ねぇ。』

「二週間連続で電話出来ないって分かってたから連絡くれたの?」

『・・・その次の週も連絡出来ない。』

「え?」

ツキンっと心臓が痛んだ。

そんなに声が聞けないなんて。

寂しい、と言えないからぐっと唇を噛んで我慢我慢と念仏のように頭の中で繰り返した。

『おい、糞マネ。黙んな。』

蛭魔君は私の事を未だそんな風に呼んだりする。

名前を呼んでくれるのは、それこそ特別な時だけだ。

今声を出したらみっともなく掠れてしまいそうで、そんな声を聞かせるくらいなら黙っていた方がましだと、なおも沈黙を返していたら、蛭魔君が特大の溜息を吐いた。

あの薄い唇から吐き出された大量の空気が携帯電話から吹き出して来そうなくらい、わざとらしい溜息。

それから、クックックッ、と押し殺したような笑い声が聞こえた。

『再来週の金曜、そっちに帰る。』

「・・・は?」

ソッチニ帰ル。

蛭魔君が日本に戻って来る?!

え?

「えー!」

『迷惑ならそう言え。速攻チケット破り捨てるぞ。』

「捨てないで捨てないで!!」

あんまりにも急いで声を出したから、げほげほと噎せてしまって、私は苦しい咳を繰り返した。

それがツボに入ったのか、蛭魔君がゲラゲラ笑った。

こういう時の蛭魔君は心配なんかしてくれないで遠慮もしないで私を馬鹿にしたように笑う。

『何かにメモしろ。搭乗するのは・・・』

やや早口で言われた飛行機の便名と到着時間をメモする。

笑ってしまうくらい文字はへろへろと形を崩し、私の動揺と喜びを如実に表していた。

『遅れるなよ、糞マネ。』

「大丈夫!絶対迎えに行くからね!」

『それからメシ用意しておけ。』

「任せて!」

『・・・ご機嫌だな。さっきまで湿っぽい声出してたくせに。』

気付かれてた?!

ちょっとしか会話してなかったのに、蛭魔君、気付いていた。

ぽろり、と涙が溢れた。

今日二回目の涙は、でもとてもとても幸せな涙だった。

指の腹でゆっくりと拭って、私は瞳を伏せた。

最後の、蛭魔君の別れの挨拶をちゃんと受け入れる為に。

『じゃあな。』

端的な言葉で、電話は切れた。

蛭魔君はいつも私からの別れの挨拶を聞かずに通話を終了させる。

切れてしまったラインを惜しみながら、私は携帯を閉じる。



それから、ちょっと泣いてしまった。









end
2006/11/22 UP


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