無駄な駆け引き









どかっと、容赦無い質量が背中に寄り掛かってきた。

瞬間胸が詰まって、けほっと息を吹き返すまで生きた心地がしなかった。

読んでいた単行本は衝撃に手からするりと滑り落ちていて、足に本の角が当たって痛い。

やがて余裕が戻ってきてから視線を床へと落とすと、無残にページが折れ曲がってしまったお気に入りの作家の最新刊。

あ〜、と力無い言葉が零れ落ちた。







「ちょっと蛭魔君、さっきから何なのよ。」

「あ〜?」

「私、本を読んでいるんですけど。」

「んなの見りゃ分かる。」

「邪魔しないで頂けます?」

「似合わねーからその口調ヤメロ。」

「命令される覚えは無いわよ。それこそ蛭魔君のその傲慢な言葉使いを直した方が世の為人の為だと思うわ。」







ずっしりと重いのは、きっと細身でも筋肉が詰まっているからだと思う。

やっぱり女の体の作りとは根本的に違うんだと再確認して、私は今現在の苦境から逃げ出そうと両手を床に突いて力を込める。

でも私の身体はその場所からちっとも動けなかった。

それはこの背に圧し掛かる圧倒的な『重り』の所為。

金髪悪魔を睨み付けようにも、上半身を捻る事さえままならない。







「ちょっと蛭魔君。重いわよ。」

「鍛え方が足りねぇ。」

「あのね、蛭魔君。私はアメフト選手じゃなくてマネージャーです。鍛えてどうするのよ。」

「貧弱な糞女にデビルバッツのマネージャーが務まるか。鍛えろ。俺の足を引っ張らん程度にはな。」

「嫌だわ。私別に華奢な体が欲しい訳じゃないけど、筋肉むきむきの身体は絶対に欲しくないもの。」

「それはそれで笑えるな。」







くつくつと笑う蛭魔君の震動が背中越しに私にも伝わった。

悪魔は低体温かと思っていたけれど、人並には温度があるみたいで、背中はほんのりと温かい。

エアコンが効いている筈だけど、窓際のこの場所は指先が冷えてしまうくらい硝子から冷気が伝わってきていて、素直になんか言わないけど蛭魔君の体温は離れ難い魅力だった。

首筋を時折擽るのは気紛れな悪魔の金髪。

猫っ毛の私とは正反対に、芯が通った太い髪の毛は、きらきらきらきら、無駄に白い光に輝いている。

蛭魔君は私に寄り掛かって膝の上に乗せたパソコンを操っているのだろう。

見なくても音と気配でそれくらいは分かった。







「ねぇ離れてよ。重いってば。」

「煩い。」

「何よ!横暴!」

「・・・」







答えの無い蛭魔君から、逃げ出す事を決めた私は、気合を入れて両手両足で床を押した。

がくんっと支えを失った蛭魔君の身体が揺れて、私も同様の衝撃でバランスを崩してみっともなく頭からフローリングの床へダイブした。

ごちんっと額と床がキッスする。

半端の無い痛みが私を襲った。







「痛い〜・・・」

「アホだ。アホがここに居る。」







必死の思いで這いつくばった身体を起こして見上げると、右手でパソコンを支え左手を床に突いて自らの身体を支えて難を逃れた蛭魔君が私を見下ろしていた。

その瞳は一匙の哀れみと隠す気も無いんだろう愉悦の色。

どうせ悪魔は私のこの痛みとどうしようもない恥ずかしさを心底楽しむだろうし、同情して手を差し伸べる事もからかいを手加減してやろうだなどという甘い考えも持ち合わせていないに違いない。

案の定、にやり、と悪魔的な笑顔を浮かべた。







「てめぇは何をやっても何処か抜けてるな。」

「放っておいてよ!」

「今の格好、愉快過ぎる。写真でも撮ってサイトに載せるか?」

「ちょっとヤダ!止めてよ!」

「あー、どうすっかな。」

「何本気なの?!ヤダ何それ!!」







蛭魔君の手には小さなホワイトシルバーの機械。

機械音痴の私だってこの場で出されればその正体は嫌でも悟らざる得ない。

デジカメ。

蛭魔君の持ち物だからきっと絶対性能だって一流の物に違いない。







「ねぇ撮ったの?!今の撮ったの?!」

「きゃんきゃん煩い。」

「酷い!ちょっと蛭魔君、今の削除して。」

「さてどうするか。」







悪魔は長い指先でくるくるとデジカメを弄びながら私を計る様に眺める。

楽しげな口元。

既に手元のパソコンは閉じて遠くに退避してある。

何時の間に、と思う早業だ。

私はと言えば読み掛けだった本は未だ無残な姿を晒しているし、じたばた暴れた時に捲れ上がったロングスカートは白い肌を露出したままだった。

・・・ってああもう!

慌ててスカートを引き降ろすと、目の前で蛭魔君が今それに気付いたって感じで笑う。







「誰も糞マネの大根足なんか見てねーよ。」

「酷い!」

「それよりも、どーすんだ、コレ。」

「・・・削除して。」

「見返りは?」

「・・・」

「俺の撮ったモノを『削除しろ』なんて命令するんだ。当然だろう。」

「被写体としての当然の権利よ!」

「ほぉ。被写体。テメーはモデルにでもなったつもりか。それにしては・・・」







わざわざ言葉を切って私の頭の先からつま先まで視線を何往復させる。

言いたい事は分かってるからもう止めて欲しい。







「モデルだなんて誰も言ってないでしょ!別に私はそんなに綺麗じゃないし、スタイル良くないし。・・・ああもう!その目止めてよ!」







かぁっと頬が熱くなる。

自分の吐き出した台詞が今頃じわじわと効いて来た。

性質の悪いボディブローだ。







「お願いだから消して下さい。」

「下手に出て来たな。」

「見返りって何すれば良いのよ。」

「・・・」







蛭魔君は無言で私の腕を引っ張った。

ぽすんっと程好いスピードと衝撃で、私は蛭魔君の胸の中に納まった。

髪の毛に隠れていた耳が長い指先によって露になる感触。

湿った吐息が耳朶を擽り、ぬめった何かが耳の形を確かめる様に触れる。







ああもう・・・

素直じゃないんだから。

自分で呼び付けておいて、私が来てもパソコンを放さなかったのは蛭魔君じゃない。

だから私も渋々持参した単行本を読み始めたのに。

自分の仕事が終わっても未だ私が本を読んでいたのが気に食わなかったって訳ね。







ちりっとした痛みに引き戻される。

蛭魔君が私の耳たぶを甘噛みした痛み。







「糞マネ。」

「何?」

「・・・構え。」







凄みながら言う台詞じゃないよ、蛭魔君。









end
2006/09/07 UP


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