退化する獣









意外だったのは、この女がまったく評価を求めない事だった。

黙って目の前の皿を黙々と片付ける事実だけで満足なのか、ただの一度として「美味しい?」などと口にした事は無い。

勿論俺は、この手の質問を投げ掛ける奴が100%望むような答えを返してやるつもりなど毛頭ない。

そこまで単純に出来てない。







「ヒル魔君?何難しい顔してるの?」

エプロンを外して、糞女は椅子の背にソレを掛ける。

見慣れた動作だった。

つまり、それくらいこの部屋でこの女がその動作を繰り返した事になる。

チャコールグレイの装飾が何も無いシンプルな型のエプロンは、俺の所有物ではない。

そんな物が何時の間にか部屋の中に溢れているという事実に、俺は敢えて意識を向けた事はなかったし、好き好んで他人に話そうとも思わなかった。

返事が無い事は予想範囲内だったのか、糞マネは気にした様子も無く、何が一体入るんだと問い詰めたくなるような小さな鞄を手にした。

人工的な灯りの下できらきらと輝く鞄の表面。

安っぽいその輝きは随分と主張が激しいが、俺のやたら見える目が真っ先に捕まるのはこの女の蒼い瞳の輝きだった。

濁りの無いその色は、身体の4分の1に流れるという彼の地の広大な空の色が凝縮して滲み出したんだろう。



「私、帰るね。」



送れ、と言われた事は無い。

送ってやろうか、と言った事も無い。

姉崎まもりは今日もあっさりとこの部屋を出て行った。







黒皮のソファーは気に入って買った物だ。

サイズは過不足無く、物が良いだけに時を経る事が質の低下には繋がり難い。

何より、体重を受けて沈む感触が特に良い。

身体を横たえると、酷く自分が疲れていた事に気付かされる。

練習後にちょいと糞チビ糞ザルを相手にした所為か。

その後に糞マネと二人掛かりで練習メニューの見直しとリスケジュール、次に試合で当たる相手の戦力分析をぶっ通しで2時間やった所為か。



・・・それとも、その後の食事の所為か?



対面で食卓に付く時間に、会話が無い訳ではない。

糞マネはぽつりぽつりと当たり障りの無い話題を振るし、俺も下らな過ぎてからかう気も起きないような話題でなければ返事をする。

アメフトに関する話ならば、深度の深い興味がそそられる会話もあった。

言葉の端々から知識の片鱗が覗き、切り返しの的確さと早さに、頭の悪く無い女だと改めて思い知らされる。

しかし、俺が食事や会話を楽しんだ事は一度として無い。

あの時間にあるのは、薄っすらと漂う味気無さだ。

それが、全てを台無しにする。

不愉快な話だが、俺はその『味気無さ』の正体に気付いてしまっている。



ファッキン!



舌打ちは、何度だって蘇ってくるあの消化出来ぬ感情のデフォルトオプションみたいなものだった。











姉崎まもりという女は、外見と裏腹にまったく『女』を自覚していない人間だった。

あれだけの容姿を生まれながらに持ちながら、良くぞまぁあそこまで頓着しないで居られるものだと呆れを通り越してむしろ怖れさえ抱きそうだ。

品行方正な風紀委員。

男と付き合う事なんざ、自分には全く関係の無い次元の話とばっさりと切って捨てて、自分がどんな目で見られているかに考えも及ばない。

愚かだ。

そして鈍く幼い。



あいつは俺が「家に来い」と言えば、のこのこやって来る。

「仕事が終るまで帰るな」と言えば、どんなに遅くなろうとも仕事をこなす事を最優先に考える。

デビルバッツのクォーターバックとマネージャーである間は未だ良い。

場所が学校であろうと俺の家であろうと、やる事に変わりは無く、気にならない。



だが。



食事の時間は駄目だ。

前述の前提は消え失せ、残るのはただの男と女だという事。

俺は自分が男であると言う事を充分知っている。

それがどういう事なのかも、考えずに居られない。

姉崎まもりは自分が女である事を、いとも簡単に忘却する。

思い出す事も無い。



男である事を意識する俺と、女である事を忘れている糞マネ。

『味気無さ』の正体は、その何ともし難い温度差、だった。



まったく嫌になる。

この部屋にストックされているマシンガンの銃弾を全て撃ち尽くしてしまえば、少しは憂さが晴れるだろうか?

そんな事を考えている時点で終わっている。

嫌になる。

思考はループし、エンドレスだ。

愉快になんて永遠になれやしない。



ファッキン!

この世の終りだ!



シュークリームというこの世の物とは思えない食い物が好きなあの女に、女である事を思い知らせてやるのは容易い。

赤子の手を捻るよりも簡単だ。

それをしないのは、それが『終り』を引き寄せる事を知っているからだ。

何が終るのか。

優秀過ぎる俺の頭は、シミュレートした結果を何でも俺に突き付ける。



・・・やれる訳がない。











明日になればこの感情も忘れる。

そして数日経てば、また俺は糞マネに命令する。

「家に来い」と。

あの女はまたメシを作る。

そして、俺は『味気無さ』に舌打ちし、不愉快な気持ちを鉛の玉のように腹の中に溜め込むのだ。



俺は馬鹿なのか。

ファッキン!!













2006/07/25 UP


end

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