甘い匂いがリビングに充満してっから俺はちょっと居心地が悪かった。 だって、誰がどう考えたってこの匂いの元がチョコレートだって丸分かりだし、この時期にチョコレートっていったらやっぱほら、アレだろ? 雨宿りの為とは言え今日青子んちに来たのは失敗だったなぁと、俺はソファーに寝転び熱いコーヒーに口をつけながら顰めっ面をした。 「快斗〜?悪いけどそこの机に有る袋持ってきて。」 「へーい。」 台所は結構凄い事になっていて、洗い物に紛れて所狭しと色とりどりのトッピング材料が並んでいた。 パステルカラーのチョコチューブやら、星型のシュガーチップやら、鮮やかな色のドライフルーツやら・・・ 青子は今年はチョコレートケーキにするらしく、オーブンの中ではケーキが焼き上げられている最中だった。 「ほい。」 「あ、ありがと。」 「おめぇ一体何人分作ろうとしてる訳?」 「ん?自分の分入れて二人分かな?」 「・・・多くねーか?これ。」 「上手く出来るように練習してるから多く見えるだけだもん。本番用は未だ作ってません。」 なんか気合入ってるなぁ? 俺はなんだか頬が熱を持つのを感じて、慌てて顔を見られないように青子から離れた。 ・・・それって今年のバレンタインは特別って事だろうか? 青子も俺と同じように今年こそは『幼馴染』というお子様な関係から脱出しようと考えてるんだろうか? ・・・だと良いな。 思わずにやけそうになる顔を必死で修正しながら机の上に目をやると俺の嫌いな物が目に入った。 レーズン。 俺はこれが苦手だ。 なーんか、こう、相容れないっちゅうか、相性が良くないってか・・・変な味しない? 「青子〜。俺これ嫌いだから入れないでくれ。」 「・・・」 「なんだよ?変な顔して?ってそれは元からか。」 「なんでそこで疑いも無く自分のだって思うの?」 「え?」 「青子が作ってるチョコレートケーキは別に快斗にあげるなんて一言も言ってないでしょ?」 「えぇっっ!!!」 「本当に快斗って食いしん坊なんだから。」 吃驚したなんてもんじゃない。 いきなり天地がひっくり返ったようなショックが俺を襲った。 工藤が「探偵を辞めてサラリーマンになる」って言ってもこんなにショックを受けね―ぞっっ?! ・・・いや、別に工藤はどうでも良い。 問題は青子が作ってるチョコレートケーキが誰のものかって事だっっ!!! 中森警部は甘いものが全然駄目って人だから、除外。 白馬の野郎は・・・・? 他のクラスの奴とか・・・? 俺の知らない男とか・・・・? ・・・全然絞り込めね―ぞっっっ!!! 最近キッドの方が忙しくて青子とあんま一緒に居れなかったし、最近こいつあんまり俺の後付いて来なくなっちまった所為で、俺の知らない事結構有りそうだし・・・ おいおい、そんな馬鹿な・・・ ポーカーフェイスをすっ飛ばしてまじまじと青子の顔を眺める。 「何よぅ。その顔は?」 「・・・誰にやるつもりなんだよ・・・?」 つい拗ねたようなガキっぽい口調になっちまった。 でも今はそんな事悔やんでる余裕も恥ずかしがってる余裕も無くって只青子が答えるのを待った。 「快斗には関係無いでしょ?」 あっさり答える青子に頭がぐらぐらしてきた。 『関係ない』? 実際大有りなんだよ! 言えねーような相手なのかよ? それとも俺の事なんかどうでも良くなってて、ちゃんと相手すんのも面倒なのかよ? 「内緒って事か?」 「そ、内緒♪」 「・・・へーえ、そう。」 「・・・快斗怒ってるの?」 「怒ってね―よ。ふーん、あほ子にもバレンタインにチョコやるよ―な男が出来たって事か。全っ然知らなかったぜ。おめぇみたいなお子ちゃま相手にするような物好きなら見てみて―よ。」 「青子お子様じゃないもんっっ!!!」 「どっからどう見てもお子ちゃまだろ?胸ねーし、寸胴だし。」 「なっ!ほっといてよ!快斗のえっち!」 ショックがデカ過ぎて、感情が制御できない。 暴走しそうになるのをいつもの憎まれ口で何とか誤魔化して、俺は早々に青子の家を後にした。 聞きたい事は何一つ聞けないまま自宅に帰りついた俺は雨に濡れた体を拭く事もせず親の敵でも見るようにテレビで放映されるバレンタイン関連のニュースを睨んでいた。 「・・・これも『ハズレ』か。」 月光に翳した今夜の獲物も結局捜し求めていたパンドラではなく、俺はムシャクシャした気分のまま空中に身を躍らせた。 結局あの後青子と二人っきりになる機会を持てず、あのチョコレートケーキの行く先は未だ謎のまま。 バレンタイン当日に青子の後をつけて、その憎ったらしい男の面を拝んでやろうかと思い詰めたものの、さすがにみっともなくて実行する気にはなれなかった。 でも、自分でも何をしでかすか分からない位頭が青子で一杯になって来て怖くなった俺は予備策として怪盗キッドの予告状をバレンタイン当日の夜に出した。 準備でもしてれば気も紛れるだろうと思ったんだが、青子が気になって気になって気も漫ろな状態で盗みをやる羽目になっちまってかえって大変だった。 ・・・マジ今日は捕まるかと思ったぜ・・・ 「はぁ〜。ったく俺ってばどうしてあん時きちっと青子に白状させなかったんだよ。」 格好悪くてももっと食い下がっておくべきだった。 どうせ今更他の男に青子を渡せる訳ねーのに、つい意地張っちまって・・・ 「俺ってもしかして、馬鹿・・・?」 家帰ったら郵便ポストにチョコレートケーキが入ってるなんて事ねーかな? ・・・それはいくらなんでも都合良すぎる夢物語か? 今日学校でそれなりにバレンタインのチョコを貰ったけど、本当に欲しいチョコは結局貰えなかった。 「はぁ・・・」 風が心に寒いぜ・・・ 俺はハングライダーを巧みに操りながら一人黄昏ていたんだが、視界の端に見なれた人影を見つけて思わず動揺してしまった。 あ、青子?! こんな夜中に一人でブランコなんかに座ってンなよ!! 危ねーだろうがっっ?! 昨今どうしようもない犯罪予備軍がそこら辺うろうろしてんだぞ? 人気の無い小さな公園の暗がりで、そんな憂い顔で一人でいるなんて自殺行為だ! まるで襲ってくださいって言ってるようなもんじゃねーか!!! 俺は迷わず高度を落とした。 「お嬢さん?何をしてらっしゃるんですか?」 驚かせ無いように、早い動悸を悟られない様に、自然な感じでそっと声を掛ける。 のろのろと顔を上げた青子は言葉を失ってしまったように俺の風に踊る白いマントを眺めていた。 ズキンっと俺の心が痛む。 なんでそんな泣きそうな顔してんだよ? そんな顔見たくねーよ。 それに・・・ そんな顔されたら男ってヤツはほっとけないんだよ。 ついちょっかい出しちまうんだよ。 分かれよ。馬鹿。 「キッド・・・」 「上から貴方を見掛けました。そんな顔をして一人でいる貴方をほっとけなかったんですよ。」 指先から魔法の様に1輪の薔薇を出す。 淡いオレンジの可愛らしい薔薇。 青子にはこういうのの方が似合う。 「・・・今日もお父さん、貴方の事捕まえられなかったんだ?」 「・・・かなり善戦はされたんですけどね。」 格好つけて『善戦』なんて言ったが、実の所今日は覚悟を決め掛けたんだけど、ま、いっか。 青子に鈍くさいなんて思われたくねーもん。 「そっか・・・」 ふっと小さく息を吐き出してアンニュイな笑顔を浮かべた青子に暫し見惚れた。 なんか・・・こんな顔初めて見た。 突然湧き上がる感情。 それは愛しさ・・・ ふと気が付く。 ひざの上に置かれた綺麗にラッピングされた包み。 ケーキ? 「どうなさったんですか?その・・・ケーキは?」 「あげたかった人が居なかったの。」 「それは・・・」 聞いちゃいけない。 でも、聞きたい。 この姿なら。 いや、この姿だからこそ、聞いても許される様な気がした。 「それは、誰なんですか?」 「え?」 「貴方がバレンタインにチョコレートを渡したいと思っている人物は誰なんですか?」 「・・・なんでそんな事聞くの?」 「・・・好奇心です・・・」 「好奇心?」 「貴方のように愛らしく天真爛漫な女性に、そんな月の天女のような憂い顔をさせる人物に興味があるんです。」 馬鹿なこと言ってる。 『怪盗キッド』が言うべき台詞じゃない。 あ、青子がなんか笑ってる。 ・・・やっぱ可笑しいよな? こんな事言う怪盗なんて・・・ 「内緒。」 「・・・何故教えて頂けないんですか?」 「『何故』は無いんじゃない?怪盗キッドさん?」 「知りたいんです。貴方の想い人を。」 青子はブランコから勢い良く立ちあがると両手を俺に突き出した。 手の先にはブルーのチェック柄の包み。 「あげる。」 「は・・・?」 「キッドにあげる!返品は不可だからね。」 「ち、ちょっと待ってください!貴方にはこれをあげたい人が居るんでしょう?!」 「だって電話しても居ないんだもの。」 「しかし・・」 「良いの!青子が『良い』って言ってるんだから貰ってよっっ!!」 らしくなく慌てふためいている俺から青子は素早く離れて公園の出口に駆出す。 引き留め様と伸ばした腕を見事に躱してあっという間に二人の距離は数メートルになった。 丁度街灯が無い薄暗い場所に立った青子の表情は良く見えなかった。 「青子の好きな人はずっとずっと変わってないの。」 良く通る大きな声。 「今も昔も大好きなのっっ!!!」 そう『怪盗キッド』に向かって叫ぶと、青子の姿はすぐに見えなくなってしまった。 俺は後を追う事も出来なくてその場に立ち尽くした。 手の中には学校で貰った他の女の子のチョコレートよりも今夜の獲物の宝石よりも欲しかった、青子のチョコレートが残った。 翌朝寝不足気味の頭を抱えて俺はいつもの道を歩いていた。 もうすぐ見える青子の家。 俺の足取りは常のものより大分ゆっくりで、青子の部屋の窓を仰ぎみて目を眇めた。 「昨日のアレ。何だってんだよ・・・」 『怪盗キッド』に渡されたチョコレートケーキ。 家に帰って包みを開けてそれをじっくりと眺めた。 欲しかった青子のチョコレート。 手渡された時俺が『黒羽快斗』の姿だったら、多分そのまま青子に告って抱き締めて幸せな気分に浸れたんだろうけど。 なんでキッドなんだよ?! これじゃあ色々くだらない事考えちまって(例えばこれは『罠』で毒が入ってるとか、好きな男が居なくて自暴自棄になって捨てるつもりで押しつけたとか・・・)食えやしねーし寝れやしねーっっ!!! 普段から大っ嫌いだとか言ってるくせに昨日は一体どう言うつもりで・・・ って、あれ? そういや最近青子のヤツ『キッドなんて大っ嫌いっっ!!』って叫ばなくなったな? ・・・あれ? 「か〜いとっっ!オハヨ♪」 「・・・」 「何よ?その眼の下に飼ってるクマさんは?」 「いや。その。気になった事があって寝れなかったんだよ・・・」 おめーの事だよっっ!! 青子の顔は何だか朝日よりも眩しくって、何より楽しそうに笑顔を浮かべている。 俺はさっぱり訳がわからない。 これでもIQ400なんだけどね・・・ 思わず地面にのの字を書きそうになる。 ははは・・・ 昨日布団の上に胡座をかいて一晩中否定し続けた事が実はある。 それは・・・ 「青子。おめぇなんでそんなに朝っぱらから元気なんだよ?」 「ふふっ。昨日良い事があったから!」 良い事ってなんだよ?! まさか『怪盗キッド』にチョコレートケーキをやった事なんて言うんじゃないだろうな?! 俺が否定しながらもずっと捕らわれている事。 それは俺『黒羽快斗』が『怪盗キッド』に嫉妬しているという事実!! 馬鹿らしくって泣けてくる。 でも俺は本当に、青子に(何でか理由は分からないが)バレンタインチョコを貰いやがったキッドが憎たらしかった。 例えそれが仮初めの自分だとしてもだ!!! 「ちょっと快斗聞いてる?」 「・・・聞いてる。」 「も〜っっ!!全然聞いて無い癖になんでそんな白々しい事言うのよ、バ快斗!!」 「聞いてるって言ってんだろ?!」 「嘘っ!」 青子は腰に手を当てて俺の前にたちはだかってキッと睨む。 俺は・・・ 次第にイライラしてきた。 こんなの八つ当たりだ。 子供の駄々だ。 寝不足なのも原因だった。 普段はクリアな意識も今日は煙幕でも張られてるかのように霞みがかっていた。 「『昨日の良い事』ってバレンタインかよ?好きな男にチョコやれたのかよ?」 青子が想い人にチョコレートをやれなかったって知ってるくせに意地悪く問い詰める。 なんだか無性に青子を苛めたかった。 ・・・ガキの考えだ。こんなの。 ところが・・・ 「うん。」 青子はちょっと頬を染めてにこっと笑った。 「おい・・・嘘だろ?」 「ほんとだよ。」 「だって、お前・・・」 「ちゃんと告白もしてきたもん。」 「そんな・・・」 「今返事を待ってるの。」 嘘だ嘘だ嘘だっっ!! だってお前がチョコ渡したのは『怪盗キッド』じゃないか?! 『告白した』ってお前、アレの事なのか? 『今も昔も大好きなのっっ!!!』ってキッドの事の筈ねーだろ?! 大嫌いだって言ってたじゃねーか!俺の前で何度も!! 嘘だろ? 嘘だろ? 思考がぐるぐる回り出す。 自分の中の『怪盗キッド』に殺意が芽生えそうだ。 青子を詰ってしまいそうだ。 嘘を言うなって。 オメェがチョコ渡したのは『青子の想い人』じゃねーだろって!! 「・・・返事は?」 「・・・へ?」 「昨日の返事っっ!!」 「はぁっっ?!」 ・・・俺の頭おかしくなったのか? 壊れちまってんのか? なんで俺が『昨日の返事』とやらを催促されるんだ? なんか青子に言ったっけ? さっぱり状況が分からない・・・ 「おいしく、無かったの?」 「何が?」 「チョコレートケーキ・・・」 「チョコレートケーキぃぃ?!!!!」 なっっ!ちょっと待ってくれ! チョコレートケーキなんか俺青子から貰ってねーぞ?! 郵便受けにも入ってなかったし・・・ だってチョコ貰ったのは・・・ 「あ、青子・・・?」 「何?」 青子の顔が真っ赤だ。 食べ頃の林檎みてぇ。 一歩一歩近付く度に青子の緊張が目に見える様で俺も何だか落ちつかない。 ・・・でも、青子に確認したい事があるから。 その瞬間は間近でその顔が見たいから。 「お前が・・・チョコレートやった相手って、俺?」 「・・・今更それを確認するなんて、バ快斗の大馬鹿っっ!!!!」 「知って・・・たんだ・・・」 「どうしてバレないなんて思えるのよ!!青子の事そんなに鈍感だと思ってたんだ?!快斗の事なら青子大抵の事は分かるのに!」 「・・・ははっ。」 無性に笑いたくなって、涙も滲みそうになって、俺は本当に困った。 何時から青子は知ってたんだろう? きっとそれは青子が俺の前で『キッドなんて大っ嫌いっ!』って言わなくなった時から。 昨日泣きそうな顔をしていたのは、俺がバレンタイン当日に怪盗キッドをやってたから。 青子が、多分、俺に『自分は知ってるよ』って言おうとしてたのに、そんな大事な日だったのに予告状を出したから・・・ 一人であんな寂しい場所にあるブランコに一人乗ってたのは、あそこが予告状を出した宝石を展示していた美術館から俺の家までの最短ルート上に有ったから。 俺を待っててくれたんだよな? 自惚れて良いよな? ・・・・もう、偽らなくて良いよな? 「快斗?笑ってないで、返事・・・」 「うん?俺の『返事』ねぇ。青子俺の『大抵の事』は分かるんだろ?じゃ俺の返事も分かるんだろうから言わなくても伝わってるよな?」 「バ快斗のスペシャル馬鹿っ!さっき青子『大抵の事』って言ったでしょ?『全部』とは言ってないじゃない!」 あ、ヤバイ。 青子マジで泣きそうだ。 ちょっと浮かれ過ぎたな、俺。 さあ、言うぞ。 今度こそ、とうとう、青子に言うんだ。 目を見て。 腕を掴んで。 抱き寄せて。 「俺の返事はガキの頃から決まってんだよ。」 「何?」 「青子の事が好きだ。」 「うん。」 「もう逃がしてやんねーからな?」 「何よ、それ・・・」 青子が笑ってる。 すげぇ良い表情で笑ってる。 なんか、良いな。 恋人の顔だ。 幼馴染みじゃない、こう心を迫り上げる甘い微笑だ。 ・・・くらくらする。 髪の毛からはなんか良い匂いがする。 鼻先を擽る柔らかい髪の毛が幸せを実感させてくれる。 力入れたら折れちまいそう。 腰細いよな、こいつ・・・ 「快斗ぉ?もう、学校行こうよ?」 「もうちょっと・・・」 「駄目だったらっ!遅刻しちゃう。」 「・・・何だよ、浸らせてくれても良いじゃんか。」 「快斗!」 「わぁったよ!」 渋々青子を腕の中から解放して、右手を青子に突き出す。 青子は頬を薄紅色に染めて、それでもしっかりと握り返してくれた。 幸せだね。 |