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「青子・・・?」
呼んでも顔を見せてもらえない。
大抵こういう時は青子が疲れている時だ。
コイツは、疲れた顔を不細工だから見せたくないと、何時か言っていたっけ。
そういう時ほど顔を見せて欲しいもんなのにな。
天然アホ子はまったくもって、分かってない。
「あ〜おこ。オメーなぁ。帰って来るなりこりゃどういう了見だ?」
ひんやりとした床が適度に酒で火照った体に心地良い。
俺は青子より大分前に帰宅して、今日も帰りが遅くなると予告していた青子をのんびりと晩酌しながら待っていたのだ。
きっと俺の吐く息には軽く纏わりつくようなブランデーの芳香が混じっている筈だ。
青子は、玄関の開く音に伏せていた顔を上げて可愛い恋人を笑顔で迎え入れ様とした俺に体当たりしてきた。
程よく酩酊していた俺は立ち上がりかけていた中腰のバランスの悪さも相俟って、そのままフローリングの床に崩れ落ちた。
勿論、青子を床に転がすような無様な真似はしない。
ちゃんと胸の中で抱き止めて、こいつがどこも痛く無いようにしてやったけどな。
「どした?」
あんまり真剣に聞くと、こいつは俺に心配を掛けさせたくないと無理をして笑って、しっかりと頑丈に心の扉を閉ざしてしまう。
最初は心底信用してくれている訳じゃないのかもしれないと、ちょっと寂しく思ったものだが、そんな事じゃなかった。
お互い成人式を迎えて、親から一人立ちするようになって。
対等な人間として互いに向き合い、認め合い、そして愛し合い・・・
恋人という立場を手に入れてから、青子は俺に心配と迷惑だけは掛けたくないと、そうはっきりと言った。
甘えてくれない訳じゃない。
コイツは時に俺の心の中なんてお見通しと言わんばかりに、ぺたりと体を擦り寄せ、甘い声音と甘い薫りで愛らしく笑い、俺を堕とす。
甘えられて嬉しくない男なんて居やしねぇ。
そんな時は人格違うんじゃねーかってくらい青子を甘やかして、そして雰囲気に便乗して甘えまくる。
そういうのは良いんだ。
ちゃんと俺達恋人なんだなぁと実感出来て嬉しい。
でも、青子は俺に弱みを見せない。
前からそういう気のある奴だった。
辛いとは言わない。
中森警部と二人っきりの生活が、青子をそういう強い女に変えちまったんだろう。
仕方ない、寂しい成長だ。
身近で見てきたんだから、俺だってそういう青子の性格を分かっていたつもりだった。
でも。
恋人という限りに無くゼロに近い距離を手に入れてから、俺はおや?と思った。
こいつ、俺に愚痴を言わない。
弱音を吐かない。
辛い顔を見せない。
いつまで立っても踏み込ませてもらえないみてーで。
いつまで立っても頼ってもらえてないみてーで。
俺は不満だった。
俺がそうであるように、青子にだって俺で癒されて欲しい。
そう、常々思っているのに。
「青子?おいおい。何とか言えって。」
いつまでもだんまりの青子に、俺は強硬手段に出ようかと頭の端でちらりと考えた。
すると、俺のそのヤバげな気配を読んだのか、青子がようやく顔を上げた。
正直あまり顔色が良くない。
血の気の引いた、すこしやつれた表情。
「快斗?」
「こら、ようやく俺の名前呼んだな。」
くしゃりと髪を撫でて額をこつんとぶつけると、青子が笑って空気が震えた。
「・・・ただいま。」
「お帰り、青子。」
「・・・」
「俺に何か言いたい事あるだろ?今日元気ねーぞ?」
「・・・何にも無い。」
「オメーはまた意地張って。そろそろ素直になれよな〜。俺そんなに頼りねーの?」
「違うよ?それとこれとは話が別。良いの。快斗はソコに居てくれるだけで。」
「それじゃ俺がモノ足りねーよ。青子の気持ちが知りたい。正直辛いんだろ?仕事。」
青子はその問いには答えず、俺の胸に頬を押し付けた。
物理的に幾ら忙しくても、青子は絶対に飯を食う。
だから激痩せする事はないが、それでも精神的に疲労から来る『やつれ』は結構顔に表れていた。
貧血で倒れそうで、俺は見ててハラハラする。
「なぁ青子?吐き出せば楽になるぞ?」
「ん〜ん。良いの。」
「・・・青?」
愛称で呼ぶと、青子はちょっとだけ顔を上げて俺を見詰める。
大きな黒い瞳が蕩けるように滲んだ。
「ね。快斗。」
「なんだ?」
「ぎゅってして?」
「・・・こう?」
お姫様のお望み通り、両腕を華奢な体に回して力を込めて抱き締める。
俺の腕に引き寄せられて、青子は俺にぴったりと寄り添った。
「もっと、ぎゅ、ってして?」
「こんくらい?」
「もっとだよ、快斗。」
「こらこら。コレ以上かよ?」
力の限り抱き締めると、青子が安心したみたいに、ほっと短く息を吐いた。
拘束される事で、何かが解き放たれるようだ。
小さな力で青子は俺の体を抱き締め返した。
「・・・気持ち良い・・・」
「そうか?俺はオメーを潰しちまいそうで怖いぞ?」
「これくらいで潰れるほどやわじゃないよ?」
「過信すると、怖いぞ?」
端で見ていて本当に危なっかしいのに。
強がるのもそれくらいにしろ!
そんな気持ちを込めて青子の体をぎゅぅっとしなる程強く抱き締めると、青子が小さな声で「ありがと」と呟いた。
† END †
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