帰還
  



  

「ふぃ〜。」







少々弛んだ表情でも許して欲しい。

はらはらさせられた鉄の鳥のランディングが目の前で成功するのを見届けて、俺はゆっくりと背後の薄汚れた壁に背中をつけた。

白いマントが汚れたって構うもんか。

今回ばかりは俺も緊張しちまったぜ。

おそらく今頃はコクピットでちっこい名探偵君と美人でグラマーな彼女が互いの無事を喜んでいる事だろうぜ。

ま、運が良ければ工藤新一も良い目に遭えるんじゃねーのかな?

最近幼馴染の彼女は、どうやらあの小さな体を抱き締める事で安心感を覚えているようだから?



・・・思考がどうやら卑屈な方向へと歪んでる。



今回の件で、あの名探偵と恋人が、強い絆で結ばれている事を改めて見せ付けられた形になったからだ。

前からあの二人が互いを強く想いあってるのなんて知ってた。

今回最終的に操縦桿を彼女に託したのは、隣りに名探偵さえ居れば彼女が必ず大役をやり遂げてくれると直感で悟ったからだ。

俺でさえ、何十人という命を背負って操縦桿を握るのは勇気が要った。

失敗すれば自分の命だけじゃなくて、同時に何十という命の灯火が消えてしまうだなんて、ぞっとする。

でも、あの場面で彼女以外に操縦席を譲れる人物は居なかった。



名探偵は力が無さ過ぎて駄目だった。

鈴木財閥のお嬢はパニック気味で駄目だった。

毛利探偵は正確性に欠ける。

消去法でいっても彼女しか残らない。



だが、それ以前に。

彼女の背後に工藤新一が付けば、おそらくなんでも出来るんじゃないだろうかと、妙な確信が根底にあったのは否めなかった。







「ち。見せ付けてくれる。」







少しだけ悔しい。

突然消えた工藤新一を、彼女は文句を言いながらも待ち続ける。

組織の影に怯えながら、戻れる確証の無い不安の中で、大事な彼女に何時帰るとも言えない辛さで、名探偵は潰れるかと思った。

俺の予想は嬉しい形で裏切られた。

名探偵は揺るがなかった。

彼女の想いが名探偵を支えている事なんて、端で見てればすぐに分かった。



強いんだ。

なんだか馬鹿みたいに嬉しくなった。

名探偵は手強いが嫌いじゃない。



俺、自分を重ねちまってるのかね?











パトカーの赤い光が足元数10センチの所で瞬いている。

本当はこんな場所早い所おさらばするべきなんだが・・・

さすがの怪盗KIDも疲れた。

ざらりと感じるのは指先が触れている古ぼけたコンクリの壁の感触。

腕の痺れが酷くて、早い所手当てしておかなければマズイと頭が警告している。







「・・・帰るかな。」







ぽつりと呟いて、俺は音を立て無いように体を壁から浮かせ、一瞬で目立つ白い衣装を脱ぎ捨てた。







trrrr…trrrr…trrrr…







耳元で鳴るコール音。

早く出やがれこん畜生だなんて頭の中で繰り返しながら、足早に空港へと向かう。

東京行きの最終便は急げば間に合う時間だ。

本当は疲れているから北海道で1泊しても良いんだが、なんとなくそんな気分になれない。

理由なんて馬鹿げている。







trrrr…trrrr…trrrr…







未だ出ねぇよ。あのアホ子。

感覚の無い左腕をだらりとさせたまま、右手には携帯電話を持って俺は大通りを歩いている。

適当な場所でタクシーを拾わないと間に合わないな。

そう思って探している時に限って空車のタクシーがなかなかやって来ない。



くそ。ツイてねぇ。







trrrr…trrrr…trrrr…







・・・遅過ぎる。

この時間に青子が寝てるなんてさすがに有り得ねぇ。

今時のガキだったら絶対起きている時間だし、10年前のガキだって、起きている時間だ。

なんだか、嫌な予感がする。







『・・・快斗?』







掠れた声。

嫌な予感は的中。







「オメー・・・具合悪いだろ?」



『・・・そんな事ないよ?』







相変わらず嘘がド下手で涙が出そうだ。

傍に居たならでこピン一発食らわせたら、有無を言わせずベッドに縛り付けられるのに。

ここが北海道なのが憎たらしい。







「暖かくして寝ろ!今すぐ!そっちに今から行ってやっから!」



『へ?別に良いよ。快斗。今日お友達と那須で遊んでるんでしょ?』







青子は俺の他愛の無い嘘を信じて、俺が那須の遊園地で1日中遊んでいると思ってる。

父親は怪盗KIDを追って北海道出張。

幼馴染は日帰り那須旅行。

なんでそんな時に限って体調崩すんだよ。アホ子め。







「どっちにしろ今から帰るんだよ。大人しく言う事聞きやがれ!」



『別に本当に良いよ。気にしないで。快斗、疲れてるでしょ?』



「バーロ。変に気を回すな。無理して悪化させて見ろ。おじさん泣くぞ?」



『・・・』







電話の向こうが沈黙。

おじさん効果は絶大という事だ。



・・・ちょっと面白くねーな。







『快斗?』



「んだよ。」



『お父さんが帰って来るまでには治すから、言わないでね?』



「体調悪い事認めたな。」







溜息混じりの非難口調に、青子は黙り込んだ。

前方から空車のランプのタクシーが来たので、動かない左腕を気迫と根性で挙げた。

青子の為なら・・・とはさすがに照れ臭くて言いたくない。







『・・・快斗?』



「これから2時間で戻る。大人しくしてろよ!」











有無を言わさぬ口調で言い含めると、俺は通話を切った。

開いたドアからタクシーに乗り込んで「空港まで。」と短く告げると、タクシーは結構なスピードで走り出した。

今夜の風速と風向きなら、新千歳羽田間をかなりのスピードで飛んでくれそうだ。

焦る気持ちをポーカーフェイスで抑え付けて、俺は暫しの間休息を取る為に目を閉じた。

もう、名探偵もその彼女の事も頭の中には無い。

俺の大事な幼馴染の体調の事で頭が一杯なのだから。



本当。

長い1日は未だ終わりそうに無い。









  


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