天邪鬼撃退法
蒼月夕様
「あれま、さっきより土砂降り・・・。」
「えーっ。」
ベッドに乗り、窓枠に寄せてある遮光カーテンを抑え、薄手の白いレースのカーテンを指先で掻き分けて外を見た快斗の呟きに、青子は不満そうに唇を尖らせた。
「えーって言ったって、仕方ねーじゃん。今日は家でおとなしくしてるしかねーな。」
「つまんないよー。せっかく久しぶりのデートだったのに!」
カーテンを元に戻して、さっさとベッドの端に座り込んだ快斗の視線の先で、青子は未練いっぱいにまだ窓の外を睨んでいる。
快斗の部屋で、快斗のベッドにのほほんと乗っている青子は相変わらず能天気である。
(ったく、彼氏の部屋にいるっていう自覚、あんのかよ・・・。)
信頼されていると喜ぶべきなのか、男として認識されていないと悲しむべきなのか・・・。
快斗は軽くため息をつくと、呆れたように青子を呼んだ。
「青子。」
「ん?」
「睨んでても雨は止まねーと思うぞ。」
その声に、青子は勢いよく振り返る。
「そうだけど!だいたいねー、快斗が最近全然遊んでくれないのがいけないんじゃない!いつも会えるんならたまの雨くらいたいしたことないのに!」
青子がこんなにいらいらしてるのは、快斗のせいよ!
と、ものすごくめちゃくちゃなことを快斗にまくし立てた。
「はいはい。悪かったよ。」
反論しても無駄と知っている快斗は、ため息混じりにそう答える。
ずっと会ってやれなかったのは事実なので、分が悪いのである。
とはいえ、会いたかったのはお互い様なのだ。
いつまでも青子に不機嫌なままいられるのは歓迎しない。
「そんなに怒るなってば。この連休はずっと時間空いてるからさ。」
子供のようにぷっくりと頬を膨らまして拗ねている青子に、快斗がそう言って優しく苦笑すると、青子は、
「う、ん〜・・・。」
と、どこか気まずそうな顔でうなずきながら、快斗の隣まで戻ってきた。
不条理に拗ねているという自覚があるものの、やっぱり納得いかない!という気持ちが、そのまま顔に出ている。
ここ一ヶ月、快斗は仕事(もちろんキッドの)が忙しくて、プライベートはおろか、高校でさえ青子とまともに顔を合わせていなかったのだ。
おそらく、『なによキッドのバカ!だいっ嫌い!!』というおなじみのセリフを、青子は快斗のいない時間に連発していたのだろう。
ちなみに、キッドが快斗だと知って以来、青子は、快斗の目の前では、キッドのことを『バカ』とは言うが、『だいっ嫌い』とは言わなくなった。
快斗が正体を打ち明けたとき、青子はなんとなく予感があったのか、特に動揺することはなくて。
ただ、小さな声で、『青子のそばからいなくなったら嫌だよ?』と言った。
そうして、どこか副産物的にお互いの想いを確認しあってしまって、関係は恋人同士に進展。
がしかし、結果として快斗が予想していなかった状況が生み出されている。
青子にとって、『キッド=恋敵』になったのである。
キッドが仕事をするとなると、快斗が忙しくなる。つまり、青子の相手をしてくれない、と。
よって、青子は以前とは違う意味で、『キッドのバカァ!』と叫ぶようになったのである。
そんなこんなで、笑ってしまうような、笑えないような毎日なのだが、会えない時間を悔しく思うのは先ほども言ったとおり青子だけじゃないのだ。
ひさしぶりに出かける約束をして、楽しみにしていたのは快斗も同じ。
だから、朝起きて雨が降っているのを見たときは、やっぱりがっかりした。
けれども。
「でもさ、青子。雨降ったほうが、傍にいられるじゃん?」
外だと人目があるけれど、部屋の中ならふたりきりなのだから。
青子が不機嫌全開で快斗の家に来たときに、快斗はふとその事実に気づいて、一転してご機嫌になったのである。
(我ながら単純だよなぁ・・・。)
青子がいればそれでいいんだから。
一方、快斗ににっこり笑ってそんなことを言われてしまった青子は、一瞬にして真っ赤になった。
「べっ、別に青子は快斗の傍にいたいんじゃないもんっ。遊びたいだけなんだからね!」
こういうときの青子が素直じゃないのはいつものことなので、そのセリフ自体はかわいらしい天邪鬼、といった感じ。
思わず微笑んでしまう類のものなのだが、条件反射なのかなんなのか、快斗の隣からベッドの逆端まで飛びのくようにして退いた青子に、快斗はややむっとした。
「へぇ?」
思わず浮かぶ、意地悪な笑み。
青子は、しまった!と言わんばかりの顔になる。
慌ててベッドから立ち上がり、ベッドの奥ではなくてドアの右の壁、ベッドの左にある窓に歩み寄った。
焦っているのがありありとわかる、ぎこちない仕草で窓の外を覗く。
「あっ、雨まだ降ってるね!」
快斗は、思わず吹き出してしまった。
「あ、青子っ、オメーって、オメーって・・・最高っ!」
ぎゃははははっ、と遠慮もムードもなく、ベッドに座ったままで肩をゆすって笑い転げる快斗に、青子はむっとして振り向いた。
「ちょっと快斗!!青子のことからかわないでよ!」
まだわずかに赤い頬をぷっくりと膨らませて怒る青子に、快斗は急激にすっと笑いを収めて。
ふわり、と、やや気取った表情で微笑んで見せた。
「からかってなんかないぜ?」
言いながらゆっくりとした動作で立ち上がると、快斗は青子に近づいた。
「傍にいられるのは事実だろ?」
びくっと青子が反応する。
まるでキッドのように、普段より大人びた表情で好きだと伝えてくる快斗が、青子は苦手なのだ。
心臓が跳ね上がって、どうすればいいのかわからなくなる。
「ちょっ、ちょっと快斗!」
壁に背をつけて快斗を見上げる青子に、快斗は、ふと動きを止め、笑みを消して真顔になった。
表情のギャップに青子が目を丸くする。
ほぼ同時に、快斗のふてくされたような声が室内に響いた。
「おまえさー、そんなにおれの傍にいるの嫌なわけ?」
(こんなことくらいで怯えるなよな・・・傷つくじゃんか・・・。)
快斗の口から、ため息が零れる。
じっと青子を見つめてくる快斗の深くて蒼い目に、青子は先ほどとは違う意味で慌てて口を開いた。
「ちっ、違うけどっ。だって快斗がっ」
「おれが?青子が本当に嫌がるようなこと、一度でもしたか?」
「してないけどっ」
「じゃーなんだよ。」
快斗は、わずかに頬を膨らませたまま、ふいっとそっぽを向く。
それがどことなく寂しそうに見えて、青子は困って俯いた。
「だ、だから・・・」
快斗は青子の1メートルほど手前で立ち止まって、ポケットに両手を入れ、そのまま動かない。
・・・何も言わない。
「だからねっ・・・」
「・・・。」
黙ったまま、青子を待つ快斗に、青子は仕方なく口を開いた。
「・・・ぃから・・・。」
恥かしさに俯いてしまう。
快斗は、声が小さすぎて聞き取れず、青子に視線を戻す。
と、耳まで真っ赤になって俯いている青子が視界に飛び込んできて。
快斗は、びっくりして、思わず青子を覗き込んだ。
「・・・青子、なんて言ったんだ?」
今度はできるだけ優しい口調で、青子を怯えさせないように尋ねてみる。
途端、青子に逃げるように顔をそむけられて、快斗はずきんと心臓が痛むのを感じた。
・・・いつから、青子は怯えた態度を見せるようになったんだっけ?と、快斗は暗く沈む思考で考える。
と、その快斗に、青子は叫ぶようにして言い放った。
「だから!快斗が大人っぽくて恥かしいんだもんっ!!」
「・・・・・・・・・へ!?」
ぐるぐるしていた思考は、ぶっつりと途切れ、快斗は何を言われたのか理解できずに青子を凝視する。
「・・・・・・・・え・・・?」
―――快斗が大人っぽくて恥かしいんだもんっ・・・
その言葉を理解した瞬間、快斗は、思わず情けないほど緊張感のない顔でその場に突っ立った。
普段、立ち姿でさえ人を魅せる快斗とはまるで別人のように。
そうして、数秒間。
沈黙に耐え切れなくなった青子が、快斗の脇をすり抜けて部屋から飛び出そうとして。
まだ呆然としたままの快斗は、それでも反射的に青子の腕を捕まえた。
「はっ、離してよっ。青子、ジュース入れてくるっ。」
暴れる青子に、快斗はようやく我に返る。
無意識に掴んでいた青子の二の腕を、今度は意識的に捕まえて、暴れる青子の動きを封じようと後ろから抱き寄せた。
「快斗っ!!」
慌てた青子は更に慌てる。
「暴れるなよ。」
快斗が告げると、青子はぴたりと動きを止めた。
快斗の声が、やけにまじめだったから。
いつもなら、からかったり、さっきみたいに青子が恥かしくなるような態度をとるのに。
(・・・快斗・・?)
暴れるのをやめた途端、快斗の腕から解放された青子は、不思議に思って快斗を振り返る。
正面から快斗を見ると、まだどこかぼんやりしている快斗が青子を見ていた。
「快斗?」
青子は、今度は声に出して呼んでみる。
と、快斗の目の焦点がようやく合ったみたいだった。
「青子・・・。」
「な、なによぉ?」
先ほど言った言葉の手前、照れくさくて、青子はそれを隠そうと快斗を睨みつける。
快斗はじっとそれを見つめ返して。
それから、
「あーのさー・・・」
困ったように首をかしげた。
「・・・快斗?」
きょとんとする青子に、快斗は諦めたように苦笑する。
(青子・・・だよなぁ。)
いちいち反応がかわいすぎて。
そうそう気の利いた言葉なんて出てこないくらい、快斗の気持ちが振り回されているということを、青子は考えもしないのだろう。
(・・・自分だけ振り回されてると思うなよなー。)
心の中で、ついついぼやく。
いつだって振り回されているのはこちらの方なのだ。
わかっていないのが悔しくて、けれどもバレていないことにほっとする。
一応、我ながら呆れるけれど、男のプライドみたいなものがあったりして。
ふっと快斗は口元に笑みを浮べると、
「・・・じゃ、嫌なわけじゃないんだよな?」
と、いたずらっぽい目で青子を覗き込んだ。
「そっ、そりゃ・・・。」
思わず後ずさりながらも、そう応えてくれる青子に、愛しさが湧き上がる。
(おれって、ベタ惚れじゃん・・・)
それが悔しくて、だから青子の手を引いた。
「えっ?」
青子の声を唐突に唇でふさぐ。
「・・んっ・・・!?」
びっくりして目を丸くしたまま、快斗を見ている青子に、快斗は一度唇を離すと、くすっと優しく笑ってみせた。
「目ぐらい閉じろって。」
快斗は青子を抱きしめたまま、片手を挙げて青子のまぶたにそっと触れる。
「かっ、快斗っ?」
「はいはい。ここにいるぜ。」
慌てる青子をさらっとかわして、快斗は再び腕の中に深く青子を閉じ込めた。
「快斗ってばぁ!」
服を通してこもった感じの声に、快斗はくすくすと笑う。
「なんでしょう?」
冗談めかして尋ねると、青子がぎゅーっと抱き込まれた快斗の胸元から、必死に顔を上げてくる。
それがかわいくて、止められないクスクス笑い。
(あー、なんかおれってすげー幸せかも。)
その快斗の耳を、今度はむっとした感じの青子の声が直撃した。
「だから!!青子こういうのはっ・・」
「だめ。」
青子の抗議は、快斗のひと言で封じられてしまう。
「なにがダメなのよ!」
「こういうおれから、青子が逃げること♪」
快斗は楽しそうに告げて、一旦身体を離すと、青子の手を引いて、ベッドに腰をおろした。
「青子だけ逃げるなんて許さねーぜ?」
ひょいっと覗きこんでくる快斗の目は、冗談めかした言葉とは裏腹に激しさを秘めて、青子を射抜く。
びくっとして、青子はその目にクギ付けになった。
・・・逸らせない。
快斗は、青子を見つめたままで続ける。
「おれだけこんなに青子に惚れてるなんて、不公平じゃん。青子にもたっぷりおれに
惚れてもらわなくっちゃ、おれが困るの!」
「なっ、何言ってるのよ、バカイト!!」
強がりで天邪鬼。
青子がとっさに出せたのは、そんな言葉。
「なんで青子がっ」
「はいはい。それ以上は聞かないからな。」
「ちょっと快斗!!」
「青子、おれのこと嫌い?」
青子の言葉を遮って、快斗が真顔で尋ねる。
うっと青子は言葉に詰まって、視線を逸らそうとして。
両頬に触れた快斗の手にそれがかなわず、快斗と見詰め合ってしまった。
息が詰まる。
(ずるいよ、快斗!!)
快斗は、容赦しない。
「なぁ、嫌い?」
再度尋ねられて、青子は仕方なく、消え入りそうな声で答えた。
「嫌いなわけないじゃない・・・。」
「じゃ、好き?」
まるでその答えを待っていたかのように、すぐさま問い返される。
青子は、思わずむっとした。
(わかってるのに、なんでいじわるするのよ!)
そう、思いっきりむっとしているのに。
「なぁ青子、おれのこと好き?」
いつのまにか、青子を見つめる快斗の目が、とてもうれしそうで。
青子は、その目に、吸い込まれてしまいそうになる。
期待している答えが返ってくると、信じて疑ってない目。
(〜〜〜青子は怒ってるのよ!!)
ふいに近づいてきた快斗の顔に驚いていると、快斗はやさしく青子の頬に口付けて離れた。
(〜〜〜〜〜〜だから怒ってるんだってばぁ!!)
「青子?」
自信たっぷり、余裕の微笑み。
でも、その隅っこに、ほんの数パーセントの不安を見つけ出してしまって。
青子は、ついに降参した。
こくり、とうなずく。
「ちゃんと言えよ。」
快斗の口元が、少し意地悪げに上がる。
けど、幸せそうな笑み。
「・・・青子は、快斗が大好きだよ・・・知ってるでしょ!?」
最後は怒鳴るようにして告げると、くしゃっと表情を崩した快斗に、おもいっきり抱きしめられてしまった。
「・・・ああ、知ってる。けど、おれの方が青子を好きだぜ?」
「なんでそんなのわかるのよ!」
「あれ、青子の方がおれを好きなのか?」
「・・・っ!」
このぉ!と、途中の快斗の動揺が本気だったと知らない青子は思う。
最初から全部確信犯なのだ、と。
途中まではわかっていて、警戒していたはずなのに、どこからそれを忘れたのだろう。
いつのまにか、青子には刺激が強すぎる快斗のペースに巻き込まれている。
もっとも、青子が苦手な大人っぽい快斗相手に、青子がかなうはずないのだから、警戒するだけ無駄なのはわかっているのだが。
やっぱり悔しい。
そして、嘘でも「そんなことないもん!」と言ってやれない自分が、さらに悔しい。
ぷいっとそっぽを向いた青子に、快斗はいじめすぎたかなと苦笑した。
意地っ張りで天邪鬼。
だけど、もとが素直なだけに、意地を張るにも天邪鬼になるにも限界のある青子を、快斗は誰よりよく知っているのである。
「あーおこ、こっち向いてくれないとキスできないだろー。」
「なっ」
快斗の言葉に、青子は瞬時に真っ赤になる。
今日の快斗は、いつも以上にこんな言葉を連発するから、青子には逃げ場がない。
心臓が壊れそうなほどに打つのを自覚しっぱなしである。
(快斗のバカバカバカァ〜〜!!)
睨んでやろうと思って視線を戻しても、優しすぎる快斗の瞳に絡め取られてしまうだけで。
ふわりと唇に触れてくるぬくもりが、なんだか心をあったかくしてくれて、幸せな気分になるから。
青子は、ながーいため息をついて、今日初めて、快斗の背中に自分の腕を回した。
快斗は、ぎゅっと服を掴むその手に静かに笑みを深くする。
くしゃりと髪をなでて、もう一度キスしようと少しだけ青子から身体を起こすと、今度は青子もおとなしく目を閉じた。
その様子に、快斗はくすっと笑みをこぼす。
(・・・青子が本当についてこられないようなペースでせまったことなんて、おれ、ないんだぜ?)
テレたって、暴れたって、青子はちゃんと快斗の腕の中で安らいでくれている。
今快斗の腕の中で快斗のキスを待っている青子が、とても落ち着いた幸せそうな顔をしているから。
快斗は、それがうぬぼれじゃないのだと信じられるのだ。
先ほど動揺した自分は忘れたように、そんなことを考えて。
快斗は、腕の中の青子に繰り返しキスをする。
何度でも・・・。
(おれとしては、もう少し先まで進みたいんだけどなぁ・・・。)
でも、まぁ・・・いいか、と。
たぶん本人が思っている以上に幸せそうな笑みを浮べていた快斗に、そっと目を開けた青子はどきりとして頬を赤らめた。
青子は、大人っぽい快斗が大の苦手で。
でもそれは、本当は。
かっこよくてドキドキと心臓が暴れまわってしまうほどに、そんな快斗が大好きだから・・・なのだった。
まだ、お昼にもなっていない。
たとえ外が、雨でも雪でも雹でも槍でも。
残り長い一日、快斗の部屋はぽっかぽかの快晴であること、間違いなしのようである。
〜fin〜
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