First…
「すごいすごいすごい〜〜〜〜っっ!」
まるで子供が初めて雪を見た時のようだ、と快斗ははしゃぐ青子を見ていた。
彼女は本当にわくわくと逸る何かを押さえられないように色々な物を見てくるくると回る。
快斗の趣味のシンプルなグレーの文字盤の時計を見ては格好良いと言い、何かの土産で貰った鳥の絵柄のランチョンマットを見つけては可愛いと言う。
彼女の為にホットミルクをのんびりと作りながら快斗はそんな青子を「まったくの子供だな。」とからかった。
青子は頬を膨らませそれに抗議したが、結局の所次に目のついた針金細工の写真立てに興味を移し、またくすくすと笑いを零したのだった。
「ったく。」
軽いため息は、一人暮らしの男の部屋に初めてやってきたとは思えない可愛い恋人の態度の為。
少しはこうドキドキするとか、恥じらうとか、出来ないわけ?と内心ちょっとがっかりモードだ。
・・・そんな事実際ありはしないと、悲しいかな、幼馴染が長い所為で悟ってしまっているのだけれども。
「快斗〜!フッカフカ!」
「はぁ〜?・・・っておいっっ!!」
振り返ってきっかり3秒固まって快斗は慌てて青子の元へ走った。
そのままの勢いでベッドにころりと寝転がる青子をべりっと引き剥がす。
「何考えてんだよっ!この馬鹿っ!」
「どしたの?快斗?」
悪びれない態度に一人で焦って意識している自分がとても惨めになる。
これが青子で、そんな所が可愛いと、確かに思うのだけれども、やっぱりとほほ〜となる快斗であった。
「快斗は週末にはおば様の居るおうちに帰るの?」
小さなテーブルにマグカップを置いて二人向かい合って座る。
部屋の中央に置かれているテーブルは折り畳み式の小さなもので、使わない時には部屋の片隅に立て掛けられていたりする。
空間は限られているのだし、有効活用しなければ出来る事も出来やしないと快斗は考える。
「ん〜。どうかな。なんか面倒でさ〜。」
「駄目よ。おばさまあの広いおうちに一人っきりなんだから。きっと寂しい思いしてるよ?」
青子の優しさは相変わらずで、快斗は小さく微笑みを作った。
そんな所も愛しい。
「何笑ってるのよ?快斗。」
「お袋が寂しいって?んな事あるかい。」
「何よ。その言い草。おば様の事全然考えてないでしょう?」
「『あ〜やっと図体ばっかり大きくなっちゃった手の掛かるやんちゃ坊主が出て行ってくれたわ♪』ってお袋の俺への餞別の言葉。」
その時の声と表情をそっくり再現してやって、快斗は青子にそんな事はねーんだと笑う。
青子はあんぐりと口を開けて固まっていた。
「・・・うそ〜。」
「そんなもんなんだよ。俺とお袋の関係は。」
べったりと依存し合わない。
でも愛情が無い訳では当然無い。
これから大学の4年間を離れて暮らす間に、お互いがお互いの生活を楽しんでたまに会う時にはその事を報告し合うようになるのだろう。
それがまた楽しみだったりするのだ。
「そうなのかな〜。」
「母親と息子の関係と、オメーんとこの娘と父親の関係は違うんだよ。」
「ん〜。」
納得出来かねるという表情を浮かべて青子がマグに口を付ける。
こくりと小さな喉が鳴り、零れ落ちそうな大きな瞳がぱちりと一回瞬いた。
「そういう事にしといてあげる。でもおば様に今度会った時に確認するからね?」
「好きにすれば?俺に会うより、青子に会う事の方がお袋嬉しそうだしな。」
「そうなの?じゃあ今度一緒に連れて行ってね?快斗。」
「オーケー。」
部屋の中に入ってくる光が大分弱弱しいものとなって来ていた。
快斗が立ち上がりカーテンをしゃっと引くと、空が真っ赤に染まっている。
見事な夕焼けにしばし見惚れていると、肩に小さな重みが乗っかって来た。
見なくても分かる。
青子だ。
「凄いね〜。」
「確かに。」
「この部屋、夕焼けの特等席だね。」
ふんわりと息が耳朶に掛かるのがくすぐったい。
快斗は体が跳ねてしまいそうになるのをグッとこらえてそのまま前方を見続けていた。
こんな些細な事で心臓がばくばくいう自分を知られてしまうのは恰好悪い。
「綺麗・・・」
細く繊細な声がすぐ近くでする。
肩に掛けられた指と乗せられた顎が、心地良く離れ難い。
「快斗はいっつもこんな夕焼けを見てるんだね。」
「晴れの日はな。昨日までなんだかんだで天気も崩れてたから久し振りだぜ?青子が来たからかな。オメー晴れ女だし。」
「そうかな。」
儚い声。
快斗は気になってそっと振り返り青子と視線を合わせた。
びくりと体が慄く。
青子の大きな瞳がうっすらと潤いを湛えていたから・・・
「おい・・・」
「・・・ごめん。」
「謝らなくて良い。なんで泣いてんだよ?」
困ったような声が我ながら零れ落ちたと内心舌打ちしたい気分になる。
泣かれるのが一番堪えるって告白しているようなものではないか。
「なんでだろう?青子、なんで泣いてるんだろうね?」
自分を笑おうとして、無理に微笑を作ろうとして失敗する青子から目が離せなかった。
指先が涙を払い、ごしごしと誤魔化す様に擦るのを、そっと腕を伸ばして止めさせた。
「こすると赤くなるぞ?」
「ん・・・」
「何か・・・あった?」
「無いよ?何も・・無い。」
「じゃあ何で泣くんだよ。」
「・・・」
「こら、思い当たる節あるんだろ?吐いちまえよ。」
「青子は犯人じゃないよ。」
快斗の言い方に小さく反論して、はふっと小さくため息を吐き出す。
憂いを含んだそれは大層甘く香って、快斗は衝動的に青子の華奢な体を力の限りに抱き締めたい衝動に駆られた。
そんな事出来やしない。
ここは自分の一人暮らしの部屋の中で、一度外れてしまった箍が戻る事はないと本能が知っているから。
我慢出来なければ、この先青子をこの部屋に入れる事は出来ないのだ。
「青子。」
出切る限り優しい声で促す。
ガラじゃねーのになぁと微苦笑を心で浮かべながら。
「なんだか・・・」
「『なんだか』?」
「なんだか、青子、置いて行かれちゃった気がして・・・」
「誰に?」
「快斗に。」
しっかりと視線を絡めて青子が再び泣きそうになりながら見上げてくる。
桜色の唇が小さく戦慄いていて、必死に泣くのを我慢しているのが分かった。
「俺に・・・?なんで?」
「大学生になって学部が違って、一緒に居られる時間が少なくなって・・・」
「うん。」
「快斗は一人暮らししちゃうし。一緒に登校出来なくなっちゃって・・・」
「うん。」
「バイトも始めて、青子の知らない友人が一杯出来て・・・」
俯く青子の足元にぱたぱたと透明な雫が落ちる。
快斗の視線の下で青子が震えていた。
ドキンっと大きく心臓が鳴る。
「・・・置いてっちゃ・・・ヤダよぅ・・・」
顔が見えないと不安になる。
引き絞るような声は、今まで聞いた事もない様な悲痛さを伴って。
快斗の心臓をぎゅうぎゅうと縛り上げる。
快斗が伸ばした指先が頬に触れると、青子は顔を見られると思ったのかそれを顔を振って嫌がった。
「おい、青子。」
「見ちゃ駄目。青子、今凄く不細工だから。」
「んな事ねーって。」
「イヤ。」
頑なに顔を見られるのを嫌がる青子に、ちょっと溜息を吐きたくなる。
どうやってこの泣き虫姫を宥めたらいいのか、分からなくなってしまうではないか。
寂しい想いをさせちまってるのかなぁと反省して、快斗は驚かせない様にそぅっとその震える肩を抱いてみた。
予想に反して、大人しく快斗の腕の中に納まる青子。
心の片隅で不埒な想いが鎌首を擡げた。
「別に置いていってなんかねーぞ。アホ子。」
「・・・だって。」
「高校生と大学生じゃ、そりゃ生活だって変わってくるよ。でもさ。俺自身が変わったわけじゃねーし。」
抱く腕の力を強くしてみる。
柔らかな体はまるであつらえたように快斗の腕の中にぴったりとフィットして、すっぽりと納まってしまう。
猫っ毛からはシャンプーの良い匂い。
鼻腔を擽って体の芯を熱くさせる。
「俺の事・・・そんな風に疑ってんの?」
「・・・ごめんなさい。」
返って来たのが肯定の言葉で、快斗はふっと短く息を吐いた。
新しい生活に青子が慣れてないのかもしれない。
どうしようかと思案していると、青子の細い指先が胸の辺りのシャツをきゅっと握り締めたのが分かった。
「青子、快斗の事困らせてるね・・・」
子供の様に途方に暮れた声を出す。
そんな風にされると愛しくて愛しくて、暴走してしまいそうだ。
「良いぜ?幾らでも困らせてくれても。俺、大抵の事は出来ちまうし。青子の事受け留めきれるだけの器量を持ってるの、証明してやるよ?」
おどけた調子で安心させる様に笑ってやると、青子が体の力を抜くのが分かった。
快斗に預けきってる体と心。
可愛くて寂しがり屋の恋人が甘えてきているのを喜ばない男が何処に居ようか?
「快斗・・・青子、頑張るね。」
「んだよ。突然。」
「きっと快斗が大学生活頑張ってるのに青子が頑張ってないから、こんな風に感じるんだね。青子もちゃんと頑張ればもっとしっかり心を保てるような気がする。」
「肩の力抜けよ。ばぁか。気張り過ぎだっての。」
「だって・・・」
「青子ばっかじゃねーよ。俺だって本当は寂しいんだ。」
本音を零して、しっかりと抱き締める。
二人分の心音が唯一つのハーモニーを奏でる。
「でも、俺達成長しなきゃなんねーからさ。いつまでも同じ場所には留まっていられねーし。俺、青子にふさわしい男になりたいから。これから忙しいんだぞ。勉強してバイトして、やらなきゃいけない事が一杯あるし。」
「快斗・・・」
吃驚したような声に少しだけ気を良くする。
「俺さぁ・・・中森警部にはちょっと株落としちまったから、これから挽回しないとな。」
怪盗キッドである事が、どの程度中森警部の心証を悪くしたのか分からない。
警察に唯の一度も捕まる事無くこの世から消えた怪盗キッドも、唯一人誤魔化しきれなかった人物。
全てが終わった後、心の呵責に耐え切れなくて自白した快斗の事を、彼は一体どう思ったのだろう。
大事な愛娘の恋人の、過去を。
「青子の事、正々堂々と奪い去るにはやっぱ否の打ち所のない位良い男になんねーとな。」
「・・・バ快斗。」
恥かしそうに身を捩って青子が逃げ出そうとするのを、腕一つで阻止して快斗は笑う。
「・・・じゃ青子もおば様に認めてもらう為に良い女にならないと。こんな風に落ち込んでる暇ないよね。」
「別に青子はそのままで良いんだよ。」
「良くないよ!お料理も上手くなんないといけないし、勉強だって一杯しないと!そうだっ!バイトもやろう!お金溜めて快斗の誕生日に欲しいモノ買って上げる!」
「バイト、かぁ・・・決める前に俺にちゃんと相談しろよ?変なのやると馬鹿な男がうじゃうじゃ寄って来るからな。」
「何よそれ。」
きょとんっとして青子が漸く面を上げた。
きらきらと光る大きな黒い瞳。
ちょっとだけ泣いていた所為で未だ潤んでいて、濡れたような艶を放っている。
どうしようか?
衝動が突き抜けてしまいそうな、予感。
気が付いたら口を突いて出ていた。
「青子・・・キス、して良い?」
「えっ・・・」
絶句する気配。
大きな瞳がまん丸になる。
頬が見る見るうちに赤く染まり、指先まで真っ赤だ。
「良い?」
「や・・・ちょ・・・」
「駄目だって言っても、する。」
「・・・だったら聞かないで。」
小さな声が非難する。
嫌がってない事がちゃんと分かるから、安心して顎に手を掛けた。
羞恥に真っ赤になった頬が、硬く閉じられた瞼が、幼くて微笑ましい。
夕焼けに赤く染まった部屋の中で二人静かに抱き合って、初めてシチュエーションとしては悪くない。
ドキドキする気持ちも当然あって、でも我を忘れてしまう程がっついて無い。
自然な気持ちで、唇を寄せる。
誰も邪魔しない。
触れた唇は、生涯忘れられない甘い味だった。
† END †
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