奄美しまうた

最初「奄美のしまうた」を聴いたことがなかった私は、奄美というと地理的にも近い沖縄の音楽と同じとあさはかなことを思っていました。それからあるきっかけで「奄海」というタイトルの女性のうたしゃ(歌い手)のCDを手に入れたんですが、聴いてみると沖縄音楽と雰囲気は全く違っていたんですね。これはシンセやピアノで美しく編曲されたものだったので通常の民謡演奏ではなかったのですけど、充分に奄美のしまうたのエッセンスを感じ取ることができたような気がしました。(これをきっかけに私はその後かねてより興味のあった日本民謡を習うことになりましたが、この怠惰な私をそこまで突き動かす何かがそこにあったのだと思います。)

その後、もっと奄美しまうたとはどんなものかな?というのを知りたくて図書館で「奄美のしまうた」という何人かのうたしゃの演奏が入っているCDを聴いてみました。そしたらその中にひときわ私の心を強くひいた歌声がありました!その人が“百年に一人しか出ないうたしゃ”と言われた「武下 和平」さんという男性うたしゃです。再度奄美しまうたに感動した私は今度は彼自信のアルバムを聴いてみることにしました。

男性にしてはかなり高い声。本土の民謡にはあまりない裏声をつかった抑揚のある歌声。時々日本語が聴き取れるものの現地の言葉であるから私にとっては外国の歌といってもおかしくないくらいの印象。きっと言葉が違うという点で声の音の出し方が変わってくるのだろうと思うのですが、なんとも不思議な感じがします。簡単に言ってしまうと私の最初の印象はケルトっぽい唄い方をした男性ボーカリストが三味線を弾きながら日本民謡を歌っている感じにも聴こえたんですね。上記の奄美女性うたしゃの歌声とも違った感じの印象です。情熱と強さがありながらやさしいヒビキととでもいうのか。曲調も沖縄音楽とも違うし、かといって一般的本土民謡の感じとも違うんです。

日本民謡や演歌の唄い方はしばしばペルシャ音楽やインド音楽に似ていることがあります。しかし、奄美しまうたはその印象ともまた違うんです。出だしが低い音から始まって裏声になるあたりはどちらかというとケルトの女性ボーカルっぽい気がするのだけど、その後の唄い方は本土日本民謡に近い唄い方なんです。

注釈によると「奄美のしまうたは長い間琉球王朝に続していたので琉歌の影響のもとに発達してきているが、その反面大きく違う点も少なくない。例えばこの裏声唱法にしても琉球民謡ではみられず、音階についていえば琉球音階ではなく本土の律音階と同じ」とのことです。そして三味線の音もかなり本土の三味線に近い音に聴こえると思ったら、やはり沖縄三味線とは違い、弦は細く、バチは竹の皮を細く薄く削ってつくっているらしいです。

この注釈により、こういった理由でこの不思議感が来るのかと納得できましたが、それよりも何よりもそういった伝統音楽の技巧のすばらしさを超えた何か熱い歌心を私は強く感じてしまいます。

とりわけ私のお気に入りの曲は「あさばな節」という唄です。この曲が とくに裏声の唄い声がここちよく感じられます。この唄は「うた遊び」(その場の雰囲気に合わせて、掛け合いで唄い即興でつくられることもあった)の時の挨拶歌で、“座を清める”とか“声の調子を整える歌”であり、うた遊びには必ずこの歌からはじまるのがしきたりになっているそうです。というわけで「武下 和平」さん奄美しま歌にふれたおかげで、なんとなくですが「奄美しま歌」というものを少しわかることができ、ひじょうに勉強にもなりました。

皆さんも機会があれば一度聴いてみてくださいね。

 

「奄美しまうたの神髄」武下和平 ビクターエンタテイメント

JVCワールド・サウンズ日本

(HIDEKO)

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