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幸せな死に方

 医学は人間を死なせないことをその大きな目標としてきた。ところが人間は必ず死ぬものである。世の中の法則にはたいてい例外があるが、この法則には一人の例外もない。名医と言われたヒポクラテス、張仲景も死んだし、聖人と言われた釈迦や孔子も死んだ。すると人間を死なせないという医学の目標は絶対に達成することのできない目標なのである。医学のできることはせいぜい死をのばすこと、つまり人間の命をのばすことである。人間の死をのばすことははたして本当にその人を幸福にしているのだろうか。社会全体の幸福となっているのだろうか。
 真に健康な人はどういう死に方をするのだろうか。普段と変わらない生活で、精力的に仕事をしたり趣味に没頭したりしていた。ところが1〜2日寝込んだかと思うと急死した。これが真に健康な人の死に方である。今の医学はこういう死に方をすることを医学の目標としているのだろうか。決して目標としていない。急死をもたらす病気には心筋梗塞や脳梗塞などがある。心筋梗塞になれば現代医学は懸命に冠状動脈を塞いだ血栓、塞栓を取り除いて、救命しようとする。脳梗塞になれば現代医学は懸命に脳動脈を塞いだ血栓、塞栓を取り除いて、救命しようとする。現代医学は急死することを何とか防ごうと懸命に治療しているのである。その急性期の治療で完全な健康体をとりもどす人もいる。しかしたいていは救命されたとしても後遺症が残る。大きな麻痺が残り寝たきりになることも少なくない。
 今ここに脳梗塞を発症したAという人がいるとする。もし何もしなければAはそのまま急死した可能性が高い。現代医学は懸命に救命しようとし、Aは一命をとりとめた。しかし片麻痺、構音障害、脳血管性痴呆の後遺症が残ったとする。Aはこの後遺症を抱えてさらに10年生きたが、再梗塞を起こして死亡したとする。さて現代医学はAの脳梗塞を治療してAの命を10年のばした。これは現代医学の勝利なのだろうか。
 まずAにとってこののびた10年の命は幸福であっただろうか。半身が動かず、日常生活が非常に不便となり、好きであったゴルフもできなくなった。話が十分できないため、友人も少なくなり、家族と談笑することもほとんどなくなった。さらに痴呆が進んでくると周囲の者にも馬鹿にされるようになった。昔は小さい会社ではあったが、社長であったから多くの人に尊敬されていた。Aにとってのびた10年は決して幸福でなかったのである。
 Aの家族にとってこののびた10年の命は幸福であっただろうか。Aは仕事をしている妻があり、子供は長男が一人いた。長男夫婦は同じ敷地内に住んでいるが、所帯は別にしている。Aが半身不随になったため妻の負担が増えた。日常生活が不便となり、ゴルフもできなくなったためかAは不機嫌なことが多くなり、夫婦の間がしっくりいかなくなった。Aの痴呆が進んでくるとAを一人で置いておけなくなった。それで妻は仕事をやめてAの介護に専念した。妻が一生懸命介護しているのに、Aはブツブツとよく不平を言った。以前は穏やかな夫であったのに、性格も変わってしまったようであった。Aはやがて大小便の処理も十分にできなくなり、さらに昼夜逆転の生活となった。ささいなことで調子が悪いとしょっちゅう妻を夜に起こすようになった。これが続き、妻は夜に十分に眠れなくなり、それがために病気となってしまった。医者から、今の状態では夫の介護は無理だから夫を老人保健施設のような所へ入れるようにと言われた。ところが老人保健施設は入所できるまでかなりの日月を待たなければならなかった。その間の介護を長男の妻がすることになった。長男の妻も仕事をしており、仕 事と介護の両方こなすのはきつかった。やはり夜間にしょっちゅう起こされるため長男の妻も体調を崩し、仕事を長期間休まざるを得なくなった。ようやく老人保健施設にあきができたが、Aは入所を非常に嫌がった。住み慣れた家を離れたくなかったのである。Aの介護に困り果てていたAの家族は無理やりAを老人保健施設に入れた。Aの長男は「親を追い出すのか、この親不幸者。」となじられ、辛かった。Aは無理やり老人保健施設に入れられたことに抗議しようとしたのか、勝手に施設の外へ出ていった。Aのいないことに気づいた老人保健施設の職員は懸命にAを捜し、ようやく無事なAを見つけた。しかし勝手に外へ出ていくようでは施設としてAの安全が保証できないため、家族に当施設で管理できる人でないと言い、施設が行動の管理ができる精神病棟に預けるように言った。老人保健施設に断られた家族は精神病院に入院をお願いした。今度もAは強く抵抗し、家族をなじった。精神病院の医者は医療保護入院という家族の同意による強制入院の形でAを閉鎖病棟に入院させた。この精神病棟でAはのびた10年の命の7年を過ごし、再梗塞を起こし死亡したのである。Aののびた10年の命は妻と長男の妻を病気にし、妻の仕事を奪い、長男の妻の長期の仕事の離脱をやむなくした。さらに夫婦の関係を冷たくし、親子の関係を険悪なものとした。Aの家族にとってAののびた10年は決して幸福でなかったのである。
社会にとってAののびた10年の命は益をもたらしたのだろうか。妻が仕事ができなくなったこと、長男の妻が長期間仕事を休んだことは社会にとって損失である。精神病院での治療には医療保険の形でかなりの社会資本を使った。それだけ社会資本は損失を受けた。益を受けたのは介護関係の仕事をしている人々である。Aの介護のためにおむつなどの介護用品をたくさん使用したから、こういう介護商品を売る人は益を受けた。精神病院も入院患者が一人増えたのだから益を受けたと言うべきだろう。
 現代の医学は人間を死なせないこと、人間の命をのばすことを目標としてきた。けれどのびた命は必ずしも本人を幸福にしているわけでない。必ずしも家族を幸福にしているわけでない。必ずしも社会に益をもたらしているわけでない。むしろしばしば本人や家族を不幸にし社会に損失をもたらしている。人間の最も幸せな死に方は急死である。現代医学はこの急死を防ごうと懸命になった。その結果長い間本人と家族を苦しめる病気を持った人をたくさん生み出した。現代の医学はただ人間の命をのばすことばかりを考えてきた。しかし命をのばしたがために、本人も家族も社会も不幸にすることがしばしばある。医学はただ人の命をのばすことのみに汲々とすべきでない。医学は人を幸福にすることに汲々とすべきである。急死は最も幸せな死に方なのである。
2007年8月5日作成

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