( 2000/1/10 追加 )


1966年(昭和41年)正月、山岳部員11名で、北アルプス・爺、鹿島槍を目指し、山に入りました。
連日の吹雪で、鹿島槍に登頂したのは初日のアタック隊3名だけで、その後は毎日爺岳まで登るのがやっとでした。
でも、山を下る日は快晴に恵まれ、ベースキャンプから白銀の峰々をカメラに収めることが出来たのは、真冬の北アルプス登山としては幸運だったのかもしれません。
その時の思い出を、写真を主にしてまとめてみましたのでご覧ください。

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12/29 前夜発の夜行列車で新宿を発ち、まだ明けやらぬ信濃大町から、タクシーに分乗、登山基地鹿島部落に到着したのが午前7時。
狩野さん宅で朝食後 8時出発、爺岳東尾根の樹林帯の踏み跡をたどる。肩に食い込む重荷に耐えて、樹林帯の急登をただ足元を見ながら、一歩一歩とひたすら登ること 5時間。ようやくキャンプ予定地に到着(13時)。
15時 ベースキャンプ設営終了。20時就寝、気象係は 22時の気象通報で天気図作成のため、一人眠い目をこすり我慢。
1・1 1・2 1・3 1・4
12/30 午前中 曇り、時々晴れ、10時頃より風雪。
アタック隊 3名は 2.30出発、ヘッドライトを頼りに、トレイルをたどって順調なペースで登高を続ける。 6.40爺岳通過。冷小屋(8時)をへて、10.15 鹿島槍登頂。 冷小屋にて1時間の昼食休憩で一息ついて、14.30サポート隊の待つ爺岳に戻る。
サポート隊 8名は 5.20 BC発、8.45爺岳着、山頂でガスの間に見え隠れする峰々をカメラに収めているうちに次第に天候悪化。10.15 新人を含む 6名をBCに帰し、2名でアタック隊の帰りを待つこととした。次第に強くなる風雪の中、山頂でツェルトをかぶり、時々トランシーバー交信を試みるも応答無し。不安の中に待つこと4 時間半、ようやく吹雪の中に3名が現れ、無事登頂の報告に喜びの握手を交わす。(14.35)
帰途、濃いガスの中で、雷鳥の群れに出会うも、真っ白い闇の中、見えるのは目の回りの二つ並んだ黒点のみ。その黒点があっちにも、こっちにも、ちょこちょこと動き回って 合計10羽ほどもいただろうか。
BC帰着 16.30。
2・1 2・2 2・3 2・4 2・5
2・6 2・7 2・8 2・9 2・10

12/31 風雪
第2次アタック隊 3名 2.45出発するも、前夜来の風雪のためトレイルは消えラッセルを強いられる。樹林帯を出ると風雪が強く、夜間の行動は危険と判断し引き返す。BC帰着 5.00
明るくなるのを待って、新人の訓練をかねて、爺岳まで往復する。前日のトレイルは全く消えて、目印の赤旗を頼りに進む。樹林帯を出ると雪交じりの寒風が吹きつけ、目出帽の口鼻の部分が、吐く息でカチカチに凍る。
ゴーグルには雪が付いて見えなくなり、こすり落とすと氷が着いてやっぱり見えない。頂上に立っても吹雪の中では視界ゼロ。カメラも取り出せない。
BC発;8.00、爺岳;12.20、 BC帰着;14.25
1/1 風雪強く、一日中停滞。
時間つぶしに イグルー作り、樹林帯の斜面でのラッセル訓練などして遊ぶ。
1/2 風雪、午後より天候回復の兆し。
この日も鹿島槍を目指して、深夜 まずサポート隊がルート工作に出発するも、深雪にはばまれ、途中ツェルトを被って明るくなるのをまち、後発のアタック隊と合流。今日も風強く、顔面凍傷気味、時々こすったり、ひっぱたいたりしながら、爺岳に登り、爺岳南峰まで往復した後、BCに引き返す。BC帰着後天候回復の兆。
サポート隊 BC発;1.15、  ツェルトを被って待機;4.30〜6.30、  爺岳9.35、
    南峰往復;9,40〜1015、BC帰着;12.00

3・1 3・2 3・3 4・1 4.2
4・3 4・4 5・1 5・2

1/3 快晴
山を下る日、皮肉なことに雲一つない快晴。東の空が茜色に染まって、黒々と横たわる山並みのはるか彼方に、富士山のシルエットがはっきりと眺められた。
やがて日が昇ると、新雪で化粧直しした峰々がモルゲンロートに染め上げられて、その容姿をあますところ無く我々の前に現してくれた。
白銀の山々の眺望を満喫した後、キャンプ撤収、山に別れを告げた。
6・1 6・2 6・3 6・4 6・5 6.6
6・7 6・8 6・9 6・10 6・11 6・12

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