サクリア


サクリアを送り終えてジュリアスが小さく息をつく。
ここは王立研究院の奥、育成の間である。頼まれた育成を終えても、ジュリアスはすぐには立ち去らずに育成物を眺めていた。『謎の球体』。それを育成するとどうなるのか、何が起こるのか、誰にも知らされていない。
「・・・陛下は何かご存知のようだが・・・」
ぽつりと呟き、少し寂しげに瞳を伏せる。
「・・・何も知らされないと言うのは、不安なものだな」
「・・・おまえらしくもない。弱気な台詞だな・・・」
背後からかけられた声にジュリアスは静かに振り向くと、皮肉げな笑みを浮かべて声をかける。
「クラヴィスか。そなたがここに来るとは珍しいこともある。女王候補に育成でも頼まれたか」
「・・・いや。・・・そろそろ臨界点かと思ってな」
クラヴィスはジュリアスの皮肉を軽く流すと、ジュリアスの横に立って育成物を眺めた。
「まだ臨界を迎えてはいないようだな。王立研究院からの報告によると、もう少しで臨界に達すると予想されるそうだが。」
「・・・ふん」
ジュリアスの台詞を聞いているのかいないのか、クラヴィスは興味なさそうに応えると黙って育成物を見つめる。ジュリアスもあえて何も言わず、同じように育成物を見つめた。
育成物を見つめる2人の背後から、更に足音が近づいてきた。規則正しい、まっすぐな、けれどそれほど強くはない足音。
新しくやってきた人物に、ジュリアスが振り向きながら声をかける。
「セイラン、このような時間にどうしたのだ」
「おや、これはこれはジュリアス様、クラヴィス様おそろいで」
皮肉げなセイランの台詞に、ジュリアスもクラヴィスも特に反応しない。もちろんセイランも特に2人の反応を期待してはいない。そのままジュリアスの質問に答える。
「最近今ぐらいの時間にここから大きな波動が伝わってくるものでね。つい、来てしまうんですよ」
「大きな波動? 育成のか」
「・・・僕も初めはそうかと思ったんですけどね」
そう言うとセイランは黙って育成物を見つめる。それ以上セイランの台詞が続く様子はなく、ジュリアスは先を促す。
「違ったというのか」
「わからないんですよ。・・・一体あの球体はなんなのです?」
「・・・閉ざされた空間で、みつかったもの、だ・・・」
ぼそりとクラヴィスが呟く。
「つまり、わからないんですね。・・・女王陛下にもわからないんだろうか・・・」
セイランの台詞の後半は独り言のようだった。育成物に視線を向けながら、なにかを考えている。
ジュリアスとクラヴィスも、セイランの台詞を考えるように、黙って再び育成物に視線を向けた。

翌日。
ジュリアスは朝早く王立研究院に使いを出した。普通ならまだ研究員たちのいる時間ではない。しかしすぐに大量の書類を手にエルンストが執務室を訪れた。
「こんな早くからすまないな」
「いえ。・・・これが今までの観測データです」
差し出される大量の書類を受け取り、すぐにジュリアスは目を通し始める。エルンストはそのまま黙って立っている。
「・・・これか!」
ふいにジュリアスが小さく呟いた。
「エルンスト、そなたこれをどう見る」
ジュリアスの執務机の上に広げられたのは、複雑な波形のグラフだった。ジュリアスはそのグラフの1点を指差している。
指された個所を見て、エルンストは一瞬言葉を探した。それはまさに今、エルンストが直面している謎だった。
「・・・その波形は、初期の頃にはみあたりません。ごく最近観測されるようになったものです」
「しかも、毎日観測されるわけではないのだな」
「ええ、しかし観測されるのは必ず夜中なのです。・・・こちらは・・・」
そう言ってエルンストが指差したのは、2つの波形が重なるあたりだった。
「こちらは育成のあったときのものなのですが」
「よく、似ているな」
「はい。守護聖様方のサクリアを受け取る時に観測される波形と酷似しています。しかしこの時は育成はなされていません」
「うむ」
「そして・・・。育成の後、かならず成長がありますが」
「この波形が単独で出た後、成長はない、か」
「そうなのです。・・・王立研究院では今、より詳しいデータを採っているところです」
「・・・そうか」
つまり、なんであるかはわからない、ということだ。
「わかった。詳しいデータが出たらまた知らせてくれ」
「わかりました」
エルンストが出て行った後、ジュリアスはグラフを見つめて長い間考え込んでいた。

その夜。
育成はなかったがジュリアスは育成の間に向かった。
そこにはすでにクラヴィスとセイランの姿があった。ジュリアスは小さく苦笑するとふたりに近づいていく。
「・・・おまえも来たのか」
「ジュリアス様、育成ですか?」
「いや。・・・育成物の様子はどうだ?」
「・・・特に、変わったことはないようだが・・・?」
「そうか」
ジュリアスとクラヴィスのかみ合っているんだかいないんだかわからない会話を聞きながら、セイランは小さく笑った。
(このふたり、仲が悪いんだかいいんだか)
「なんだ?」
セイランの笑いに気づいたジュリアスが尋ねる。
「いえ。なんでもありませんよ」
「・・・おおかた、自分の世界にでもはいっていたのだろう」
むっとしかけたジュリアスは、クラヴィスの台詞に気をそがれてそのまま球体に視線を向けた。
特に変化は見られない。・・・もっとも、それがどういったものであるのかもわかっていないのだ。目に見える変化があるのかどうかもわからない。
ふと何かに呼ばれたように、セイランとクラヴィスが育成物に意識を向ける。ジュリアスも、微かな気配に意識を凝らす。
(確かに何かを感じる)
ジュリアスはなんとかそれを見極めようとする。が、すぐにその気配は空気に溶けるように消えていった。
ふと見ると、クラヴィスとセイランは、瞳を細め、半ば夢見心地の表情をしている。
(この者たちは私などより強く何かを感じ取っている・・・。私は波動に気づくことすらできなかった)
「・・・どうした、ジュリアス」
自分の物思いに沈み始めたジュリアスに、クラヴィスが声をかける。
「いや。なんでもない。今のが、そなたの言う、波動か」
「ええ、そうですよ。・・・クラヴィス様?」
「・・・うん?」
「お気づきですか? 昨日より強くなっている」
「・・・ああ。・・・回を重ねるごとに、少しずつだが、強くなっているようだ」
ジュリアスは今朝見たグラフを思い浮かべた。謎の波形が現れる位置は、だんだん上がってきていた。・・・まるで、育成による臨界点に近づくように。
考え込むジュリアスを他所に、クラヴィスは静かに育成の間を出て行った。セイランも小さくあくびをすると、ジュリアスに声をかける。
「ジュリアス様はまだ戻られないのですか?」
「・・・ああ」
「そうですか。では僕もこれで失礼します」
ひとりになった育成の間で、ジュリアスはぼんやりと育成物を見つめていた。

次の日−女王試験が始まって3度目の土の曜日。
この日は謁見もなく、基本的には休日となっていた。その夜。普段なら人影などないはずの育成の間に人影があった。もちろんジュリアスである。ぼんやりと育成物を眺めている。いつものジュリアスとは思えない、寂しげな姿だった。
(・・・陛下はご存知だったのだ・・・。育成物になにが起こっているのか・・・。だが・・・)
ジュリアスの瞳は育成物に向けられながらも、それを見てはいなかった。その脳裏には昼間、女王陛下に謁見を願い出た時のことが浮かんでいる。
『謎の波動を? クラヴィスとセイランが? あら。さすがね』
女王は軽い調子でそう言って微笑んだ。それがなんであるのか問おうとしたジュリアスに、
『すぐにわかるわよ。・・・あなたも感じたのでしょう?』
と、楽しそうに問いかけた。
『微かに』
と答えたジュリアスに、女王は一瞬不思議そうな表情をしたようだったが、ジュリアスには確信はなかった。
(結局なにひとつ教えてはいただけなかった)
(それとも・・・。感じ取ることのできない私がいけないのだろうか)
ジュリアスはどんどん物思いに沈んで行く。

「ジュリアス様、どうかしたんですか?」
突然声をかけられて、ジュリアスは初めて自分が目を閉じて物思いに沈んでいたことに気が付いた。
「・・・ああ。セイランか。・・・今日も波動に呼ばれたのか?」
「いえ。今日はまだのようですね」
そこに3つめの人影が現れた。
「・・・やはり来ていたか・・・」
「クラヴィス。そなたも来たのか」
「・・・ああ。・・・今夜は、波動は、なさそう、か・・・」
「そうなのか?」
クラヴィスの気のない台詞にジュリアスが敏感に反応する。
「ああ、やはり今夜はないんですね」
同時にセイランもつまらなさそうに言う。それを聞いてジュリアスは、静かに呟いた。
「・・・そうか。そなた達にはわかるのだな」
「ジュリアス様?」
「・・・ジュリアス?」
ジュリアスの声にあまりに力がなく、クラヴィスたちは少々驚いてしまった。
「・・・まったく、おまえというやつは・・・」
ため息混じりに呟くクラヴィスの声は妙に優しくて、セイランはほんの少しふたりの関係を垣間見た気がした。
(やれやれ。守護聖様方の友情は複雑すぎて僕にはついていけないな)
「今日はもう、波動は現れないようだし、僕は帰りますよ」

次の日。日の曜日だというのにジュリアスは育成物の資料に埋もれて1日を過ごした。育成もなく、波動も現れなかったため、特にめだった変化はなかったが、確かになにかが起こっているようだった。
(臨界点も近いのだろうが・・・)
ジュリアスは小さくため息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。そのままゆっくりと窓に近づき外を眺める。
(・・・今夜は・・・波動は現れるのだろうか・・・)
(・・・私は・・・)
ジュリアスはまた小さくため息をつくと、執務室を出て行った。・・・育成の間に向かうために。

育成の間には人影はなかった。ジュリアスはゆっくりと育成物を見つめた。・・・変化はない。
ふと、ジュリアスの視界をなにかが掠めた。
(・・・淡い、光・・・?)
よく見ようと、ジュリアスが身を乗り出したとき、複数の足音が近づいてきた。クラヴィスとセイランである。
育成物のまわりに淡い光がまとわりついていた。
「あれは・・・」
ジュリアスが小さく呟く。が、次の言葉はない。
食い入るように育成物を見つめている。
3人が見つめる中で、淡い光はどんどん輝きを増し、やがて育成物を包み込んでしまった。
「・・・陛下・・・?」
「・・・アンジェ、リーク・・・?」
ジュリアスとクラヴィスが同時に呟く。
やがて光は薄くなり、空気に溶け込むように消えていった。
「・・・今のは・・・」
「金色の、サクリア・・・」
光が完全に消え、しばらく経ってからようやくクラヴィスとジュリアスが乾いた声を洩らす。
「あれが・・・女王のサクリア・・・?」
ふたりの囁きに、セイランがゆっくりと反応する。
「いや、しかし、あれは陛下のサクリアではない」
セイランの台詞に、ジュリアスはいつもの様子にもどったようだった。
「・・・そう、だな・・・」
クラヴィスもジュリアスに同意する。
「それじゃあ、どういう?」
「明日、陛下に確認をとる」
ジュリアスはきっぱりと言い切ると、さっさとふたりに背を向け、その場を去った。
残されたクラヴィスとセイランは、どちらからともなく顔を見合わせ、ため息とも苦笑ともつかぬ表情で歩き始めた。

そして、翌日。女王陛下謁見の間。
ジュリアスは幾分険しい表情で女王の前に立っていた。・・・いや、それはいつものことだが。
「・・・あら、金色のサクリアが? 見えたの?」
女王はほんの少し驚いたようにジュリアスを見つめた。
「お教えください。あれは、なんなのですか。あれが、波動として観測されたのですか」
「・・・いいえ」
女王は小さく微笑んだ。
「陛下・・・!」
「あの波動はね、育成物が金のサクリアに触れて喜んでいるのよ」
「喜んで・・・? 育成物が?」
「そう。あの子達の心に触れて、喜んでいるの」
「それは・・・」
「・・・そう。金のサクリアが見えたのね・・・。じゃあ、そろそろかしら・・・」
「臨界点が、ですか?」
「・・・ええ、そうよ」
「臨界点を迎えると、なにが起こるのですか」
ジュリアスの台詞に、女王はちょっと驚いたあと、楽しそうに笑った。
(あら。やっぱり気になってたのかしら。・・・それなのに今まで訊かずにいたのね。さすがジュリアスだわ)
「ひ・み・つ。ふふっ。きっともう、すぐにわかるわ。きっとね」
「陛下・・・!」
「だめよ。教えないわ。だって知らないほうがわくわくするでしょ?」
「・・・」
女王の台詞に、ジュリアスはがっくりと肩を落とした。これ以上は無駄だと思ったのか。その様子を見て、すぐに補佐官が声をかける。
「さあ、そろそろ執務に戻ってちょうだい」
「・・・御前、失礼いたします」
小さく告げるとジュリアスは静かにドアへと向かった。

その夜。女王候補の1人に育成を頼まれたジュリアスは、いつもより早く育成の間に足を向けた。
「・・・アルフォンシアのために・・・」
ゆっくりと光のサクリアが空間を満たす。
そして・・・。
育成物がゆっくりと変化し始めた。アンジェリークの見守る中、育成物から強い光が放たれ、光は更に強くなっていく。

「・・・こ、これは・・・!」
育成の間でジュリアスは息を飲んで見つめていた。強い光を放ちながら生まれ出でようとするものを。
「・・・これが、あの子の力」
「・・・新しい、宇宙の、誕生・・・か」
すぐ横で聞こえた声に、ジュリアスは意識をそちらに向けた。
「そなたたち、いつの間に・・・」
「ついさっきね。・・・どうやらとてもドラマティックなシーンには間に合ったようですよ」
「・・・・・・」
クラヴィスは無言で今生まれたばかりの宇宙を見つめていた。
ジュリアスとセイランもそれにならう。

「・・・そういえば、陛下はなんと言っていた?」
「?」
唐突なクラヴィスの台詞に、ジュリアスはなんのことを言っているのかすぐにはわからなかった。
「・・・今日、陛下のところに行ったのだろう・・・?」
「・・・ああ。あれは、アルフォンシアの喜びの波動だそうだ」
「アルフォンシアの?」
「喜びの、波動、ね」
3人はそれ以上なにも言わず、生まれたての宇宙を見つめた。


END


ねこまたさんのサイトのキリ番、2468(だったよね?)を踏んで書いて頂きました。
お題は「ジュリアスさまとセイランとクラヴィスのほのぼの!(ジュリリモ前提)」
個人的にはなんだか疎外感を感じて落ちこんでらっしゃるジュリアスさまが可愛くって好き!
昔はセイランも岩永さんもすっごく苦手(つうか、好きの反対!)でしたが、いまではかなり好きです。
で、本当は自分で書きたいのですがいろいろあってなかなかなので、他の人に書いていただくという困ったちゃんです。
なかなか苦心されたようで、本当にご苦労様でした。確かにジュリアスさまにとってはほのぼのじゃないけど、
なんだかホッとするお話です。ありがとうございました!

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